【アシュラム】★
初めてルドゥーテに会った時、彼女は頭に蛙を乗せていたなと、アシュラムは思い出し笑いを浮かべていた。
『ほほう。怖いのか、これが。男の癖になんと情けないやつだ』
『ご、ごめん。で、でも君も女の癖に平気なんだね』
『なっ!人を性別で決め付けるな!!』
『え!君が言ったんだよ?』
そう返した時、ルドゥーテは悔しそうにしてから私が悪かったと謝った。アシュラムはなんだかその素直さが面白くて笑ったら、ルドゥーテ自身も可笑しかったのか笑い始めたのだった。
それから何度もいじめられるアシュラムをルドゥーテはレオニダスと一緒に助けてくれた。それはまるで白馬の王子様のように格好いいものだったのをアシュラムはよく覚えている。
そんな彼女をいつか格好よく守るのがアシュラムの夢だったのだ。
「……貴方は大馬鹿だわ」
「……うん」
「本当に本当に、死ぬほど馬鹿よ!私がこれを望んでいたと思う?私がこれを嬉しがると思う?」
ひたひたと石牢の床に黒くて丸い染みが重なって広がっていく。
鉄格子の向こうで泣き崩れているルドゥーテに、アシュラムはできる限り優しい穏やかな声音と口調で語りかけた。
「望んでいないし、喜ばないことだってわかっているよ。だけど僕は君を助けたかった。君を陥れた首謀者の罪を着ることになっても、僕は君を救いたかったんだ」
――出会った頃からずっと、君に助けてもらってばかりの格好悪い男だったから。
過ぎ去りし日々を想いながら、アシュラムはやはりニコニコと笑顔でルドゥーテの頭に手を伸ばす。
娘のノヴァーリスと同じ蜂蜜色の髪は、出会った頃と寸分の違いもなく美しいと思った。ルドゥーテの隣にいると自分だけが年老いていっているような気さえした。
「愛してるよ、今までも、これからも、ずっと」
「……アシュラムっ」
「だからもう泣かないで。ほら見て、僕はいつも通り笑ってる。僕はいつでも君の傍にいる」
無邪気な笑顔は人を穏やかな気持ちにさせる。
だが今のルドゥーテにとって、彼の変わらない笑顔はただただ痛々しいだけだった。
「ルドゥーテ。ノヴァーリスがいるだろう?僕は君とノヴァーリスも助けたかったんだよ。だからこれしかなかった。君を生かし、君とノヴァーリスを再会させるためには」
「わかってる、わかってるわ……だけど」
涙が止まらないのよ。と続けたルドゥーテをアシュラムは黙って見つめていた。微笑んで優しい手つきで頭を撫でながら。
「それとね、ルドゥーテ。もし僕の弟に会えたら、謝っておいてくれないかな?レオニー、君まで反逆者にしてしまってごめんよって。許してくれないだろうけど……ふふ」
レオニダスの文句を垂れる顔を思い浮かべて、アシュラムは小さく吹き出した。
「……時間だ」
冷たい声にアシュラムは顔を上げる。
外がもう明るくなっていた。
ルドゥーテは頭を振って牢の前から離れるのを嫌がったが、屈強な男たちには敵わなかった。
「それじゃあ、いってくるよ!」
明るく笑ってルドゥーテに手を振る。
一歩一歩、死へ歩を進めても、アシュラムの顔から笑顔は消えなかった。
大勢の民衆たちが広場に集まっている。
その喧騒の中、首斬り役人の刀を研ぐ音だけが特別大きく耳に届いていた。
「この恥知らずっ!!」
ビュッとアシュラムの頭に卵が飛んできて割れた。ドロリとした卵黄と卵白が額から頬へと流れる。
それが口火を切ったかのように次々と石や木の実がアシュラムへと憎悪を持って投げられ続けた。
「殺せ!!大罪人を殺せー!!」
「殺せ!」
「殺せ!!」
何も知らない人々の罵詈雑言の大合唱もやがて鳥の鳴き声や木々の葉が掠れる音に負けていく。
――あぁ、食事を一緒に食べる約束をしていたのに、守れなかったなぁ……。本当にごめんよ、ルドゥーテ。
サワサワと風がアシュラムの頬を撫でた。
罪状を読み上げる男の声がだんだんと聞こえなくなる。
周囲のざわめきも遠くなり、やがて無音の世界になった。
――できれば最期に、君の笑顔が見たかったな。
俯いていた筈の頭が最後に見上げた空は、雲ひとつない青空だった。