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異世界女子、精霊の愛し子になる  作者: サトム
一章 異世界女子、精霊の契約者になる
8/26

異世界女子、精霊の癒し手になる

このお話はフィクションでファンタジーです。

 部屋の中は応接室になっていた。三人掛けのソファが二つに一人掛けが二つ、大理石のような白い石のテーブルを囲んでいる。絨毯は毛足が長く、密度の濃いそれは靴で踏んでいいものか迷うほど高級そうに見えた。


 先に部屋に入っていた王子は一番奥の一人掛けに座ると、いつの間にか現れた執事のような男性がお茶を二つテーブルに置く。一つは王子の前に、もう一つは相対する位置にある一人掛けのソファの前に。


 そこに座っていいのだろうかと逡巡していると、美貌の王子が顎で座るように促してきた。隣の広間にはレスタがいるから大丈夫と心の中で唱えながら、驚くほど体が沈みこむフワフワのソファに緊張したまま腰かける。


「いやー、レスタの怒りは恐ろしいな。思わず反応しかけて焦ったよ」


 今までの氷のような無表情が嘘のようににこやかに笑いながら、ファリシオン王子が朗らかに言った。

 ニヤニヤと笑う王子の雰囲気が叔父(ラスニール)に似ていて彼らの血の繋がりを感じさせる。今の彼なら最初に見たような女性に対する情熱も説明がつくと思われた。そういえばセルスファム青騎士団団長も王子に関する不穏な事実を口にしかけていたなぁと砦出発前のやり取りを思い出しながら、千早の世界の礼儀として出された味のしないお茶を一口飲んでみる。


「そろそろ現実逃避をやめてくれないか? 私としては君とは親密な関係になりたいと思っているんだ。なぜなら君は私のすべて(下半身)を見たんだからね」


 笑みを浮かべた王子は言葉の出ない千早に苛立つことなく意図を先に見抜き、為政者として人の上に立つことに慣れた声で答えた。


「あー、あの時は大変失礼しました。皆川千早と申します」

「私はファリシオン・ジル・ローグ。この国の第一王子で王太子だ。あの時のことは気にするな。見られて困るモノではないのでね」


 ご立派でしたもんねー。平均がどの程度なのかは知りませんが。


 やさぐれた千早は無意識のうちに渇いていた喉を潤すために再びお茶を飲んだ。今度は意識がはっきりしているからかさっぱりして苦みが少なく、花の香りがしてとても美味しく感じられる。コーヒーがあればブラックを飲みそうな目の前の人物の好みとは離れているように思えて、千早は白磁のティーカップを覗きながら気がついた。


 おそらくこのお茶は千早の好みを把握して出された物なのだろう。これがプロのもてなしかぁと感心しているあたり、千早の現実逃避はまだ続いていた。


「先ほどはいじめ過ぎた。君があまりにも震えるのでいささか過剰に言葉を重ねてしまったよ」


 さすがラスニールの甥だ。趣味嗜好まで似ているらしい。先ほどまで睥睨していた切れ長の目が幾分垂れて微笑み、とても楽しかったのだと物語っていた。


「いえ。何か理由があったのだと思っております」


 当たり障りのない答えを返せばファリシオンもお茶を飲んで一息つく。


「クラウンベルドから報告はあったのだが、精霊が契約者以外を慈しむなんてちょっと信じられなくてね。皆に示すと同時に試す意味もあったんだ。思っていた以上の結果が得られて、私も両陛下も満足している」


 どう満足したのかは知らないがレスタのそばにいられるならそれでいいと千早は視線を落とした。


「さて、レスタの契約者殿に失礼を働いたのだ。詫びに願いをかなえよう。何がいい?」


 詫びなどと言ってはいるが言葉に探るような響きもあって、千早は美貌の王太子の顔をじっと見つめる。欲しいものはない。望みはレスタのそばにいることだけだ。

 けれど―――


「もし、できるのでしたら……殿下の寝室に入りたいです」


 帰ることをあきらめたつもりだった。レスタの知識にない時点で千早がどうにかできることではないと理解したつもりだった。けれどファリシオンの言葉にじわじわと浮かんできた願いは。

