【ムーンダスト】
アンデシュダール大陸には幾つかの国家や民族がそれぞれ睨み合いながら犇めき合っているが、そこだけは特別で異様な存在感があった。
所謂、魔法使いの巣。彼らは協会だと名乗っているが、どの王も進んで足を踏み入れることはしない場所。暗黙の了解で彼らの協会本部がある領地は不可侵の上、彼らは中立でどの国や民にも属さない代わりにすべての者に平等に接することが出来る。
つまり彼らはアンデシュダール大陸の争い事にこそ関わらないが、その実大陸中のどの国家や地域にも関わり合いを持っている強大な組織なのである。
「いやいや~しかし占いの婆も人が悪いよねぇ~」
間延びした口調で金髪の青年は、協会本部の一番高い塔の景観の良い部屋から窓の外を見下ろしてポツリと呟いた。
だだっ広い部屋には一見すると、派手な椅子に腰かけている青年一人だけの姿しかない。だがそれは灯籠の火が揺らめくまでの須臾の間だけだった。
「ムーンダスト様」
「お、ユキちゃんいたの~」
何処からともなく姿を現した長身の男はニコニコと笑って自身の名を呼んだ青年――ムーンダストに向けて盛大に舌打ちをする。
「ええ~?!態度悪くない?!」
「てめぇが何度言ってもちゃん付けで呼ぶからだろうが脳味噌腐ってんのかこのニヤケ顔野郎。……などとは思ってませんのでお気になさらず」
「いやいやいや?!思ってるよね~?!絶対!百パーセント!!」
全身黒ずくめの格好をしているユキという男は髪の色だけが名前のように白だった。しかしこれは若白髪というわけでもなく、元々生まれたときからこの色だった。陽の下で見れば彼の髪は白銀だとわかることだろう。
「ムーンダスト様」
改めてユキはムーンダストの名を呼んだ。
そして口許に笑みを浮かべたムーンダストが返事を返す前に言葉を続ける。
「先のロサの書簡の件ですが、やはりルドゥーテ女王からの書簡ではありませんでした」
「……間違いなく?」
「はい。間違いなく偽物です」
「つまり……」
蒼茫と暮れかけてきた窓の向こう側を一瞥してから、ムーンダストは小さく息を吐く。
「つまり、始まってしまうのか……」
偽の書簡には、娘の十五歳の誕生日を祝う席を明後日に行うと書かれていた。
ムーンダストの翡翠色の瞳が灯籠の火を捉える。その刹那、部屋中の灯籠の火が激しく燃え上がった。
「ムーンダスト様、今なら間に合います。明日に祝いの席があるのはわかっています。ならばそこに向かえば――」
「ユキちゃんはロサの味方をしろっていうのかい?」
ユキは明らかにムッとしたように唇を尖らせたが、ムーンダストの重圧感のある声に押し黙った。
「我々協会はアンデシュダールにおいて中立を保つ。そして明日に起こることが誰の陰謀で誰が手引きして誰を陥れようとしているのかわかったとしても、いや、わかっているのならば尚更」
ムーンダストは目を三日月のように細めて口角を吊り上げると、右手の人差し指をそっと自分の唇の前に添える。
「私たちはそこに関わってはいけないんだよ~」
ユキはこのムーンダストという男の笑い顔が悉皆嫌いだと思った。何を考えているのか全くもってわからない不気味さが、神以て協会そのものだからだろうか。物心ついた時から魔法の才能があったユキは、孤児だったことから衣食住を保証してもらう代わりに協会で仕事をすることになった。だが未だに協会が何を成したいのかわからないのだ。
ムーンダストの方はユキの心の中を見透かしてまた笑みを浮かべていた。その笑みがどんな感情で作り出されたのか本人もわかっていなかった。
ただ生まれた瞬間から協会の中で特別扱いを受けてきたムーンダストは、何かが自分の中で欠落していると感じていた。だから協会の中で珍しく人間的なユキを好んで使っているのだ。
「……青のカーネーションの命令通りに」
灯籠の火が作り出す影が揺れると同時に、ユキの姿も闇の中に融けるように消えていった。
暫く沈黙が続いたが、やがてムーンダストはそれに堪えられなくなったのか天井を仰ぎ見て吹き出した。
「はは!……ほらね~、婆は人が悪い。青は不吉?奇跡?……魔法使いなんてクソ食らえだ。はは、ユキちゃんならそう言うだろうね~」
ムーンダストが椅子から立ち上がり、乱暴に石壁を叩くと同時に灯籠の火は一斉に消え、彼の姿をも闇が飲み込む。そしてクツリクツリと彼の笑い声だけが夜の帳が下りた中響いているのだった。