【ノヴァーリス2】
ヒヤリとした冷たい感触に身を捩ると、擦れるはずの布がないことに違和感を覚え、徐々に意識が目覚めてくる。
瞼を押し上げ、目に映るのが石牢だと気付いてノヴァーリスは頭を上げた。
「ここは……」
――どこなの……?
一体何故自分がこんな薄暗い石牢に閉じ込められているのかと首を傾げ、両手首と足首に嵌められた枷の重さに気持ちが沈んでいく。
――アルベリックさんが……
記憶を辿り、なんとか状況を整理しようとした。
睡眠薬か何かで眠らされたのは確実だろう。
だが連れてこられたここは一体どこなのか。
まずダリアであれば、直ぐにでも殺されているはずだとノヴァーリスは首肯く。
――それに、趣味が悪い。
態々下着姿で放置されていることにノヴァーリスは寒気がした。女として最悪なことを考えなければならないのではないかと固唾を飲み込む。
ちょうどその時、カツカツと石の廊下の上を誰かが歩いてくる音が聞こえた。音の高さと響く感じから相手は踵が高い靴を履いているに違いない。
「……お目覚めかしら」
甘ったるい毒のような色香がこれ程までに体臭から滲み出ている人をノヴァーリスは知らなかった。
その声に、その存在に、纏わり付く香りは麝香。
ぷっくりと花の蕾のように膨らんだ赤い唇も、透き通るような白い肌も、艶やかな濃い紫色の髪も全てが息を飲むほどの美しさだった。
「貴女は――」
「ロサに行ったのは貴女の名付けの儀以来だから、覚えてないでしょうね。夫は毎年貴女の祝賀会に顔を出していたはずよ。まぁ今年は出られなかったみたいだけれど」
耳に残る声がノヴァーリスの言葉を遮り、張り付いたような笑顔でハイドランジアの王妃――ビブレイは言った。
「この国の王妃ビブレイよ。哀れな青薔薇の姫……」
「……私はノヴァーリスです」
かち合った視線。
ノヴァーリスは目を逸らさずにビブレイを見つめた。
その真っ直ぐな瞳にビブレイは眉をピクリと動かす。
「噂通り気丈な姫だこと……。私が貴女をどうするつもりなのか……少しは震えていたら可愛い気もあっただろうに」
「……どうするつもりなのか未だ決めかねていらっしゃるのでしょう」
でなければ態々こんな回りくどいことをしない筈だとノヴァーリスは思った。
「……もう既にロサとダリアに使いを出しています」
「だったら私の命はあと数刻のものでしょうね」
「……ふふっ、そうね。どうせ二国は貴女の死を望むでしょうし。対応を間違えれば私の身が危うくなるわね」
見つめあったまま、ビブレイはクスクスと目を細める。
豊満な胸がその動きに合わせ揺れた。
「まだ……二国には連絡していないわ。貴女の言う通り、私は貴女をどうしようか決めかねていたから……どう料理すれば、一番美味しく頂けるかと、ね」
その妖艶な笑みにノヴァーリスは悪寒が走る。
目の前の人物がノヴァーリスの想像よりも強かだと気付いたのだ。
「貴女の目的は何?」
「さぁ……?それは自分でお考えなさい。……でも時間はないわよ。あともう少しで夜が明ける。明けたら貴女を王の間に連行します」
そう言い残し、ビブレイはゆっくりとまた廊下を歩いていった。
――ウィローサ王の前に私を連れていく……?
ノヴァーリスはもしやレオニダスたちも一緒に捕まっているのだろうかと考えた。
でなければノヴァーリスをウィローサの前に出す目的がわからない。
表向き上同盟国のハイドランジアは誘拐されていたロサの王女を保護すべき立場の筈だ。
ビブレイの目的はロサの王女を救ったという栄誉か、と考えてから先程の笑みを思い出し、そんな小さいものではないと首を振る。
――それにあの人の性格なら、私に揺さぶりをかけるため、レオニダス叔父様のことを口にするはず。それすらもないということは……
彼女にとって彼らは気に留める程でもない存在であり、彼女の目的達成には必要のないものだということだ。
そこまで考えてからノヴァーリスは唇を震わせた。
頭の中でシウンやレオニダスの血を流している姿が浮かんだからだ。
――違う、大丈夫。まだ皆は死んでない。あの人なら私の動揺を誘うために少しは情報を出すはず。
小さく頷いてからノヴァーリスは大きく深呼吸をした。
頭の中を一度空っぽにしてから、ハイドランジアの状況を考える。
「あ……」
ノヴァーリスはハッとした。
脳裏に思い出したのは、苦々しいオウミの表情だ。
――オウミが言っていたあの人とは、ビブレイ王妃のことだわ。
王位を継ぐオウミはビブレイの子ではない。
つまりオウミはビブレイにとって邪魔で目障りな存在なはず。
――知っているんだ。オウミが私たちを助けてくれたことを。
そこまで考えてからノヴァーリスは覚悟した。
王の間に連れていかれた時、何があってもオウミを巻き込んではいけない。
――そして私は
「……ノヴァーリスであってはならない」
ウィローサには顔を知られているが、それでも演じなければいけないとノヴァーリスは固く唇を結んだのだった。