【ノヴァーリス】
パーティー会場で久し振りに会った従姉妹のアストリットは相変わらず辛辣な嫌味を口にする、ノヴァーリスが記憶していた通りの鬱陶しい女だった。
金髪の縦ロールを揺らし、自慢の脚を曝け出すようなスリットの入ったマーメイド型のドレスを着ていて、まるで自分が主役のように会場内を闊歩する。
「……お、おかしいな。僕の前ではあんな風じゃなかったんだけど……そりゃあ少しは高飛車な子かなとは思っていたけども……」
アストリットの後にも幾人もの貴族たちと会話し、その後に怖ず怖ずと近付いてきたリドと会場に面しているテラスに出る。会場は一階の為テラスは城の外側の庭に通じていて、迷路のような薔薇の生け垣が眺められた。
「猫を被っていたのね。五匹くらい」
「あはは、そ、そうかもしれないね……」
ノヴァーリスが鼻を鳴らせば、リドは苦笑しながらも同意する。
会場内ではアストリットがシウンに絡み付いていた。
「彼女は彼が好きなの……?」
「前に一度シウンを欲しいと言われたわ。丁重にお断りしたけど。……アストリットが欲しいのはシウンが美形だってこともあるけど、私が大切にしているものを奪いたいだけよ」
「……そう、なんだ。……へ、変なこと聞くかもしれないけど、彼が君の執事になったのはいつ?」
不意にリドがノヴァーリスを真っ直ぐに見つめる。
真剣なその表情は何かを思案しているようだった。
「シウンが執事として雇われたのは五年前よ。……ねぇ、リド。それがどうしたの?」
「い、いや、何でもないんだ。……ただ僕は、彼とどこかで会っているような気がして……」
「王族の貴方と簡単に会えるわけないと思うけど……。それにしても、リドのお父様たちは到着が遅く――」
遅くないかと尋ねようとした刹那、城内で悲鳴が上がった。
「賊だ!!賊が中に……っ!!」
城中に配備されている筈の兵たちが小さく呻き声をあげて倒されていく。会場内にも黒装束を身に纏った屈強な男たちが窓を割り入ってきた。
「ノヴァーリス様っ!」
「シウン、これは一体……っ!」
「わかりません。ただあれほど警備が堅かった筈なのに……これほど簡単に侵入されるとは……っ」
ノヴァーリスはオロオロしているリドの手を握りながら、駆け寄ってきたシウンに状況を尋ねる。
その間にも会場内の壁や床に血飛沫が広がった。
「女王様は先程お召し物を汚されてテラコッタとエマを連れ自室に向かわれたところの筈です。アシュラム様は……つっ!」
ノヴァーリスに斬りかかってきた男をスーツの下に隠していたナイフでシウンが刺した。刺された喉元から大量の血を溢れだし、男はテラスの床に転がる。それを見て真っ青な顔のリドが小さく悲鳴をあげた。
同時に城の一番高い見張り台から、緑色の狼煙が上がる。協会が作ったそれは夜の闇の中でも発光して周囲に知らせることができた。
「はっ!父上、兄上!!」
いつの間にか会場内にダリア国王スパルタカスと第一王子のクライスラーの姿があった。
「今より賊を一掃する!」
そう声を荒らげたクライスラーの合図に貴族たちがリドと同じように安堵と喜びの声をあげるが、それは一瞬だけだった。
「……な」
ノヴァーリスは言葉を失った。
助けにきたと思ったダリアの兵たちは、一斉に黒装束の男たちと、貴族を始めロサの兵や侍女たち――その場にいる全員を斬り殺し始めたのだ。
「待て!ここを襲えば報酬をくれると――」
黒装束の男が最後までいい終える前に首が刎ねられる。
ノヴァーリスもシウンも理解した。
彼らは敵だ、と。
「ノヴァーリス!シウン!」
その時、薔薇の生け垣からアシュラムが顔を出し、こちらに走れと手で合図をしている。
ノヴァーリスは茫然としているリドの手を引くが、彼はそこから動こうとしなかった。クライスラーの視線がテラスに向く。
「急いでくださいっ!!リド様なら大丈夫です!彼は第二王子ですよ!」
嘘だ、とノヴァーリスはシウンの言葉に強く首を振った。
情があるような人間じゃない。
――彼らはきっとリドを……っ
「……だ、大丈夫。僕が時間を稼ぐから、姫はシウンとアシュラム様のところへ。そしてどうかご無事で」
「リドっ!ダメよ、リドっ!!」
自分を取り戻したように真っ直ぐな目でノヴァーリスに微笑んでいたが、リドの手は震えていた。握っていた手がリドによって振り解かれる。
「あ、シウン!君のこと、思い出したよ。……朝顔の押し花の栞は僕の宝物だった!」
「っ、リド様……っ」
ノヴァーリスにはこの時二人が交わした言葉の意味が分からなかった。
リドはテラスから会場の広間に入り、テラスへと続く硝子戸を閉じる。彼の背中からは堂々とした王族の威厳すら感じられた。
「ノヴァーリス様、早くこちらへ!」
ノヴァーリスは唇を噛み締めながら、シウンと薔薇の生け垣へと走る。中に入るとわかるが、やはり生け垣は巨大な迷路のように入り組んでいた。
「ここから城下へと下りられる。二人は町で馬を買ってレオニダスのところへ逃げるんだ」
アシュラムは路銀の入った袋をシウンに手渡すと、いつもの優しい笑顔をノヴァーリスに向けた。
「愛してるよ、僕たちの大切なお姫様」
「ま、待って!お父様も一緒にっ!!」
しっと人差し指を立てて、アシュラムはゆっくりとした穏やかな口調でノヴァーリスを諭すように話す。
「僕は大丈夫だよ。それに忘れちゃいけない。ノヴァーリスの愛するママ、僕の愛するルドゥーテがまだ城の中にいるんだよ?僕が助けに行かないと」
「お言葉ですがアシュラム様。エマやテラコッタ、騎士団の者も女王様についているはずです。きっと無事に脱出を……」
シウンが割って入ると、アシュラムはまたへらっと邪気のない笑みで白い歯を見せた。
「僕はただ、ルドゥーテの白馬の王子様になりたいんだ」
薔薇の生け垣の迷路の中へダリアの兵たちが入ってきているのがわかる。そこら中で響く金属音や悲鳴。阿鼻叫喚とはこの事かもしれない。
父の気持ちを理解できても行かせたくはない。そう想いを込めてノヴァーリスはアシュラムの落ち着いた渋い赤みのマントを握り締めた。
「……その格好では目立つかもしれないね。これを羽織れば少しは隠せるかな?」
「違っ」
マントを脱ぎ捨て、ノヴァーリスの体を包むように肩にかけるとアシュラムはまた優しく笑って彼女の頭を撫でた。
「ほら早く」
時間がない。それは三人ともわかっていた。
アシュラムは踵を返し、シウンは振り向かずに進むことを決意する。ノヴァーリスだけは涙が止まらなかった。
「やめて、やめて、嫌なの、お願いよ、シウン……っ!」
無理矢理シウンに抱き抱えられ、ただただ泣くことしかできない。ノヴァーリスは必死に手を伸ばすが誰も掴んでくれなかった。
――何故、こんなことに
『青の薔薇です。……御子は国を滅ぼすでしょう』
――あぁ、きっと私が青の薔薇だったから……
悪夢なら早く覚めて欲しい。ノヴァーリスは悲しみのあまり、終には意識を手放したのだった。