【ムーンダスト】
――ついに、遂にこの時がやって来た……!!
ムーンダストは破顔一笑すると、嬉しそうに柔らかいソファの上にその身を放り投げる。
ボフッと音を立て、少しだけ跳ねるように揺れた。
横にあった球体型のクッションを抱き締めると、今度は白い歯を見せる。新しい玩具が届くのを待つ小さな子供のように、その笑顔はただただ無邪気だった。
ムーンダストが昔立てた計画がやっと今日と言う日を迎え、完璧な形に仕上がる。それが彼には何より嬉しかった。
「あぁ!本当になんて楽しいんだろう……!」
気付いたのは物心ついてすぐだ。
神童と持て囃されたムーンダストには両親の記憶が全くなかった。最高幹部であるノワールはずっと赤子の時に捨てられたのだと教えてきた。
だがその話をムーンダストは信じなかった。
顔を隠し、変声魔法を使う幹部たちを見て、ムーンダストは気付いたのだ。
――あぁ。そうだ。両親は幹部の誰かに違いない。
最高幹部であるノワール以外名前も知らない幹部たち。
普段はナンバーで認識されていた。
「あぁ、だからって、今さら私が両親に会いたいわけじゃないのはわかってくれるよね?」
ムーンダストの問いに闇が震えるように揺れた。
部屋の中に作られていた影からユキがゆらりと顔を覗かせる。それから徐に姿を現した。
「……はい。貴方にそんな感傷の情があるとは思ってませんよ」
「うわぁ、ひどいねぇ~。でもまぁ……ユキちゃんの言うことは間違っちゃいないけど~」
ちゃん付けで呼ばれ、ユキの眉間に皺が深く刻み込まれるが、彼は黙ってムーンダストを見つめる。
「私はただ反吐が出るんだ。あの気持ちの悪い集団を見ていると、震えが止まらなくなる。悍ましいよ。勘違いした大人たちは」
――母が誰で父が誰であろうと関係ない。私はただ、私をこんな風に育てた奴らがあわてふためくのが見たいだけ。
そして同時にこの世界をひっくり返す。
「協会が一番望まない明日を渇望しているんだ」
その為にどれほどの時間を費やしただろう。
この日のために数多もの種を蒔き、その芽吹きを首を長くして待っていたのだ。
「……さぁ貴方の第一声が楽しみだよ」
「……ご苦労様でした。ムーンダスト」
抑揚のない機械的な音声。それがムーンダストを見つけて口を開いた第一声だった。
ムーンダストの表情は一瞬で凍りつき、その後あたかも何もなかったかのようにノヴァーリスへと顔の向きを変えたノワールを睨み付ける。
――それだけ、か?
国家間の争い事に介入したことは協会の意思に反することではなかったのか。厳しい罰則を与え、さらに協会から追放ではないのか。もしかしたら私はそれすらも許されるような立場なのかと、悶々とムーンダストの頭の中を様々な考えが鬩ぎ合う。
「ノヴァーリス様、この度はお祝いを申し上げると同時にパンジーの国王デルフト様もご紹介させていただきます」
「は、初めまして!僕はデルフトです。僕は――」
「厳罰は……?厳罰を甘んじて受ける覚悟でしたが!!」
デルフトが緊張気味にノヴァーリスの前で頭を下げた時だった。小刻みに震えながら、ムーンダストが叫んだのは。
不安や怒りが渦巻くような彼の瞳を見たのは、長年側に仕えていたユキですら初めてであり、ノヴァーリスたちには驚くべく光景だった。
「……何を言っているのですか、ムーンダスト。この大陸の安寧を得る為に、全ては我が協会の為に、貴方が尽力してくれたことを私が責めるわけないでしょう」
――……は?
「本当に貴方は賢くイイ子ですよ。協会の、私の望みを汲み取って動いてくれるのですから」
ニコリと、ノワールが笑った気がした。
実際は顔一面を覆う布のせいで表情など見えない。だが、確かにムーンダストには自身が嘲笑された気がしたのだ。
――待て!ふざけるな!私がこれまでやって来たことをっ、お前はすべてお見通しだったと言いたいのか?!
