【レーシー】
話し合いの後、一行はジロードゥランの領地に向かうことで意見が一致した。ジェイドは少し一緒に行くことを躊躇っている様だったが、アルベリックのこともあり最終的には同行することを決めたらしい。
レーシーは自分の前で地図を広げて座っているジョエルの頭のてっぺんを眺めてから、後ろを振り返った。
狭い山道になっている為、皆が一列になって進んでいる。真横は崖で気を緩めることもできない。
先頭を行くレーシーの後ろは手綱を握っているのがシウンで、その前にノヴァーリスが座っていた。次にムッタローザと前にテラコッタ。その後ろはジェイドとエクレールだ。ジェイドはエクレールの方が身長が高いため、不安定な動きをしていたが妹は俺と乗るんだ!と言い張った為そうなっていた。次がレオニダスとアナベルで、最後の馬にオウミとアキトが乗っている。そしてローレルだけは歩きだったが、彼は器用に岩肌を走ったり、まるでこんな岩山を生息地とする四足獣か猿の様だった。
レーシーはそんなローレルに訝しげな視線を送ってから、小さく息を吐き出す。
逃亡のごたごたで聞けずじまいだった――あの夜の事が気になって仕方がなかった。
「僕の前に君が座っているのも、本当はすごく気持ちが悪いんだけどさ。前のあの二人に比べたらマシなのかなぁって」
オウミが呟くように言うと、アキトがハハハと乾いた笑いを無表情で溢す。
「レオニダス様、完全にアナベルさんのこと女の人だと思ってますから」
「やっぱり判ってて放置してんの?!」
「……はは、ホントウケる」
「君、前から思ってたけど、性格悪いよね?!」
レーシーの耳にはそんな会話は届くことはなかったが、アナベルに顔を真っ赤にしているレオニダスにも聞こえなかったらしい。
ただ一度アナベルが睨んでからは二人は口を閉じて静かになった。
中腹を過ぎた頃だろうか。
山の斜面にポッカリと大きな穴が開いている箇所があり、レーシーはその前で馬から降りる。
「もうすぐ日暮れだ。ここで今夜は過ごします。宜しいですか?ノヴァーリス様」
「ええ。私はそれで問題ないわ」
それぞれが馬から降りると、周辺を見回ってきたらしいローレルが斜面を下ってやってきた。
「ローレル!危ないっ」
ノヴァーリスが思わず手を伸ばすが、ローレルは何事もなかったのように空中で一回転し着地した後その手を取る。
「姫さん、心配どうも。でもほら大丈夫だぜ?」
ニィっと笑ったローレルにノヴァーリスは口をポカンと開けたまま彼をまっすぐに見つめた。大きな瞳が瞬きせず自分を見るのでローレルは段々とむず痒くなってくる。
「いや……その、そんな見つめられると……」
ローレルの頬が思わず紅潮し、目線が落ち着かなくなった。
「ノヴァーリス様に腰を下ろしていただけるよう、場所を作りましたので」
繋がったままの手がシウンによってバッサリと切断された。しかもシウンはローレルの手の甲を力強く叩いてきたので、やけに痛い。
「クソ執事……っ!」
今はもうシウンは執事服を着ているわけではなかったが、ローレルは彼への悪口に執事という単語を使っていた。
ノヴァーリスを連れて洞穴の奥へと消えるシウンの背中に呪いを吐いていると、ローレルは誰かの視線を感じて身体の向きを変える。
「……な、何か用?」
「……ふん」
振り向くと、その視線の主はやはりレーシーだった。
ローレルが愛想笑いを浮かべると、鼻息荒くしたレーシーはジョエルを連れて洞穴に入っていく。
そっと息を吐き出してから、ローレルも後を追った。
洞穴の中は円形に大きく広がっていて、上には岩の間に隙間ができている箇所があり、中で焚き火をしても煙が充満することは無さそうだった。
「まぁ……安全策を取って火は焚きません。煙でバレては面倒ですし」
シウンの言葉にほぼ全員が頷くと、ムッタローザが寝袋のないメンバーにと毛布を手渡していく。
テラコッタが自分の寝袋をノヴァーリスに勧めていたが、ノヴァーリスは頑なに拒否した。
「な、何故ですかぁー?!」
「だからテラコッタに使って欲しいのよ」
