精霊王、願いをかなえる2
・このお話はフィクションでファンタジーです
・レスタが人型になってます
太ももの上に千早を乗せたレスタの大きくて熱い指が、こめかみから耳裏をとおってうなじにあてられる。
「人の手で触れる感覚はおもしろい。皮膚と皮膚が触れ合うのは……なんだろう……心と心が触れ合っているような気がするな」
相変わらず言葉での攻撃は続いているが、本人は至極真面目に感想を言っているだけだとわかっているので千早はレスタの膝の上でじっと耐えていた。さらに同じ位置にある青い目がじっと見つめるとぺろりと耳たぶを舐めてくる。
「うひゃ!」
獅子の姿の時にもよく舐められていたが、人の姿でされるそれは威力と感触が違う。
「ふむ、味は同じだな。鼻はあまり利かないが視覚は新鮮だ。そなたが頬を染めて私を見上げてくるのはかわいい」
喉からぐぅとおかしな音がした。ここ数年は心おだやかに安らかに生活してきたのに、それを埋めるかそれ以上の羞恥とときめきでおかしくなりそうだ。
「三十過ぎたおばさんにいう台詞じゃないと思うけど」
「年齢は関係ないよ。かわいいものをかわいいと言っているだけだ」
「……うん。精霊はそういうものだよね」
これがライオンの姿ならうれしいとか少し恥ずかしいで済むというのに、そこに容姿と行動が伴うと破壊力が倍になった気がする。そんなことを考えている千早を太ももの上にのせたまま、首筋にすりすりと顔を擦りつけたレスタは満足そうに息を吐いた。
「本当はずっとこうしていたいのだが、そろそろ洗濯物を取り入れて夕食の準備をしないとな。千早はいつも忙しそうにしていたから、今日はゆっくり休んでいてほしい」
離れがたいと言いたげに背中から回された腕に力が入り、握っていた手を親指でゆっくり撫でてからそっと抱き上げてソファへと下したので、千早は逆に離れていく手をつかんだ。
「ねぇ、私も手伝っていい?」
離れたくないのは千早も一緒だからぬくもりを追って立ち上がると、エプロンをつけたレスタの隣に立って二人でほほ笑む。
「ニッグメルムの肉を買ってきたのだ。トラムやほかの野菜と一緒に千早の好きな煮込みを作ろう。煮込んでいる間に洗濯物をたたんで、今日は入浴の日だから湯船にお湯を張っておくよ」
いつも見ているだけだったからかはりきって家事をするレスタと並びながら、二人で肉と野菜を刻んで鍋で煮込んだ。それから一緒に洗濯物を取り込んで千早がたたみ、そのあいだにレスタがお風呂の準備をする。
会話は少ないがすれ違うたびに頭をなでられたり、頭に口づけてきたり、後ろから抱きしめてきたりと人の姿を堪能するレスタに笑いながらなにげない一日が過ぎていった。
「はぁ、美味しかった!」
一緒に夕食を終えてくつろぎながらソファに座ってお茶を飲んでいた千早がとなりに座るレスタを見上げると、丸半日過ごしてようやく落ち着いたらしい彼が珍しく千早の腰を抱いてうとうとしていた。
人の形になり初めての家事を細々とおこなって疲れたせいか、睡眠を必要としない精霊が居眠りをするのを見て千早は盛大にときめく。眠気を我慢している頭がグラグラと揺れ、時折思い出したように腰に回されたたくましい腕に力がこもったと思うと脱力する。最後には左手を重ねて握ったまま千早の肩にもたれて寝息をたて始めれば、かわいらしさと愛しさで千早は笑いをこらえていた。
「ありがとう、レスタ。あなたが大好きよ……」
今日一日、興奮して疲れてしまったのは千早も一緒だったらしい。眠りにつく深い呼吸と人肌のあたたかさと幸せな気持ちもあいまって眠気に襲われると、今日くらいはお風呂に入らず眠ってしまってもいいだろうとそっと目を閉じた。
千早が眠って一時間がたったころ。
小さく身じろぎしたレスタはゆっくりと目を開けた。どこまでも澄んだ青い目が寝ぼけて周囲を見回し、隣で眠る千早を見てほほ笑む。
眠っている千早は出会ったころとなにも変わらない。小さくてやわらかくて暖かくて泣き虫で、力いっぱい生きようとする強い心の持ち主だ。年を重ねた彼女はさらに魅力的だし、優しい心根はいくつになっても彼女を輝かせるだろう。
だが。
二十歳の彼女は周囲となんら変わりはなかった。年相応に見えたし実際そうだった。けれど十年を人の中で過ごしていると同年代の友人たちとの年齢差が少しずつ気になりだした。そんなほんとうに小さな違いを感じるのと同時期に魔力が千早の体に及ぼす影響も判明したこともあって、人の立ち入らない森に結界を張りそこに住むことを千早が望んだのだ。
ラスニールやジークたちは引き留めたがレスタはなにも言わなかった。それはおいていく者の苦しみも、おいていかれる者の悲しみも知っているからである。
健やかに眠る千早を見るのは初めてではないはずなのに、指を絡めて手をつなぎ寄り添うようにして眠る姿に涙がでそうになる。森に引きこもる前は魔女の延命を受け入れてほしいと幾度も話し合ったが、千早は根気強くレスタを説得してきて、残りの千早の人生をレスタとともに過ごすことでお互いに納得した。
魔女との契約のためにレスタと離れるのではなく、一秒でも長く一緒にいたいというのが千早の願いだったからだ。
森の小屋へと引きこもることは千早からの提案で、少しでも魔力にさらしたくないレスタの希望にも叶い、一年たった今では二人で心穏やかに過ごせるようになった。
「さて、このままでは風邪をひくな。だが……」
ここでレスタは難しい表情を浮かべて愛しい契約者を見る。眠ってしまった千早をベッドに運ぶのは問題ないが風呂はどうしようかと思い悩んでいた。
千早は前の世界でほぼ毎日入浴していたようだが、この世界に来てからは遠慮して回数を減らしていた。入浴にかかる労力の対価を支払えないというのが理由である。この森の家でも週に二度と回数を決めていて、それでも多いと悩んでいた彼女に魔石を使わずレスタの魔法で水を温めると説得したのだ。家事のできない自分に役割を与えてほしいと。
だから今日も風呂を用意したのだがこのままではせっかくの機会が無駄になってしまうし、人の姿になって千早と一緒に入浴を楽しもうと思っていたレスタの希望も叶えられないだろう。
考え込みながらなにげなく頬に手のひらをあてると眠っていた千早がすり寄ってくる。ジークやラスニールが心配そうなまなざしとともにしていたこのしぐさは、彼らにも安心をもたらすのだと初めて知った。
「風呂はまた今度でいいか」
今日は欲張らずに当初の目的を達成しようと結論をだしたレスタは華奢な体を抱き上げる。静かに規則正しく繰り返される呼吸は彼女が健やかな証。泣きつかれて眠ってしまったときとは違って愛おしさがこみあげてきた。
「寝支度を整えてやらないとな」
なにやら浮かれた様子で揺らさぬように千早を運ぶレスタの姿が寝室の扉の向こうに消える。
つぶやかれた言葉の結果を千早が知るのは翌日の朝。
次回に持ち越されたレスタの希望が叶えられたかどうかは二人だけの秘密である。
恋愛ファンタジーにあるまじき厳しい設定盛りだくさんでお送りしました(笑)
これからも生ぬるいまなざしで見守ってもらえると幸いです。
続編『魔道皇子、精霊の愛し子になる』を更新中。
相変わらずの亀更新ですが、よろしくお願いします。