【ノヴァーリス3】
ノヴァーリスはオウミの自分を支えている手に力が入らないように、自ら必死で彼に獅噛みついていた。
馬の駆ける振動と揺れがオウミに羽織り包ませてもらったマントを剥ぎ取ろうとしていたが、必死に太股ともう片方の手に力を込め、それを防ごうとする。
何故なら、このマントの下は下部を隠している下着一枚だったからだ。
――あぁもう!着替える猶予も与えてくれなかったんだもの……!
逃げるようにしてオウミとハイドランジアの王城を抜け出したのだ。ドレスはムッタローザが拾って背負っているリュックに仕舞ってくれていたが、それを取り出す余裕すらない。
その為、馬上から降りることも出来なかったし、半日ほど離れていただけとはいえ、久しぶりのような感覚に陥ったシウンに抱きつくこともできなかった。
「よし!彼処だ!」
レーシーの声を合図に、林の中でハイドランジアの兵たちがやって来る前に馬車を棄てる。
馬車を引いていた馬たちから威勢の良い馬を一頭だけ連れていくことにし、残りの三頭を滝がある方向とは別の道へと離した。そして自分達の足跡は注意深く消していく。勿論、オウミたちの馬三頭は連れていった。
「あぁ?!レオニダス様っ……!」
「お前はジョエルか?!」
滝の裏側に入ると、馬が二頭と少年がいた。レオニダスが名前をジョエルと呼んだ彼は目を大きく見開いた後、嬉しそうに瞳いっぱいに涙を溢れさせる。
「……生きてたんだ、良かった……」
アキトもどことなく嬉しそうに表情を緩ませていた。
「レオニダス様ぁ、ロサは本当にどうなって……っ!」
「大丈夫だ、大丈夫!お前には辛い思いをさせたが、これからはっ、絶対に大丈夫だっ!そして本当にすまなかった、情けない領主を許してくれ……!」
まるで自分に言い聞かせるようにジョエルを抱き締めながら、レオニダスは何度も首を縦に振る。苦し気に吐き出した謝罪は掠れて音になるかならないかの声だった。
そんな二人の様子を眺めながら、ノヴァーリスは落ち着かなさそうにムッタローザに声をかけた。
ずっとシウンが自分を見つめているのを知っていたノヴァーリスは、まさか裸であることがバレたのかとヒヤヒヤする。
「ね、ねぇ、お願い……その、服を」
「あ、あぁ。ええ、此方ですよ」
顔を真っ赤にして囁くように言ったノヴァーリスにムッタローザはすべてを察して小声で話してくれた。
それから小さく「私が壁になりますから」と呟いてくれる。その為、ノヴァーリスは油断したのだ。
「お前、そんな隅っこで何をしてるんだ?」
背後からジェイドが近付いて来ていたのを気付かなかった。そして更に彼がマントを引っ張るとは。
安堵の表情を浮かべたノヴァーリスは一瞬気を緩めたのだろう。服を着られる、と彼女が安心した直後だった。
するり、と。
ジェイドの手によって、ノヴァーリスの肢体を隠していたマントがパサリと滝裏の洞窟のような岩の地面に落ちた。
「え?!」
「「っ?!」」
エクレール以外の、その場にいた全員が目を見開いたまま視線をノヴァーリスに集中させる。
ノヴァーリスは隅っこにいた為、前はムッタローザしかいなかったが、背中側からお尻の形は下着の上からでもわかるだろうし、ジェイドの角度では胸の先端まで綺麗に見えたであろう。
「……き」
ノヴァーリスが裸であることを知っていたオウミは丁度シウンたちの興味を別のものに向けようとしていたところだった。だがそれが叶わなかったと知ると、目を逸らそうともせず他の男たちと同じように凝視することにしたらしい。
「きゃあぁ――んんっっ!!」
ばっと思わずムッタローザがノヴァーリスの口を塞ぐ。
