【テラコッタ】◎
「……モウ宜シイカネ」
「……はい、記録しましたから」
テラコッタは泣き腫れた瞼を軽く指で拭うように擦った。
喉も大声で泣き喚いたせいで荒れたのか、声は少しだけ枯れていた。
先程まで異様な熱気に包まれていた広場は、アシュラムの処刑場だった。
多くの民衆たちに必要のない怨嗟の声をぶつけられながら首を斬られたアシュラムに、テラコッタは胸が張り裂けそうだった。
目を覆いたくなる場面だったが、切歯扼腕してテラコッタは一部始終を見届けた。それが必要だと感じたからだ。
「デハ参ロウ。我ガ領地ヘ」
翻すときに覗くワインレッドの裏地以外真っ黒なマントに、黒のシルクハット、そして黒のスーツに身を包んでいる男の名前はジロードゥランと言った。だが本名よりも異名が通っている者たちもいる。彼もその一人だ。
辺境の死神男爵。
その名を聞けば泣く子も黙ると恐れられている。
「あの、男爵」
「ナンダネ」
前を歩くジロードゥランに真っ赤になってしまった目でテラコッタは声をかける。
ジロードゥランは包帯の隙間から少しだけはみ出している薄い色素の金髪と紅の瞳、そして呼吸するための鼻の穴ぐらいしか素顔がわからないほどに全身を包帯でぐるぐる巻きにしていた。
口元に隙間はなく、彼が話す言葉はそのせいか曇って聞こえる。
「……昨晩のお礼を言ってませんでした。その他にも色々……本当にありがとうございます」
「イヤ気ニシナクテ良イヨ。ナァ、ハーディ」
「ン゛!」
深々と頭を下げたテラコッタは、黒のドレスに身を包んでいた。これもジロードゥランが用意してくれたものだ。
メイド服では昨晩の追手に見つかってしまうだろうと、彼が買ってくれたのだ。
従者のハーディも口を開かないように糸で縫合しているため、いつも「ン゛」としか話せないが、今のはジロードゥランへの肯定だったらしい。
何故テラコッタがこんな異形の者たちと行動を共にしているかというと、少し時間を遡ることになる。
昨晩、クローゼットの中でテラコッタは全てを見ていた。
グレフィンの謀叛、ギネの裏切り。そして……エマの死。
恐怖と絶望を感じ小刻みに震える身体を必死に両手で押さえる。
一時は黯然銷魂して戸を開け、ルドゥーテと一緒に死を選ぼうかとも考えた。
だがそんな時に姿を現したアシュラムに震えが止まったのだ。
――私はこのアシュラム様の姿を、真実を伝えなくてはいけない。
そう思った。エマが死ぬ前に言っていた『貴女のすべきことをして』という言葉が頭の中で反芻する。
だから秘密の抜け道を通り、必死に地下通路を走った。何度か足が縺れ、鼻を強く打ったり膝を擦りむいたりした。
それでも止まらずに足を動かしたのは、後ろから迫ってくる気配を感じたからだった。地下通路に反響している足音は少なくとも数人が追ってきていることを教えてくれた。
城下町の裏路地に辿り着いたとき、もうテラコッタは息も絶え絶えだった。
さらに王城で五年も勤めていた為か、すっかり町の変化に疎くなってしまっていた。どこに向かえばいいのか途方に暮れていた時、ジロードゥランとハーディに出会ったのだ。
「ココニ入リタマエ」
短くそう言われてテラコッタは困惑した。まず二人の外見が不気味過ぎた。見るからに妖しい形相に二人とも身長が異様に高く、ジロードゥランに至っては二メートルを軽く越えているようだった。
「……ソノヨウナ気息奄々デハ、追手ニ捕マッテシマウヨ」
テラコッタが怯えているのが分かったのか、ジロードゥランはできる限り穏やかな口調でそう言い、そっと彼女の頭を撫でる。それから自分達の馬が背負っていた大きな竹篭を指差す。
「コレハ空ッポダカラ」
テラコッタは決意し、ジロードゥランの提案に乗ることにした。これは彼女の一か八かの賭けだった。
「おい!そこのデカブツ!こっちに侍女が一人来なかったか?」
暫くして裏路地にダリア兵が数人現れた。
