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異世界女子、精霊の愛し子になる  作者: サトム
一章 異世界女子、精霊の契約者になる
4/26

異世界女子、近衛騎士団長にときめく

この物語はファンタジーでフィクションです。

 で、結局。

 いよいよ明日出発だね~と意外と楽しみになってきた千早とレスタの前に、なにやら徹夜明けのような酷い顔でぐったりしたジラール近衛騎士団長と、こちらは初見の青い騎士服を着た青年と中年の間くらいの男性が訪れたのはおやつを食べた後だった。


「おくつろぎのところをお邪魔して申し訳ありません、レスタ様。チハヤ殿。こちらは青騎士団のセルスファム団長です」

 紹介された男性はどこかで見たような柔和な笑みを浮かべながら騎士らしく背筋を伸ばして会釈する。今まであった人の例にもれず何を考えているかはさっぱり分からなかったが、言葉は通じるのだ。とにかく話を聞いてみようと千早は定位置に座って黙っていた。


「レスタ、どういったいきさつかは知らないが言葉を取り戻せて良かったよ。安心した。そして契約者殿。私はグランバル・ジル・クリーク・セルスファム。セルスファム公爵の夫で青騎士団の団長をしている」

 はきはきとした物言いに裏のなさそうな笑顔。挨拶もまともで、数日前に来た男よりはよほどしっかりしているようだ。


「初めまして。皆川千早です」

 必要最低限の挨拶と自己紹介、そして頭を下げた千早は小さく笑みを浮かべて客人を見た。そんな千早の様子を見てセルスファム団長は何事かを納得したようにうなずく。


「とても可愛らしいお嬢さんじゃないか。黒と緑の連中は本気でこの可憐なお嬢さんが王太子殿下を殺害しようとしていたと考えたのか? いくら閨を襲われたといっても彼はあれで腕が立つんだぞ。毒やものすごく凝った呪術でもない限り、あの性欲……ゴホン、生命力旺盛な殿下を殺すのはこの子には無理だろう。これだから相手の力量も読めない弱い輩は嫌いなんだ」


 途中に聞き捨てならない情報を交えながら青騎士団団長は同意を求めるように近衛騎士団長を見た。一緒に貶されていたはずの黒い騎士服を着たジラールは疲れた顔に更に疲労を滲ませる。あまりの憔悴ぶりに同情した千早が脇に控えていたメイサを見ると、彼女は心得たとばかりに頷いて部屋を出ていった。


「グランも相変わらずだな。君の元気そうな姿を見るととても安心するよ」

 青騎士団団長の暴言に近い発言をものともせずに話を続けるレスタ。こちらはこちらで慣れているらしく楽しそうに笑うセルスファム団長の思い出を話してくれた。


「グランは今ではこんなに体格の良い健康な男性だが、子供の頃はしょっちゅう熱を出す子だった。彼は公爵家に婿に行くまでここで暮らしていたから、私はよく彼の話し相手になっていたのだよ」

「そうなんだ。子供の頃はずっとベッドで過ごしていたくらいで、季節の変わり目ごとに死にかけて両親を心配させたものだ。いってはなんだが当時は色白でこの通りの銀髪に色素の薄いブルーの目だったから、大層な美少年でね。うちの奥さんも初夜の後に『身体はゴツくなってるし、体力が無尽蔵って!! 私の可愛いグランを返して!』って叫んだくらいに健康になったんだよ」


 多分違う。奥さんが叫んだ意味はきっと違う。突っ込みたいが相手は偉いお人のようだし、ここは大人しく話を聞くことにする。

「それで明日の件なのですが……」

 無理やり本筋に話を戻そうとした近衛騎士団長の前に見覚えのあるクリーム色のドリンクが置かれた。体力が最低値だった千早を何度も復活させたあの不思議ドリンクである。話を切られた形のジラール団長だが、それが何なのかが判るとメイサに頭を下げて一気に飲み干した。


