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異世界女子、精霊の愛し子になる  作者: サトム
一章 異世界女子、精霊の契約者になる
2/26

異世界女子、現実を知る

この物語はファンタジーでフィクションです。

 風呂から上がりなんとか身支度を整えた千早は、いつの間にか輝くような黄金の毛並みに戻ったレスタに迎えられてソファに座った。誰が淹れてくれたのか微かに甘い香りのする暖かな飲み物が用意され、軽く摘まめる一口サイズのお菓子まである。


 レスタを見れば穏やかな蒼い目に食べるように促され、千早は数か月ぶりに温かい食べ物を口にした。

「いろいろと聞きたいことはあるだろう。まずはそなたの知りたいことを答えよう」

 甘みと温かさに感動していた千早がレスタを見て、手の中にあるカップをテーブルへと戻す。そして沈黙が広がった。


 開け放たれた窓からは湿度の低い風が柔らかな花の香りと共に吹き抜け、揺れるレースのカーテンが床に複雑な影を描く。レスタが身を横たえているのは背もたれのないソファのような大きなオットマンだ。今千早が座っているソファと同じ皮の素材が張られていて、クッション性は固めだがそれが逆に体を支えて座り心地を良くしていた。


「千早」

 レスタの優しいバリトンボイスが背中を押すように名を呼び、身に着けたスカートを皴になるほど強く握りしめる。そしてうつむき伸びた髪で顔を隠しながら千早は小さくかすれた声で問いかけた。


「私、帰れますか」

「……私の知識にここ以外の世界はない」

「貴方が知らない知識はどうやったら知ることができますか」

「いにしえの古き世ならば私と同等の英知を兼ね備えた種族がいたが、それも時と共に姿を消してしまった」


 レスタの答えに握りしめていた千早の手が白くなる。顔を伏せているから視線も表情もレスタには見えないが、やせ細った体が、清潔感を取り戻した黒髪が小刻みに震えている様子に蒼い目を軽く伏せた。


 そして長い沈黙の後、おもむろに顔を上げた千早は両手で自分の頬を思い切りよく叩く。

 まるで自分を奮い立たせるようなしぐさに目を見張るレスタ。強く叩きすぎたのか、しばらく痛みをこらえていた千早が目じりに涙を溜めつつも猛然とお菓子をほおばり始めた。

「このお菓子、ちょっと甘すぎるけどすごく美味しい。牢屋にいる時もそうだったけど、ここの食事は素朴だけど嫌いじゃない。お城なことを差し引いても食べ物が口に合うって幸せだよね」


 強がるように紡がれる前向きな言葉と表情を浮かべて、お茶を飲みほした千早はワゴンに用意してあったポットを取ってお代わりをつぎ足す。とは言え、数か月もの間に及ぶ尋問と牢屋暮らしで食事の量が減っていた千早はすぐに満腹だと満足そうにため息を吐きつつ恨めしそうにテーブルを見た。

「美味しいのに入らないなんて、もったいない!!」

 身もだえつつ紅茶を飲み干すと今度は身だしなみを気にし始める。


「さすがに靴は……あるよね。爪を磨きたいわけじゃないけど整えたいかな。髪も切りたいし……外に出て日の光を浴びたい。いつの間にか言葉が通じている理由も聞きたいし、ここがどんな世界なのかも興味ある。でも一番は貴方の事をもっと知りたい…………お風呂に入ってないのに綺麗になった訳も、一緒にお風呂に入ろうとした訳も」

 最後は少しだけ笑みを浮かべて。


 強がる笑顔にレスタは微笑みを浮かべて立ち上がると千早の足元に大きな身体を横たえた。たてがみがどこか草原を思い出させる爽やかな香りと共に千早に寄り添い、やせ細った白い手が柔らかなそれを優しく撫でる。レスタが気持ちよさそうに目を細めるのとどこか遠くで人の声が聞こえたのは同時だった。


 近くで気配がするのに声は遠く、何事かと千早が手を止めるとレスタが不機嫌そうに喉を鳴らす。それに気が付いて撫でるのを再開すると金のライオンは満足そうなため息を漏らした。

「私たち精霊の肉体はこの世界の動物を模したものだが、精霊力で作られたものなのだ。だから傷つけられても死なないし汚れても魔法でどうにでもできる……まぁ湯殿の件は私の気の迷いというか、雄のさがというか……」


