【シウン】☆
――嘘だな。
シウンは冷たい眼差しでローレルを見つめていた。
ノヴァーリスに名前と職業を明かしたが、彼がただの旅人であるはずがない。
「そうだったの。大変なことに巻き込んで悪かったわ……」
ノヴァーリスがローレルに頭を下げた。やはり王女として育てられた彼女は世間知らずのところがある。
「いや別にあんたは何も」
慌てて首を振るローレルをもう一度見てから、シウンは彼に金貨を五枚放り投げた。
「あ……?いきなり何だよ」
「昨夜の大狼を追い払った対価です。残りの三枚はこれからノヴァーリス様の護衛をしていただくための代価ですね」
ニコリッと綺麗に微笑んだシウンにローレルはイラッとする。
「ははは、俺に護衛を頼むなんて本当に切羽詰まってんだねぇ」
「えぇ。そちらも金の為ならなんでもやるぐらい切羽詰まってらっしゃると思いますが?……言っておきますが、無事にルドゥーテ様を救い出し、ノヴァーリス様が王宮に戻ることが出来ましたら、その二十倍は支払います」
「二十……っ?!」
ガタタッと大袈裟に蹌踉めいたローレルは、三白眼をぱちぱちさせてから、大きくわざとらしい咳払いをした。
「ごほんっ、わかった!そんなに困ってるなら仕方がねぇ。この俺ローレル様が力を貸してやろう!」
「わー……単純」
大威張りのローレルを馬鹿にしたようにアキトが拍手するが、彼はその意味に気づかず鼻息をふんふんと飛ばしていた。
シウンはその様子を眺めながら、隣に立っているノヴァーリスに一度視線を向ける。彼女はローレルを不思議そうに観察していた。
ローレルという短絡的な思考の持ち主に興味が出たのかとシウンは考えたが、どうも違うような気がする。
「ローレル、ありがとう」
「え、あ、いや……!」
ローレルに礼を述べてノヴァーリスは彼の手を握った。
瞬間的にローレルの顔が真っ赤になり、シウンは眉間に皺を寄せて溜め息をつく。
ローレルの反応は先刻から分かりやす過ぎた。さっきの縄の件から、明らかにノヴァーリスに対して意識をし始めている。
――まぁそれもあって護衛を頼んだわけだが……。
存外不愉快だなと、シウンは眉間の皺がより一層深まった。
ローレルが勝手に意識しているだけなら未だしも、何故かノヴァーリスも彼という人間に興味を抱いている。それはどこか好意に近いものだ。
それがシウンには痛いほど分かり過ぎて、珍しくイライラし始めた。
「まぁところでなんだ。さっきの話の続きだが、早くしないとここに城の軍が来ちまうんだよ」
「……レオニダス様、それはそうと眠いんですが」
「わー、アキトくん、人の話聞いてる?!来ちゃうんだよー?兵がいっぱい来ちゃうんだよー?永眠することになっちゃうぞぉー」
「……Zzz」
「うぉおーい!てめぇそれ何て発音してんだ!いやほんと、アキトくん勘弁して?!」
レオニダスとアキトの漫才のような掛け合いを聞きながら、シウンは無意識に目を伏せる。
「シウン?大丈夫?頭が痛いの?」
気付くとノヴァーリスがシウンの燕尾服の袖口をくいっと引っ張っていた。心配そうな大きな瞳に見つめられて、シウンは瞬間的に眉間の皺を消す。
じわりと自身の内に広がるのが彼女への愛しさなのだと、シウンは知っていた。
だからシウンは精一杯いつも通りの笑みを浮かべる。
「いえ問題ありませんよ」
隠すのは歳を重ねる毎に上手くなっていた。
「嘘ね。何かあるなら言いなさい」
――だというのに
シウンはノヴァーリスの真っ直ぐな瞳に目を見張る。
「貴方のことは誰よりもわかるんだから」
「ふふ、そうですか」
ノヴァーリスの言動に一喜一憂する自分が可笑しくて笑ってしまった。ノヴァーリスはそれが馬鹿にされたと思ったのか、また頬を膨らませている。
シウンはそんなノヴァーリスに気付きつつも、頭を抱えているレオニダスに向き直った。
「レオニダス様。一先ず、ここから逃げるとして一体どちらへ?」
「あー……行く宛は正直あんまない。かといってここに留まるわけにはいかない。俺の家がずっと守ってきたこの土地は、本当に自然豊かで領民たちも皆のほほんとしてるイイヤツばかりでな……」
それはレオニダスやアシュラムの人柄を見れば分かるとシウンは思った。きっと領民は争いも知らず幸せに暮らしているのだろうとも。
「ただ一人だけ、ロサから追放された訳有りの友人がハイドランジアにいてな。そこを頼ろうと思ってる。既に使い鴉は飛ばしたんだ」
「ハイドランジア!」
レオニダスの提案に出てきた同盟国の名前にノヴァーリスが目を輝かせる。だがレオニダスとシウンは難しい顔をしたままだった。
「そうよ!ハイドランジアのウィローサ様に相談しましょう。きっと母の助けになって下さ……どうしたの?」
「ノヴァーリス、ハイドランジアのウィローサ王は果たして味方か?」
レオニダスの予期せぬ言葉にノヴァーリスは口を開けたまま狼狽える。
「何を言っているの?ハイドランジアは……」
「大切な同盟国です。ですが、本当にウィローサ王は病床に伏しておられるのでしょうか」
今度はシウンが溜め息を吐いた。
「あー……そういえば毎年祝賀会に出てたのに今年は出てなかったんでしたっけ」
「そう!アキトくん、その通りだよ!今回の件、どうも焦臭いことが多すぎてな。でまぁ夜通し調べたんだが、病気になったってタイミングが二日前だぞ?まず間違いなくハイドランジアも一枚噛んでる。大体今年は十五になった祝賀会だろ。ウィローサのおっさんが無理なら息子が来いってんだ!」
「で、でも、そんな……っ!」
偶々じゃないのかと声を発しようとしたが、ノヴァーリスはそれ以上先を紡げなかった。
そんなノヴァーリスの肩を抱き寄せながら、シウンは耳元で「大丈夫です」とだけ囁く。
「何が大丈夫だよ。あんた、状況ちゃんとわかってんのか?」
そんなシウンの行動にイライラしたのか、ローレルが二人を引き離しながら鼻を鳴らした。
「スパルタカス王とウィローサ王が繋がってるなら、ハイドランジアは敵国だ。まず見つかったらすぐに捕らえられて全員殺されるぜ?」
「ええ、そうでしょうね。ですがウィローサ王の考えなら変えることもできるかもしれません。あの方は日和見主義ですから。まぁこの人数ですし、ウィローサ王を説得するには不十分ですが」
ローレルを軽く押し退けると、シウンはまたノヴァーリスの隣で微笑んだ。
「ですが今は身を隠すことが先決です」
「そうだ。シウンの言う通り、やつらの目から姿を消さなきゃなんねぇ。だから取り合えずここから出て、ハイドランジアに向かおう。国境を越えるのが難題だが、まぁどうにかなるさ」
レオニダスも大きく頷き、話は決まったとばかりに荷造りをし始めるのだった。