 千早はスカートをぎゅっと握りしめ、うつむいてこみあげてくる感情を隠そうと唇を引き結ぶ。


「確認するだけです。帰れないのも判っています。でも、どうにか諦めたくて……」


 向こうの世界に残してきたものはそんなに簡単に捨てられるものではない。それ故に出口が入り口になる可能性が頭から離れないのだ。


「時間は昼がいいか、夜がいいかと聞こうと思っていたのだが……誘っているわけではないのだな」


 ファシリオンのこれまでどこかからかうような口調が真摯に変わり低く沈む。銀色の長い睫毛がヒスイの目を隠し、しばらく表情をうかがわせることをさせなかったが、やがてお茶を飲み干して立ち上がった。


「正直に言えばこことは異なる世界から落ちてきたという君の言い分を信じたわけじゃない。だが本気で願っていることを無下にするつもりもない。……付いてこい」


 上質な衣装を翻してドアへと向かうファリシオンは動かない千早を振り返ってにやりと笑う。


「心配するな。あいつら(貴族ども)が納得するまでまだ時間がかかるから今見せてやろう。それにレスタには知られぬほうがいいのではないか?」

「早いに越したことはないのですが……レスタはたぶん気付きますよ」


 促されて部屋を出て、これまでとは一線を画す豪華な装飾の廊下を二人で歩いていると、いつの間にか黒い騎士服の護衛たちが二人後をついてきた。厚い絨毯の敷かれた廊下は高い位置に窓があるため日差しは入っているが、外が見渡せずどことなく圧迫感がある。


「レスタのことをよく判っているじゃないか」


 廊下に出たとたんに人形のように無表情になったファリシオンについて急ぎ足で歩いていくと、やがて黒騎士二人が立って立番をしている扉をくぐった。


「短くない時間を話せないレスタと一緒に牢屋で過ごしましたから。言葉がなくてもなんとなく判るんです」


 扉をくぐった途端、廊下はゴテゴテとした装飾が減って落ち着いた雰囲気に変わる。どうやら王族のプライベートな場所に入ったようで、背後についていた護衛騎士がいつの間にか姿を消していた。


「それでなくとも精霊は何を考えているのか判らないものなんだがな。さすが精霊の癒し手というところか」


 『精霊の癒し手』とはどんな称号なのかと思わなくもなかったが、必要なら後で誰かに聞けばいいかと千早は無言を貫く。人前で態度を変えるこの王子が本当に自分の味方かどうか判断がつかないのだ。余計なことは言わないに越したことはないと結論づけていた。


「ところでなんのチェックもなかったのですが、私がこのような場所に許可もなしに入って大丈夫なのでしょうか」


 危険物の持ち込みなどの確認もされなかったと不安になると、前を歩いていたファリシオンの緑の目が向けられる。そして千早の頭から足先まで視線を巡らせると薄い唇に笑みを浮かべて再び前を向いた。


「私が確認したし、私が許可を出した。これでいいな?」


 適当だなーと思わなくもなかったが、これ以上権力者にとやかく言う勇気もない千早は言質をとったと肯いて後をついていく。やがて奥に行きすぎてもう自力で元の広間に戻れないと思い始めたころに、ようやく銀の王子は足を止めた。


「ここは俺の部屋の一つだ。お前はここに現れた」


 そういってノブ一つとっても美しい細工がされたドアを開けて中に入っていく。部屋の中は廊下と違って日差しが差し込み、クリーム色の家具と薄紫の差し色が入った部屋はどことなく女性的な印象がある。


「こちらだ」


 ファシリオンがリビングのような作りの部屋につながっていたドアの一つを開けると、見覚えのある寝室に千早を招き入れた。入って目を引くのはオーク材のような緑がかったダークブラウンの木材で作られた重厚なベッド。天蓋は植物をモチーフにした刺繍がされたレースでベッドカバーは光沢のあるシルクに似た素材である。


