【ルドゥーテ】★
ルドゥーテは焦燥感に苛まれていた。
油断や間違いは露聊かも許されなかった。
だというのに大切な祝賀会で賊の侵入を許し、剰え被害を出してしまうとは。
「エマ、状況は?!」
「はい、城に入ってきたダリア兵は賊どころか我が兵も殺しています!」
「そう……やはりこれは」
――賊の襲撃に見せかけたダリアの攻撃。
ロサの城を襲った賊を討つ名目で、実質は王族や貴族たちの殺害と排除だ。ルドゥーテは苦虫を噛み潰したように唇をきつく結んだ。どうせ賊も金で雇われた者たちだろう。
「エマ、ノヴァーリスは?」
「会場にいたので、きっとシウンがお護りしているはずです」
「アシュラムは……」
「アシュラム様は姿がどこにも」
そこまで言ってから、エマはルドゥーテの部屋のクローゼットを勢いよく開ける。
ルドゥーテも小さく頷いた。彼女が開けたクローゼットは秘密の隠し扉があり、扉を抜けると城の地下通路に出ることができる。その通路は城下町の裏路地に繋がっていた。
この混乱の中、指揮をするのは容易ではない。一旦城を出て、無事だった兵を集め立て直すしかないとルドゥーテは考えた。
「さ、女王様、お先に」
「えぇ」
ルドゥーテがエマに催促され、クローゼットに入ろうとしたとき、突然部屋の扉を叩く音が響いた。
「女王陛下、ご無事ですか?!副団長のレーシーです!団長のギネもこちらに!兄君のグレフィン様を始め、ハルデンベルグ家の皆様をお連れしました!」
ルドゥーテはクローゼットに入るのを止めると、先に茫然自失してしまったのか黙って突っ立ったままだったテラコッタを押し込んだ。
目を細め、冷たい表情を浮かべたルドゥーテにエマはハッとする。
ダリアの兵は明らかに数が多い。誰かが手引きしない限りあの数は国境を越えられない。つまり――
「テラコッタ!いい加減しっかりしなさい!貴女は女王様の従者でしょう?!いい?これから私が言うことをよく聞くのよ」
ルドゥーテは背後で語気を強めて話すエマが自分の考えを察してくれたのだと思った。
「え、エマちゃん……な、なに?一緒に逃げるんじゃ……!」
「テラコッタ、貴女はここに暫く隠れて事の成り行きを記録しなさい。ノヴァーリス様はシウンが必ず逃がしてる。だから貴女は貴女のすべきことをして。私の言ってること、わかるわね?」
真剣なエマの表情にテラコッタは黙って頷く。
そしてそっとエマの手によってクローゼットは閉められた。
「……私、存外貴女のこと、好きよ。……無事城の外で会えたら貴女を抱き締めてあげる」
ポツリとエマが溢した台詞にテラコッタは泣きそうになるのを必死に堪える。
クローゼットの戸の隙間から部屋の様子を睨み付けるように見ながら、じっと息を潜めた。
「レーシー、ギネ。よく兄たちを連れてきてくれました。兄様、よくご無事で」
「女王も息災で何よりだ」
扉を開け中に雪崩れ込むように入ってきた者たちを見回しながら、ルドゥーテは微笑む。グレフィンも同じように微笑み、そっとルドゥーテを抱き締めた。
ギネとレーシーのそれぞれの鎧には返り血のようなものが付着している。何人かの騎士も掠り傷を負っていた。そして案の定、グレフィンとその妻フォン。娘のアストリットには衣服の乱れさえもなかった。
「……兄様、私は貴方を血の繋がりがあるというだけで無条件に信頼していました」
耳元で囁いてグレフィンの体を離すと、次にルドゥーテを抱擁しようとしていたフォンの背後に回り羽交い締めにする。首もとには部屋にあった果物ナイフを突き付けた。
「じょ、女王陛下?!」
レーシーが混乱したように叫ぶが、それをギネが制止する。
「はぁーなるほどなるほどぉ。確かにあれほどのダリアの兵がここに辿り着けたのはおかしいわなぁ!ダリアとの国境付近はグレフィン様の管轄だ。アンタ……黙って通過させたな」
豪快に笑うと、ギネは獣のような目でグレフィンを見据えた。その様子にレーシーがやっと状況を理解したように両刃の重い剣を構える。
「ふ、ふははは!!……あぁ、そうだ、そうだとも!六年掛けてこの日を待っていた!王座をあるべき場所に戻す作業だ!」
「やはり……兄様、貴方が」
わかっていても身内の裏切りほど辛いものはない。
ルドゥーテは怒りに身が震えるよりも前に、胸が裂けるような喪失感や悲哀でいっぱいだった。
