異世界女子、年齢テンプレを体験する
このお話はファンタジーでフィクションです。ご注意ください。
結局雨は夜まで止まず、借りた民家で一泊することになった。宿屋ではないため寝室は二つしかなく、一つに千早とレスタ、もう一つにメイサとリズが入ることになり、身分的には一番高いはずの騎士総団長は護衛騎士たちと共に居間で雑魚寝するらしい。おそらく高位貴族であるというのに見た目に違わない豪胆な性格であるようだ。
就寝するために部屋に移動しようとした千早とレスタについていこうとしたリーガとロイが、それぞれ契約者に拉致されて不満を漏らすも大人ラスニールの一睨みで大人しくなり、穏やかに迎えた翌朝にはムキマッチョ騎士が美少年に変化していた。
「おはよう。よく眠れたか?」
「オハヨウゴザイマス」
爽やかな朝日の中で白い肌の線の細い少年が艶やかに微笑めば、正体を知っていても可愛いなぁと思ってしまう。昨日の美丈夫な容姿を知っていればなおさらだ。
なぜか騙されたような悔しい気分になった千早と一行は昼近くに村を出発した。
昼になったのは前日に仕留めたイノシシもどきを強面騎士ガレインと双子騎士クロルが無事に回収してきて、宿泊の御礼に村へと解体して渡してきたためだ。お金になるような希少な部位はジークたちの報酬になるようだが、肉は持ち運びがしにくい為に旅の間に食べる分だけ持ち運ぶとか、街まで持ち込んで換金してしまうのだという。
今回はこの国でも一番大きな街道を使っているので携帯食などほとんど必要ないし、仕事中なのでわざわざ街まで運んでまで換金する暇もない。害獣ということもあり討伐するのは騎士の仕事で、ただ腐敗させるのはもったいないというラスニールの考えで回収されたのだ。意外と庶民感覚が身に付いた人だなぁというのが千早の感想である。
ちなみに昨日討伐したイノシシもどきは村人でも手練れが三人ほどいれば狩ることのできる、比較的安全な動物だったらしい。アレが安全だということは危険な動物と言われるものが一体どのような生き物なのか、千早には想像することすら難しいだろう。
とにかくその半日の間に村人との交流もあり、人々の精霊への考えがよく判って千早としては大変有意義な寄り道でもあった。
「じぞう?」
本日の御者はガレインで、多少水分を含んでいるものの整備された街道は荒れることがないため、雑談する余裕もあるらしい。低く落ち着いた声で言葉の意味を問う彼に、千早は湿気を含んだ気持ちのいい風で乱れる髪を押さえながら楽しそうに頷いた。
「そう。私の国にいる神様の一人で、子供や弱い人を助けると言われてるの。決まった社……家を持たなくて人々を救済するために歩き回ってるっていう、ちょっと変わってるけど庶民に愛されてる神様よ」
村人が精霊たちに示した態度はまさにそれだった。拝んで尊敬しているけど、親しげで身近な存在といった雰囲気は異世界といえども変わりはない。子供の姿とは言え騎士たちが丁重に接し、どことなく高貴な空気を漂わせるラスニールには話しかけることすらしなかったところを見ると、平民にとって貴族というのは精霊よりも近寄りがたい存在なのだろう。
「対価は取らないのか?」
人を助けるという言葉に反応を返してきた彼に、千早はしばらく考えてから口を開いた。
「そうねぇ……品行方正、貧富に関係なく清く正しく生きていれば助けてくれる、かもしれない?ってくらいよ。助けてもらった人が食べ物なんかをお供えすることはあるけど、あくまでそれは人の善意で、要求された報酬ではなかったわ」
小さく相槌を打った寡黙騎士は「確かに」と言葉を続ける。
「精霊信仰と言われるくらい、この国では精霊が平民に近しい存在ではある」
「他の国では違うの?」
「まず精霊の数が違う。俺もあまり詳しいことは知らないが、生きているうちに精霊に会えれば幸運と言われているらしい」