声にならない絶叫がムーンダストの心をぞわりと黒く染め上げる。どこからか沸き上がる怒りが彼の眼光を鋭く光らせた。
「まぁまぁ!落ち着け、ムーンダスト。それよりも夕食会を始めようではないか。おっと、自己紹介がまだだったな。オレはミネルヴァ。皇国の――」
「嵐呼戦姫だろ」
「――お主、一体何者ぞ?」
台詞を取られ、明らかにムッとしたように広間をぐるりと見回したミネルヴァに眼帯の男はケラケラと声を出して笑っていた。
「噂通り血の気の多い姫さんだな。俺はアザレア共和国の大統領、ソルティータってんだ。以後お見知りおきを」
「ほほう。お主が商売人の成り上がりか」
「ははは。このフェロモン溢れる色男をどうぞ宜しく」
「自ら色男という輩ほど信用ならん!」
ミネルヴァはそう言うと、用意された座席に乱暴に座る。その後ろにスザンナとアンビアンスが控えていた。
ソルティータは自分の名が置かれた席の前まで歩いていくと、ノヴァーリスにウィンクをしてから、同じテーブルに座ることになるオウミとリドを見回す。
「おっと、これはこれは……ハイドランジアのオウミ殿に、まさかのリド殿。ダリアの第二王子様まで一緒とは……で、協会の最高幹部殿に、パンジーの少年王デルフト殿だろ。クレマチスがいないだけで、ほぼ勢揃いじゃねぇか」
ソルティータは感心するようにヒューっと口笛を吹いて席についた。その行動を睨むように見ていたオウミとは正反対にリドは震えながらも必死に言葉を紡ぐ。
「ぼ、僕はもう……ダリアの王族では……っ」
「何を言いますか!リド様っ!!ノヴァーリス様と共に父君と兄君を倒し、ダリアを取り戻しましょう!」
「ええっ?!デュールアルベールっ?!ぼ、ぼぼ僕はそんな大それたことっ……!」
背後に控えていたデュールアルベールにブンブンっと慌てて首を横に振ると、リドはテーブルの上に用意されていた水を一気に飲み干した。
ノヴァーリスと同じ横長のテーブル席には、レオニダスとジロードゥラン、ムーンダストの席がある。
ここにノヴァーリスが連れ帰ってきた獣人たちの姿はない。あの時彼らと会話した者以外で、彼らが滞在しているのを知っているのは、レオニダスとアキト、ジロードゥラン、ハーディ、ルビアナだけであった。
そして彼らがいることはこの場では秘密にしておくこととなっている。仲間には後々説明する場を設けるつもりでもあった。
「ふむ、あれがソルティータか。見るからに食えねぇ男だな!」
「イヌマキのオッサン!声でけぇよ!!」
「そうじゃ。元山賊は静かにしておれ」
微妙な空気の中、馬鹿でかい声で腕を組んだイヌマキにローレルとネモローサがそれぞれツッコミをいれたが、彼は頭をキラリと光らせてガハハと大笑いするだけだった。
――……私のしてきたことは……絶対にお前のシナリオ通りじゃないっ……!
全員のやり取りを見る余裕はなく、ムーンダストは冷静になれないまま、ジロードゥランの隣の席につく。
睨み付けるように見ていたのはノワールの席だったが、レオニダスの「では余興を……」の掛け声の後に入ってきた者たちを視界に入れた。
「…………っ」
そして見逃さなかった。
ノワールの体が一瞬硬直したのを。
――あぁ、そうだ。流石にこれは予想していなかっただろう?
ムーンダストの沸き立った感情が静かに冷えていく。
視線を動かせば、旅芸人の一座の団長であるリンドウの姿。
彼は昔、協会に属していた者であり、ムーンダストの部下だった。そしてある日、忽然と姿を消した男だ。
――私の命令で、ね。
「さぁ皆々様、美しい夢をとくとご覧あれ」
そう囁くように言った女の魔法使いの名はデルフィニウム。こちらも協会から逃げた魔法使い。逃がしたのはもちろんムーンダストだ。
彼女の魔法は空間魔法。
一気に広間が別の空間の中に放り込まれる。
「この……空間魔法……っ!」
テーブルに料理を運んでいたテラコッタが、デルフィニウムとムーンダストを交互に見て息を飲む。
――そう、君ぐらいの魔法使いなら、あの時の隠れ家を作り出した人間が誰かはわかるよね。
ムーンダストの表情にいつもの笑みが浮かんでいた。
ノワールがずっと集中して旅芸人たちを見る。
リンドウが連れている芸人たちの中には、まったく魔力のない肉体技で人々を沸かす者たちもいるほど、幅が広い。実際にムーンダストと面識があるのはリンドウとデルフィニウムの二人だけである。
後は自由にやらせていたら、お人好しのリンドウが戦争孤児などを育て上げたのだった。
広間が一気に星が瞬く夜空に包まれる。
流れ星の動きに会わせてくるくると旅芸人の団員たちが飛び回っていた。
そして彼が登場する。
ムーンダストが仕込んだ取って置きの隠し球。
「……まさかっ!」
ノワールはナイフ投げの演目で出てきたセイリュウの姿を確認するや否や跳び跳ねるように席を立った。
それからノヴァーリスの席の前に立つと、深々と頭を下げる。
「申し訳ありません。ノヴァーリス様。協会から緊急の呼び出しがあり、この場を離れなければいけません。ムーンダスト、くれぐれも失礼なきよう。また、落ち着いたらすぐに戻ってきなさい」
口早に話す様子はどこか慌てているようにしか見えない。その動揺した様子をムーンダストは頷きながら、とても満足そうだった。
「デルフト様も失礼します。転移魔法の使い手を残していきますので、モルフォ様もよろしくお願いします」
「……わかったよ。ノワールさん」
「は、はいっ、ありがとうございます」
最後にデルフトと後ろに控えていたモルフォにも頭を下げると、ノワールは転移魔法の使い手の手に触れてから姿を消した。同時に広間中の蝋燭の火が一気に燃え上がる。
――ふふふ、まさか、だったでしょう?私がそんな昔から貴方に、いや協会に反抗心を持っていたことを知らなかった筈だ。
これでやっと始められる。私は貴方から解放される……!
ムーンダストは両手で顔を覆い、緩み情けなく崩れた表情を隠そうとしている。
「…………シウン……じゃない、わかってる……」
そして同じテーブルの端でノヴァーリスが小さく独り言を漏らしたのも聞き逃さなかった。
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