 見ているだけであの酸味を思い出し唾液がジュワリと口の中にあふれてくる。

 あれはサロフルフルという木の実(?)のジュースで、滋養強壮に効く日本でいえば栄養ドリンク的なものらしい。飲む人の体調によって酸味の強さが変わるのだという異世界ドリンクである。ここに来た初日に飲んだ時はかなりすっぱく感じたと言えば、メイサに『チハヤ様はずいぶん体力がおありになるのですね』と感心されたのだ。健康な人が飲めばかなりすっぱいでは収まらないらしい(「どうなるの?」と聞いたら「飲んでみますか?」とにこやかに言われたのでやめておいた)。


 今飲み終えたジラールは厳ついお顔に真面目そうな表情がデフォルトだから、どれだけの酸味を感じたのかはうかがい知れないが、飲み終えて心持ち眉間の皴が浅くなったことで少しは体調が戻ったらしい。ここ一週間に数度だけしか会っていなくとも、彼を見るとなんとなく苦労人とかおかんといった単語が頭をよぎるので千早は優しくしようと思った。


「それで明日の件なのですが」

 本日二度目のその言葉になんとなく哀愁を感じる。

「レスタ様が回復されましたのでリーガ殿に移譲してあった精霊の代表としての権限を戻すために、リーガ殿と契約者のラスニール騎士総団長がいる国境まで出向かれることになっております。レスタ様の視察も兼ねておりますのでチハヤ殿も一緒です。護衛は青騎士団が着きます。慣れぬ旅にチハヤ殿が不安にならぬように信用のおける者たち(・・・・・・・・・)をお付けいたしますのでご安心ください。もちろん帰りも護衛は変わることはありませぬ故、どうぞ旅をお楽しみください」


 なるほど。国境への配置転換から、もともと用事があって国境に出向く私たちにジークさんたちが護衛として同行する体裁を取ることになったというわけだ。まぁジークさんたちが戻ってくるのならどんな建前でも構わないが、ずいぶん時間ギリギリだったなと千早が思っているとセルスファム団長が真面目な顔で頭を下げた。


「チハヤ殿には私の部下のことでずいぶんと迷惑をかけてしまった。牢番にされてしまった時から彼らをどのように取り立てていくべきか考えていたのだが、いい案を思い付けないうちに今回のような茶番が起きてしまった。緑騎士団の首謀者と青騎士団内の手を貸した者を突き止めるのにも時間がかかってしまい、馬鹿げた辞令を止めることが出来なかったのだ。だから貴女の機転は彼らを穏便に連れ戻し、さらに新たな道を開くことになって本当に感謝している」


 彼らが戻ってきてからも愚かな手出しをさせぬように手を打ってくれていたらしい。さすが長と呼ばれる役職持ちであると千早は感心した。ちょっと抜けた話題も相手を油断させる手管の一つかと身構えるくらいには、見た目以上に思慮深い人だったようだ。


「それでよろしいだろうか?」

 ジラール団長が静かに問いかけたのはレスタだ。王も恐れるレスタがここから去るという事態に、必ず帰ってきてくれるのならば多少の融通はきかせようということらしい。

 レスタの蒼い目がチラリと千早とメイサを確認する。身一つで動くレスタと違ってこちら二人はいろいろと準備が必要であると気遣った彼は、二人の笑みで矛を収めることにした。


「構わぬよ。私たち精霊は気にしないが、人は力も形もない権威とやらが大事なのは知っているからね。今の私はなんの役割も持たないただの精霊。それでは王族との謁見など気軽にできるものではないからな。ああ、友人のサディにも礼を言っておいてくれ。私と私の契約者が感謝している、と」

 サディって誰?と首を傾げた千早に「国王(サラディウス)のことだよ」と耳元でささやくレスタ。


王家の皆様への会談(チハヤ殿のお披露目)はレスタ様がリーガ殿より精霊王の権限を戻されてから、後日に改めて公の場を設けさせていただきます」

 つまり一週間前の国王との会談はあくまで友人同士のものであり、明日からの外出とその護衛は予定していたものだったとするのだろう。体裁なんて気にしないで「間違えちゃった、ゴメンね!」で終わればいいのにと思うも、本気で心配した分、それを実際にされたら腹が立つだろうなぁと千早はのんきに笑った。