まるで縁起物か希少生物の扱いだと思わなくはなかったが、そこまで精霊の数に差があるとは思わなかった。そこからふっと点と点が繋がってガレインの精悍な横顔を見上げる。
「もしかして他の国の身分の高い人たちからは、動物の姿をしているからという理由で人よりも格下扱いされてたりする?」
彫が深いために陰になっている男の黒い目が、言い当てられて動揺するように千早に向けられた。思わぬ激しい反応に慌てて言い訳めいた話を続ける。
「滅多に会えないってことは精霊を知る機会が少ないってことと、あの緑服たちのジークへの態度で推測しただけ」
精霊を人間以下だと思っている考えは、契約者を侮蔑することにつながる。それを目上に隠しながらでも格下に態度で出す程度には知られている考えなのではと思ったのだ。
貴族である緑服たちが平民の考えを支持するとは考えにくいので、残りは他国の王族や貴族、裕福層の考えなのかもしれないという千早の推測が当たったことになる。
「各国の王族は精霊の意味を正確に把握している。ただ、どこの国にも身分があって考えの浅い者というのはいるものだ。そういった輩は精霊に嫌われることが多いから、侮辱的な考えをすることが多いぞ」
いつの間にか馬車に並んだラスニールが、ガレインでは言いにくいことをキッパリ言葉にした。
なるほど。よく知らない生き物でまれに会えても嫌われていれば侮辱したくもなるだろう。もう少し気を遣ったらどうかと思わなくもないが、自由奔放な精霊たちにそれを期待しても無駄なことくらいは千早にも判っていた。
「精霊も居心地のいい国にいたいと思うらしく、この国への移住を止めることはできないしな。あまりに精霊が多すぎるので、そのうち精霊に国を乗っ取られるなんて揶揄されたりもするが」
まったく現実的ではないと判っていて話すラスニールは黒く朗らかに笑う。背中に冷たいものを感じながらも千早は外にいる精霊を見ながら苦笑した。レスタは再び他の精霊にあいさつ回りに行っているし、ロイはジークの騎馬の頭の上で腹を見せて昼寝中で、リーガに至っては馬車の上でテロンと伸びながら日向ぼっこをしているのだ。彼らが国を乗っ取るなどと、どれだけ想像力が逞しくても思いつかない気がする。
「言葉は通じるのにね」
言葉が通じなくともロイもレスタも優しかった。態度と眼差しだけでもあれだけ判るのに、偏見とは言葉を交わしても解けないものらしい。
千早がポツリと呟くとガレインの大きな手が頭に伸びてきて撫でてきた。黒い手袋を付けた手は思いの外優しく千早の髪を滑り、元気づけてくれているのだと気が付いたのは彼が前を向いた後だった。
「ありがとう。でもレスタもいるし子供じゃないから大丈夫だよ」
千早の不安を見た目にそぐわない敏感さで察知した大柄な騎士に笑いかければ、髪と同じ灰色を濃くした目が再び驚いたように向けられる。視線が合って数秒。見た目とは反対の柔らかい雰囲気を漂わせる強面騎士は何気ない様子で質問を口にした。
「チハヤはいくつなんだ?」
「ハタチ」
「はたち?」
「二十歳」
もしやこの流れは異世界転移をした日本人によくあるアレだろうか、と千早は笑いをこらえながら答える。
「「「「にじゅう……」」」」
「思ったより年がいってたな」
若干一名腹黒ショタジジィの腹の立つ発言があったが、その他はおおむね予想された反応にニンマリ笑っていると。
「俺と同い年か」
「ウソ?!」
ガレインの言葉に千早が仰天した。
二日目の激しい雨以外のトラブルもなく千早たちは無事に城に戻ってきた。
出発時とは反対に正面から堂々と門を潜ると、制服を身に着けた数十人の騎士たちがずらりと並んで一行を出迎える。その様子は優美な造形の白亜の城を背景に圧巻で、千早は緊張に固くなる身体でレスタのたてがみを握りしめた。
さすがに御者台に乗っての帰城はできなかったので大人しく馬車の中にいるが、ラスニールがいるということを失念していた千早はレスタと共に先に入ればよかったと後悔しきりである。