偉そうな女の兵士は先程クライスラーの背後に立っていた者だと竹篭の中でテラコッタは息を呑む。
何よりも、何故クローゼットに隠れていた者が侍女だと分かったのだと震えた。そう思ってからテラコッタはハッとする。頭の上にあった筈のカチューシャが無くなっていたのだ。地下通路で転んだときに落としたのかと、テラコッタは自身の軽率さを嘆いた。
「うっ?!お、お前たち、一体……っ!」
女兵士の声が震えている。
どうやらジロードゥランとハーディの異様な姿を気持ち悪く思ったらしい。
「我ハ全身病魔ニ侵サレテイル。……ウツルトイケナイ……」
「ン゛!ン゛!!」
「や、止めろ!私に触るなっ!」
女兵士は怯えたのかクロスボウを二人に構えた。
「ヤメタホウガイイ。我ノ血ヲ少シデモ浴ビテシマウト、君モコウナル……」
「ン゛!」
「ヒィッ!!」
バシュッと女兵士の放った矢が、テラコッタが中に入っている竹篭に突き刺さった。
ジロードゥランとハーディは目を見張るが、不気味な雰囲気と病気の感染を恐れたダリア兵たちは、その様子に気づくこともなく去っていく。
辺りが静かになってからジロードゥランが篭の蓋を開けると、テラコッタは左腕に矢を受けてしまっていた。タラリと垂れた赤い体液にハーディが動揺し、ガンガンッと裏路地の石壁に額をぶつけ始める。
「大丈夫カイ?」
「わ、私は大丈夫です。それよりもあの人は……」
「アァ、彼モ可哀想ナ子ナンダ。気ニシナイデ。ソレヨリモ手当ヲシヨウ」
そっと竹篭からテラコッタを抱き抱えて下ろすと、ジロードゥランは荷物から薬草や包帯を取り出し、器用に手当をしてくれた。
「頑張ッタネ。君ハ偉イヨ」
「……私は、全然……っ!エマちゃんやアシュラム様の、方がっ」
優しく頭に触れられて、ダムが決壊したようにテラコッタの頬を大粒の涙が溢れ始める。
「イイヤ、君ハ偉イヨ。矢ヲ受ケテモ、悲鳴ヲ上ゲナカッタ」
「ン゛!!」
嗚咽が漏れ、鼻水も垂れながら、テラコッタは子供のようにわんわん泣いた。
それをジロードゥランも額から血を垂らしているハーディも優しく慰めてくれたのだった。
落ち着くのに大分時を要したが、一呼吸整えてテラコッタはジロードゥランに病気のことを尋ねる。
「アァ、アレハ嘘ダ。コレハ病気デハナクテ、子供ノ頃ニ全身火傷ヲ負ッテシマッテネ」
そう言ったジロードゥランは可笑しそうに笑ったのだった。
時は現在に戻る。
テラコッタはアシュラムの処刑を目に焼き付けてから、一先ずジロードゥランの領地へと身を寄せることにした。
――あの女兵士が侍女のカチューシャを持って帰れば、勘のいいギネさんは隠れていたのが私だと気付くだろう。
テラコッタは、ノヴァーリスとシウンがレオニダスの領地に向かうと思っていた。だが、アシュラムの処刑と同時にレオニダスは王女を誘拐した反逆者になったのだ。そうなるとレオニダスも領地を棄て二人を連れて逃げることになる。
――消息がわからなくなってしまうし、何より……
自分も追われている身として、彼らといた方が安全だと、テラコッタは思ったのだ。
ジロードゥランの馬に一緒に乗馬させてもらったテラコッタは、町の門を出た時に後ろを振り返って王都を見た。
昨晩のことが嘘のように王都は静かなものだった。
そして外から見た王都はどこか遠い世界のようだった。
――ルドゥーテ様、今暫くお待ちくださいね。私、必ずアシュラム様の無念を、汚名を晴らして見せますから!
最後にテラコッタは友人を想って目を伏せる。
何度も同じ記憶が記録映像として瞼の裏で再生された。
「……『……私、存外貴女のこと、好きよ。……無事城の外で会えたら貴女を抱き締めてあげる』……エマちゃん、大丈夫。私がギネさんを殺してやる」
もはや過去の記録の中で笑っていたテラコッタは其処に存在していない。
初夏の終わりはまるで、淡い夢のようだった。