【テラコッタ】
「……ふむ、どうやら夕刻の別れ道で進むべき道を間違えたようだ!」
山の岩肌に凭れ掛かりながら、三角座りで焚き火を見つめていたテラコッタは自信満々に大声を上げたレーシーに心の中で溜め息を吐いた。
「はぁ、レーシー様。ですからずっと申し上げてるじゃないですか。お願いですから地図を僕に貸してください」
「道を間違えたのがこの旧い地図のせいではなく、私のせいだと言いたいのか!」
――また始まった……。
テラコッタは目の前のやり取りを見ながら苦笑する。
「はい、その通りです!レーシー様の悪い癖です。何事も直感だけで進んでしまうでしょう?」
三十路のレーシーが十歳のジョエルに咎められている場面は、ジロードゥランの屋敷にいた時からよく見る光景であった。
ジョエルの真っ直ぐな瞳を見つめ言葉に詰まったレーシーは握り拳をふるふると小刻みに震わせる。
顔は真っ赤に染まっていて、ギリギリと歯軋りをしている様子から相当怒っているに違いない。
「ま、まぁまぁ。もう過ぎたことですし、今夜はもう休みましょう」
テラコッタが笑顔で三人分の寝袋を用意しようとすると、レーシーがそれを制止した。
「テラコッタ殿とジョエルの分だけ用意すればいい。私は一晩見張りをするから、毛布を貸してくれるだけで構わない」
「え、でも……」
「レーシー様、僕は先に寝させていただきますが、三時間後には交代しますから」
「む、ジョエル――」
戸惑ったテラコッタを余所にジョエルはレーシーを無視して寝袋の中に頭のてっぺんごとすっぽりと填まってしまった。それはジョエルの無言の意思表示らしい。
レーシーは眉間に皺を寄せながら、テラコッタから受け取った毛布を被る。
「全く……頑固で困ったものだ。……あぁ、テラコッタ殿はゆっくり休んでくれ」
――それはお互い様ではないのかなぁ。
テラコッタは曖昧な笑みをレーシーへと向けると、寝袋の中に収まる。
視線だけを焚き火の燃え盛る炎に向けると、不思議と其処に何かが見えた。
――え?
目を見開き、炎を凝視する。
ゆらゆらと揺れる朱色の一番濃い場所に人が映った。
「……ノヴァーリス、さ、ま?姫様っ?!」
「な、なんだ?!どうした、テラコッタ殿っ?!」
寝袋から飛び起きたテラコッタにレーシーが仰天する。
ジョエルの方も寝袋から鼻より上を覗かせて、テラコッタを見ていた。
「ま、待ってください……!……これは、誰の魔法……?炎が私に映像を……っ!」
「何?!……いや、テラコッタ殿。私には何も見えない!それは君の魔法ではないのか?」
首を横に振って尋ねてくるレーシーを視界に入れながらも、テラコッタは炎が見せる映像を食い入るように見つめる。
「私にはこんなこと出来ません……!私はこの目で見たものしか記録できませんから……!」
ジロードゥランの屋敷でレーシーやジョエルにも自分の能力を披露していたテラコッタだったが、やはり魔法使いではないレーシーには魔法使いの能力の制約がうまく伝わらないようだ。
「……テラコッタさん、炎の映像って何が映っているんですか?」
ジョエルの言葉にテラコッタは少し深呼吸してから、もう一度集中してそれを見つめた。
――ノヴァーリス様が、男に担がれて運ばれてる……?
炎の映像には森の中を移動する男が二人映っていた。そしてその内の一人の肩には意識の無さそうなノヴァーリスの姿がある。
突然、男の一人が反転した。
もと来た道を戻っているように見えたが、映像はそちらを追わずノヴァーリスを担いでいる男の姿を追う。
軈て男は大きな門を開けた。
「あ……!」
映像は其処で途切れ、炎はいつも通り踊っているように揺らめいている。
「もう……見えないのか?」
「はい。消えました……。でも記録したので、お二人に見せられると思います」
レーシーの言葉に小さく頷くと、テラコッタは真剣な表情で何もない夜の空気の上に先刻の炎の映像を再生させた。
それに思わず上半身を起こして目をぱちぱちとさせているジョエルは、やはり十歳の男の子だった。
「これは……!この門を私は知っているぞ!!ハイドランジアの王都の南門だ!」
「ではジロードゥラン様のお話通り、王都で王女様とお会いできそうですね!」
「否……だが、これは一刻を争うのではないか?胸騒ぎがする、夜明け前から移動するぞ!」
テラコッタが見せた炎の映像を見ながら、レーシーとジョエルはお互いに顔を見合わせて大きく頷いた。
――どうしてノヴァーリス様を連れ去られてるのよ!あの澄まし顔のシウンコはどこなの?!今度会ったらタダじゃおかないんだからっ!!
そんな二人を視界に入れながら、テラコッタは一人苛々したように真一文字に口を結ぶ。
ロサの王宮で過ごした思い出が彼女の中でぐるぐると回っていた。
シウンを見つめては頬を赤らめるノヴァーリスに、彼を邪魔だと罵るテラコッタ。そしてそれを煩いと咎めるエマ。その様子を微笑ましく見ているのはアシュラムとルドゥーテの二人だ。
それはとても幸せな時間であり、今となっては色褪せた取り戻せない過去だった。