「ラス様って偉い人なんだね。なんだか気さくでつい忘れちゃうよ」
小窓から外の様子を覗きながらつぶやくと、レスタが頬に耳を擦り付けながら低く笑った。
「彼は王弟だからな。砦と王城を行き来しているからそれほど大仰でもないし、今回の帰城は急だったから必要最低限の出迎えしかおらぬよ」
「これで最低限かぁ。文字通り世界が違うね」
無表情で騎馬を操る少年を覗き見ながら厳かな雰囲気の中を進んでいくと、正面にいかにも高そうな服を着た男が五人で待ち構えていた。
「出迎えご苦労」
少年特有の高い声が、それでも威厳をもって発せられる。ラスニールが下りた馬を騎士の一人が引いていくのを見送ってから、彼は振り向かぬまま片手を馬車に向けて振った。この場を離れて先に行けの合図に慌てたのは出迎えていた五人である。どういった意図があったのかは判らないが、彼らはここで千早かレスタに会いたかったらしい。
「何か問題か」
見た目以上に大人なラスニールは愛らしい顔に冷ややかな表情を浮かべて男たちを見上げた。それだけで男たちの口を塞ぐのだから、彼の実力は見た目に左右されるものではないようだ。さらに彼の本体を知っていれば機嫌を損ねるのは得策ではないと誰もが判っているのだろう。
これ以上の問題はないと判断した騎士総団長が軽く指を振ると、護衛のジークたちは心得たように馬車と共に動き出す。もちろん馬車の中では千早が安心から体の力を抜いていた。
「千早」
名を呼びながらリーガが音もなく窓から入ってくる。
「どうかした?」
てっきりラスニールと共に行くと思っていた白蛇に首をかしげると、感情で動かないはずの金の目が彼の契約者と似た黒い雰囲気を漂わせながら笑った気がした。
「私は目立つからね。良い例になるそうだよ」
確かにリーガは目立つだろうが、それと良い例の接点が分からないと首をかしげる千早。不安を感じ取ったのか鼻を擦り付けてきたレスタが耳元でささやいた。
「何も心配することはないよ。そなたは私の契約者なのだから」
大人の落ち着きを感じさせる低い声に頬を染めながら千早は小さくうなずくと、意思のこもった強い眼差しで出発時と変わらない王城を見上げる。戻ってきたと思えるほど愛着のある場所ではないが、それでもなぜか安堵が胸を占めて複雑な気分になった。たぶんここがレスタの帰る場所だからかもしれない。
「着いたよ、千早! このまま王様にあいさつに行くんだろう?」
千早の肩から離れなかったロイがこれからの予定を確認すると、メイサの眉がピクリと動いた。これば別にメイサがネズミ嫌いなどではなく、貴族世界の常識に反している予定に憤っているのだ。
これから千早はすぐさま国王の謁見に臨み、ラスニールの帰還報告に便乗する形で奇襲をかけるらしい。奇襲ってナニ?と首をかしげる千早にラスニールはいい笑顔で答えた。
『お前の帰還を待ち構えている連中がいるらしい。身元不明の精霊王の契約者など前代未聞だから判らなくもないが、精霊が選んだ契約者を人が否定することなどあってはならない。だから奇襲をかけることにするぞ。俺の帰還報告にお前を伴って国王の承認を与える』
レスタの契約者という立場を国王が認めることで明確化し、さらにラスニールに伴うことで彼の保護下にあると知らしめるらしいのだが、それには途中で邪魔が入らないようにしなければならないのだ。そのため帰還後に休むことなく謁見へと向かうのだが、メイサに言わせればそれは身支度の必要ない男の考えだという。
「そうらしいね。ロイはジークと一緒かな?」
旅程の半分を過ぎるころにはジークたちとお互いの名を呼ぶのに敬称がつかなくなった。四六時中ともにいれば人となりも判って、年齢が近いことも相まって友人と呼べるほどには親しくなったのだ。
「僕も千早と一緒に行く。クラウンベルドのおっさんが楽しそうなことをするみたいだから見学するんだ」
