【ルドゥーテ】★
女王の朝は早い。
特に今朝は慌ただしかった。それは昨日十五歳の誕生日を迎えた王女の祝賀会が今宵に行われるからだ。
「エマ、もうあの子は起きてる?昼過ぎには予定のドレスを着せて」
「はい!」
栗色の髪の侍女に指示を出したあと、料理長や騎士団長にもあれこれと命令を下す。その後ろ姿を見ながら、あたふたと落ち着かない様子でほっつき歩くのは王であり夫であるアシュラムだった。
「る、ルドゥーテ……」
「貴方はじっとしていて」
ピシャリと振り返ることもなく飛んできた声にアシュラムはしゅんと背中を丸めた。暫くルドゥーテの仕事ぶりを眺めているのだが、手持ち無沙汰なのかまたソワソワと落ち着かなくなる。
「ルドゥーテ、白磁の秀麗な花瓶があるんだけど、そこに薔薇をたくさん飾ればとても綺麗だと思うんだよ……」
白髪混じりになってきた焦げ茶色の髪を眺めてから、ルドゥーテは長い溜め息を吐き出した。
それに対して彼女が怒ったと思ったのか、アシュラムはまた一回り小さくなる。その様子に若い頃から何も変わらない人だなとルドゥーテは苦笑した。
だがその変わらなさが堪らなく愛おしく、ルドゥーテは夫の腕に自分の腕を絡めて寄り添う。
「いい考えだわ。きっと皆その美しさに声を失うわね」
「本当にそう思うかい?」
「えぇ。私の旦那様はとても素敵な人よ」
「で、では、今すぐ取りかかるよ!」
嬉しそうに駆けていく後ろ姿を眩しそうに見つめると、ルドゥーテはアシュラムの天真さに救われてきたことを思い出した。
猜疑心でいっぱいだったルドゥーテは、彼に出会って初めて知ったのだ。人は純粋な興味だけで楽しく生きていけるものなのだと。
軽く目を伏せてから、ルドゥーテはまた女王としての職務に戻るのだった。
「女王様ー!」
いつも通り一人っきりの冷めた昼食を食べ終えた頃、ちょうどテーブルに添えられていたアシュラムからの“お疲れ様。明日の昼食は必ず一緒に食べようか。ノヴァーリスも寂しがる。いや一番寂しいのは僕だったね”と書かれたメモに目を通していたときだ。
ぱたぱたと慌ただしい足音にルドゥーテは僅かに眉間に皺を寄せた。
「テラコッタ!女王陛下の御前です!」
「あ、エマちゃん!そんなのもちろん分かってるよ!それでですね、女王様!準備全て滞りなく!ほら、ご覧ください!」
「貴女ね……っ」
女王の傍に控えていた侍女のエマが、食堂中に響き渡るぐらいの大声で話始めたテラコッタに説教をし始めようとしたところで、ルドゥーテは大きく咳払いをした。
「こほんっ。……では見せてもらえる?」
「はい!!」
大きく頷いたテラコッタは両手をパチンと一度合わせてから、そのまま左右に手を広げる。同時に何もない空中に様々な映像が映し出された。
「ノヴァーリスが今夜用のドレスを着たところも記録してくれたのね」
「えへへ、お任せください!もうバッチリです!」
「テラコッタ、言葉遣いっ!」
「エマ、いいのよ」
ルドゥーテは怒ったエマを舌を出してさらに挑発しているテラコッタの姿を視界に入れて苦笑しつつ、彼女が流してくれた映像記録を満足そうに眺めていた。
今夜の祝賀会も例年通りうまく運びそうだとホッと息をつく。
「相変わらず会場の内装よりもノヴァーリス様メインね」
「だってノヴァーリス様可愛くて大好きだもん。……シウンは死ね」
「す、すみません、女王様っ」
エマは慌てて毒を吐いたテラコッタの口元を手で塞ぐが、いつものことなのでルドゥーテは全く気にも止めていなかった。
この二人――エマとテラコッタはただの侍女ではない。
女王や王女の身の回りの世話をしているが、彼女たち二人はシウンと同じく扮して紛れている腕の立つ護衛だった。
特にテラコッタは協会の人間と同等の魔力を秘めている。彼女の目が見たものは映像と記録され、耳が聞いたものは音声として記録されるのだ。魔法使いと呼ばれる存在の中でもテラコッタの力は稀有なものだった。
その為協会から幾度となく彼女に声がかかったのだが、その度に彼女は「協会の人間は気持ち悪くて可愛くないから嫌」と断り続け、巡りめぐってルドゥーテに仕えることになった。
「今宵の宴では初めてダリアの方々が参加されるわ。今まで祝辞だけは頂いていたけど」
ルドゥーテにとっての不安要素はそこだった。
娘の婚約者も現れる今回の祝賀会は、やはり今までとは様子が違う。まだ油断はできないと唇をきゅっと閉じた。
「確か同盟国のハイドランジアは王がご病気の為、今年は参加されないんでしたね。それから後は協会の人が派遣されるとか……」
「えぇ、ハイドランジアは残念だけど仕方がないわ。そして協会からの返事を見る限りムーンダストという方が来る予定よ。初めて聞く名だわ。新しい幹部かしら」
エマが丸眼鏡をかけ直し尋ねれば、ルドゥーテは食堂を後にするため立ち上がった。手にはアシュラムの伝言を大切そうに包んでいる。
「ムーンダスト……?あ、あー……記録にあります。ユキっちからその名前聞いたんでした!確か……『生まれたときからチートのクソ男もとい協会の神童』……らしいです!」
「貴女ね……、記録をそのままじゃなくて考えてから必要な部分だけ抜き出して再生しなさいよ」
テラコッタはエマの注意に舌先を出して可愛い子ぶるが、頭上に直ぐさま拳骨を落とされていた。
食堂から出た先にある回廊を進むと中庭から芳しい薔薇の香りが漂ってくる。
それにしても、とルドゥーテはテラコッタを一瞥した。
先程テラコッタはごく自然にやっていたが、台詞の中で別の人物の音声を再生させるというのは驚かされる。
「大体ユキっちって誰よ」
「ん?私と同じ孤児院にいたユキワリソウっていう超毒舌の子だよー。ユキっちっていうと怒るのが面白くて可愛いんだよねー。影の中に入れてさー。かくれんぼしたら、いつも見つからなくて最終的に忘れられてんの!」
「……はぁ。なるほど。その人は今協会にいるわけね」
エマは呆れたようにテラコッタの額をつついたが、内心はじわりと焦燥感でいっぱいになっていた。
やはり協会というところは恐ろしい。テラコッタの知り合いの魔法使いの能力は諜報活動や暗殺などに誂え向き過ぎる。大体テラコッタの記録再生に至っては尚更だ。
「……貴女が変なアホで本当に良かったわ」
「え!それ褒められてるの?貶されてるの?」
背中でやり取りされる二人の会話を微笑ましく聞きながら、やはりルドゥーテもエマと同じことを考えていた。協会は恐ろしく、そして信用ならない。と。
そもそも占い師という者も大体は協会に所属している。十五年前に名付けの儀にやってきた占い師も協会が派遣した者だった。
――あれから十五年、か。
中庭と回廊を通り抜けた一陣の風にエマとテラコッタが小さく悲鳴をあげた。
ルドゥーテはその突風が自分の胸元に運んできた薔薇の花びらを手に取る。紫色の花弁だった。
“誇り、気品、王座、尊敬”
風が撒き散らした紫の薔薇の花言葉を考えた後、悪寒が走ったルドゥーテは小さく頭を振ったのだった。