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【オウミ2】

「あら?オウミ、帰ったの?」


 ハイドランジアの王宮内で最も暗くて湿気の多い場所にその人の部屋はあった。

 部屋の前の廊下は使用人たちが(せわ)しく行き来きし常に騒々しい。それでもその人は一日中、その薄暗い部屋で唯一日当たる場所で花を育てては笑っていた。


 彼女の名前はリベラバイス。

 ウィローサ王の側室であり、オウミの生みの親である。


「母さん、こんなに煩いのによく僕だってわかるね?」

「ふふ、貴方の足音だけは特別なのよ。きっとお腹にいた時の貴方の痛撃な蹴りを覚えているからね!」


 得意気な顔で笑うリベラバイスはオウミとよく似ていた。ウィローサの陰湿そうな雰囲気が全くオウミにないのは彼が彼女によく似ているからだろう。


 結い上げている蜂蜜色の髪から髪飾りが少し落ちそうになっているのを見て、オウミはリベラバイスに近付くとそれを黙って飾り直した。

 オウミと同じ琥珀色の瞳は、彼と違い何も写さず反応もしなかったが、リベラバイスは小さく「ありがとう」と微笑む。


 リベラバイスは全く目が見えていなかった。

 それは生まれつきということではない。オウミを生んで暫くしてから、何かの毒で倒れた後でだ。一命は取り留めたが、視力は全部奪われてしまったのだった。


「ところでムッタローザさんとアナベルさんはお元気?」

「私たちはここにいます」

「あら!」


 リベラバイスの部屋の隅っこに控えていたムッタローザは申し訳なさそうな声を出す。アナベルも彼女と顔を見合わせては息を吐き出した。するとリベラバイスは明るい声で「ふふふ」と可笑しそうに笑い出す。


「気配を消してしまって申し訳ございません。ただお二人の時間を奪いたくなかったのです」

「お二人ともいいのですよ!私、ずっと一人でここに居るだけですもの。人とお話もできないから、お二人がいてくれてとても嬉しいわ!」


 リベラバイスがコロコロと笑う姿を見る度に、オウミは胸が張り裂けそうだった。自分の母が何故こうまで見窄(みすぼ)らしい生活を送らなければいけないのだと悔しさでいっぱいになる。


「ところでオウミ?私のところへ来る前に、きちんと王妃様のところへご挨拶に行ったんでしょうね?」

「それは……」


 口ごもったオウミにリベラバイスは眉間に皺を寄せた。


「この子は何度言ったらわかるのかしら!王妃様は貴方のもう一人のお母様よ。生みの親である私よりも大事にしなくてはいけない方なのよ?わかったなら、早くご挨拶に行ってらっしゃい」

「……はぁ、わかったよ」


 オウミが頷くとリベラバイスはまた小さく微笑む。


「でも私をいつも大切にしてくれてとても嬉しいわ。王妃様には内緒よ」


 耳元で囁かれたその言葉にオウミは目頭が熱くなった。


「ムッタローザ!アナベル!行くよ!」


 誤魔化すように二人の従者の名前を呼ぶと、オウミはリベラバイスの部屋を後にする。

 頭を下げてくる何人もの使用人たちに笑顔を向けながら、オウミは重い足取りで階段を上がっていった。





 アンデシュダール大陸の中で、側室という制度があったのはハイドランジアと皇国アマリリスだけだった。

 またロサ以外の他の国々は公妾(こうしょう)という制度であり、王の寵愛(ちょうあい)を受けた彼女たちに権力が集まることのないよう、公妾が生んだ子供に王位継承権は存在していない。公妾は一代限りの、そして寵愛がある限りの泡沫(うたかた)の権力者なのだ。

 だが側室が生んだ子は王位継承権を持てた。だからオウミは世継ぎの王子として暮らしていたのだ。


「オウミお兄様!」

「わっ!」


 王妃の部屋の手前でオウミは誰かに抱きつかれた。

 いや彼にはそれが誰かははっきりとわかっていた。オウミの腹違いの妹――ミナヅキだ。


「ミナヅキ、僕の従者たちが驚いているよ」

「別に構わないわ!だって私とお兄様は結婚するんだもの!」


 濃い紫色のふわふわとした柔らかい髪を揺らしながら、髪と同じ色の瞳をキラキラと輝かせて、ミナヅキはハッキリと続けた。


「だから……兄妹は結婚できないんだよ?」


 困ったようにミナヅキを諭そうとするが、いつもそのオウミの努力は報われなかった。

 ぷぅっと頬を膨らませると「できるもん!」とミナヅキはそっぽを向く。一年しか年が離れていないというのに、この妹は表情も仕草も全てが幼かった。まるで精神だけが数年間成長が止まってしまったようだ。