うきうきとした様子がまるわかりのネズミは、ヒクヒクとヒゲを動かしながら白蛇を見上げる。
「だからリーガも一緒だし、途中で変なのから千早を守ってやるよ」
腰に手を当てて自慢げに胸を張る小さなネズミに千早はありがとうと笑いながら立ち上がった。扉を開けて待つジークは相変わらず真面目な凛々しい表情で手を差し出しながら周囲を警戒する。
雨宿りしたあの時以来、ジークは水色の目に熱のこもった感情を浮かべることはないが、それでも時折視線を感じて顔を上げると目が合うことが多かった。ラスニール曰く、千早には精霊を惹きつける何かがあるらしい。それが何かは判らないが、契約者ではない千早をまるで契約者のように慈しむ精霊の感情に、精霊の契約者が影響されているのだという。
『お前自身に魅力がないわけではないからな?』とはショタジジィの余計な一言だが、その言葉にちょっぴり慰められたのは内緒だ。
ジーク以外のメンバーにお礼を言って別れ、旅装のまま城内を歩く一行に声をかける者はいないが、驚いて足を止める人々は見える。肩にロイと両脇にレスタとリーガを伴った千早は居心地悪く感じながらもまっすぐ前を向いてジークの後に続くと、やがて巨大な扉の前で成人姿のラスニールが不機嫌そうに唇を引き結んだまま待っているのが見えた。
扉の前に立っている騎士たちが青い顔をしているのを横目に見ながら人目があるので黙ったまま合流すると、鋭い紅色の目が見下ろしてきて白い手袋に付け替えた大きな手がおもむろに千早の黒髪をなでる。馬車から離れるまでは機嫌が悪いようには感じなかったからここに来るまでの間に何かがあったのだろうが、これはいったいどういうことだと困惑している間に何かが解決したらしく、ラスニールはいつものようにニヤリと笑って口を開いた。
「入ってからの手順は覚えているな?」
「ラス様について歩いて、止まったらおじぎして、王様が頭を上げていいよって言ったら顔を上げて、あとは黙って話を聞いていればいいんだよね?」
頭の中で反芻しながら指折り数えると、低くて掠れた声がいい子だとささやき少し強めに頭を撫でられる。それが終わるとメイサが無表情で髪を直し、「いってらっしゃいませ」ときれいなおじぎをした。
ジークとメイサに見送られながら巨大な扉をくぐると、きれいに磨かれた淡いクリーム色の石の床に踏み出す。右手側の壁には高い位置に窓があり柔らかな日差しが室内を照らしていて、左手側には身分の高そうな男性たちが値踏みするような視線を向けながら並んでいた。
ざわざわと小声で話す声の中をラスニールは気にも留めず堂々と歩いていく。千早もレスタのたてがみに触れながら後に続き、広間の最奥にある高座で豪華な椅子に座る国王の前で足を止めた。
「ただいま帰還いたしました」
発せられたラスニールの声は決して大きなものではなかったが、広間は一瞬にして静寂に包まれる。緊張感で張り詰めた空気の中、右手を胸に当てて頭を下げていたラスニールと両手を前に揃えておじぎをしていた千早に国王が顔を上げるように言う。
千早はラスニールが上げたのを確認してからゆっくりと視線を上げると、見覚えのある柔和な微笑みを浮かべたサラディウス国王と歳を召してはいるが上品な微笑みと気品を兼ね備えた貴婦人がこちらを注視しているのが見えた。背後にはジラール近衛騎士団長と初めて見る緑騎士の制服を着た男性が立ち、さらに国王の隣では青年が無表情で見下ろしていたが、千早は彼をどこかで見たような気がしてじっと見つめ返す。
どこで見たのかもう少しまで出かかっているのだがどうしても思い出せず、頭の中で首をかしげている間に国王とラスニールの話は進んでいた。
「では紹介いたします。彼女がレスタの契約者のミナガワ・チハヤ。この国の名乗りならばチハヤ・ミナガワとなるようです。彼女は精霊の癒し手として異なる世界からこの国へと落ちてきました」
