【シルバー・ベビー】
「ほわぁ……」
生まれて初めて目にする人間の街。
ここへ来るまで、幾つも通り過ぎた村や町などがあったが、それらとは比較にならないほどの大きさ。
「これが……ロサのしゅと……」
感心して溜め息ばかりが口から漏れる。
獣人であるシルバー・ベビーは、人間が造り上げた城や城壁、そして人の多さに圧倒されていた。
隣では不機嫌そうに鼻息を荒くしているヘッドボーンがいる。
二人とも頭からすっぽりと灰色のローブを身に纏ってはいたが、獣の手足や尻尾は完璧に隠せない。むしろヘッドボーンは開き直ったようにほぼ丸見えだ。
ここまで獣人の足からすれば短い旅だったとはいえ、人間に見つからなかったのは奇跡なのかもしれない。
――……ちがう、かな。
もう一度隣のヘッドボーンを見る。
彼はシルバー・ベビーよりも遥かに人間を知っていた。
「……なんだ?」
「え!あ……いかなかったけど、とおめにみえたハイドランジアのしゅとも、こんなにおおきいのかな?」
「知らない」
焦って質問したシルバー・ベビーの言葉をぴしゃりと一言で終わらせると、ヘッドボーンは人気のない路地裏から明るい大通りを覗いた。
「……あれだ」
「あ……」
シルバー・ベビーの表情が緊張して強張る。
美しい青年と口論しているように見える彼女が、例の青薔薇姫だ。
――ノヴァーリス……、わたしのはなしをきいてくれるかな?
変な汗が出て、気持ちの悪い喉の不快感に唾を飲み込んだ。
シルバー・ベビーはここ数日、緊張と興奮でまともに寝れず、夢を見られなかったことを悔やむ。
「まずは、はなしたい……けど」
「わかった」
「え?!」
シルバー・ベビーの呟きを拾って、ヘッドボーンがぐっと腰を落とす。次の動作に移った時には、彼の姿は彼女の視界から消えていた。
「え、わっ……!」
目をぱちくりさせ、シルバー・ベビーは焦る。
だが数回瞬きをした後、すぐにヘッドボーンは戻ってきた。肩にノヴァーリスを抱えて。
「ひっ、な、なんでノヴァーリスは、ぐったりしてるの?!」
意識を失ってぐったりとしているノヴァーリスの姿にシルバー・ベビーは悲鳴を上げた。自分は話をしたいと口にしただけだ。まさか殺しはしてないだろうかと、ヘッドボーンに疑いの眼差しを向ける。
「安心しろ。騒ぐ、困る。だから、気絶させた」
片言で話すヘッドボーンはフンッと鼻を鳴らすと、その後すぐに路地裏に駆け込んできた青年へと意識を切り替えた。
「――だから、ほんとうに、ノヴァーリスとはなしをしたかっただけなんです」
簡単な自己紹介を終えてから、シルバー・ベビーは真剣な瞳でもう一度目的を口にする。
それからノヴァーリスをお姫様抱っこをしているローレルと名乗った青年を見上げた。
特徴的な三白眼がじっとシルバー・ベビーを見つめ返している。
「……もしかして、わたしたちのなかまに、あったことがあるの?」
「あぁ、つい先日にな。ダリアが豪猪のような大男の獣人を――」
「スターゲイザー!!」
ヘッドボーンが獣の遠吠えのように吠えた。
低音の唸り声がゴロゴロと喉の奥で鳴る。突然の咆哮にローレルとオウミはびくりとしていたが、ミネルヴァは抱き付いてきたスザンナを可笑しそうに見ていた。
「な、名前は知んねぇけどな。あ、もしかして……あんたらが姫さん――んん、もう違うけど、いや……まぁいいや。姫さんに話したいってのは、それに関係あるのか?」
「は、はい!そうです!いま、わたしたちのおうはおこっています。アガパンサスのたみをうばわれたから」
「……もしかしてハイドランジアと戦うつもりなのか?!」
