【ジロードゥラン】☆
死神男爵と呼ばれるジロードゥランの領地は、ロサの最南西にあった。そこが辺境と呼ばれるのは国境を越えた先が無国籍砂漠地帯だからであることと、既に領地の殆どは砂漠化していたからである。
「……コホコホっ!」
「ウン。窓ハ開ケナイ方ガ、イイダロウ?」
真っ黒なカーテンで屋敷中の窓が一部を除いて、全て塞がっているのをなんとかしようとしたテラコッタだったが、苦笑しているようなジロードゥランの声にコクコクと首を縦に振った。
窓を開けてみると、照り付けてくる日差しのお陰で部屋の中は明るくなるが、風が運んでくる砂煙のせいで目も痛いし喉にも悪かった。
協会の技術提供を一切受けていないこの館は、蝋燭の灯りしか部屋の中を照らすものはない。
ユラユラと揺れる燭台の炎の踊りを眺めながら、テラコッタは小さく溜め息を吐き出した。
「ン"!」
ジロードゥランの従者の一人であるハーディがクッキーのたくさん入ったお皿を持ってくる。
美味しそうな香りが漂うそのクッキーは勿論彼が焼いたものではない。無論、ジロードゥランでもなかった。
「ふふふ、よかったら食べてくださいね~!なんせ領民がいませんから、私、いっぱい作りすぎちゃって余ってるんですの」
「ありがとうございます」
明るい声でジロードゥランの居間に姿を現したのは、彼のもう一人の従者であるルビアナという女性だった。
中年期に丁度入ったぐらいの彼女は恰幅のいい体型をしていて、一日中料理をしている人だった。
頭を下げてクッキーを一つ口に含んだテラコッタが自然に笑みを浮かべたのを眺めながら、ジロードゥランはコントラバスを構え、その太くて低い音を響かせた。
その音色は不思議と心地好く、思わず瞼を閉じそうになる程の癒しを提供してくる。
「テラコッタちゃん、後でこの館の秘密の菜園に連れていってあげるわね~」
ジロードゥランの奏でる音色にポロポロと涙を溢し始めたテラコッタに優しくルビアナは声をかけた。
「ほら、領民もいないし、砂だらけだし、作物も育たなさそうでしょ?でもこの館内にある菜園には私が育てた野菜やハーブがたくさんあるのよー!」
屋根が全て硝子で出来ていて、砂埃が貯まらないような工夫もされている場所なのよ、と続けたルビアナの表情はとても誇らしげだった。彼女はそのまま館の裏にはオアシスもあるから、水も手に入るのよと笑った。
「……アァ、オ客様ダヨ。館ヲ潰サレテハ困ルカラ、我ガ出テ迎エヨウカ」
その時、コントラバスの弓を大切に机の上に置くと、ジロードゥランはその巨体を揺らして椅子から立ち上がる。
ハーディもゆっくり歩くジロードゥランの背を追った。
館の石で出来た重くて大きい玄関扉を開けると、同時にジロードゥランに向かって両刃の剣先が突っ込んでくる。
それを避けて外に出ると、また突っ込んできたものが物凄いスピードで反転してそのまま重い筈の大きな剣を振り下ろしてきた。
「ンン"!!」
「大丈夫ダヨ!」
閉じた玄関扉の前で立っているハーディはハラハラした様子だったが、ジロードゥランは穏やかな声で彼を落ち着かせようと努めた。
「余所見をするなぁぁっ!!」
ブォンッと風を斬る音がはっきりと耳に聞こえる。
それほどの俊敏さだった。
振り回された剣は銀色の光を反射しながら、ジロードゥランに襲い掛かる。
「止メナサイ!我ハ君ヲ傷付ケルツモリハナイカラ!」
「煩い!!誰が信じるものか!侍女のテラコッタ殿を返せ!!彼女は私が護るっっ!」
ジロードゥランが似つかわしくない程の大声を張り上げても、彼女――レーシーは止まらなかった。
ジロードゥランが仕方なく腰にぶら下げていた杖を手にし、レーシーの攻撃を受け止める。しっかり受け止めたつもりだったが、ジロードゥランはあまりの重さに驚いた。
足首まで砂に埋もれてしまう程の威力だったのだ。
「死神男爵よ、テラコッタ殿を解放しろ!私は死んだエマ殿の想いを届けなければならない!必ずっ!」
「……エマ?ハッ!貴女はレディ・レーシー様じゃないですか!!」
ジロードゥランの話を一切聞く耳持たないと言った様子のレーシーにどうしたものかと頭を悩ませていた彼は、玄関扉から顔を覗かせたテラコッタに助かったと考えた。
「テラコッタ殿か?!」
レーシーは剣を振り上げたまま身を固まらせる。
それからテラコッタが「そうです!」と叫んだ声を聞いて、そのままゆっくりと剣を下ろした。
「レーシー様、何か誤解があったのかも知れませんが、私はジロードゥラン様たちに助けていただいたのです!」
「それは……真なのか?!」
「はいっ!だから止めてください!お願いしますっ」
テラコッタの必死な姿にレーシーは剣を収め、やっとジロードゥランに頭を下げた。
「イヤ、イインダ」
「すまない!死神男爵は人を拐って食べるという話を聞いていたから……てっきりそうなのだとばかりっ」
ジロードゥランは溜め息を付くと、不意に顔面を覆っていた包帯を取り外す。
「え?!」
驚いたのはテラコッタだけではなかった。
レーシーも目を疑うように何度も瞬きを繰り返す。
「……我は何歳に見えるかな?」
顔中酷い火傷の痕が残っていたが、それでもジロードゥランの歳を判断するぐらいには綺麗な皮膚の部分も残っていた。
右目の周辺は一番酷く、額の少し上の部分まで焼けて髪も生えない箇所もあったが、それでもジロードゥランは若者だったのだ。
「……そ、そうだな。私と同い年か……いや、すまない。だいぶ年下に見えるんだ。二十歳前後なのか?」
「うん、その通り。我は二十二だ」
「えええっ、私より年下じゃないですか!」
いつも包帯のせいでくぐもっていた声は、明瞭に聞こえていた。
テラコッタは物凄くショックだったようで頭を抱え始める。
「だがおかしい!死神男爵はずっと昔からここの領主ではないか!」
「うん。我は三代目だ。君が言った拐って食べていたのは我の祖父だよ。だが人ではなく、栗鼠だったがね」
そう言い終えると、ジロードゥランは包帯をまた器用に巻き直した。
「一先ズ、中デ話ソウ。砂漠ノ昼ハ灼熱地獄ダシ砂漠ノ夜ハトテモ冷エルカラネ。……ホラソコノ子モネ」
「!」
「気付いていたのか……っ」
玄関扉を開けて手招きをしたジロードゥランにレーシーは目を見開いた。同時に大きな岩の後ろに隠れていた男の子――ジョエルも息を飲んでいた。
「彼ガイタカラ、君ハ味方ダト思ッタヨ」
「……色々私が反省しなければっ」
レーシーはがっかりしていたが、それよりも彼女は少し楽しそうだった。
ジロードゥランは恐る恐る近付いてきたジョエルを恐がらせないように気を付けながら、頭を優しく撫でる。
「ウン。辛カッタネ。今日ハ休ミナサイ。勿論、皆モネ」
不器用なその手つきに、ジョエルは死神男爵の噂を全部否定してやりたいような気持ちになったのだった。