「ノヴァーリス様が寝袋じゃないのに、私が寝袋で寝れるわけないじゃないですかぁ!エマちゃんに天国から槍を投げられますよぉっ」
エマの名を聞いて、彼女の最期をテラコッタから聞いていたノヴァーリスは更に唇を噛み締めてから寝袋を拒否した。
「うん、テラコッタちゃんだっけ?ノヴァーリスは僕がこうやって抱き締めて暖めてあげるから!ほら安心して」
「ふざけんなアオウミウシ!」
「何その罵倒?!」
様子を眺めていたオウミがノヴァーリスの肩を抱くと、テラコッタの目はつり上がる。どうやらシウン同様ノヴァーリス様愛の敵だと判断したらしい。
主が罵倒されても我関せずのムッタローザとアナベルだったが、アオウミウシはツボに嵌まったのか、くくくっと肩を震わせていた。
ジェイドとエクレールは岩肌に背を預けながら三角座りをしている。妹を気遣うようにしながらも、騒がしくなった彼らを見るジェイドの目は思いっきり小馬鹿にしているようだった。
レオニダスとアキト、シウンはジョエルから預かった地図を確認している。ジョエルの後ろではレーシーが岩に背を凭れ掛からせながら、缶詰を開けているローレルをまた睨み付けていた。
簡易な食事を終え、早々と寝静まった頃、洞穴の外で見張りをしていたレーシーは背後の気配に柄を握りながら振り向く。
「ストーップ!!剣はなし!」
「貴様……」
レーシーの眉間に皺が寄った。
振り向いた先にいたのは、ローレルだったからだ。
「……丁度良かった。貴様に聞きたいことが山ほどある」
「いやー、そうだろうなぁと思ってたよ。顔見られてたもんなぁ、あん時」
「危うく貴様に命を奪われそうになったけどなっ」
レーシーの棘のある言葉にローレルは愛想笑いを浮かべて誤魔化すしかなかった。
「あん時と今じゃ大分状況違うんだから忘れてくれ」
「……やはり貴様は黒の月桂樹なんだな?誰に雇われていた?やはりグレフィンなのか?それともスパルカタス?いやギネか?!そもそも何故ノヴァーリス様と一緒に行動しているんだ!」
矢継ぎ早に質問を繰り出してくるレーシーに苦笑しながら、ローレルはハーッと長い溜め息を吐き出す。
「まーぁ……待て!俺は確かに黒の月桂樹だった。だが今は違う。雇ったやつはダリアの貴族だ。裏にいる人物はスパルカタスだとは思ってる」
服を捲ると、ローレルは胸元に刻まれた団の印を見せた後、きっぱりと首を振り、それから言葉を続けた。
「あの夜、黒の月桂樹は全滅したし、俺はシウンに姫さんの護衛を任されてる。金を貰った以上、仕事は必ず全うする。それに……個人的に姫さんを裏切りたくねぇし」
ポリポリと頬の辺りを指で掻きながら、ローレルは気まずそうに目線をレーシーから逸らした。
「……どうやら真実を口にしてるみたいだな。……だが、シウン殿やノヴァーリス様は貴様が元盗賊で、あの日城を襲った者だと知っているのか?」
レーシーの瞳がギラリとした鋭い光を放つ。ローレルは言葉とその瞳にギクリとした。
「確かに貴様は今ノヴァーリス様にとって必要な人間だろう。だがそれは貴様の素性を知っても尚、ノヴァーリス様が許されるならば、だ。あの夜、招待客の中にはノヴァーリス様の遠い親戚の方やご友人。そして城の中の者には仲の良い侍女や兵もいたのだ。あの混乱の夜、貴様がその手で人を殺してないとは……ほざかせないぞ」
「……っ、……」
ローレルは無言で表情を変えていた。
レーシーにはそれだけで返答として十分だ。
「全て打ち明けろ。それが無理ならば……出て行くがいい。出ていかぬならば、私が全てをノヴァーリス様に申し上げる」
「…………わかった」
暗い顔のローレルがレーシーに向かって微かに微笑む。
寂しいその笑顔はまるで別人のようだった。
次の日、一度アナベルと見張りを交代して仮眠を取っていたレーシーが起きた頃には、其処にローレルの姿はなかった。
『俺は抜ける』
たった一言。
ナイフで削ったのか、洞穴の中の岩肌にそう刻まれているだけだった。文字の横には使用したらしいナイフも突き刺さっていて、柄にはローレルが頭に巻いていたバンダナが結び付けられていた。