【ウィローサ】
ウィローサはオウミが王都から脱出した報せを聞いてから、長い溜め息を吐き出す。
それから午前中のミナヅキの姿を思い出しては、頭を押さえた。ほぼ白髪に変化した髪は、少し生え際が後退している。青年期は橙色の髪色だったのだろう。ほんの僅かにその色の髪が混ざっていた。
――やはり、ミナヅキはどこか病んでいるのだ。もう歳も十九だというのに十歳ぐらいの子供じゃないか。いやあれは遥かに性格も悪い。
それだけじゃない、と白い顎髭を弄りながら、ウィローサはまた溜め息を吐き出す。
広々とした王の寝室は、目を覆いたくなるほど、豪華で煌びやかな装飾品に囲まれていた。
普段は気にならないものだったが、今のウィローサには酷く滑稽なものに見えた。
そしてその時、ふっとオウミの産みの母であるリベラバイスのことを思い出した。
最後にリベラバイスと言葉を交わしたのは、彼女が風邪を引いた一月前のことだとウィローサは首を縦に振る。確かあの時はビブレイが懇意にしているという医者の薬を手渡したのだ。
――そうだ。オウミのことを気にして胸を痛めているかもしれない。
リベラバイスは優しい性格の可憐な女性だった。
彼女のことを浮かべると、ウィローサは心が静かになる。懐かしい過去に瞼を閉じると、自然と口角が上がっていた。
息子のことを心配しているであろうと、ウィローサはその日の黄昏時にリベラバイスの元へ訪れる。
部屋の前についた頃には空は暗くなっていた。
「リベラバイス……?」
部屋から漏れている声にウィローサは眉間に皺を寄せて、掠れた声で彼女を呼んだ。
開けた扉の向こうでは、ウィローサにとって信じられない行為が行われていた。瞠目した目がそれをただじっと見つめる。
「ウィローサさ、まぁ……!」
甘えたような声音でリベラバイスがウィローサの名を呼んだ。
だがリベラバイスと重なっている男の影にウィローサはその声が汚らわしい音にしか聞こえたなかった。
よくよく見ればリベラバイスは泣いていたのだ。
だがオウミがよりによってノヴァーリスと逃げたこと、今目の前で信頼していたあのリベラバイスが他の男に抱かれているというショックで、ウィローサの脳は正しい判断を下せなくなっていた。
「……き、貴様ら……何をやっているんだ……!」
「え……?」
口から出たのは怒りの声だった。
「リベラバイス、私はそなたを信じていたのに……!息子の事で胸を痛めておろうと思ってやって来たというのに……!よもやそなたが不義を行うとは……っ!」
こんなことを彼女に言いたいわけではなかった。
だがウィローサは溢れ出す感情を止めることが出来ない。ドロドロとした黒い泥のよう物が全身を覆っていく感覚だった。
「そんな男と姦通していたとは……!!」
心臓をぎゅうっと服の上から鷲掴みにするように押さえると、ウィローサは大声を張り上げる。
――苦しい、……息が、出来ない。
「リベラバイスよ、死刑だけにはさせない。そなたを愛していたからだ。だが、不義を行った以上、この城には置いておけない」
こんなにも冷酷な声が自分自身から出るとはと、ウィローサは自嘲しながら、息苦しい胸元をとんとんっと叩いた。
「待ってください、陛下!私は――」
目の見えないリベラバイスとは目線が合わない。
それだけがウィローサには救いだった。
「黙れ!!」
その場で崩れ落ちたウィローサの怒鳴り声に、城の者が走ってくる。
ウィローサは壁に寄りかかりながら、兵たちに拘束されたリベラバイスの姿をぼんやりと眺めていた。
――おか、しい。あの男はどこに……っ
「ごほ、苦し……誰か!……医者を」
心臓がキリキリと悲鳴をあげ、ウィローサは呼吸ができなくなっていることに気付いた。そして嗅ぎ慣れた麝香の香りに眉を顰める。
「……これはもう死んだの?」
「いえ、まだ意識があるかと」
「そうなの?……まぁー、貴方。早く死んでくださいな」
ウィローサの記憶が正しければ、その声はビブレイとウィンドミルの二人の声だ。
残酷なビブレイの笑みにウィローサは反論することもできず、ただ静かに息を引き取ったのだった。