 ソファに座るジラールも大きな山場を越えたと肩の力を抜き、セルスファム青騎士団長も足を組んでくつろぎモードに入りながらスカイブルーの目を千早に向ける。


「さて。明日から王都に一番近い国境のカルシーム砦に行くわけだけど、なにか質問はあるかい?」

 セルスファム団長の質問にここ数日に勉強したことを思い出す。


 このエーレクロン王国は高い山々に囲まれ三日月の形をした小さな国だ。周囲は山をはさんで大国に囲まれているが、外交と地理的有利さで平和を維持しているらしい。三日月形の平野の中央に王都があり、他国と物資や人員が行き来できる最大の街道は王都に最短で直結していた。だから騎士団の一番偉い人間と最強戦力がその街道沿いの砦に交代で詰めているのである。

 ジークたちはそこから帰還したばかりだったのだ。


 距離は緊急時馬を乗り潰して二日、騎士団が移動するのに四日、馬車なら一週間から十日程度かかり、街道には宿場町や都市が点在していた。それを聞いた千早は「国を出るのに最短で一週間もかかるんだったら、国外旅行は無理そうだなぁ。まぁある意味、異世界(ここ)も外国みたいなものだけど」と思ったのは内緒である。


「国境の砦は街も入っていると聞きました。名物の食べ物はなんですか?」

 残念ながらレスタもメイサも実際に訪れたことがないので判らないらしい。観光ガイドブックももちろんないので、口コミを頼りにするしかないだろうと聞いたのだが。

 唖然とした表情で千早を見る爽やか細マッチョ(セルスファム)青騎士団長と、眉間の皴を消して何事か――多分質問の答え――を考え始めた渋い壮年苦労人(ジラール)近衛騎士団長。


「ふーん、なかなか面白い質問をしてくるね。もしかして旅慣れてる?」

「あ、判らないなら無理して答えなくていいですよ。地元に行ってから探すのも面白いですしね」

 答えをあまり期待していなかった質問に質問で返してきたセルスファム団長を軽く流し、旅の目的が変わったので忙しく立ち働くメイサを手伝おうと千早が立ち上がるのと同時にジラール団長が口を開いた。

「もし見つけられるのなら紫のユーグ芋を食べてみるといい。柔らかな甘みの中にもクリームのようなコクがあって舌触りも絹のように滑らかで、女性なら多分気に入る希少な芋だ」

「なにそれ! 聞いただけで美味しそう」


 浮きかけた腰が再びソファに戻る。何歳なのかは知らないが年相応に見える顔のしわを撫でる大きな手と太く低い声には似合わない甘味情報に興奮する千早。それを見たジラール団長の優し気なグレイの目が柔らかく微笑む。

「私の娘と孫が好きなのだ」

 若いころはさぞかしいい男だったと容易に想像できるその暖かな笑みと、まじめで面倒見がよく職務に忠実で家族を大事に思う性格に千早は胸を撃ち抜かれた。


「私……確かに年齢はあまり気にしない方……なんだけど……ナニこのイケオジ。いくらなんでも父親と同じくらいの男性にときめくのはマズいって……」

 身もだえてレスタの背中にしがみつき、ぶつぶつと小声で自制の言葉を吐く女子大生。レスタを含めた男性三人は突然の奇行に訳が分からないと首を傾げているが、壁際に立つメイサは意味ありげに口元を抑えて笑ったのだった。






 明朝。遠足前日の夜のごとくなかなか寝付けなかったにも関わらず朝日と共に目覚めてしまい、もぞもぞと動き回るのが邪魔だったのかレスタに抱えられるように押し倒され、彼の鼓動と温かさに千早は二度寝で熟睡した。


「多少待たせても構わないと思うのですが……」

 おかげで起床が遅れ、朝食を慌てて食べるという無作法を晒した千早にメイサは慰めるように声をかけるも、彼女の旅装はすでに整っており、なお焦りが募るのだ。時間に正確な日本人なら当然の反応だろう。

 そんな彼女は今、レスタの腕の重さって安心するんだよ! 拘束されてる感じがあるんだけど、それでもそこはこの世界で一番安全だと判るんだよ! だから熟睡しちゃうんだよ!と責任転嫁しつつ高速で着替え中である。


