【アルベリック】
西日に目を細めながら、アルベリックは二羽の使い鴉からそれぞれ手紙を受け取る。
一つは死神男爵の領地から軍が撤退したとの報せで、例の侍女は軍に捕まってないと書いてあった。
そしてもう一つは――
「アルベリック」
ジェイドの声にアルベリックはハッとして二つの手紙を焚き火の中に放り込んだ。
パチパチと枯れ葉や小枝が燃える音が響く。
「どうした?ジェイド」
「……いや、なんかあの人達が台所を貸して欲しいらしくて」
ぽつりと呟くように話したジェイドに、アルベリックは呆れたような笑顔で振り向いた。
「もう奴ら腹減ってんだな?昼を食って、薪割りやら……ちょっと手伝った位なのにな」
その笑顔にジェイドの表情が少しだけ明るくなる。
アルベリックは眼鏡を中指で押し上げると、焚き火の中から幾つかの炙った木の実をトングを使って取り出した。
炙られた木の実は、その固い皮の間から身を覗かせている。
「こいつは疲労回復にいいからな。奴らにパンに挟んで食えって言え」
小さな木の皿に入れてジェイドに手渡すと、アルベリックは彼の頭をぐしゃぐしゃと撫で回した。
「こ、子供扱いするなって言ってるだろ!」
生意気な口調で小鼻を膨らませると、ジェイドは家の中に戻っていく。
アルベリックは一息ついてから、火の勢いが衰えた焚き火を眺めた。
その日の夕焼けはやけに赤かった。
茜色が濃く滲み出るようなそんな空はまるで血の海のようだ。
――あぁ、人が大量に死んだ後はいつもこうだ。俺が有効活用してあげられないとは、可哀想に。
アルベリックは焚き火跡を視界に入れてから、ふぅーっと長く息を吐き出す。
「……アルベリックさん?」
「ん?ノヴァーリス様はどうして此方に?」
アルベリックが振り向くと、不思議そうな顔をしているノヴァーリスがいた。
彼女の身形は村にやって来た時から村に不釣り合いな物だったが、茜色の夕焼けに照らされると余計にそう感じる。
「いえ……ただ、今日一日食事を取られていないと、ジェイドが言っていたので。それにずっと……」
こんな場所で突っ立って何をしているのかとその瞳は語っていた。
村の端に建てられた煉瓦の家の裏は、やはり村人の視線を避けるようにひっそりとした庭だった。
「心配事があると食事が喉を通らなくてね。……あと、此処は誰の目も気にしなくていい場所で、物思いに更けるには丁度いいから……つーか」
――ただ何も考えずに待っていただけだ。
アルベリックは目を細めると、焚き火跡を踏みつける。
それからまたノヴァーリスに振り向くと、丁度彼の眼鏡は光を反射してその瞳を彼女から隠した。
「……あ……れ」
ノヴァーリスの身体がふらりと揺れ、雑草が生えた土の上にその膝を突く。
額を手で押さえている彼女の瞼はやけに重そうだった。
アルベリックはサラサラと風に靡いているノヴァーリスの長い髪を見つめながら、その口角は上がっていた。
「……可哀想に。疲れてたんだな。大丈夫。先刻ジェイドに持っていかせたのは、ちゃんと疲労回復に効く実だ。そしてよぉく眠れる睡眠効果もある」
ノヴァーリスの片手が地面を叩くように落ちる。
「アンタがここに来るのは予想外だったが、俺の手間を少なくしてくれたようで助かった。どうせ中でレオニーたちは熟睡中なんだろ」
ジェイドが決まって使うグラスにも睡眠薬を塗っていたから、あいつも眠ってるだろう。とアルベリックは続けたが、その言葉は地面に倒れ込んだノヴァーリスには届かなかった。
「……ごめんな。アンタが悪いんじゃない。ただきっとそういう星の下に生まれたのさ」
うつ伏せになっているノヴァーリスの上半身を起こすと、アルベリックは煉瓦の壁に凭れかかるように寝かせる。
それから窓を覗き、居間でエクレール以外の全員が眠っていることを確認すると安堵のような一息を吐いた。
裏庭の木に止まってこの時を待っていた使い鴉の足には手紙をいれる小さな筒が括り付けられている。既に用意していた手紙をその筒の中にいれると、鴉は一鳴きした後、北の方角へと飛んで行った。
「報せも送った。後はアンタらの仕事だ。そうだろう?」
アルベリックが空を見上げていた視線を下に落とすと、二人の男が立っている。
彼らは生気のない顔をしていた。虚ろな目をギョロっと動かすと、一人がノヴァーリスを肩に担いだ。
「お前の無茶な願いを聞いてやるんだから、我々の邪魔だけはさせるなよ」
「わかってる。アイツは俺の親友だからな、絶対に殺させねぇ。その為にアンタらの邪魔をしないように、必ずそうさせるさ」
アルベリックは夕日の沈んだ夜の闇を睨み付けながら、震える手で拳を握った。
「ならいい。だが失敗した時はお前の命を貰うぞ」
「……あぁ」
男たち二人は頷いたアルベリックを一瞥してから、地面を強く蹴って木の枝に飛び乗って行った。
まるで猿のようだと思いながら、アルベリックは自身が掛けていた眼鏡を地面に叩きつけるとそのまま足で踏む。罅割れたレンズとねじ曲がったテンプルに大きく首を縦に振った。
それから太い木の幹に勢いよく額を打ち付ける。
ぐらりと視界が揺れたが、額が切れて血が少し垂れたので狙い通りだ。
地面を転がり白衣に泥を付けると、今度は深呼吸をする。
白衣のポケットに手を突っ込むと一枚の紅い布切れを取り出した。
今日の昼間からずっとポケットに入れていたそれは、紅の針葉樹の死んだ男の衣服から剥ぎ取った物だった。
もう一度空を見上げると、夜空に浮かぶ月と星がアルベリックを憐れみながらも嘲笑っているように見えた。