それからテラコッタがマントを拾い上げると、ノヴァーリスの肩にかけた。レーシーとアナベルはギロリと男たちを睨み付ける。
「いやちょっと待て!なんでお前そっち側なんだよっ!!」
オウミがアナベルに口を尖らせたが、笑顔で睨まれてそのまま黙りこんだ。
レオニダスに抱き締められていたジョエルだけは、何も見えなかったようだったが、姪を見て激しく動揺しているレオニダスと、鼻血を出してすっ転んでいるジェイド。真っ赤な顔で口をパクパクさせているローレル、いつも無表情で眠そうなのに目を細め口角を上げているアキトの様子から、なんとなく状況を理解した。
シウンは呆然と立ち尽くしている。
「いつまでノヴァーリス様を見てらっしゃるのですか!あっちを向きなさい!あっちを!!まったく、この馬鹿たちは!!」
テラコッタの静かな怒鳴り声に男性陣はくるりとノヴァーリスから背を向けた。
「もう大丈夫です。ささ、今の内に着替えて下さいませ……!」
「あ、ありがとう……っ」
ノヴァーリスは急いでムッタローザからドレスなどを受け取ると、テラコッタに手伝ってもらいながら着替え始める。
しかし絹の擦れる音でさえ反響する洞窟の中では、男性陣にとってそれもまた苦行だった。
「うーん、今……胸を隠す為に下着を……これって逆にエロくて興奮しない?」
「だ、黙れっ!」
オウミの呟きにジェイドが鼻を押さえながら小声で語気を強める。
「いや……ノヴァーリスは成長してたんだな……うん」
「まー……そうですね。手から溢れるぐらいは。あと柔らかかったです」
「「はぁ?!」」
レオニダスの台詞に答えたアキトの問題発言にローレルやオウミが目を剥くほど驚くが、当の本人は「あ、やべ……」と悪気ないように肩を竦めるだけだった。
「…………今から一人ずつ記憶を抹消させるために殴っていっても構いませんか?」
今まで静かだったシウンが囁くように言うと、目が笑っていない彼に全員が言葉を失う。
その男たちの様子を見ながら、レーシーとアナベルは呆れたように目を合わせて苦笑するのだった。
ノヴァーリスの着替えが終わってから、洞窟の奥を進むと幅の狭い山道に出た。
馬でギリギリだったそこは、確かに地図に載せるには不安定な道であった。
その道も暫く進むと開けてくることになった。
流石にここまでくると大丈夫だろうと、一度これからを話し合う。
その話し合いが始まる前に、ノヴァーリスはシウンの前に立った。
「あ、あの……シウン?」
「どうしたんですか?」
「私、貴方に謝らなくてはいけないことがあるの……。折角贈ってくれたのに……ブローチを無くしてしまったのよ」
申し訳なさそうに目を伏せたノヴァーリスは、指を何度ももじもじと動かして落ち着かない。
シウンはそんな彼女に小さく息を吐くと、屈みながらそっとノヴァーリスの額に自分の額を当てた。
「そんなこと、どうでもいいんです。むしろ謝らなくてはいけないのは俺の方ですから。貴女を一人にしてしまった……」
「そ、そんな!ちゃんと助けに来てくれたじゃない……!」
「それは当たり前のことでしょう……」
シウンはそろそろテラコッタやローレルが飛んでくる頃だろうと感じてから、額を離すとノヴァーリスの手にそっと例のブローチを握らせた。
「それに、貴女は無くしてなんかいませんよ。ほら」
「……見付けてくれたのね!ありがとう!!」
手渡された物の感触にノヴァーリスは満面の笑みをシウンに向ける。彼女の周囲に花が咲き乱れるような、シウンにとって輝かしい笑顔だった。
「ノヴァーリス様ー!」とテラコッタに呼ばれて、ブローチを付けながらその場を離れたノヴァーリスは、自分が背を向けた瞬間、一気に顔面を紅潮させ手で顔を覆ったシウンがいたことを目撃することはなかった。