【ハーディ】
ハーディが魔力に目覚めたのはある日突然のことだった。
前触れもなく、それはまるで晴れた日に雷に打たれたようなもので。
ただ一言、彼は妹の結婚式のドレスを褒めた。
『本当に燃えるような赤いドレスが綺麗だ。いつまでも見ていたい』
兄妹はお互いが唯一の肉親だった。
だからハーディは妹のことを何より大切に思っていたし、妹が愛した男との結婚を心より祝福していた。
どれ程妹の幸せだけを願っていたことだろうか。
『……お兄様、どう?これならもっと綺麗?』
『な……に、して』
何を思ったのだろう。
何がどうなったのだろう。
ハーディは瞠目したまま、身動き取れずにいた。
目の前で妹が自らつけた炎に包まれて燃え始めているというのに。
人体の焼け焦げた匂いが、ハーディの鼻を刺す。
妹の美しい銀に近い淡い色の金髪が縮れて姿を消していく。
白い陶器のような肌も、結婚式当日に少しでも綺麗な花嫁でいたいからと、丁寧に切り揃えられ磨かれた爪も、もはや異臭を放つ産物になった。
――消さなきゃ……
『うわぁ、消えろ、消えろっ!!』
やっとの思いで脳が手足を動かす。
燃え盛る火を熱いと感じる間もなく、ハーディは必死に妹の頭や肩や脚に広がるそれを消そうとした。
『消え……、は……い、嫌だっ、やめ……っ!』
ハーディの言葉に反応して消えたのは炎じゃなかった。
『お兄……ま……』
妹の目から零れ落ち頬を伝う涙。
薄く透けていく妹の体。
妹の顎先から落ちた雫が焦げて黒くなった染みの上に重なった。
そして妹は跡形もなく其処から消えたのだ。
『ウアァァアァアッッッ!!』
それは人生で一番の、魂の絶叫だったに違いない。
「アァアァッ、死ね、仲間の腹を切り刻めっ!!」
ジロードゥランとルビアナは混乱の中、ハーディから距離を取る。
泣き喚くように言葉を操っているハーディに近付くと、その魔力によって自分達も巻き込まれてしまうからだ。
ハーディの吐き出す言葉がまともに耳に入れば入るほど、その術は凄まじい威力を発揮した。抗うことのできない言葉の魔力。それがハーディの力だ。
ハーディの言葉を聞いた兵達はその言葉通り命を絶ったり、仲間の腹に剣や槍を突き刺す。
離れた場所でそれを見ている者達は一体何が起こっているのか理解できなかった。
何かを喚き散らしている男の周りでどんどん人が死んでいく。それは異様な光景だった。
「化け物は死神男爵だけじゃなかったっつーことかよっ!」
包帯をきつく結び、ギネはクライスラーから受け取ったアルコールを口に大量に放り込んだ。
止血するために右肩の切断箇所に自ら灯した松明の火を当てる。
じゅぅっと、肉の焦げた臭いと共に気絶したくなるほどの激痛が走った。
舌を噛み切らぬよう革のベルトを口に咥えていたが、大量の汗が吹き出し、ギネはそれを噛み千切ってしまいそうな程だった。
「大丈夫か?」
「……っ、はは、殿下よぉ、大丈夫なわけねぇーだろっ。だが生きてる!俺はまだ生きてるぜ……」
ギラギラと光る獣の目は、ハーディとジロードゥランを睨み付ける。
まだやる気なのか、とクライスラーが眉間に皺を寄せたとほぼ同時に伝令が馬を飛ばしてやって来た。
伝令がクライスラーに耳打ちすると、彼はハーディに突撃しようとしていたギネを制止する。
「あ?なんだってんだ!これからが本番だろうがっ!!」
「黙れ!痩せ我慢するのも大概にしろ!貴様にはまだ働いて貰わなければならないのだ。ここは撤退する!」
ばっと、クライスラーが替えの馬の上で合図すると、兵達は一斉に後方に下がり始めた。
百人……いや二百人ほど殺られたようだ、と冷静に考えながら、クライスラーはジロードゥランを最後に見る。
クライスラーはクレマチスの氷山付近の村で、異形の姿に変身する者たちがいることを知っていた。
「……今日の敗北は今後の糧にする」
今後ああいう者たちを相手にすることが出てこようと、クライスラーは対策を練ることにして、駄々っ子のように嫌がるギネを無理矢理馬に乗せた。
「……ドウヤラ行ッタヨウダネ」
ぽんっとハーディの肩に手を置いたジロードゥランは既にいつもの包帯を巻いた姿だった。
異形の片翼も既に体内に収まっている。
呼吸の乱れていたハーディは、ジロードゥランの穏やかな顔を見てからポロポロと涙を溢した。
「あ、あ゛……ぐぅぅ……」
何か言葉を発しようと口を動かすも、ハーディはきつく唇を結んで咽び泣く。喋ると望む望まない関係なく、人を傷付けてしまうからだ。
彼は妹を失って以来、話すことを放棄した。
「スマナカッタ。ダガ、アノママデハ君ガ死ンデシマウト思ッタンダ」
――死んでも良かった。
妹のいないこんな世界でいつまでも生きるくらいなら。
「……君ハアノ時誓ッテクレタダロウ?我ノ従者ニナルト」
悲しそうな目にハーディは息を飲む。
――そうだ。俺は誓った。
終わりのない永遠という監獄に生きているこの人の、ほんの一瞬の心の拠り所になれればと。
――せめて、この命が尽きるまで。
――せめて、この命に意味が見出だせるなら。
「さぁ戻りましょう~。美味しいケーキを焼きますよ!それに裁縫道具も出さなくちゃね」
ルビアナの明るい声は死体だらけの砂漠の上でやけに浮いていた。
「ソノ前ニ遺体ヲ埋葬……イヤ火葬ニシナクテハイケナイヨ」
「肉体労働は男性方にお任せしますね~」
溜め息を吐いたジロードゥランに一度視線を向けてから、ハーディは眩しそうに太陽を見上げる。
照り付けてるのは、もう西日だった。