【シウン】☆
「ギネ殿、レーシー殿」
ノヴァーリスがドレスに着替えたり化粧を施されている間にと、シウンは騎士団が集まっている鍛練所へと足を向けていた。
多くの騎士団員が集まる中、漆黒の鎧に身を包む大柄な中年騎士と純白の鎧を纏う長身の女騎士は、相反する色のせいもあってか目を引く。探す手間が省けるなとシウンは思いながら二人に頭を下げた。
「あぁシウン殿か」
「貴殿だけだ。私をレディー扱いしないのは」
「レディーレーシー。幾ら強くてもお前さんは女だからな。仕方がないだろ。執事のシウン殿はお優しいからお前さんの望み通りに扱ってくれてるだけだぞ」
ふんっと鼻息荒くそっぽを向いたレーシーは、自身の金色の短髪をガリガリと乱暴に掻き毟った。
シウンがただの執事ではなく護衛剣士だということは騎士団員は知らない。例外なく、騎士団長と副団長であるこの二人もだ。
「それで?シウン殿がどうしてこちらに?」
「いえ、女王様から首尾よく進んでいるかと――」
「聞いてこいってか。問題ないぜ!賊が紛れ込んでいたら一捻りに殺してやろう」
無精髭を生やした粗暴な見かけと同じく、ギネは肩を聳やかして大声で笑った。
「貴殿はどうしてそうも不潔なのだ。唾を飛ばすな!」
レーシーがギネに抗議するが彼は我関せずといった感じで彼女の訴えを無視する。シウンはそれを見ながら少しだけ苦笑した。
それから周囲を軽く見渡し一人首肯く。確かに抜かりはないようだ。人員も練度も不足はない。
「……文句ないだろ?」
ギネの台詞にシウンは肝を潰しかけた。重低音で囁かれたそれがシウンという人間を見透かされたようだったからだ。
「そうですね。皆さん、いつも通り士気が高そうです」
「はは、躱したな!だがまぁいい!シウン殿、いつか俺とやり合おう!!」
「何を言っているんだ!この筋肉達磨っ!シウン殿を殺す気か!」
いつもの微笑みで振り向いたシウンにギネはまた破れ鐘のような声を出した。バシバシと背中を叩かれシウンは小さく呻く。レーシーが間に入って来たので、シウンは故意に咳を出しながら鍛練所を後にした。
やはり武人として何か感じ取っているのかもしれない。今後はもっと気を付けようとシウンは心に誓ったのだった。
鍛練所を後にしたシウンがノヴァーリスの部屋の前までいくと、勢いよく部屋の扉が開きテラコッタが飛び出してくる。その後すぐにドレスアップしたノヴァーリスが続いた。
「テラコッタ!ノヴァーリス様っ!」
少し怒りを込めて声を張り上げれば、途端に二人はピタリと動きを止める。ノヴァーリスはばつが悪そうな顔だったが、テラコッタの方は不機嫌そうに腕を組んでいた。
「テラコッタ」
「シウンなんかに名前を呼んでほしくないんですけどー。むしろ私の視界に入らないでください。記録したくないんでー」
テラコッタは護衛として雇われた仲間なのだが、何故かこのようにシウンのことを嫌っているようだった。一度理由を問い詰めたら「私の可愛い姫様にベッタリなのが気に入らない!」とのこと。結論として……放置しよう、と彼は思った。
「俺には関係ありませんが、女王様のところに戻らなくていいんですか?報告等あるでしょう」
「言われなくても戻りますーっ!バーカバーカ!シウンコーっ!」
お前は何歳のガキなのだ。と頭の中でツッコミながら走り去っていったテラコッタを無表情で見送ると、シウンはノヴァーリスへと向き直った。
ノヴァーリスはテラコッタの捨て台詞が壺に嵌まったのか、プルプルと小刻みに肩を揺らしている。シウンは短く息を吐いてからノヴァーリスの額を軽く中指で弾いた。
「痛っ……!」
「笑った罰です」
ノヴァーリスの大きなコバルトブルーの双眸が見開かれ、真っ直ぐにシウンを見つめていた。その表情に自然と口が弧を描いてしまう。
シウンはそれを隠すように話題を変えることにした。
「あぁ、ノヴァーリス様。そのドレスと淡い化粧もとてもよくお似合いですね」
「シウンのせいで涙が出て目元の化粧が落ちちゃうわ」
「……そんなに痛かったですか?それは申し訳ありませんでした」
誉め言葉に頬を膨らませ彼から目線を外したノヴァーリスに、シウンはできる限り優しい声音で謝る。耳元で甘く囁くようなそれにノヴァーリスの顔が一気に紅潮した。
「け、化粧直しするから!入って来ないでよ!!」
バタンッと乱暴に閉じられた扉と部屋の中に吸い込まれるように消えたノヴァーリスの姿にシウンはクッと小さく一人吹き出す。
――過ごす時が増えれば増えるほど……
「……ノヴァーリス様、お一人ではお化粧出来ないでしょう?取り返しがつかなくなる前にお声をお掛けくださいね。俺はここで待っていますから」
扉に寄り添ってそう中へ声をかければ「う、うるさい!シウンのバカっ」と中からヒステリックな声が返ってきた。
その声でさえ心地好いと思ってしまうのは、やはりテラコッタの言う通りなのだろう。
――過ごす時が増えれば増えるほど、何よりも君が愛おしいと強く想う。
執事の仮面も、護衛剣士の仮面も、全部かなぐり捨ててしまいたいほどに。