 一目見て高級品だと判るそれらに見向きもせず、千早は天蓋の奥をじっと見つめた。

 空間が歪んでいるとか、魔法陣が刻まれているとか、日本語が書かれているとか、目に見える顕著な何かを期待していたわけではないが、あまりにも自然なそこに小さくため息を吐く。掃除はしてあるようだが使用していないのか空気が淀んでいて、千早は入り口から恐る恐る室内へと足を踏み入れた。


「ここは何度も調べた。空間魔法の得意な精霊サイガにも調べさせたが、怪しい点は一つもなかったよ」


 追い打ちをかけるようにこの世界のモノが調べてもおかしなところは何もないのだと、この国の第一王子が語る。


「ありがとうございました」


 室内を見回し、落ちてきたであろう場所を睨むこと数秒で千早は踵を返した。あっさりと部屋から出てくるとわざわざ案内をしてくれた王子に頭を下げる。


「もういいのか」


 翡翠の目がじっと見つめてくるが、視線を合わせない千早は床を見つめたまま小さく微笑んだ。


「十分です」


 笑ったのは理解したからだ。きっと紫色の渦巻く何かはもちろん、白く綺麗に光輝く何かがあったとしても千早は飛び込んでいくことはないだろうと。もしかしたら(・・・・・・)帰れる(・・・)かも(・・)しれない(・・・・)などというあやふやな可能性に命を懸けるほど、今はこの世界から逃げ出したいと思わなかったのだ。


 これが垢にまみれ、尋問という名の暴力を受け、冷たい牢屋で、言葉がまったく通じない人に(・・)似た(・・)生き物(・・・)に捕まっている時なら判らなかったが。

 王子の後について広間に戻りながら千早は小さく頭を振る。掻きむしりたいほどの胸の痛みを抱えながら、唇を引き結んで歩き続けた。







 美麗な王太子(ファリシオン)王太子(・・・)殺害未遂(・・・・)を犯した(千早)が別室に移動した広間は重い空気に包まれていた。不審者から精霊王を引き剥がした安心感で、貴族たちは自分たちが指摘した事実と現在の状況の矛盾には気が付いていないらしい。普通ならば殺害未遂犯とその標的を同じ部屋に通すなどありえないのだが、精霊たちの怒りはそんな当たり前のことすら忘れさせてしまうようだ。


 ラスニールは紅い目を細めて周囲を睥睨しながら国の重役たちを観察していた。

 レスタの病を詳しく知る者はわずかだ。国でも精霊か、王族またはそれに近しい者しか知らされなかった。もともと『魔女の呪い』自体患うものが少なく、さらに原因不明で不治であったことも隠ぺいする理由の一つだったのだろう。敬愛する精霊王の首を刎ねなければならないなどと、この国の国民に公表できなかったのだ。


 前の契約者を失って35年。それだけの長い間レスタが国の表舞台に立つことがなかったがゆえに、地下牢に幽閉されていた2年間も『精霊がまれにかかる言葉を失う病』の養生という言い訳が通じていた。けれど37年という精霊王の不在は他国から流れてくる精霊を人間以下とみる思想を蔓延らせ、精霊を持たぬプライドの高い貴族の間に精霊に対する嘲りを持たせるまでになっていたのだ。


「さて。では私に届いたいくつかの言い分から確認していく」


 不満そうに千早を見送っていた精霊4匹がラスニールの言葉でそれぞれ思い思いの場所でくつろぎ始める。


「まずはレスタが偽物かもしれないという話はあり得ない。正真正銘その精霊はレスタだ。そうだな? リーガ、ファイ」

「ああ」

「間違いない」


 自分の精霊のみならず王妃の精霊までへの確認に大小の蛇たちははっきりと頷いた。レスタの頭の上に乗っていたロイなどは当たり前すぎる事実確認に小さく笑う。


「そして彼が言葉を発したのは皆が聞いたな。レスタの病は完治した。これはチハヤの功績が大きいと聞いたが事実か? レスタ」

「そうだ。彼女が私の病を治してくれたのだ」

「あの者が病の原因ならば治すことも可能なのでは?」


 年若い青年貴族が誰もが考え付く反論を述べると、ラスニールは腕を組んで切れ長の紅い目を発言者に向けた。


「精霊を、しかも精霊王を病ませることのできる呪いか。できるのか? ファイ」


 騎士総団長自身の精霊ではなく毒や呪いを得意とする王妃の精霊(ファイ)に問えば、小さな黒蛇は発言者の前まで行って高い澄んだ声で答える。


「精霊なら可能かもね。でもさ、もしそんなものを作り出したなら、きっと同じ病でこの王都の人間くらいは死滅すると思うよ。精霊に効かない呪いが人間に効くことはあっても、逆は絶対にないからね」