 既製品だという服はゆったりとした生成りのブラウスに紺色でウエストの絞られたひざ下までのフレアスカート。厚手のソックスに3センチヒールがあるひざ下までの編み上げブーツ。雨具兼防寒兼日差し除けのフードのついた滅茶苦茶軽い若葉色のマントはスカートと同じ長さで、銀の留め具には何かの草の文様が透かし彫りされていた。

 髪は横に垂らすように緩い三つ編みにして、化粧はごく薄く、乗り物に乗ることを考えて香水は付けないことにして、仕上げには首元に細く青いリボンが結ばれる。


「私の契約者は何を着ても可愛いな」

 なにもすることのないレスタが無責任に笑い、それを身支度完了と受け取った千早はレスタのたてがみを握りながら一週間ぶりに部屋を出た。ドアの直前で一瞬止まりかける足もレスタの尻尾に押されて前へと進み、黒騎士服の護衛が先導して最後にメイサが続く。


 織の細かい高そうな絨毯が敷かれた廊下は行きかう人も少なく丁寧に掃除されていることが判る。目を楽しませるような調度品が要所に置かれ、やがて大きな広間のような廊下に出た。振り返ると自分たちが出てきた廊下の雰囲気がここと違うことが一目で判り、そこを守るように立つ緑の騎士が二名、入り口に無表情に立っていてドアはないが調度品や内装、装飾だけで入る人間を制限しているように思える。

 そして危機感に疎い日本人としては高貴な人物がどこにいるのか一目瞭然に見えたのだが、精霊の部屋ならそんなものかとも千早は納得した。精霊の肉体は刃物程度では傷付くことはないからだ。


 人が行き交う広い廊下は白を基調とした明るい雰囲気で、天井には光が降り注ぐ見事なステンドグラスがある。翼の生えた女性らしき人物と後光を背負った緑の木。周囲には鳥や動物たちが配置され、宗教画にも見えるそれは千早の世界ではありえないほど写実的に描かれていた。

 周囲を歩く人々は文官らしい制服や侍女服、貴族らしい煌びやかな服や騎士たちが各自目的を持って歩んでいるように見える。この辺りは城でも中央部らしく関係者以外足を踏み入れることがあまりないのだろう。そしてレスタの姿を目に止めて何か言いたげに見つめる人が少なからずいることに千早は気が付いた。


 確かに自分たちは珍しい一行だろうと思う。ライオンに一般人に黒騎士にメイドだ。レスタを精霊王だと知っていればなおさらだろう。

「こちらです」

 それでも何者にも止められることもなく黒騎士に導かれて目的地へと無事にたどり着いた。


「千早!」

 呼ぶ声はネズミの精霊ロイだ。彼がジークの肩の上で大きく手を振ると同時に、ジークと周囲に集まっていた五人の青騎士たちが一斉に頭を下げる。「わわっ!」と慌ててジークにしがみつくロイが可笑しくて千早はぷはっと噴き出した。


「ジーク! 危ないじゃないか!」

 文句をつけるロイに騎士たちは慣れているのだろう、動じることなく再び全員が一斉に頭を上げると護衛の騎士が入れ違うように小さく頭を下げて戻ろうとする。

「ご苦労だった。ジラールにも感謝を伝えてくれ」

 そんな黒騎士をさりげなく労うレスタに続き、千早も彼へと向いて丁寧に頭を下げた。それまで無表情だった青年騎士は微かに笑みを浮かべてジークたちと同じ姿勢で頭を下げる。

「かしこまりました。どうぞお気をつけて」


 正直、護衛と言われてもピンとこない一般人だ。せいぜい王宮でも奥に近い停車場に案内してくれたくらいの感覚しか千早にはないが、だからといって当たり前のように振舞うことは躊躇われる。不敬に当たらない程度に感謝を表す方法をメイサに聞こうと頭の隅にメモしながら、背筋の伸びた逞しい背中を見送った。


「レスタ様、チハヤ様。おはようございます」

 一行を代表してジークがエスコートの為に手を差し出す。黒手袋に包まれた大きな手と詰襟の濃紺の騎士服、フードのついた足首までのマントは青灰色で、使い込まれたひざ下までのブーツと腰に()いだ長剣がこの世界を異世界だと千早に知らしめた。