「ほう」
名前の順序が逆だったことを知った国王が興味深そうに笑う。嘘はついていないが後ろめたくて視線を迷わせる千早は自分につけられた妙な役職名に動きを止めた。
「クラウンベルド閣下。そのようなでたらめを信じておられるのですか」
千早が呆けている間に、脇にいた貴族たちの中から偉そうな男性が白髪交じりの髪を振りながら話に入ってくる。
「フランカル卿。今は陛下への報告中です」
玉座に近い場所に立っていた眼鏡をかけた男性が止めようとするが、フランカルと呼ばれた男は恭しく国王に一礼すると堂々と発言を続けた。
「虚偽の報告を止めるのも臣下の役目。陛下、その者は王太子殿下暗殺をもくろみ捕らえられた罪人で、病のレスタ様を誑かしたにすぎないかもしれぬのです。どうかレスタ様からその者を離し、真偽をお確かめください。もしかしたらレスタ様は王族の方々の命を盾に脅されているのかもしれません。その者を渡してくだされば必ず白状させましょう」
「レスタ。そうなのか?」
あまりにも堂々と主張するので何か証拠でも持っているのではないかと思った千早だが、逆に国王は機嫌の良いまま軽くレスタに聞く。千早の隣でおとなしく座っていたレスタはたてがみを揺らしながら発言した男を見て不思議そうに首を傾げた。
「そのような事実はないが……一つ理解できないので質問しよう。なぜ王族の命を盾に取られたからといって私が言うことを聞くと思ったのだ? 私は精霊だ。契約者を守りはするが、契約を交わしていない者まで守護するつもりはない。たとえそれがサラディウスであったとしてもだ」
唖然とはこういう表情を指すのだろうなと思えるほど見事に呆けた顔でレスタを見る男は、震える唇で自分の中の事実を語りだす。
「ですが貴方は精霊王だ。これまで幾人もの王に仕えこの国を守護してきたはず。ならば王族を守るために……」
「私は精霊だ。契約者が守るものを私も守ったにすぎない」
「ではその者が契約者であることが間違いです! 王太子殿下を筆頭に王族の方々にはまだ精霊を持たぬ者も大勢います。せめてその中から」
「精霊が契約者を選ぶのに人は口出ししてはならない」
穏やかに、けれど反論を許さぬ強さでレスタの言葉が広間に響いた。
「それが精霊と人の取り決めだ。取り決めを守らぬ者には罰を与えねばならぬ」
千早のワンピースの裾がふわりと浮かぶ。風のない室内で風とは異なる何かが吹き始め、隣に並ぶ黄金のライオンの目が青く輝く。千早にとってはそよ風程度しか感じないのだが、一歩前に出ていた発言者は腕で顔を庇い膝をついて身を屈めていた。
「レスタ……」
少し怖くなった千早が名を呼べば空気の動きは一気に沈静化する。不安でレスタを見ると凪いだ青い目が落ち着かせるように笑い、たてがみを二の腕に擦り付けてきた。どうやら本気で怒っているわけではないようだが、なぜこんな過激な行動に出るのかと首をかしげていると今度はリーガが千早の前に出る。
「どうやら心優しいレスタの契約者が罰を止めてしまったようだ。では自然の理により次は俺の番だな。残念だが俺の契約者は千早ほど優しくはないぞ?」
金の目が震える男を見下ろし、声は無感情に紡がれた。いつもと違う様子の白蛇に千早はレスタのたてがみを握る手に力を籠める。二股に分かれた真っ赤な舌を出し入れしながら音もなく近づいていくリーガを見て尻もちを付いていた男は慌てて立ち上がると列の中へと戻っていった。
「リーガ」
タイミングをみたラスニールが自分の精霊の名を呼び、いつの間にか浮いていた氷の槍が重力に従って落下し砕ける。それはもしラスニールが止めなければ無差別に罪人を狙ったのではないかと人々に思わせたらしく、発言した男の周囲から人が消えた。リーガは男をちらりと見てから不満そうに千早に近づき、頭をうなじへと擦り付けながら目をつぶる。
