【ジロードゥラン】
朝目覚めると、ジロードゥランは朝食を取っている客人たちの前に大陸地図を広げた。
それは古い地図ではあったが、今でも十分に通じる物だ。
客人たち――テラコッタとレーシー、ジョエルがそれぞれ食べ物を口に運びながら地図を眺める。
「情報ヲ得タヨ。ノヴァーリス姫ハ、ハイドランジアニイル。ソシテ君タチガ今カラ出発シテ王都ニ向カエバ、丁度会エル筈ダ。ルートトシテハ、我ノ領地ヲ南ヘ下ッテココノ関所ヲ通ルノガ近道ダネ」
曇った声はとても穏やかにそう紡いだ。
その言葉に目を丸くしたのはテラコッタだった。
「男爵は……その言い方だと、一緒には来られないんですか?」
「我ハ此処デ少シヤルコトガアッテネ。大丈夫。全テ片付ケテオクカラ、姫ト合流デキタラ此処ニ帰ッテオイデ」
不安そうなテラコッタの頭をくしゃくしゃと撫でると、ジロードゥランは目を細める。包帯の隙間から覗くその紅の瞳が穏やかに揺れた。
「大丈夫だ!テラコッタ殿は私が無事にノヴァーリス様の元に送り届ける!」
頬張っていた肉を綺麗に飲み込んでから、レーシーはそう声を上げた。その横でジョエルがレーシーのグラスに水を注ぐ。
「ウン。ヨロシク頼ンダヨ」
ジロードゥランがレーシーに頷いても尚テラコッタの表情が曇っている。彼は溜め息を吐くと、そっと彼女の頬に指先を触れさせた。
「テラコッタ。昨晩カラ教エタダロウ?私タチ三人ハ魔法使イノ端クレダカラ。ソンナニ心配シナクテイイヨ。ホラ、ルビアナノ料理ヲシテイル姿ヲ見テゴラン。ソレニ砂漠ノ上ニ立ツ建物ナノニヒンヤリシテイルノモ彼女ノお陰ダ」
テラコッタが言われるまま料理中のルビアナの姿を見る。
火も何もない台所で、彼女は鉄鍋を振るっていた。
ルビアナは触れたモノの温度を変えることができるらしい。だから彼女が直接触っている鉄鍋は非常に熱くなっていた。そして建物は何時間か毎にルビアナが凍えるほどの温度にまで下げていたのだ。
彼女が言うには、水ならば凍らせることも蒸発させることも可能なのだと。
部屋の隅っこに立ち尽くしているハーディの魔法使いとしての能力はよくわからなかったが、ジロードゥランの説明では我より強いよとの話だった。
「わかりました……」
小さく頷いたテラコッタの頭を撫でると、ジロードゥランは満足そうにマントを翻す。
朝食を終えると、テラコッタはレーシーの白馬に乗せてもらうことになった。ジョエルの馬も一日ほど休息を得たからか、すっかり元気になっている。
「本当に世話になった。心から感謝する!」
「ノヴァーリス様と此方に帰ってこられる時は、もっとたくさんのお料理を振る舞いますからね!」
「ン゛!」
レーシーが一礼すると、ルビアナとハーディが手を振った。
やがて三人と馬二頭の姿がすっかり見えなくなる。
ジロードゥランは胸を撫で下ろすと、彼らが去った反対側の砂漠を見た。
土煙が朦々と上がり始めている。
「……招カレザル客人達カ」
「ン゛!!」
息を短く吐き出すと、ハーディが横で斧を握っていた。
「全く……ジロードゥラン様は大変な嘘吐きですわ。貴方、魔法なんてこれっぽっちも使えないでしょうに」
嫌味のようにそう言いながらルビアナは笑っている。
エプロンで一度手を拭うと、真っ直ぐに近付いてくる軍を見つめた。
「ルビアナニハ苦労ヲ掛ケルネ。……我モ――」
しゅるしゅるとジロードゥランは顔を覆っていた部分の包帯を外した。
「――少しは本気を出させてもらうよ。ハーディも自分の身が危なくなったら、封印を解きなさい。いいかい、我の身じゃないよ。君自身だからね」
「ン゛!」
揺らがない瞳で短く返事したハーディに苦笑しつつ、ジロードゥランは杖をくるくると回す。
「さぁ始めようか」
ジロードゥランたち三人を見つけた軍は馬を止め、何人かが降りて近付いて来ていた。
馬で突撃してこないのは、自分達が圧倒的優位に立っていると疑ってないからだろう。
「辺境の死神男爵ことジロードゥランだな!貴様が匿っている侍女を此方に渡せ!!」
兵の一人が威勢よくそう吠える。
ジロードゥランはゆらりとその巨躯を左右に揺らすと彼に似つかわしくない程の大声を上げた。
「侍女など此処にはいない!今すぐ我の領地から出ていけ!さもなくば――」
「何だ?言ってみろ死神男爵」
兵達は恐怖の色を浮かべていたが、黒い大きな馬に跨がっていたギネは違った。
ギラギラと目を光らせ、ジロードゥランを値踏みしている。