「おはようございます、ジーク様。皆様。今日からよろしくお願いします」

 一週間ぶりの顔合わせにはにかみながら、しっかり会釈をして恐る恐るジークの手に自分の手を重ねる。メイサに教えられた慣れない作法に戸惑いつつも、どうやらジークも慣れてはいないようで二人であたふたしながら馬車へ歩いた。


「なんだろう。ジーク一人だとぎくしゃくして見えるだけなのに、契約者様がいるだけで初々しい様子に変わるのは」

「黙ってりゃジークだって賢そうにみえるんだなぁ。それも女性が隣にいるからか?」


 出迎えた四人のうち見覚えのある二人が軽口をたたき、残りの二人は四頭の馬の手綱を持ちながら苦笑いを浮かべる。今まで会った誰よりも肩の力の抜けた様子にどことなく安堵した千早は顔合わせに全員を見上げた。


「レスタ様、チハヤ様。右からクライ、リズ、レックス、ガレイン。小隊には他に二人、ベンズとクロルがいますが彼らは先行しております」

「まずは護衛を引き受けてくれて感謝するよ。私は精霊レスタ。そして彼女が私の契約者と侍女のメイサだ」

「皆川千早です」


 レスタの紹介に千早は頭を下げながら名を告げる。

「クライ様とレックス様には地下牢でもお世話になりました。ジーク様にも言いましたが、改めてお礼を言わせてください。本当にありがとうございます」

 軽口をたたいていた見覚えのある二人に感謝すれば、彼らは顔を見合わせて罰の悪そうな表情を浮かべた。


「俺らは職務を果たしただけだ。普通の罪人扱いしかしてねぇよ」

 ほうぼうに跳ねた赤毛の髪を撫でながらレックスが言い訳するも、千早は彼らの何気ない行動に救われたのだと首を振る。


「食事を運んでくださった時に声をかけて下さいました。見回りの時も朝も夜も言葉の通じない私に話しかけてくれました。レスタの檻に入れられるまで私が死なずにすんだのはあなた方がいたからなんです」

 つらい当時を思い出してマントをぎゅっと握りしめるとレスタが慰めるように左手の下に潜り込んでたてがみを擦り付ける。大丈夫だと優しく撫でながら彼らを見れば、優しそうな風貌に薄茶の長い髪を結い上げたクライが恭しくお辞儀をした。


「我々にとっては他愛もないことでしたが、それらがチハヤ様のお気持ちを少しでも支えることになったのなら遠慮なく感謝を受け取らせていただきます。これからもよろしくお願いいたします」

 とても丁寧な言葉に今度は千早が苦笑する。


「私はレスタの契約者ですが一般人……平民、です。これからもよろしくお願いすることになると思うので、普通にしてくれると嬉しいです」

 ジークの同僚なら少なくとも千早と同じか上の身分のはず。精霊の契約者であるジークを特別扱いしないように自分も普通に扱ってほしいという願いに彼らは戸惑い顔を見合わせた。

 元の世界でも学生で、こちらの世界の身分制度もまだ理解していない千早は、それでもここ数日に受けたこの世界の知識から表面的にはそれが可能だと理解している。もちろん世の中には暗黙の了解とかご当地常識とか本音と建前があるのは判っているが、だからといって命の恩人に敬語を使われるような人間になった覚えはないのだ。千早がなったのはレスタが気に入り千早が受け入れたレスタの契約者という立場だけなのだから。


「あー……俺は元から口が悪いからな。こんなしゃべり方しかできねえぞ」

「そうだよね、レックス。あんたは上官がいるときは一言も口を開かないもんね。あ、私はリズ・ハースストンよ。リズと呼んでちょうだい。女同士仲良くしましょ」

「女同士……いや、ガレインだ」


 千早の言葉を受けて目つきの鋭いレックスがぼやくと、紅一点の女性騎士リズが首元で切りそろえられた茶色の髪を揺らして同意し、ひときわ背の高い巨躯を持つガレインが彼女の最後のセリフに何かを言いかけたが彼女の一睨みで名を告げ素直に口を閉じる。