旅の間に教えてもらったのだが、リーガが目をつぶるのは感情のコントロールをしている時らしい。細身のわりに大食いな彼はよく千早を見ていて目をつぶった。つまりはそういうことなのだろう。
それを知ってから千早はなるべく目をつぶっているリーガを労うことにしている。だから今も滑らかでひんやりと冷たいうろこをそっと撫でると、満足したらしい彼はおとなしくなった。
「これは……本当に精霊を癒すのね。初めて見たわ。リーガが人に甘えるなんて」
静まりかえった広間に響いたのは国王の隣に座っていた女性の声だ。王妃である彼女はきれいな銀髪を揺らしながら立ち上がり、段下にいた眼鏡をかけた男性にエスコートされて近づいてくる。
「クラウンベルド閣下と結託しているわけではないのよね?」
そういって王妃が小さく首をかしげると耳を飾るイヤリングがきらりと光る。まるでおもちゃかのような大きなルビーに驚きながら、彼女の扇を持つ手首が目に入った。萌黄色の落ち着いたドレスには似合わぬ真っ黒な腕輪だと思っていたのだが、よく見れば小さな黒い蛇が二重に巻き付いていたらしい。小さな頭に深紅の目で見上げてくる精霊が興味を持ったように王妃の手首から離れる。
「結託し私たちが芝居を打ったとしても彼女がレスタの契約者である事実は変わらないでしょう。ではそれでも芝居を打つ理由はなにかありますか?」
答えたのは事態を見守っていたラスニールだった。城の外とは違う澄ました顔で物腰も穏やかに、けれど鋭い紅眼に愉悦の色を隠しながら王妃に問いかける。すると王妃はほほ笑んでいた口元を扇で隠しながら青い瞳を周囲の貴族たちに巡らせた。
「閣下は騎士団の総長を務め、さらに王弟でいらっしゃいます。皆が不審を感じたからと言って簡単に口に出すことはできませんわ。ですからわたくしが代わりに聞いているのです。何も知らない娘をレスタの契約者に仕立て上げ、リーガのみならずレスタまでも手に入れて王座を狙うのではないか、と」
緊張を孕んだ不穏な空気が二人の間に流れ、大勢の人がいるというのに衣擦れの音すらしない。
「もしそうだとして、俺が王座に就いてはいけない理由があるか?」
「ありませんわ。血筋も正統で騎士団では人望も厚い。だからこそ皆は不安を感じるのです。好戦的な貴方がこの国を戦に導くのではないか、と」
千早は言い合う二人に挟まれながらも、どうしても足元が気になって仕方がなかった。先ほどから王妃の手首から離れた小さな黒蛇がじっと見上げてきていたのだ。広間の全員が王妃と騎士総団長の会話に神経を集中しているというのに、精霊はそんなことなどお構いなしに請うように小さな赤い舌を出し入れる。
言葉に出さないだけ気を使っているのかもしれないと思わなくもないが、なにも今ここでなくてもと思いながらレスタを見たが彼も黒蛇の匂いを嗅いでいるのを見て、千早は諦めて人目を惹かないようにゆっくりとしゃがんだ。
本来なら自己紹介から始めるのだろうが、残念ながら庶民の千早はここの空気を壊すほど能天気にはなれず、小さく頭を下げて挨拶するとそっと手を差し出す。黒蛇が望むなら乗ってくるだろうし、必要ないのなら無視するはずだ。精霊ではない可能性もあるが、レスタからの注意もないし肩に乗ったロイも静かに成り行きを見守っているので危険はないだろうと勝手に判断したのだが。
小さな黒蛇はしばらく舌を出し入れして匂いを嗅ぎながらじっと千早を見つめていたが、やがてそっと手のひらに乗ってきた。いつまでもしゃがんでいるのも失礼だろうから静かに立ち上がって反対の指で黒蛇をそっと撫でてみると、小さく口を開けて指の腹にカプリと噛みついてくる。どこからか「ひっ」と引き攣るような声が聞こえてきたが、されたのは甘噛みだ。牙を立てているわけではないから痛みは全くないと、千早は小さな蛇の好きなようにさせていた。
一瞬某有名アニメの主人公のようだとは思ったが。
「ああ……もう我慢できないわ!」