 言いながらわざとらしく視線を迷わせたレスタのたてがみにソファから降りて絨毯に直接座った千早が小さく笑いながらグリグリと顔を埋め、しばらく毛並みを堪能してから大きく息を吐き顔を上げる。

「それじゃあレスタ。あなた自身のその楽しい話をゆっくり聞くために面倒なことから終わらせよう。私は(・・)何をすれば(・・・・・)いいの(・・・)?」


 先ほどから聞こえてくる人の声と、達人でもない千早が判るくらいには部屋の外に集まっているらしい人の気配に気づかないほど鈍感じゃないし、レスタがわざとそれを無視しているのも判っていた。たぶん千早が人に会いたくないと言えば精霊の長である彼はなんの障害も気にせずに叶えてくれるかもしれないが、ここは王城だ。家主に挨拶くらいしなければならないのは人として当然だろう。


 この世界に落ちてきてもう何日たったのかは分からない。数週間では足りない日数の中で、なんとなくこのまま元の世界には戻れないのだろうと予想はしていた。もちろん戻れない事実には衝撃を受けたが、嘆き悲しみ絶望する時間はすでに過ぎ去っていた千早は未来に対して行動しなければならないことも理解していたのだ。


「私の契約者は強くて聡いな」

 何も知らないからこそなにも選ぶことができない千早は、選択をレスタに委ねる。彼ならば決して千早を悪いようにはしないだろうと信頼を込めて、そして選択する自由も残してくれるだろうと期待して。付け焼刃の乏しい知識で選択する自分よりよほど信頼がおけるだろう。

「人を入れる。私の信頼する人物だ」

 蒼い目が確認するかのように合わされ頷くと、ドアがノックされてレスタが入室を許可する。入ってきたのは黒いメイド服を身に着けた年配の女性だった。


「彼女は私付きの侍女でメイサだ。私に聞きにくいことがあれば彼女に聞くといい。メイサ、彼女が私の契約者の皆川千早だ」

「レスタ様におかれましてはお言葉がお戻りになられたことをお慶び申し上げます。チハヤ様、このたびは契約を結ばれましたこと、まことにおめでとうございます。これから誠心誠意お仕えさせていただきます、メイサと申します。よろしくお願いいたします」

 抑揚のない声だが凛とした雰囲気に、絨毯にぺたりと座っていた千早は背筋を正して頭を下げた。


「メイサ。彼女は異なる世界から落ちてきた故、この世界のことは精霊のことすら知らぬ。どうか彼女の味方になってほしい。取り合えず簡単でかまわないから外で騒いでいる者たちに会える姿にしてもらえるか」

「かしこまりました。衣装はいかがいたしましょう」

「今着ているのは魔法できれいにしたものだからそのままで良い」


 レスタに指示を仰いでいたメイサはシンプルなシャツにフレアスカートを身に着けている千早を見て、小さく首を振る。

「差し出がましいようですがよろしいでしょうか」

「なんだ」

 表情を変えないメイサは臆することなく精霊の長たるレスタに意見できるらしい。真面目そうで主の命令は絶対だと言い切りそうな女性にしては意外で、千早は興味を持って見守った。

「おそらくその服は女性の虜囚に対して用意されたものでございましょう。そのようなものを身につけさせて『外で騒いでいる者たち』に会わせるおつもりですか。服がただ清潔になっていればいいというものではございませんし、チハヤ様とて恥ずかしい思いをなさるはずです。どうか今はレスタ様が出向かれて事情を説明し、『外で騒いでいる者たち』には日を改めてお披露目なさることを納得させる方がよろしいのではないでしょうか」


 てっきりそんなみすぼらしい姿で高貴な人に会わせることはできないといわれる覚悟をしていた千早は、思いの外自分を思いやって告げられた意見に目を見張る。千早を一番に考えたような提案にレスタはしばらく考えると、やがて振り向いて問いかけてきた。


「しばらく……おそらく2、3刻ほどそばを離れることになるが待てるか? もちろんこの部屋にメイサ以外誰も入れぬし、私の真名を呼べばすぐに駆け付けることは約束する」

 二人ともが千早のことを考えてなされた提案に否やはない。『外で騒いでいる者たち』は千早が身なりを整えるのも待てないほど身分の高い人間なのだろうから――なんとなく誰なのかはこの部屋に来る前のやり取りで判ってはいるのだが、さりとて今の千早の身なりを一瞬でそれなりに整える術などあるはずもなく任せるのが一番なのだろう――レスタが顔を出すことで用事が終わるならそうしてもらった方が楽だ。


