【テラコッタ】
「はーっ!まったくもう!あのお姫様は一体何を考えてるのやら……しかも!何故?!よりにもよって、あのアオウミウシ?!」
「……すみません。ミネルヴァ様はあまり何も考えてませんね。直感で動くタイプの方ですから」
大広間でこれからやって来るであろう客人たちをもてなすための準備を行いながら、テラコッタはブツブツと文句を言っていた。その後ろで手伝いをしながら、アンビアンスが小さく頭を下げる。
「そしてレーシー様に捕まりさえしなければ……あ、あの、クソドローレルめっ!!自分だけ行きやがってー!ムッタローザさんも酷いっ!!」
「……おい、興奮してるとこ悪いが。双子の蛙の方を知らないか。アイツ、気軽に魔法を使いやがるんだが、あいつのせいで体がやけに重いんだ……」
興奮の収まらないテラコッタの声を遮るように、大広間に姿を表したのはジェイドだった。エクレールに支えられながら、ジェイドは苦し気に咳をする。
「蛙は知りませんけど、確かレーシー様の後ろを、スクラレアさんがついて回ってましたよ。ジョエルくん曰く、レーシー様がかなりそれに参ってるとか」
「だとすれば、レーシーを探せばいいか。蛙もどうせスクラレアの近くにいるだろうから……――っ?!」
それは一瞬の出来事だった。
ジェイドを支えていたはずのエクレールの体が、大広間の一番奥にまで吹っ飛ばされる。ジェイド自身も支えをなくしてその場で尻餅をついた。
「は……?」
顔をあげれば、肌全体が木で出来たような不気味な男。ギラギラと光る白目のない真っ赤な眼球。パカリと開いた口の奥は深淵を覗く闇だ。
「どうして邪魔をする、邪魔をするな、邪魔をっ!」
「ジェイドっ!!」
大広間のありえない物音に、廊下からレオニダスとアキトが走ってやってくる。ジェイドに振り下ろされそうになった蔓のような男の腕を、レオニダスが撃った銃弾が貫通した。大広間の白い壁に銃弾が突き刺さるが、男の腕は破裂した部分を補うように蔓がまた新しく伸びる。
「……はー……なんか、こいつ見たことあるな……」
アキトが走りながら装備した鉤爪を光らせた。
猫のようにしなやかに、禍禍しい男の懐へと飛び込む。
「今の内にっ」
「あ、あぁ」
アンビアンスに腕を抱えられて、ジェイドはその場から離れた。アキトの斬撃が男の回復能力よりも早く体を破壊していく。
それに安堵したレオニダスだったが、ふと奥のテラコッタを視界に入れて息を飲んだ。
「テラコッタちゃん!後ろだ!!」
短銃を構えるが、軌道上にテラコッタがいるため、相手を狙い難い。そしてこの僅かな躊躇は、相手の腕がテラコッタの小さな体を貫くには十分だった。
――え……?
だが、テラコッタの後ろに現れたもう一人の男の攻撃は彼女を貫かない。
フワリと空中を舞い、シャンデリア近くまで跳躍したかのように見えるテラコッタに、一番驚いているのは彼女自身だった。だが、それが自分の意思ではないことは理解できた。そしてそれを起こしたのは、腰の辺りに巻き付いている透明な糸であることも。
――この糸の技は……っ
顔を振れば、ジェイドを起こしていたアンビアンスがキリキリっと指に嵌めた特殊な武器で糸を操っている。
紛れもなく、その動きはかつて親友が行っていたものと全く同じだった。
「……ロサの皆さんは、貴殿方を歓迎してませんよ」
「招待状も出した覚えないからねっ」
アンビアンスの糸が、テラコッタを狙った男の体を粉々に粉砕するのと同時に、アキトも男の体を真っ二つに割る。
刹那、二人の男の体はそのままドロリと液体状になり、泥のようなそれは床の上に汚く広がった。
残されたのは、泥になる直前でカラカラと音を立てて床に落ちた木札だけだった。
「大丈夫ですか?テラコッタさん」
「あ、ありがとう……ござい、ま、す……」
酷く動揺しながらテラコッタはアンビアンスに頭を下げる。
あまりにも似すぎているのだ。彼女の技は。
「……はー……やっぱり。アンビアンスさん、これの説明をお願いできます?」
難しい顔をしたレオニダスと共に、アキトが鉤爪を光らせながらアンビアンスに木札の一つを投げつけた。
訝しげに木札を見て、一瞬アンビアンスは言葉を失う。木札に描かれしは、朱頂蘭。だが直ぐに顔を上げ、冷静な音で言葉を紡いだ。
「これは我が皇国とは無関係であると断言します。まず、二人の男が我が国からの暗殺者だとして、私はテラコッタさんを助けました。そして一人の男も殺しました」
「……だが、恩を売り、また内側から崩す作戦かもしれないだろう?」
冷たいジェイドの瞳がアンビアンスを射抜く。
だが、アンビアンスは平静を保ったままだ。
「貴殿方の懸念は理解します。だがもう一度冷静にご一考ください。この国にはミネルヴァ様と共に滞在させていただいているのです。皇国の皇女ミネルヴァ様とです。確かにミネルヴァ様は後継者にはなれません。ですが、我が皇帝陛下――敬愛するルードヴィッヒ様のことは風の噂でも少しは聞いたことがあるでしょう?争い事を嫌い、皇后唯一人を愛し、民を我が子のように愛している方です。ミネルヴァ様のことは常々目に入れても痛くないと仰っておられます。そんなミネルヴァ様が滞在する時に、自ら馬脚を現すような、そんな最悪なタイミングでこんな目立つ暗殺者を送り込むとでも?」