小さくて可愛いなぁと愛でていた千早は、溶けるような響きを含んだ言葉でようやく王妃とラスニールの会話が途切れていたことに気が付く。それどころか広間にいた全員が千早を見ており、なにかまずいことをしたのかと狼狽えている間に甘い匂いのする柔らかな肢体に抱き着かれた。
手の中の蛇を潰さぬように注意しながら抱きついてきた人物を見ると、それは先ほどまで威厳を漂わせた美貌の王妃。頬を紅潮させ目を輝かせて、まるで恋をした乙女のように優しく千早の髪を撫でているのだ。助けを求めるように男前騎士総団長に目を向けると、彼はまたしても澄ました笑みを浮かべて質問してくる。
「お前はその蛇が怖くないのか?」
「……黒くて小さくて、澄んだルビーのような赤い目がとても可愛いと思うけど」
千早はどちらかというと毛虫とか芋虫とか足の多い生き物のほうが苦手で、光熱費と生餌さえなければペットとして飼おうかと思うくらいには爬虫類が好きだった。
「その蛇が一噛みで大人をも死に至らしめることのできる毒を持つ蛇だとしてもか?」
「…………知らなかった」
どうりで悲鳴が上がるはずである。王妃が連れていた事実とレスタが止めなかったという理由から気軽に触れたが、普通は怖がるものであるらしい。
「でしょ! うちの子、可愛いでしょ! 嫌われなければ噛まないって言ってるのに、みんな怖がるのよ。ファイも気に入ったようだし、貴女、私の後宮に入る気はないかしら」
王妃の身長は頭一つほど高い。ヒールを履いているがそれでも千早より高い身長に銀糸の髪、宝石のようなサファイアの瞳と磨かれた肌は真珠色に輝き、たおやかな指の先の動きまでなめらかで纏う匂いが甘く漂う。
「なんというか……同性でも惚れそ……こうきゅう?」
聞きなれない言葉を聞き返すと同時に太い腕が首に回されて後頭部が壁にぶつかった。黒い騎士服を着た壁は王妃の腕の中から千早を引き剥がすと、身体の底に響くような低い声で威嚇するように言葉を発する。
「チハヤ。王妃陛下は俺と同じで、どちらも愛せる人間だ」
「一番は陛下ですけど。それに貴方に言われたくはないわね」
同族嫌悪なのだろうか。千早を後ろから羽交い絞めにしたまま苦虫を噛んだように渋い表情を浮かべるラスニールは「しっかり保護しとけ」と言いながらレスタへと引き渡す。黒蛇を持ったまま解放された千早に王妃は麗しい笑顔を向けて小さく首を傾げた。
「それにしてもみんなが知っている毒蛇を知らないのなら、この世界の人間じゃないという話も案外事実なのかもしれないわね。ファリシオン。どう思う?」
ここで初めてでた名前に一歩前にでてきたのは国王の隣に立っていた表情が動かない青年。王妃譲りの銀髪に国王と同じ翡翠の目、男性なのに美しいと思わせる整った顔立ち。今まで出会った男性陣に比べると線が細く神経質そうに見えるが、それでも服の下にはしなやかな筋肉があるはずで……
「あ」
どこかで見たことがあると思っていたのだが、彼は千早がこの世界にきて初めて見た人物の一人だった。筋肉のついた体だけではなく引き締まった臀部もフィニッシュ寸前の大事なところも見ていたはずなのだが、その後のトラブルですっかりその存在を忘れていた。
「転移に失敗したという報告は近衛から受けています。異世界だろうが他国だろうが構いませんし、精霊の癒し手といわれても私に契約している精霊はおりませんので真偽のほどは判りかねます。ただ、その者の言葉がこの大陸のものではなかったことだけは証言しましょう」
出会ったときに激怒していたのでてっきり嫌われているとおもっていたのだが、どうやら見た目に違わない冷静な性格の人物らしい。見られた方にしてみれば恥ずかしい出来事であるにも関わらず、ファリシオン王子は千早から目を逸らさずに無表情のまま事実を語ってくれた。
「ですが」
国王と同じ緑の目がすがめられ、身長差も相まって壇上から見下ろされる。