 もちろん皆敬語とは程遠い口調だ。最後に手を引いていたジークが緊張が解けたように笑う。


「すまない。俺たちは普段警備や取り締まりに就くことはあっても貴人の警護に当たったことはないんだ。だからマナーどころか粗暴であると思うが、何かあればすぐに言ってほしい。レスタ様も侍女殿もだ」

 見上げると切れ長の一見冷たそうに見える水色の目が楽しそうに千早に向けられるが、隣にいたレスタが言葉と身体を割り込ませた。

「精霊に身分はない、だろう?」

 お前も精霊の契約者ならばその性質は理解しているだろうと笑うレスタ。「承知いたしました」とメイサは小さく頷き。


「では私のことは千早と呼んでくださいね。こちらが名前なので」

 最後に千早はいたずらが成功したような笑顔でにこやかに告げたのだった。






 千早の告白に驚いた青騎士の面々だが、とりあえず話は出発してからでもいいだろうとのレスタの提案でそれぞれ騎乗し出発する。二頭立ての馬車は城門の一つを抜けて城下へと出た。区画整理された石畳の道を自転車くらいの速さで軽やかに走り、いくつかの門を抜けて市街地に出たらしい。ガタガタと揺れる車内から小窓のカーテンをよけて外を見ると通りを人々が行きかっているのが見えた。


 更に進むと馬車の前後を二頭ずつではさむように護衛する青騎士に向かって手を振る子供や顔を向けにこやかに笑う大人の姿を見かけるようになった。彼らが普段一般人にどのように思われてるのかが良く判る光景である。


 馬車は箱型で、ドアは横に一つ。そこにカーテン付きの小さな窓もついている。室内は皮張りで、椅子はクッションのきいた手触りのいい生地でできていた。ベンチではないことでこの馬車は高いんだろうなということがなんとなく想像できる。手配したのはメイサだがレスタの乗る馬車だ。王様あたりが貸してくれたのかもしれないなどとのんきに満喫していた千早だったが。

 城を出て三時間くらい経ち、ようやく王都を出たところで馬車は止まった。


 馬車のドアを慌てて開けてジークが手を貸す前に飛び降りた千早は、視線を遠くに飛ばしながら深呼吸する。こみ上げてくる嘔吐をなんとか止め、胃がひっくり返りそうな不快感と回る視線がかろうじて治まってきた。

 完全なる乗り物酔いである。揺れて、前も見えず、風をいれることもできない乗り物に、元の世界の車ですら車種によっては乗り物酔いを起こしていた千早が耐えられるはずもなく。平然と馬車から降りてきて千早の世話を焼くメイサを純粋に凄いと尊敬しつつ御者台への移動を願いでたのだった。


「ここなら平気なんですか?」

 最初に私は常に敬語なので気にしないでくださいと言ったクライは、ようやく顔色の戻ってきた千早を見ながら話しかけた。先ほどまでは口を開くのも辛そうだったので、実際馬車の中にいるよりはマシなのだろうとはクライも推測できたのだが。


「速さも高さも平気なんです。本当はレスタのそばにいたいんですけど、乗り物には昔から弱くて」

 ご迷惑をかけてすみませんと謝りながらも、周囲の景色に目を向ける余裕も出てきた。遠くに見える山々や森、畑や家畜を興味深そうに眺めながら、それとなく周囲を進む騎士たちを観察する。


 この小隊の隊長であるらしいジークは短い黒髪を後ろに流し、よく言えば切れ長の、悪く言えば目つきの悪い水色の目を持つ美丈夫だ。今はマントに隠れているが彼の体格の良さは服越しに触れた千早なら想像できる。広い肩幅と硬い胸板、引き締まった腹筋に筋肉に覆われた背中は逞しいを体現しており、腕とて太くて筋骨隆々といった感じはなかったのに千早を抱き上げても震えることなく危なげすらなかった。正直、彼の上半身を裸体で見てみたいという願望があり、楽しいハプニングをこの旅の間に期待している。


