新たな始まり
このお話はフィクションでファンタジーです。
その知らせは精霊たちにのみもたらされた。
契約者を持った精霊の力はそれまでとは比較にならないほど大きくなるが、それ以外に知るすべはない上にどこかに報告するような義務もない。それでも魔女と人をつなぐ役割を与えらえた精霊ゆえに精霊王と言われた黄金のたてがみをもつ精霊の契約は、ひそかにエーレクロン王国の数人に伝えられることになった。
「あ、レスタが旅に出るっていうから今日から私が精霊王になる」というリーガの軽い一言によって。
二十数年前に姿を消した精霊王レスタの存在はすでにおとぎ話と化していて、前の契約者と森に引きこもった二十年と契約者の不在で表にでることのなかった三十数年も含めてその存在を知らぬ者も多かったが、それでも精霊王の真実を知る者にとってその報告は大きな衝撃をもたらすことになった。
「驚いたよ。まさか森の入り口で待ち伏せされているとは思わなくて」
旅装のまま王城の大回廊を恐れる様子もなく歩く青年と黄金の獅子は、黒騎士に先導されて応接室に通されるとその部屋で待っていた人物に告げた。
「旅券を確認いたしました。シャムロック魔道帝国第三皇子アラステア・クロース・シャムロック殿下」
「ああ、帝位継承権は放棄してきたからアラステアで構わないよ。レスタを連れて一度帝国に戻ったらシャムロック姓もなくすつもりだし」
「ではアラステア様。わが国にはどういった御用で?」
「私の精霊を迎えに来たんだ。昔からの約束でね」
出されたお茶を優雅に飲みながらふわりとほほ笑んだ美貌の皇子は、隣に座るレスタの毛並みを慣れた様子で撫で続ける。
「それにしても相変わらず貴女のいれてくれたお茶は美味しいね。私の好きだったお茶を覚えていてくれて嬉しいよ。オーガスタ様」
アラステアの向かいに座っていた金髪の美女が一瞬息をのみ、吊り上がり気味の緑の目を緩めた彼女だったが。
「貴方のおかげで財務の役人であるわたくしが引きずり出されたのよ。少しは反省しなさい」
最後に会った時よりも年齢を重ねた落ち着きと、結婚して子供を産んでから艶を増した美貌にそぐわない震えた声が如実に感情を表していて、アラステアは変わらないツンデレの友人に気の抜けた笑みを漏らした。
「すまなかった。引きこもりのレスタを連れて行くだけだから王城には寄らないつもりだったんだ」
「そんなことは無理に決まっています。レスタ様は精霊王で、この国でも愛される存在なのですよ。それをあいさつ一つなく連れ去る気だったの? 皇族に生まれたのだからもう少し常識を身に付けているのかと思いましたが相変わらずですわね。それに……」
そこで言葉を途切れさせたオーガスタは彼女の友人の面影がまったくない青年を見つめて、それでもはっきりと告げる。
「たとえ姿形が違っていたとしても、友人に会いたいと思ってはいけないのかしら?」
皆川千早が前世の記憶を持って生まれ変わることは一部の人間を除いて秘密にされた。魔女曰く魂への干渉は異世界人だからこそ可能だったらしく、彼女は次に勇者の魂に出会った時のために魂をこの世界に縛り付ける術式を組んでいたのだ。
自分たちに使えない事実を公表しても益はないと判断したサラディウス三世陛下よりこの事実はかん口令を敷かれ、魔女とのやり取りを報告したときにその場にいた者と、うっかりポロリと漏らしてしまったジークとオーガスタだけが知ることとなった。
「生まれも性別も変わってしまったから気持ち悪くない?」
「少なくとも貴方はこの世界のわたくしと同じ人間でしょう。普通は異世界人の方を気にするのではなくて? 相変わらず気が強いのか弱いのか判りませんわね」
何も変わらないオーガスタを懐かしく思いながら話をしていると、扉が叩かれると同時に開けられた。
「レスタに新たな契約者ができたと聞いてきたのだが……」
応接室を見回した大柄で初老の男性がアラステアとレスタが並んでいるのを見て動きを止める。アラステアは立ち上がり所作の美しい礼をすると、金の目を輝かせてうれしさをにじませて微笑んだ。
「お久しぶりです、ラス様。私はアラステア・シャムロックと申します。レスタの契約者です」
「……よりによってシャムロック魔道帝国の皇子か。お前の人生は波乱万丈だな」
「おかげで魔女の森の魔圧にも対抗できたんだから幸運でしたよ。魔力も豊富だし、これならレスタと長くこの世界を楽しめます」
驚きから回復したラスニールは一人がけのソファに座ってオーガスタが用意したお茶を一口飲んでから改めて向き合う。
「それでリーガからレスタを連れて行くという話は聞いた。帝国に戻るのか?」
「そうだね。精霊と契約したら一度戻って来いと言われている。帝国では精霊なんてお伽話だと思われているから、レスタを連れ帰ったら無条件で皇族から離れる契約を父と結んだんだ。実際連れ帰った時の顔が見物だよ」