「臣下の不安を取り除くのも王族の務め。私が尋問をします」
冷ややかな声で尋問と告げられ、千早の体が大きく震えた。思い出すのは絶望の日々。人としての尊厳を奪われ、暴力を振るわれて精神をすり減らす孤独と恐怖。
様子のおかしい千早に気づいたのか黒蛇が心配そうに手首に巻きつくも、耐えきれなくなって片足を一歩引いた。
「千早」
カタカタと震える体は硬直して視線は王子に向けられたまま唇がわななく。
「千早。私を見なさい」
視界の隅に入り込んだ黄金に手の甲をザラリと舐められて、千早はようやくレスタへと恐怖に染まった目を向けた。
「ここから離れたいか?」
低く温かい声が助けを口にして、蒼天の色を宿した目が強い意志を持って見上げている。人目もはばからず抱きつきたいのを堪えるのが精一杯の千早は、冷や汗で湿る手でレスタのたてがみを握りしめて固まっていた。
「尋問を受けたくないということはお前になにかしらの罪があると認めることになるが、いいのか」
様子のおかしい千早に畳みかけるように告げる美貌の王子を威嚇するようにリーガが視線の間に割り込む。大蛇も黒蛇もネズミも、じっと王子を見てはいるが何も発言しないのは精霊と人の取り決めで決まっているからだろう。
それでも視線で、態度で、精霊たちは千早の味方なのだと主張していた。なによりレスタが王子に背を向け、じっと千早を見つめて動かないのだ。レスタにとって大事なのはどちらなのかを明確に示したその態度に、千早はようやく落ち着きを取り戻す。
レスタは何も語らない。出会ったころのように穏やかに暖かい光を青い目に浮かべて見つめるだけだ。けれど千早にはそれで十分だった。言葉が通じない頃に比べたらレスタの言いたいことなど手に取るように理解できるのだから。
大きく息を吸い込んで酸素を脳に行き渡らせる。緊張に固まった体をほぐすように白くなるほど握っていた手から力を抜いて顔を上げると、視界が鮮明になり周囲の状況が見えてようやく頭が働いてきた。
「私はなにも悪いことはしていないので尋問を受けるつもりはありません。けれど質問があれば答えられることでしたら正直にお話しします」
腹に力を入れるが緊張と恐怖で声は震える。それでもレスタの隣にいるためなら千早はなんでもするつもりだった。そう覚悟を決めてしまえば勇気が湧いてくる。
そんな千早を見ていた王子は不愉快そうに眼を細めると、レスタにここに留まるように言い置いて付いてこいと歩き出した。
「ファリシオン王子」
歩き出した千早を止めるようにレスタが王子へと話しかけ、歩みを止め振り返った彼に精霊王の視線が突き刺さる。
「王子がどのような結論に達したとしても、彼女を必ず私の元に返してほしい。それが契約者と離れる条件だ」
破ればどうなるかなど先ほどの騒動を見ていれば容易に想像できる。それでも王子は面倒くさそうにうなずいた。
「隣の控室に連れていくだけだ」
そう告げると歩いて退室する。千早はその場でお辞儀をすると黒蛇とネズミを床にそっと置いてから騎士が待つ扉の向こうへと歩いて行った。
【次回嘘予告】
「よくも、よくも私のレスタを取ってくれたな! 彼は私の大事な精霊だ。子供のころからレスタの契約者になるためだけに私は生きてきたのだ! レスタのためなら私は身も心も捧げても構わない。いや、むしろ捧げさせてほしい! 雄同士だろうとかまわない。私がレスタを受け入れればいいだけだ! レスタに痛い思いは絶対させないのに……どうして……こんな雌を……」
「これは引くわー。王子様、本音ただ漏れでドン引きだわー。大丈夫かー、戻ってこいー、それ以上はムーンに行かないとマズい内容よー(棒読み)」
「はぁはぁはぁはぁ。契約者を傷つけられまいと睨むサファイアの視線にゾクゾクする。吹き付ける殺気で頭が真っ白になったぞ」
「はい、アウトー。執事さん! この人回収してー!」