 蛇ゆえに表情のない精霊は小首をかしげて問う。


「試してみる?」


 できなくはないという言葉の裏に気が付いたのだろう。反論した貴族の青年は丁寧に頭を下げて列に戻っていった。


「そして最後だ。レスタを脅して契約を結ばせたというものだが……まだ検証は必要か?」


 それは先ほどのやり取りで十分に理解していると思われたのだが、ここで出席していた数少ない女性の一人が数歩前に進み出て優雅に頭を垂れる。銀髪に青い目を持つその女性はセルスファム女公爵だ。彼女は国王の許可の元で顔を上げると張りのある美しい声で発言した。


「本来なら国政の場で精霊の契約者に関する議論を行う必要などないはずです。精霊たちの気ままで勝手な性分は、この国に居る者ならば誰もが知る事実。たとえ精霊王でもそれは例外ではありませんが、それを忘れた者もいるのでしょう。ですからこれ以上、無駄な議論をなくすためにも率直にお聞きします。レスタ様、この度の契約は正当なものなのでしょうか。何かあれば全力でお助けいたしますゆえ、正直にお答えくださいませ」


 毅然とたたずむ姿は貫禄があり、国の重鎮を担うだけの覇気を持ち合わせた女性の発言に貴族たちの視線は期待を含んでレスタへと注がれる。広間の中央にいたレスタは頭にネズミを乗せたまま王者の風格を漂わせ低い声で答えた。


「正当でなければ契約は結べない。そして精霊が契約者を選ぶのに人は口を出してはならない取り決めだ。破ればどうなるかは先ほど見せたはずだが?」


 凪いだ深く青いレスタの目が女公爵に向けられると、見つめあうこと数秒。王妃に似た容貌の女性は紅い唇に柔らかな笑みを浮かべて美しい礼をとる。


「失礼いたしました。そして遅くなりましたが契約者を得たことをお喜び申し上げます」


 貴族の筆頭である一公爵がとった礼に、背後にいた貴族たちも一斉に倣う。不満そうな者たちも場の雰囲気に合わせたことで貴族の承認を得たような形となったのを見計らって、それまで口をはさむことのなかった国王が立ち上がった。


「レスタの病が癒えたうえ、契約者まで得られたことはまことに喜ばしいことだ。契約者に関しては後見に名乗り出ているクランベルドに任せることにする。皆、ご苦労だった」


 臣下を労うと王妃を伴って退室していく国王を見送り、出席していた貴族たちも広間を後にする。残ったのは精霊たちとラスニール、そしてセルスファム女公爵だ。落ち着いた青いドレスを身に着けた貴婦人はそれまでの厳しい様子から一転、レスタの前に膝をついて柔和な微笑みを浮かべた。


「お久しぶりでございます。精霊王」

「やあ、クリスタリア。グランとは相変わらず仲がいいね。この間も会って早々君の話をきいたよ」

「あのバカ男! またろくでもないこと言ったんでしょ!」


 目じりをほんのり赤く染め、恥じらう姿は二人の子持ちとは思えないほど艶やかだった。そしてこんな事態に慣れてもいるのか頭を一振りすると真剣な表情で精霊王を見上げる。


「先ほどはお答えいただけませんでしたので、もう一度お伺いいたします。この度の契約は正当なものでしたでしょうか?」


 ごまかしも嘘も許さないとの姿勢にレスタは目を細めて視線を逸らした。ご機嫌で揺れていた尻尾もパタリと力なく床に伸び、ラスニールが大きくため息を吐いて天井を見上げる。