楽しそうな笑いの中に強かさや狡猾さも含まれていて、そんなところもどことなく千早を連想させるのだろう。ラスニールはこちらもあきれたように息を吐いた。
「魔道帝国の第三皇子という肩書があったほうがこちらとしてはいろいろと楽だったんだがな」
「私が権力や身分が苦手なのを知っているでしょう。それよりみんなは元気ですか? 一番の心配だったラス様が生きていたので安心しましたが」
千早の知人の中で一番年上だったのがラスニールだったのでもう二度と会えないかもしれないと思っていただけに、元気な姿を見ることができて嬉しかったと伝えれば当の本人が憤慨した。
「俺はまだまだ若い者には負けんぞ。クラウンベルドの公爵位と騎士総団長は引退したから気楽なものだ」
「まもなくジーク様も来ますよ。彼は結局独身のままで今は平民の騎士が賜れる最高位の青騎士団大隊長です」
オーガスタの話にアラステアは感慨深くうなずく。
「そうなんだ。立派になっただろうな。ファシリオン殿下とか王族の皆様の話は聞いてる。本当にこちらの世界の人たちは寿命が長いよ」
「アラステア」
それまで黙って話を聞いていたレスタが名を呼んだ。首をかしげてレスタを見ると、彼はいくぶん苦笑しながら窓の外に視線を向ける。
「そろそろそなたに会いたい精霊たちの我慢が限界に達しそうだ。部屋の外に集まってきていて騒ぎになっている」
見ればバルコニーにまで精霊の姿が数匹見える。これは大変だと立ち上がりかけたアラステアにラスニールが慌てて今後について聞いた。
「一度帝国に帰ってからどうするつもりだ」
この国に戻ってくるのかの問いに、黒髪を揺らしながら立ち上がった青年はそれまでとはうって変わって真剣な表情でこれからのことを語ったのだった。
ラスニールは隣にたたずむオーガスタとともに、バルコニーの下の庭で歓喜の声を上げる精霊たちにもみくちゃにされている黒髪の青年を見下ろしながら、彼の語った事実を思い出していた。
『この国以外にいる精霊たちが今どうなっているか知っていますか?』
いつになく真剣な表情に眉をひそめるラスニールを正面から見返しながら、アラステアは自分の知る事実を語る。
『人の言葉を話す動物として迫害されていたり、魔道で封印されていたり、奴隷契約で酷使されているんです。悪魔の使いや罪人の魂が罰を受けている姿とも言われたりしています。迫害され狂った精霊が森を砂漠にしたという話も聞きました。私はそんな彼らを助けたい。そのために世界を回ろうと考えています』
そのためにレスタを連れて行くのだと笑ったアラステアの姿はまさしく正当なる帝国の皇子の尊厳を漂わせ、ラスニールは無意識に緊張で体を固くした。
『私の全力でもってレスタは守ります。これでも帝国で二番目の戦闘力を持っているんですよ? 頼りなく見えるかもしれませんが』
レスタに会うためにあらゆる努力を死に物狂いでしたのだと告白した青年は、引き込まれそうな美しい金の目を揺らすことなく眼光鋭い元後見人を見つめていた。
「俺も年を取ったな……」
まだ二十六歳だという若造に気圧された事実につぶやきが漏れ。
「あら、ジーク様とロイが到着したようですわね」
オーガスタの声にふたたび庭を見ると、遠征先から駆け付けたジークが旅装のままアラステアの前まで歩き、幾度か言葉を交わした後にひざまずいて騎士の剣を捧げる姿が見えた。
「あら、まぁ」
男性としては体力も経験も実力もある一番油の乗った年齢であるジークの押しにたじたじのアラステアの姿に、オーガスタは言葉もなく楽しそうに見守る。やがて言葉で押し負けたらしいアラステアが剣を受け取り、ジークの肩に当てて誓いを受け入れると精霊たちが祝福の声を上げた。
「フィールド大隊長なら彼の経験不足を補えるな。他国に行くにしても皇族だったアラステアとレスタだけでは不安が残るが、彼が一緒ならロイも含めて安心できる……なんだ」
心配性だと言われそうなセリフをつぶやいていたラスニールを見てオーガスタが小さく笑った。笑われたことに気がついた男が不思議そうに見返すと、彼女は異世界の友人を通じて知り合った高貴な男性に遠慮のない言葉をかける。
「いえ、全盛期ならば自分がついていきたかったように聞こえましたよ」
「……そうだな」
「ちなみにシャムロック帝国では異性結婚が主流ですわ。あの子が昔の認識のままならジーク様も苦労しますわね」
「……ちょっと注意してくる」
親馬鹿全開で部屋を出て行ったラスニールの背中を見送ってから再び庭を見下ろしたオーガスタは、幸せそうに笑う黒髪の青年と黄金の獅子にそっと語り掛けた。
「今度こそこの世界で楽しい人生を送りなさい」
これにて異世界女子は完結です!
遅筆と更新の遅さと更新途中のタグの削除を反省しつつ、最後まで読んでくださった方々に感謝いたします。
女性主人公が生まれ変わって男性になるってどんなタグをつければいいんでしょうね? 難しいわ~




