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【アストリット】

 ロサのハルデンベルク家の古い屋敷。

 蝋燭の明かりだけを頼りにアストリットは、秘密の地下室へと続く暗い階段をゆっくりと降りていった。

 彼女が生まれる丁度一年前に行われた改築工事で、彼女の父親グレフィンが秘密裏に作った地下室の存在を知っているものは、生きている人間で言えば最早アストリットだけだった。

 グレフィンはまだ処刑されていないが、明日の朝には民たちの要望により首が斬られることが決まっている。


「……だから、出ていくなら今ね」


 ゆらゆらと踊るように揺れる炎を眺めながら、アストリットは冷たい声音でそう言った。

 表情も無に近く、父親を失いかけ悲しみに明け暮れている娘の顔ではなかった。グレフィンのためにノヴァーリスに涙を見せた少女はそこにはもういない。

 すべては演技だったのだろう。彼女への警戒心を無くさせるための。


「ははっ、今まで匿ってもらって感謝してるぜぇ」

「心にもないこと言わないで。気色悪いわ」


 野太い濁った声音の主は可笑しそうに笑い声を上げると、アストリットの肩を叩こうとしたが、するりと身を躱される。


「冷たいねぇ」


 闇と同化しているかのような漆黒の鎧を揺らしながら――ギネはまた()(がね)のような声を発しながら、肩を震わせた。


「……まぁあの愚かな父親の娘にしちゃ、あんたは賢い女だぜ。そういう(したた)かな女は嫌いじゃない」

「貴方に誉められても全く嬉しくないのよ。わかる?」


 白いレースのハンカチでギネの無精髭の生えた顎を(はた)くと、アストリットは冷めた視線をゆっくりと地下室の奥にあるベッドへと向けた。

 そこに横になる青年の体を目に入れると、瞬間的に彼女の瞳に熱が宿る。


「……まぁ後はあんたに任せるさ。俺はもう行くぜ」

「えぇ。他国の王や協会(カーネーション)の最高幹部が来ているから、ほとんどの兵士はそこの警備に神経を使ってるわ。泣いて毎日を過ごしているように見せかけた私への警戒心はほとんど消えてる。だから、そっと裏口から抜け出せばわからないはずよ」


 一歩一歩、アストリットの足がベッドへと近付いていく。

 背後で階段を上ろうとしているギネに返答は返しつつ、もう彼女の意識から彼は消えかかっていた。


「はいよ。んじゃあ、さよならだ」

「…………ギネ」


 ギネは驚いて目を見開く。

 だが振り向くことはせず、アストリットの次の言葉を黙って待った。


「最後に一ついいかしら?どこへ向かうつもりなの」


 アストリットの質問にギネの口角は上がる。その表情は鬱陶しいとでもいうような、または聡い彼女を誉めるかのような、微妙な笑みだった。


「……俺の王の元へ帰るだけさ」


 ――やはり始めから居たのね。貴方には王が。


 そして上手くはぐらかされたと、アストリットは瞼を閉じる。

 瞼を上に押し上げたときには、ギネの気配はそこから消えていた。


 アストリットは小さく溜め息をついてから、再び歩を進める。


 ぼんやりと近付く度に、ベッドに横たわる青年の姿が浮かび上がった。アストリットはベッド脇の引き出しの上にある燭台に火を移すと、先程よりも明るくなった地下室に少しだけ咳き込んだ。


「…………んっ」

「?!」


 その咳き込みに眉根を動かして、青年は重そうな瞼を僅かに開く。長い睫毛が目の下に影を作っていた。

 彼の黄昏色の瞳が揺れ、(おもむろ)にアストリットの姿を映す。


「…………貴女は誰ですか?」


 ――あぁ……!神様っ!


 紡がれた黒髪の青年の言葉に、アストリットは天に感謝を捧げたい気持ちだった。


「私はアストリット。貴方の恋人のアストリットよ!」

「アストリット……、ごめん。覚えてない……俺は……、っ、誰なんだ……?」


 上体を起こした青年に、アストリットは縋るように掌で彼の手を包み込む。


 ――シウン、シウン、シウンっ!


 頭の中で何度も繰り返した彼の名前。

 ギネに斬られた傷口が痛むのか、彼は肩から胸にかけた辺りをぐっと押さえ込んでいた。


「いいのよ、無理に思い出さなくても!……貴方は、フレーフィン。私の恋人のフレーフィンよ」

「フレーフィン……」


 アストリットの教えてくれた名前を復唱するが、どうもしっくり来ないのか、フレーフィンは申し訳なさそうに視線を落とす。


 ――渡さないわ。……ノヴァーリス、彼だけはあんたなんかに渡さない。


 燭台の揺らめく炎が作る二人の影が、薄暗い地下室の埃っぽい床の上をただ静かに伸びていたのだった。

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