「レスタ」


 太く低い声が精霊王の名を呼べば、黄金のライオンはしぶしぶといった様子で重い口を開いた。


「正当だが事前の説明を怠った」

「それでどうやって契約の第一段階を踏んだんだ」


 体液の摂取など事前の説明があっても難しいのに、それを怠ったというレスタにラスニールが問う。一応は千早の後見という立場を忘れてはいないらしい。


「彼女は熱が出て泣いていたからね。涙や汗、その他諸々の体液を舐めとったのだよ。第一説明するにも言葉が通じなかったのだ。事後承諾も仕方がないだろう」


 鋭い真紅の視線にレスタは臆することなく言い切ると、フイッと意識と視線を廊下へと向けた。壁の向こうの何かを目で追う彼に、それが何かを察したラスニールは諦めてセルスファム女公爵を見る。


「これで納得するか?」

「するしかないでしょう。それにしても溺愛もほどほどになさいませ。あまり構いすぎると嫌われてしまいますわよ?」


 立ち上がり優美なお辞儀をしながら、どちら(・・・)にも言い聞かせるような助言をしたクリスタリアがゆっくりと退室していく。


「あとで部屋に行く。詳しいことはその時に話をしよう」


 忙しい身である騎士総団長は千早を待つことなくリーガの首を押さえて立ち去った。レスタはしばらく視線を迷わせると、入ってきた扉から急ぐ様子もなく歩み出る。


「王太子殿下と護衛騎士より伝言を預かっております。契約者様は北側の奥庭に行かれるようです」


 扉を守っていた騎士の言葉に礼を言い、巨躯のわりには音もなく悠然と歩みを進めるレスタは、どこか不安そうな眼差しで目的地へと向かっていった。








 ファリシオン王子に案内されて元の広間近くまで戻ってきた千早は扉の外にジークの姿を見つけた。旅装も解かず自分たちの為にただじっと待つ彼を見て足を止め、銀の王子に頭を下げる。


「ありがとうございました。ここで失礼します」

「貴女をレスタの元に返すまでが私の仕事だが?」

「大丈夫です。疲れてしまったので先に部屋に戻ります」


 にっこりと笑いながらなんとか断ると、無表情で千早を見ていたファリシオンはその緑の目に形容しがたい感情をかすかににじませてうなずいた。


「……まぁいい」


 言外に今回は特別だという雰囲気を滲ませて部屋へと戻る銀の麗人を見送ってから、ジークの元へと駆け寄ってお願いを口にする。


「待たせてごめんなさい。ですがお願いがあるんです。どこか一人になれる場所を教えてもらえませんか」

「レスタ様の部屋では」

「レスタの来ない場所で」


 詳しいことは何一つ口にせず、相手の予定も考えず、ただただ一人になりたくて千早を観察している男を見上げた。突然現れた千早に驚いたジークだったが、にこにことただ笑い続ける顔を見て扉の前で立番していた騎士にレスタへの伝言を頼むと黙って歩き出す。


 レスタも、ロイも、リーガもそばにいない。それなのに前を歩くジークは職務を忠実にこなしつつ、おそらく知人として千早の願いを聞いてくれているのだ。彼らの任務は王城までの千早の護衛なのだから。


 城の北側なのだろう、今まで歩いたことのない薄暗い廊下を進み、荒れているとは言わないが鬱蒼と木々が生い茂る庭のようなところに出た。日も当たらず、遠くから人の声がかすかに聞こえるそこでジークは足を止める。


「ここは人がめったに来ない。建物の窓も小さいし、聞こえる声は騎士団の訓練場から響いてきているから、多少大きな声を上げたところで誰も気づかない」


 そこまで語ってから建物から庭にでる入口へと戻っていき、思い出したように振り向いた。


「そこの小道を少し行くと東屋がある」


 そう言って黒髪の騎士は城の中へと姿を消す。

 千早はその背中を見送ってから人の背丈ほどの木に囲まれた東屋に入り込む。石造りのそこはひんやりとした空気に満たされていて城も木々に隠れて見えにくく、まるでたった一人で森の中にいるような気分になった。


