【ルピナス】
「先刻はよく言ったもんだ。誰が二十二歳で、誰が三代目だって?」
金色の目を光らせて、砂塵だらけのベランダから窓を開けて侵入してきた猫はそう言い放った。
黒いカーテンが揺れ、夜の砂漠を覆う冷気がじわりと一緒に部屋の中に溶け込んでいく。
四本の細い手足を伸ばし、猫は闇に佇むジロードゥランに向けて今度は「ニャー」と小さく鳴いた。
ジロードゥランが餌をやっていた金糸雀は鳥籠の中でその声に反応して黄色い鮮やかな羽をばたつかせる。
「……アレデ彼女タチハ納得シテクレタカラネ。モシ真実ヲ言エバ、彼女タチハ混乱シタダロウシ……我ヲ気味悪ガッタ事ダロウカラ」
「ふん。その容姿で言うことかねぇ」
揺れたカーテンの隙間から月明かりが部屋の中に伸びる。
青い毛並みの猫はいつの間にか、青い髪の少女に変化していた。
「……ルピナス」
ジロードゥランは燭台の炎を眺めるのを止めてから、少女――ルピナスに振り返る。
金色の瞳がギラギラとジロードゥランを睨み付けていた。
「ソンナ目デ見ナイデクレナイカナ」
「煩い。それよりも聞け」
獣のように光る瞳には有無を言わさぬ迫力があった。
「皇国アマリリスで皇子が倒れた。皇国は今や大混乱だ」
「ソレハ……大変ナノカイ?」
「ど阿呆。今の皇国は正室一人で皇子と皇女が一人ずつだぞ。側室と正室の争いを嫌った皇帝だからな。その皇子が倒れたんだ。勿論、皇女には皇位継承権はない」
首を傾げたジロードゥランの腹部を握り拳で殴ると、ルピナスはツインテールを揺らしながら続けた。
「皇国の混乱は周辺国にも影響を及ぼす。まず、ダリアは機会を見つけたら領土拡大に走るだろう。まぁこっちはロサの王女のことがあるから、簡単には進めないだろうが。問題は北だ。クレマチスは今まで沈黙していたのも同然だった。なのにここに来て彼らは始まりの民の力を戦争に使う気だ」
「協会ハ?」
「協会は愚かにも自分達が世界を導くものだと思っている。だから油断しておるのだ。その力を利用されているとは知らずに」
ルピナスは憎々しげに吐き捨てると、小さく「愚か者どもめ」と繰り返すように呟いた。
「ソレデ我ハドウシタライインダイ?」
このルピナスがやって来るということは、何か未来に関する頼み事に違いないとジロードゥランは息を吐き出した。
しんと静まり返った館内には、二人の従者と三人の客人を迎えている。その客人たちは、目の前のルピナスの予言通りここに集まっていた。
「蒔いた種を回収する時が迫ってる。やがてここに青薔薇の姫がやって来るだろう。その時は風の子らと共に遺跡を使え」
「遺跡……」
ジロードゥランは大昔の事を思い出して瞼を静かに閉じる。
遠い昔、その遺跡はこの大陸を統べた王が建てたものだった。
「また……ハイドランジアも嵐が来そうだ。彼処には私も近付けないほどの魔力を持った者がいる」
「野良ノ魔法使イカ。ヤハリ協会ハ自惚レテイルヨウダネ」
「あぁ。気付いている者がいるが、その者は協会を壊そうとしているから口に出さない。そしてその者の魔力がまた色々と面倒臭い」
ルピナスが眉間に皺を寄せたのを見て、ジロードゥランは「例ノ神童カイ?」と短く訊ねた。
小さく頷いたルピナスの瞳には後悔の色が滲み出ている。
ルピナスは過去に何度も協会の神童――ムーンダストと接触していた。
「あれは……、協会は……道を踏み外したのだ」
協会は自分達こそが世界を統べる王に成りたがっている。そしてムーンダストは彼らの希望だった。彼らが作り上げた希望なのだ。
「この混乱の時代に、既に生まれていたはずだった。この大陸を統べる王は生まれているはずだったのだ」
――十八年前のあの日に……
「青のダリアが、大陸の国々を統一させる王だったのだ。なのに協会は彼を殺した」
ルピナスはそう言うと、十八年前に殺して姿を奪った――嘘の予言をした占い師の老婆に姿を変えた。それは十五年前、ロサに現れた占い師の姿だった。
「青の薔薇は救えた。だがそれだけでは希望は薄すぎる……しかし、その一縷の望みに縋るしかないのだ。……あぁお前の客人たちが青の薔薇を探すなら、ハイドランジアの王都に向かわせろ」
ルピナスは殺したモノに変身することができる魔法が使えた。また未来を断片的に見ることも出来たのだ。
そしてジロードゥランと共に歳を取ることがない。それは大昔の戦争時に、時を操る魔法使いに時を止められてしまったからだった。その魔法使いは死んだが、未だにその魔法は解けなかった。
「その金糸雀を私にくれるか」
「……鳥ノ姿ナラ、君ハ大鷲ニナレタンジャナカッタカイ?」
ジロードゥランは鳥籠をルピナスから隠すように腕を広げるが、彼女の表情が不機嫌そうになっていくので深い溜め息を吐き出した。
「……コノ子ハオ気ニ入リダッタンダケド……ルビアナモ、世話ヲシテクレテイタカラ悲シガルヨ」
「もう大鷲の姿もこの占い師の姿も……私が変身できるモノは全て把握されているのだ。だから新しい器がいる」
ジロードゥランは渋々と言った様子で鳥籠から金糸雀を取り出し、珍しく人に懐いているその子を優しく撫でた。
「……最期ニ歌ワセテアゲタカッタナ」
「私が歌ってやるよ」
「……イラナイヨ。ルピナスデハ意味ガナイ」
それはジロードゥランの精一杯の嫌味だったのかもしれない。心悲しい気持ちで金糸雀をルピナスに手渡した。
彼女は金色の瞳を光らせると、懐に隠していたナイフで美しい金糸雀の心臓を一突きする。
小さく鳴いた金糸雀がぐったりと命を手放してしまうまで、ルピナスは何度も刺した。
ジロードゥランは耳を塞ぎたかったがそれは叶わず、ただ目を伏せることしか出来ない。
やがてルピナスの姿が黄色い羽の中に青い線が二本入った金糸雀に変化した。
「感謝する、戦友よ」
窓を少し開けてやると、ルピナスは空高く舞い上がりその姿を夜の闇の中に消した。月明かりを頼りにこんな時間を飛ぶ金糸雀など中々いないよ、と口に出したがったジロードゥランだったが、それを飲み込み、床に置かれた金糸雀の亡骸をそっと掌で包むように抱き抱える。
「……ゴメンヨ。君ニハ悪イコトヲシタネ……天国デ好キナダケ歌ウンダヨ」
皆が起きる前に墓を作ってやろうとジロードゥランはオアシスに足を向けるのだった。