【レオニダス】★
「止まれ!」
レオニダスはここを越えればハイドランジアに入るという手前の関所で呼び止められた。
馬車を御していたレオニダスは隣に座っているノヴァーリスと目を合わせる。
ノヴァーリスは髪を一つに束ね、それを頭に被っている男物の帽子の中に押し込んで隠していた。勿論、着ている服も途中で着替え男装していた。
「貴様ら、ここから向こうはハイドランジアだが、一体何しに行くのだ?」
「ハイドランジアに住んでいる妻の父親が病気になり、家族で見舞いに行くところです」
畑仕事をしている男のように麦わら帽子を被っているレオニダスは、ふんぞり返っている兵士に何度も頭を下げた。
「何人家族だ?」
「はい、五人家族です。私と妻、息子が一人と娘が二人」
「そっちが息子か」
レオニダスとノヴァーリスがこくりと首を縦に振れば、息子には興味がないのか兵士は馬車の荷台を覗くため後ろに回っていく。荷台は白いテントを張っていて御者のいる前と荷台の後ろからしか中が見えない為だ。
「ご婦人方、申し訳ないが顔を拝見させていただ――」
鎧の下から似顔絵が書かれている紙を取り出した兵士は荷台を覗き込んだまま絶句した。
「私があの人の妻です」
「…………はっ?!そ、そうか、こ、これは……その」
長い黒髪の絶世の美女に兵士はしどろもどろになっていた。
この美女はシウンの女装だったが、もし知っていたとしても誑かされてしまうほどの色香を放っていたのだ。
レオニダスは後ろで行われているやり取りにげんなりした顔で肘をつく。そしてシウンというヤツが恐ろしいなと思っていた。
「お、奥さん、すみませんが、娘さんたちの顔を確認させて頂きます!」
「はい、構いません。ですが長女の方は少し恥ずかしがり屋で……」
明らかに女にしては声が低いというのに、それすらも気にならないほど兵士はシウンに見惚れている。
「どなたか探してるんですか?」
次女設定のアキトが兎の縫いぐるみを抱きつつ首を傾げて尋ねると、兵士はまた息を飲んでいた。こちらもかなりの美少女に仕上がってしまっていたからである。
「いや、じ、実はノヴァーリス姫が拐われたのだ。だ、だからそれの確認で……」
兵士は口ごもっていた。
似顔絵を見なくとも、この二人は違うとはっきり断言できるほど、どちらも色気があったのだ。兵士はノヴァーリスを見たことはなかったが、噂で姫は大変愛くるしいがまだ幼げだと聞いていた。
――はー……アキトくんも末恐ろしい……。
レオニダスが頭を抱え出した頃、兵士は俯いたまま顔を隠している長女とやらが気になっていた。
ここまで美女と美少女を見せられては、否応なしに期待してしまう。また頑なに顔を見せないとなると怪しい気もしてきていた。
「……ほら、姉様いい加減に顔を見せて!」
明らかに普段よりもノリノリの様子でアキトがローレルを兵士の前に突き出す。
「こ、これは……!」
ローレルの女装を見てしまった兵士は別の意味でまた絶句してしまった。
まさか兵士に「父親似の醜女だから顔を隠していたんだな」と可哀想な目を向けられる屈辱を味わうとはローレルも思ってみなかった。
「よく親父さんを看病してやってくれ」
兵士に優しく見送られ、あっさりと関所を通り抜けた一行は暫く行った道の先で全員プルプルと震え始める。
「ぶっはぁ!ヤバイ、俺死ぬ、超腹痛い!」
一番最初に吹き出したのはアキトだった。
こんなにもゲラ笑いができる子だったのかとレオニダスが思うほど、馬車の荷台の中をゲラゲラ笑いながら転がっている。
「う、うるせー!!俺の女装の意味なくね?!なんであんなへっぽこ兵士に憐れみの目を向けられなくちゃいけねぇーんだよ!!」
「可哀想なのは俺もだ!!俺に似てるから醜女ってな!俺はそんな目付きの悪い三白眼じゃねぇーよ!!お前こそ俺に謝れ!!レオニダスおじさんは昔からずっとモテモテなんですぅー!!」
黒髪のウィッグを荷台の床に叩きつけたローレルに御者をしながらレオニダスも怒鳴り始める。
しかもウィッグを取ったローレルはまだ化粧をしているため、それを見たアキトは指を差して泣きながら笑い始めた。
「皆さん、煩いですよ。……ふっ」
「て、てめぇー!!今俺の顔見て笑いやがったな!!殺す!シウン、てめぇだけは絶対殺す!あとアキト、てめぇもいい加減うぜぇぇえっ!!」
地団駄を踏みながら怒鳴り散らすローレルに苦笑していたノヴァーリスは、遥か前方の山々の間にうっすらと見えてきたハイドランジアの王都に目を見張る。
その様子に気づいたのか、レオダニスが後ろの三人に向けて声を張り上げた。
「ハイドランジアの王都が見えてきた!王都近くまでいくのに関所が三つある。最後の関所までは変装のままだからな!お前ら静かにしとくんだぞ。あ、ローレルは早くカツラをつけろ」
もう日は殆ど沈みかけていた。
レオニダスは馬を御しながら鼻歌を口ずさむ。
昔から彼の領地で伝わる民謡だった。その歌は故郷を懐かしみながらも世界を旅している息子の想いが綴られたようなものだった。
この時レオニダスは彼の領地が全て焼き払われ、人も動物もいない荒れ地のような状態になっていることを未だ知らなかった。