 オウミが困り顔でムッタローザとアナベルに助けを求めるように視線を向けると、二人は突然膝をついて(こうべ)を垂れていた。


 ――あぁ、振り向かなくてもわかる。

 鼻をつくような甘い麝香(じゃこう)の香りが廊下中に漂い始めた。これが鹿の香嚢(こうのう)から取れる香りだということをこの国の人間は誰も気にしていない。


 いつ開かれたのか、王妃の部屋の扉は開いていた。


「お母様!」

「ミナヅキ、また貴女はそうやって……はしたないわね」


 冷たい声が麝香を纏いながら、オウミの神経を麻痺させてしまいそうだった。


「……貴方も、ミナヅキを甘やかすだけではダメよ」

「はい、すみません。()()()


 オウミがミナヅキの腕を優しく取り払いながら頭を下げると、王妃――ビブレイは彼を一瞥する。そうしてから自身より半歩下がった所に控えている長身の護衛剣士に目を向けた。


「ウィンドミル」

「はい。どうかされましたか?」

「廊下の騒ぎはわかったわ。部屋に戻ります」

「はっ」


 ビブレイが差し出した手を仰々しく受け止めると、ウィンドミルは彼女を部屋の中へと連れていく。

 この二人は血の繋がった兄妹だった。その為二人ともミナヅキと同じ髪と瞳の色をしていて、それが彼らを神秘的な美しさに見せていた。


「……ミナヅキ、君も早く部屋に戻った方がいいよ。夕食時に食堂で会おう」

「はーい!絶対だからねっ!」


 なんとかミナヅキと別れることが出来たオウミは、早歩きで王妃の部屋がある階から離れた。

 ()せ返るような麝香の香りに頭が痛かった。

 身体の奥が疼くような感覚がどんどんと強くなる。


「くそ……っ!」

「大丈夫ですか?オウミ様」


 自室に逃げ込んだオウミの背にムッタローザが声をかけ、アナベルが汲んできた水を渡した。

 一気にそれを飲み干すが、オウミは喉の渇きも身体の疼きも収まらなかった。


「……夕食はいらない。アナベルは、ミナヅキの部屋の前にお詫びの花を一輪置いてきて。……くっ、だから、あの人は嫌なんだ……っ!」


 赤い紅で塗られたプックリとした唇も、声も、匂いも、全てが。

 ビブレイのそれらは毒だ。

 オウミを(いたぶ)る為に用意された毒だと、彼はずっと思っていた。


 脳裏に蜂蜜色の髪の女性の姿が浮かぶ。母、リベラバイスだ。


 ――物欲しそうな顔で母を想うのか。

 鏡を見てオウミは自嘲した。


「……あぁ、本当に」


 その時、リベラバイスと同じ蜂蜜色の髪をした王女を思い出す。


 ――今夜は彼女のところに行こう。

 一晩だけでいい。王妃の猛毒で狂いそうなこの想いを鎮めるために、オウミはただ一人笑っていた。







 夜も更けた頃、オウミは従者たちの目を盗んで自身が経営している娼館に戻ってきた。

 この時間まで一人部屋の中で渇きに耐えたためか、王妃の毒はオウミをもう苦しめていなかった。

 オウミもそれは理解していたが、ノヴァーリスという存在に興味があったのと、ノヴァーリスが見つめる先にいるシウンという存在に対して妙な対抗心が出ていたからかもしれない。


 ――好いている男がいる女の子って寝取りたくなるよね。

 オウミは口角を上げ、一行に休息のため与えた部屋の片方に足を踏み入れた。経営者であるオウミは全ての部屋の鍵を持っていたのだ。


 乱れる為に用意された大きすぎる天蓋ベッドの真ん中で、小さく丸まるように膨らみが出来ていた。


 ギシ……っと、オウミが体重をかけるとベッドのスプリングが軋む。


「……ねぇ、ノヴァーリス」


 甘い声で囁きながら、ゆっくりとオウミはシーツを捲った。


「ははは、残念でしたーっ!!」


 そこにいたのは三白眼を血走らせているローレルだった。

 オウミは思わずぎょっとして、あまりの驚きにベッドから転がり落ちる。


「えー……?なんで?!」

「貴方がこちらの部屋をノヴァーリス様にお勧めした時から、夜這いでもかけるつもりなのだろうなと思ったんですよ」


 パチンっ、とスイッチ一つで部屋の明かりが付いた。これは協会(カーネーション)の魔法技術であり、技術提供によって大陸中に広く普及しているものだ。といっても、基本的には王族や貴族、一部の裕福な家庭のみが使っていて、魔法を嫌う者たちはこの魔法技術をあえて使ってない。

 低く怒りを込められたシウンの声音にオウミは彼の方に振り向くのを躊躇う。


「ったく!このエロ王子野郎!この俺ローレル様の目が黒いうちは姫さんに指一本触れさせねぇからな!」

「ローレル、煩いですよ。そこで泥酔(でいすい)して眠ってるレオニダス様が起きてしまうでしょう」

「おー、悪い。また絡まれたら大変だもんな。酔っ払いに」


 ローレルが素直にシウンの言うことを聞く様子から、どうやらレオニダスが酔った時は面倒臭いようだった。


「えっと、ごめん!許してよ、二人とも!つい出来心だから!」


 オウミは許しを乞うてみたが、シウンの張り付いたような微笑みはそれを許してはくれなかった。

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