「た、確かに……」
「ええ。それにもしやるなら、もっと上手くやりますね。失敗するなんてあり得ません」
レオニダスの頷きに、アンビアンスはやっと落ち着いたように息を吐き出す。
それからクンッと木札の臭いを嗅いだ。
「……これは……この甘い香り……。やはり、我が国の無実を訴えると共に……、我が国の秘密もお伝えしたいと思います。それを聞いて最終的にご判断を」
「秘密、ですか?」
テラコッタがアンビアンスの顔を覗き込む。
バタバタと兵たちが大広間に駆け込んできていた。状況が状況だけに大慌てだ。
「先月、でしょうか。実は我が国の皇子様が倒れられました。国内でご病気ということに表向きは成っていますが、実は暗殺者による毒でした。警備が不甲斐なく、暗殺者を捕らえることは出来ませんでしたが、部屋中に残り香が……それが、この木札と同じ香りだったのです」
「つまり、皇国も同じ相手に狙われた、と?」
レオニダスが兵たちに片付けを命じながら、アンビアンスに相槌を打つ。
「はい、私の予想ではそうです。そして、残り香ともう一つ。ダリアの紋章が描かれた手拭いが落ちていたのです」
「ダリア?!じゃあ今回のことも……」
「いや違うでしょ、レオニダス様。どう見てもこれ、罪を擦り付けて争わせようとしてる。つまりこの三つの国以外だ」
声を上げたレオニダスに首を振ったアキトに同意するように、アンビアンスが真剣な顔で小さく呟く。
「えぇ。今日で確信いたしました。怪しいのは北のクレマチス。南のハイドランジア。そして西のアザレアです。勿論、小国パンジーや協会の可能性だってありますが」
「……クソっ、ノヴァーリスがやっと国を取り戻したばかりだってのに、またキナ臭くなってきたな……っ!」
レオニダスの舌打ちに、アキトもジェイドもテラコッタも押し黙った。
新たな火種が撒かれたのではないか。
そしてそれは大陸中を大炎で覆う戦争の始まりを予感させる。
「……さて。どちらも主への報告が先ですかね」
「ま、まぁ。確かに。ノヴァーリスにも相談しなきゃな。後はジロードゥランと……」
レオニダスと話すアンビアンスの横顔を見つめながら、テラコッタは唇をきつく結んだ。
「……アンビアンスさん」
レオニダス、アキトが外に出て、ジェイドがエクレールを起こしている時、テラコッタは覚悟を決めてアンビアンスに声をかける。
「……何でしょう?」
「あ、あの、貴女の武器を……私は知って……っ」
「あぁ。そう言えば貴女だったのですよね。記録し再生させる魔法使いは。……えぇ、私はエマを知っています。そして、エマと私は同業者であり、師が同じです」
アンビアンスの淡々とした台詞にテラコッタは大きく目を見開いた。
「あ……やはり……」
言葉を飲み込んだテラコッタにアンビアンスは目を細める。
「エマが亡くなったのは知っています。貴女の映像を見ましたから」
「ごめんなさい、私、私っ、あの夜、何も出来なかったんです……っ!あの夜、私は隠れているだけだった、逃げるだけだった……っ!エマちゃんはきっとっ――」
「エマはきっと幸せだったんでしょうね」
「――え?」
ボロボロと泣き始めたテラコッタにアンビアンスは静かに続けた。
「貴女の映像で、必死に守ろうとしていた姿を見て、あぁ……あの子には大切なものが出来たんだなと思いました。私と同じで命を賭してでも守りたいものが。……それは私たちにはとても幸せなことです」
――幸せ、だったのかな。エマちゃんは私といて楽しかったのかな……っ
「ずっとそばにいたかった、……そう言ってる。まだ貴女にはやるべきことがある、とも」
「……ジェイド……?」
俯き、肩を小刻みに震わすテラコッタの背中にジェイドがぽつりぽつりと漏らした。
エクレールは無事だったようで、ゆっくりと起き上がっている。
「……お前の回りに、緑色の淡い光がくるくる回ってる。それがたぶん、エマというやつなんだろう。もう光は大分弱ってるが……」
「っ、エマちゃん、エマちゃん……っ!!」
泣き崩れたテラコッタの肩をアンビアンスがそっと慰めるように叩いた。
「……ふぐ、ぐすっ……!あ、アンビアンスさん、お、お願いがあります……っ」
「……なんですか?」
「ひっく、糸を……、その技を教えてくださいっ!」
顔を上げたテラコッタの瞳には強い意思が宿っていた。
「殺したい、殺さなきゃいけない相手がいるんですっ……!私の手でっ」
「……エマを殺した相手、ですか」
――エマちゃんだけじゃない、あのシウンだって、アイツに殺されたんだ……!だから私は強くならなくちゃ……!
もう私しかいないんだ!……ルドゥーテ様が雇ってくれた、ノヴァーリス様の護衛は。
「……私は教えるのが苦手ですが。それでもよろしければ」
「は、はいっ!ありがとうございますっ」
テラコッタの決意に、淡い緑色の魂が何と訴えていたかは、ジェイドにしかわからない。
彼はそっと瞼を閉じると、エクレールの手をぎゅっと握りしめるのだった。