「メイサさんがいてくれるなら……大丈夫」

「もちろんお側におります。チハヤ様を整えるのに時間が足りないくらいです」

 メイサに指摘されるほど今の千早は全身ボロボロだ。だが下手なお世辞や甘い言葉を使わない彼女に、さすがレスタに信用されるだけのことはあると妙な感心を抱いた千早は笑顔で見送ることができた。

 どちらかというとレスタの方が名残惜し気に立ち上がり、湿った鼻先を千早の頬へと押し付けてしぶしぶといった様子で部屋を出て行ってから、メイサはニコリと微笑んでどこからかひもを取り出す。


「では始めに採寸をいたしましょう。既製品を用意するにしても、まずはそこからですね。それから身なりを整えてマッサージと……お食事は小分けにして回数多く召し上がっていただきます」

 千早を丁寧に観察したメイサは次々とこれからの予定を立て、さらにテーブルに残されていたお菓子を見て追加すると躊躇することなく服を脱がしにかかった。






 ぐったりという表現がぴったりと当てはまる状態の千早は、ようやく身なりを整え終えてソファにもたれ掛かっていた。長い牢屋暮らしで体力が落ちていることは判っていたが、まさかここまでとは思ってもいなかったのだ。それでもメイサの察しの良さと身もだえるほど酸っぱ甘い不思議ドリンクのおかげで、黄色のパンプスとクリーム色のワンピース、中におしゃれな下着を身に着け、髪も爪も整え終えて今に至る。


「お疲れさまでした。今お茶をご用意いたします」

 メイサの方がよほど体力を使ったというのに一切の疲れも見せず精力的に動く様子に、千早は本気でリハビリをすると決意を固める。これからどうなるかは分からないが、働くにしても体力がなければ話にならないだろうから。


「メイサさん。服とかマッサージとか、いろいろありがとうございます」

 お茶をテーブルに置いたタイミングで礼を言うと、彼女は小さくお辞儀で返してから口を開いた。

「レスタ様はお優しい精霊です。人の世にも慣れておりチハヤ様の願いを極力お聞きになるでしょう。ですが、やはり精霊故に気づかぬこともあるのでございます。先ほどのように粗末な服で『外で騒いでいる者たち』に会わせようとなさるのは、決してレスタ様に悪意や他意があるわけではなく、服の値段や価値を気にしない精霊だからこそなのです。わたくしも精霊に仕える侍女として気を付けておきますが、もしチハヤ様がどうしても我慢できないようなことを要求された場合は遠慮なくレスタ様に申し上げて下さいませ」

 おそらくレスタには教えてもらえないだろう、精霊との付き合い方を教えてくれるメイサ。


「『外で騒いでいる者たち』と何かありました?」

 感謝しつつも気になって決して明確な地位や敬称をださずに会話を続ける侍女に恐る恐る尋ねてみると、彼女の周りの気温が一気に下がった……気がした。静かな怒気を漂わせるメイサはその灰色の目を閉じ、そして目を開けて気配を軟化させる。


「まずは精霊とはなにかを説明いたします。彼らはわたくしたち人間の友であり、自然を象徴する存在です。精霊魔法という不可思議な力を操り人々に奇跡をもたらすこともあるのです。精霊はその力を発揮するために契約者と呼ばれる個人と契約を交わすことが必要ですが、契約者は精霊自身が自由意思で選ぶ存在であり、決して何者も精霊の意思を曲げることは許されないのでございます」

「つまり私がレスタの契約者であることに文句を言った人たちがいたんですね」


 精霊の長と呼ばれるような存在が、突然身元不明住所不定無職どころか不法侵入という罪を犯した小娘と契約したとなれば文句を言う人もいるのだろう。それよりも千早には契約者を選ぶ行為の重大さが、人間のメイサとネズミの精霊ロイではずいぶん違うのだとおかしくなった。


「笑い事ではございません。レスタ様はまれに精霊だけにかかる重いご病気を克服されたのです。この国の民ならばそれだけでも僥倖、その上さらに長い間空席だった契約者がお決まりになられました。祝福することはあれど文句をつけるなど……かみなりでも落ちるとよろしいのに」