 それから御者をしているクライはジークとは逆のイメージを与える美形騎士である。薄茶の前髪をさらりと流して残りは一つにまとめて結い上げられ彼の背で揺れていた。印象的な紫の目はジークに比べると大きくて男性だというのに柔和な印象を付ける。もともと色素が薄いのか唇までピンク色で華奢なら女装も可能だろうと下世話な想像を掻き立てられそうだが、残念ながら体格も声も大人の男性のものだから、どちらかと言えば腐のつくお嬢さんたちで流行っている腹黒インテリ眼鏡キャラとかが似合いそうだ。そしてさらにお嬢さんたちが喜びそうな事実に彼には双子の弟がいる。別行動をしていると名前だけを告げられたクロルという騎士で、リズ曰く見た目も性格も瓜二つなのだそうだ。


 そしてこの小隊の唯一の女性騎士リズは爵位が低いものの貴族の娘だという。貴族というものに偏見を持っていた千早は彼女のフレンドリーさに驚き、竹を割ったような性格にもすぐに馴染んだ。見た目はフワフワの茶色の髪と千早とほぼ同じ身長、青空色の澄んだ大きな目が魅力的だが、周囲の男どもにも負けない張りのある声とはきはきとした物言いはリズを男前に魅せる。小隊の仲間を尻に敷いているのもいいな、と千早は思った。


 馬車の後ろについている騎士のうち燃えるような紅い髪を持つ小柄な男はレックスである。小柄と言ってもこの隊の中ではという但し書きが付き、普通に身長が170はあるだろう。感情をよく表す翠の目と孤児だという生い立ちを感じさせない朗らかさは現在いる騎士の中では一番気安く感じた。近所のお兄ちゃんといった様子の彼は見た目によらず世話好きそうで、先ほどから千早がよそ見するたびに御者台から落ちやしないかと心配しており、どことなくジラール近衛騎士団長と似た匂いがする青年である。


 最後は五人の中ではひときわ大きな身体を持つガレインという寡黙な騎士だ。彫の深い顔立ち故に目には影が覆い、厚めの唇は引き結ばれて綻ぶことは今のところはない。クライ談だがまったく話をしないわけではなく、気になったことは容赦なく突っ込みを入れるのだとか。残念ながらリズへの突っ込みはいつも彼女に止められて、無理に強行すればボコボコにされるのだと彼自身が小声で教えてくれた。黙っていれば最強の強面騎士に見える。


「クライさんの馬はいないんですか?」

 王都を出てさらにスピードを上げて街道を進む中、千早は疑問に思ったことを聞いてみる。まさか彼が馬に乗れないことはないだろうと思っていると、馬車を引いている馬のうちの一頭がクライの馬だと言われた。


「もし襲撃されて馬車で逃げ切れない場所や馬車を止められた時のためです。大きくもない馬車を二頭で引いているのでいざという時は御者の騎士と貴女が一頭に、侍女殿をもう一頭に乗せて逃げる算段なのですよ」

 メイサが馬に乗れることは確認済みで、レスタはライオンだから自力で走ってもらうのだという。意外とレスタへの対応が厳しいなと思ったが、襲撃相手は人間とは限らないと言われて千早は首を傾げた。


「いざという時はレスタ様の精霊魔法を当てにしていますよ、チハヤ」

 一瞬まだ使えないんだけどなと思うものの、本気で言っているわけではないのだろう。同じ身分の者同士の軽口だ。


 そのレスタは今、馬車には乗っていない。彼は街道沿いを進む千早たちから離れて他の精霊に会いにいったり、気になっていた土地に赴いたりしているのだ。宿に着くまでには馬車に戻ると言っていたから心配していないが、レスタだけなら王都からカルシーム砦までは半日だというから驚きだ。だが、それではジークたちが砦へ移動する意味がなくなるので足かせに千早を付けたのだろう。だからあちらこちらに移動するレスタがいなくとも真名を呼べばすぐに戻るとも言っていたし、ジークたちも精霊ロイもいるので千早はなにも心配していなかった。


 こうして初日は千早の乗り物酔いとおしりが痛くなったことを除けば順調に進み、まだ明るいうちに宿場町にたどり着くことが出来たのだった。


【次回嘘予告】


「一度馬にも乗ったことはあるけど、あの時もおしりが痛くなった」

「私なら痛みもなく運べるが?」

「私がレスタの上に乗るの? なんか畏れ多いね」

「なんなら逆でも」

「レスタ様。いい加減になさいませ?」

「メイサさん?! 背中から黒い何かがにじみ出てるよ!」

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