前のめりになったオウミの台詞に、ムッタローザが表情を曇らせた。その彼女の僅かな表情の変化にヘッドボーンは首を傾げる。
「はい。おうはたたかうつもりです。やがてそれはおおきなせんそうに……。だからわたしは、ノヴァーリスをたずねてきました。このたいりくをまきこむせんそうを、かなしいものにしないために」
ペコリとシルバー・ベビーが頭を下げた時、ピクリとノヴァーリスの眉根が動いた。
「おお、目覚めたか!」
ミネルヴァの大声に小さく首を縦に振ると、ノヴァーリスはローレルに礼を述べてから、ゆっくりと地面へと下ろしてもらう。
蜂蜜色の髪がサラサラと流れ、その輝きにシルバー・ベビーは銀色の瞳を輝かせていた。
「……ぼんやりとだけど、聞こえていたわ。貴女は戦争を止めに危険を冒したのね?」
「スターゲイザーをつれもどすか、ムリならころす。それをしてやっとおうは、おもいとどまるの。ほかにもすうにん、ハイドランジアにさらわれたなかまがいる……それもたすけることができたら――」
「緑豊かな地はロサと同盟を結んで貰えるかしら……?」
「……っ!!わたしのゆめは、それをのぞんでるっ」
ノヴァーリスが首を傾げると同時に、シルバー・ベビーは跳び跳ねるように喜んで手を打った。
そんな彼女の様子を見ながら、ノヴァーリスはそっと息を吐き出す。それから新しい空気を吸うと、再び口を開いた。
「私は女王として、二人の滞在を認め、大切な賓客として扱います。それから城に戻って協会の者たちを迎えた後、大事な話を皆にするわ。ミネルヴァ、その時に皇国との同盟の返事も返すわ」
「うむ、聞かぬとも答えは一つだろうがな!」
自信満々に頷いたミネルヴァにノヴァーリスはつい笑ってしまった。
それから咳払いをしてから、そっと難しそうな顔をしているオウミに向き直る。
「オウミ。貴方はその後、国に帰ったら、ハイドランジアがどうなってるかきちんと内部を調べてきてもらえる?勿論ちゃんと立場も回復させて、ね?……そして捕まってる緑豊かな地の仲間たちを解放できたら、さっきの話を受け入れてもいいわ」
「……え?」
きょとんとした顔をしたのはオウミだけではなかった。
ミネルヴァと共に二人の会話を盗み聞きしていたローレルも間抜けな顔でノヴァーリスを見つめる。
「もう忘れたの?きちんと国を纏めあげて私と結婚したいと言っていなかった?」
「い、言ってた!!え、でも……本当に?!」
「えぇ。ただし、獣人の方々を見つけ出して、救出までが条件だからね?」
どれか一つでも欠けたら貴方とは結婚しないわと続けてから、ノヴァーリスは呆然としているメンバーを置いて、さっさと城へ戻る裏道を歩き始めた。
ぎゅっとシルバー・ベビーのふわふわの手を握って。
――温かい……。
シルバー・ベビーはムズムズと小鼻が痒くなり、思わず目を細める。だけど、握られた温もりを離したくなかった。
「はははっ!お主は本当にすごい女子じゃな!!」
「わわ、待ってください~っ!」
ミネルヴァが笑いながら続き、それをスザンナが追う。その二人の後をゆっくりとヘッドボーンとムッタローザが付いていった。
残されたのは表情に天と地ほど差のある男たち。
「おいこら軟派王子。てめぇには、出された条件が達成できない呪いをかけた」
「ははは、ゴールすら提示されてない負け犬の遠吠えが聞こえるけど、あー……やっぱなんも聞こえないわー」
「今すぐここで殺す!」
「ノヴァーリスの期待を潰したら、ローレルはこの国にいられないんじゃない?」
「う、うがーっ!!」
ローレルの嘆きは、オウミの自信満々な鼻歌にかき消されるのだった……。