「私は長子だぞ!何故この国だけは女を王にする!王族として生まれた喜びから絶望に変わる瞬間を知っているか!あぁ、そうだ、本当にふざけるなっ!!」
この人はこんなにも闇を背負って沸々とした想いで生きてきたのかと、ルドゥーテは苦悶の表情でただ激昂するグレフィンを見つめる。
「それに妻などすぐに替えがきく。そんな女どうなっても構わんわ!!」
「そ、そんな、あなたっ!」
「お父様っ?!」
フォンの顔が真っ青になり、アストリットも自分の父の台詞に驚愕していた。
グレフィンはそんな二人の表情など全く意に介さいように口笛を吹いた。と同時に扉が蹴破られ、中に十人ほどのダリア兵が乱入してくる。
「射て」
そしてグレフィンの冷たい声音と共に一人の兵が放った矢がフォンの心臓に突き刺さった。
「きゃあぁっ!お母様っ!!」
「騒ぐな!」
ルドゥーテは自分の腕の中で息絶えたフォンを暫く信じられないように見つめていたが、彼女の体が寄り掛かってきたので手を離す。支えをなくしたフォンの体はその場に崩れ落ちた。
駆け寄ろうとするアストリットをグレフィンが諌め、ダリア兵が彼女を押さえ込んだ。
「ギネ様、レーシー様、一緒に戦わせて頂きます」
「侍女殿?!」
エマがスカートから太股を露にすると、そこには幾つものナイフやダガーが取り付けられていた。それを見てレーシーは驚きのあまり開いた口が塞がらなくなっていたが、ギネの方は盛大に大笑いする。
「がははっ!そうかそうか!侍女殿は戦えるか!」
「はい!私たちならば、ルドゥーテ様を護りながら突破できるはずです!」
ルドゥーテがエマやギネの背後に身を隠す。
レーシーや他の兵たちも身を構え、それぞれの得物を握り締めた。
「ルドゥーテ、残念だがそろそろ死んでもらおう。お前が死んだあとはアシュラムもノヴァーリスもすぐに後を追わせてやる。国も俺が統治し、その後はクライスラー王子と結婚したアストリットが継ぐから安心しろ!!」
ばっとグレフィンが片手を挙げる。
だがダリア兵は身動きしなかった。いや既に事切れていたのだ。
「な……」
「私の武器はナイフやダガーじゃありません。部屋に入って来た時からあなた方は私の領域に入っていましたから」
エマが交差した手の指をそれぞれ動かすと、グレフィンとアストリット以外が床に倒れ込む。
ルドゥーテはエマの糸を久し振りに見たが、こうも誰も気付かないものなのかと思った。彼女が完璧に侍女を演じていたせいもあるだろう。そして優位に立っていると勘違いしていたグレフィンの驕りもあった。
「はははっ!見事だ、眼鏡侍女殿!」
「私の名前は――」
それは目の覚めるような赤い花だった。
「……え、エマ……っ?!」
誰も微動だに出来なかった。
斧のような片刃の剣のような大剣が人の業とは思えない速度でエマの体を何度も切り裂く。
肉片や抉り出た臓物が噴出する血液と空中で踊り、大輪を描いた。
カシャン、とエマのかけていた丸眼鏡が床に転がる。衝撃で罅が入っていた。
「ははは!侍女殿がそんなに強かったのなら、あの執事殿はそれ以上だ。そうだろう?あーもう聞こえてねぇよなぁ……ったく、グレフィンの旦那は詰めが甘いぜ」
「……賊が簡単に侵入できたのは、貴方が裏切っていたから、ですか」
「気付くのが遅過ぎますぜぇ、女王陛下」
「ぎ、ギネっ、貴様ぁあっ!」
憤怒し声を荒らげたレーシーにギネは血で汚れた漆黒の鎧を揺らす。
「俺は女が戦場にいることも、王をやっているのもずっと気に入らなかったんだ!!……レディ・レーシー!特にてめぇはずっとぶっ殺してやりたいと思ってたぜぇ!!」
猛牛のように突撃してきたギネの突きを受けて、レーシーはそのまま勢いよく窓を割って三階の空へと身を投げ出された。
「あ?」
その時、上半身と下半身が僅かにしか繋がっていない、既に死んだと思っていたエマの指が動き、落下しそうになったレーシーに糸を絡めてそれを防ぐ。
「――っ、……!」
それからエマはレーシーに何かを告げたあと、ギネの問答無用の斬撃によって、首を切り落とされた。同時に糸に力がなくなった為レーシーも茂みの中へと落下する。
ルドゥーテはただそれを唖然と立ち尽くしたまま見ているだけしか出来なかった。
最早、彼女は微塵も抗う術を持っていなかったのだ。