「貴様がギネか。……後悔することになるぞ」
「させてみろ」
「ギャアァァア!」
ギネが不敵に笑った直後、ジロードゥラン達に近付いていた四人の兵士が悲鳴を上げた。
「あ、熱っ、あぁぁあーっ!!」
四人全員がその体を燃やしている。
ギネが眉間に皺を寄せると、兵達の体から手を離したルビアナが目を細めた。
「何をした、そこのババア!」
「あら私はまだそう言われる歳じゃありませんわ。……ふふ、人体の約六十パーセントは水でできておりますから~。それを蒸発させただけですよ」
人体発火の原因は色々憶測だけしかないが、この茹だるような砂漠の太陽の下では水分が無くなった人間の体はマッチのように燃えやすくなっていたのかもしれない。
「でも暑苦しいですから、今度は冷え冷えにして殺して差し上げますね」
膨よかな体を揺らしてコロコロと笑ったルビアナにギネは冷たい眼光を向けると、短く「突撃!」と怒鳴った。
「ン゛ーッ!!」
騎兵がギネの黒い馬と共に三人に向かってくる。
ハーディはルビアナを庇うように彼女の前に立ったが、さらにその前にジロードゥランが走っていた。
「うぁあああーがぁっ!!」
それはジロードゥランの咆哮だった。
メキメキメキっと、彼の体から黒い蝙蝠羽のようなものが片方だけ生えてくる。それは硬いギラギラと光る鱗に覆われているようだった。
手に持っていた杖の金具を押すと、勢いよく杖の先から銀色の刃が飛び出した。月のように弧を描くそれは、紛れもなく鎌だ。
「な、何だとっ?!」
止まれと命令を声に出す前にジロードゥランの振り下ろした鎌がギネの乗っていた馬を真っ二つにする。
馬が流した鮮血が砂漠の上にボタボタと落ちた。
転げ落ちたギネだったが、体勢を整えるとジロードゥランから距離を取る。
「てめぇら、そいつから離れろ!!」
声を荒らげるが、それは無駄だった。
次々とジロードゥランの手によって仲間の兵達が命を奪われていく。
異形のその姿はギネでさえ恐怖を覚えるものだ。
「アァアァァアーっ!!」
叫んだジロードゥランの瞳には涙が溢れ出していた。
彼は始まりの民の血が半分混ざっている。
普通の人間だった母は、愛した男が異形の姿に変身できる始まりの民だとは知らず、生まれてきた赤子が人間ではない姿をしていたことに目を剥くほど驚いて、そして拒絶した。
何度も実の母親に殺されかけたジロードゥランは、その内の一つで全身火傷を負ったのだ。
「ソイツは……死神男爵はいい!先にあっちの二人を狙え!特に男の方はただの木偶の坊だ!!」
ギネが叫んだ通り、ハーディはルビアナの横で震えていた。
そして何度も自身が持っている斧で自らを切りつけていたのだ。
「ウァァァア!!」
「クソッ!」
ギネに向かってジロードゥランが突撃する。
折角綻びを見つけたと言うのに、この化け物め!とギネは自身の得物でジロードゥランの一撃を受け流そうと構えた。
だが次の瞬間には、ギネの右腕ごとジロードゥランの鎌に切り取られていた。
「ぐぁぁあっ?!」
右肩から血が噴出する。
ギネの自慢だった漆黒の鎧の一部も無惨に破壊されていた。
「ギネっ!!」
尚もジロードゥランが倒れ込んだギネに鎌を振り下ろそうとした瞬間、軍の後ろにいたクライスラーが突撃してきた。彼の白い馬は短く嘶き、鎌によって二つに別れた胴体を痙攣させながら事切れる。
クライスラーはギネに肩を貸すと、自分の部下たちをジロードゥランに向かわせ、自身らが後退するまでの時間を稼いだ。
「ハーディ!!」
ジロードゥランはギネに止めをさせなかったことを悔やみつつ、兵達に囲まれ何度か斬りつけられているハーディに視線を向ける。
大声で彼の名を呼ぶが、ハーディは他者が流した血に自身を傷付けることで頭が一杯になってしまっていた。
ルビアナも多くの兵に囲まれている。彼女は触れたものという制約があるため、このままでは不味い。
「ハーディ!!妹が死ぬぞ!!封印を解け!」
「ン゛?!ン゛ー、ぁあぁあっー!!」
――あぁ、本当に我は嘘吐きだ。
もうこの世にはいないハーディの妹のことを口にし、彼を激昂させたジロードゥランは嫌気が差したように自嘲した。
自らの口を縫合していた糸を引きちぎり、血だらけのままハーディは言葉を紡ぐ。
「……お前ら、全員自害しろ……!」
耳を塞いだルビアナとジロードゥラン以外、その場でその声を聞いたものは刹那――自分の喉を己の武器で切り裂いていた。