「……っく、ふっ、うぅ」


 かぁぁと熱くなる目頭、漏れでる嗚咽、ぎりぎりと痛む胸と誰にも向けることができない怒りで頭がガンガン鳴り響く。


「うああぁぁ」


 一度漏れてしまえば泣き声をこらえることはできず、千早は世界を拒絶するようにただ体を丸めて力を入れた。

 死ぬのが怖かった。死にたくなるほど帰りたいと思っていたのに、落ちてきた場所を見たときに思ったのは恐怖だった。得体の知れないナニかがあるようで近づくことすらできず、無事に生きて落ちたことへの安堵が胸を占めて絶望したのだ。


 それから胸に去来した感情はレスタへの逆恨み。人が恐れるような不思議で強大な力があるのにどうして元の世界に還せないのだと、そう、思ってしまった。だからレスタのいない場所に行きたかった。レスタが悪いわけでもなく、レスタを責めたいわけではないことも千早は頭の隅で判っていたから。

 慟哭は東屋の石に吸い込まれ、漏れた声は風に千切れて消えていく。


 一時の激情は熱しやすく冷めやすいと千早は初めて知った。時間にして三十分も経っていないのに目はしばしばして頭は熱を持ち、鼻水が流れてしゃっくりが止まらず、疲れ果てて泣き終えてしまう。


「ヒッ……ヒック……っふ」


 メイサが持たせてくれたきれいなハンカチをぐちゃぐちゃにしながら、千早はベンチにうずくまって伏せていた顔を傾けて顔を横に向ける。


「冷たくて……ヒッ、気持ちいい」


 石のベンチに触れた頬が冷やされ目をつぶる。このままだと眠ってしまうと判っていても目が開けられず、もがくようにベンチに爪を立てるのと手の甲をざらりと舐められたのは同時だった。


「ごめん、なさい」


 呼吸を落ち着けながら暗闇の中でささやくと、いつもそばにあった若草のようなさわやかな匂いが体を包む。それはまるですべてを許すといっているようで、その安寧に千早の意識は闇の中へと落ちた。

 その様子をじっと見つめていたのは精霊レスタ。泣き疲れた千早の姿に青い目を伏せて鼻先で涙に濡れた頬に触れる。


「千早を、部屋に運んでもらえるか」


 目じりも鼻も赤くなり、唇をうっすら開けて浅い呼吸を繰り返す千早を見下ろしたレスタがともに付いてきていたジークに告げる。その声はいつもより低く、平坦で、かすかにふるえていた。


「かしこまりました」


 感情を含まぬ硬い声で了解したジークはぐったりと力の抜けた千早の体を優しく抱き上げ、極力揺らさぬように歩みを進める。なるべく人の通らない通路を使ってレスタの部屋に戻ると、巨大なローベッドへと力の抜けた華奢な身体を横たえた。


 常とは異なる様子の精霊王にメイサは黙って千早に上掛けをかけるとジークとともに無言で退室する。午後の日差しが柔らかく差し込む室内に動く影はなく、今はただ深く眠る千早に寄り添うレスタもまた、愁いを含んだまなざしを軽く伏せて静かに時を過ごしていた。


「初めまして~。小さくてプリティーな黒蛇の精霊ファイです~」

「リーガに続いて蛇の精霊ですね。多いんですか?」

「どうでしょう? 今のところこの国の主要な人間を契約者にしている蛇は私とリーガくらいですけどね」

「その理屈から言ったら、まだ人に知られていない精霊もいるってことなのかな?」

「精霊は気まぐれだから。契約者を持ったことがないモノもいるんじゃないかな」

「たまに精霊と気づかれずに人の家で飼われているモノもいるな」

「あ、リーガ」

「そうそう! ぼくなんか危うく駆除されそうになったことも何度もあるよ」

「俺も追いかけられたことがあるぞ」

「え? リーガも? こんなに大きいのに? 色だって白いし」

「そいつは『待て~! オレの飯~!』と叫びながら追ってきていたな」

「どんな野生児と遭遇したの」

「グランバルだ」

「……ああ、青騎士団団長さんね~」

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