 そうメイサが低く呟いた直後。

 ズガガガァァァァンと鼓膜を震わせる音とそれと分かるほどの衝撃が部屋の近くで鳴り響き、驚いた千早はソファのクッションを抱き寄せて辺りを見回した。メイサは驚くことなくティーポットを持ったまま「あら、本当に落ちましたね」と楽しそうに笑い、それどころか間もなくレスタが帰ってくるはずだと運び込んでいた千早の日用品を片付けに行く。


「メイサさんの笑いのツボが判らない……」

 窓の外は良く晴れているというのに落ちたかみなりと、彼女のいい気味だと言いたげな清々しい笑みの両方に若干怯えた千早だが、メイサの予言通り直後に戻ってきたレスタを見て気にしないことにした。

「おかえりなさい」

 立ち上がって出迎えると千早の頭から足下までを見回した後、レスタは尻尾を機嫌よく揺らして微笑む。


「可愛くなったな。もとから愛らしいから見違えはしなかったが」

 ストレートに褒められて千早の頬が薄く染まる。その反応すら愛おしいと目を細めたレスタが定位置のオットマンに寝そべりメイサが戻ってきてから話し始めた。

「国王が会いたいそうだ。それと千早が王太子の寝室に落ちた経緯を知りたいと近衛騎士団長も」

 部屋の外にはもっと人がいたように感じたのだが、どうやらふるいにかけられて二人になったらしい。レスタが今すぐ会う必要があると判断したのなら千早も従うと頷いた。


「ここはお城でしばらく滞在させてもらうなら家主に挨拶はしないとね。そしてあの人の部屋に落ちたことは不可抗力とは言え、ちゃんと説明したいなって思ってたから……でも違う世界から落ちてきたなんて信じてもらえるの?」

 精霊レスタにすらこことは別の世界があるという知識はなかったのだ。ごく稀にでも異世界人が落ちてきた前例でもあれば別だが、そんなものがあれば言葉が通じない時点で供述を取るために誰かがどうにかしただろうし。嘘を吐いているとみなされて牢屋に逆戻りは嫌すぎるという千早の杞憂にレスタは心配ないと頷いた。


「精霊のロイに証言を頼もう。この世界の者ならば誰であろうと意思の疎通が可能な精霊ですら千早に言葉が届かなかった。その証言があれば千早がこの世界の人間ではないと納得するだろう」

「あれ? でも私、レスタの声は聞こえたよ?」


 黒い棘を抜いた後だが確かに頭に響くような声が聞こえていたと首をかしげると、金のライオンは小さく笑った。

「契約者の体液を貰うという契約の第一段階を終えていたからだ。契約することで声が届くかどうかは賭けだったから、無事に千早の言葉が判って嬉しかったよ」

 契約者の、たいえき。体液……そういえばレスタには汗も涙も鼻水も舐め取られていた。発熱と大泣きで結構な量が出たそれらを嫌がりもせずに。


「そっか。契約したから突然言葉が通じるようになったんだね。レスタ、契約してくれてありがとう」

 当時を思い出せばいろいろと限界間際で詳細には覚えていないが、それでも頭が爆発しそうになるくらいには恥ずかしい。


「こちらにおいで……違う。私の前にお座り」

 レスタが低い声で顔を真っ赤にして礼を言う千早を呼び、オットマンの前の床に座ろうとしたところを止めて自分と同じところに座らせる。座るレスタの前足と後ろ足の間、ちょうど腹の部分の空いたスペースに落ち着いた千早を確認してメイサが部屋のドアを開けた。


 入ってきたのは五十代くらいの男性二人。豪華な飾りのついた白い軍服のような服を着てミルクティー色の髪を後ろに撫でつけた温和そうな男性と、黒色の同じような軍服だがこちらはかなり窮屈そうで体格の良い厳めしい金髪男性。一目で前者が国王で後者が騎士団長だと判る……これで逆だったら見た目詐欺だと叫びだしそうだが、そんなドッキリはなさそうだと千早はのんきに見物する。

 二人はテーブルをはさんで向かい合っていた四人掛けソファに一人ずつ座り、メイサがお茶を用意するまで口を開くことはなく、その視線はレスタと千早に遠慮なく向けられていた。


「まずはレスタ。『魔女の呪い』が解かれたことをうれしく思う。そして契約者を得られたことも」

 見た目王様っぽい男性がお茶を飲みながら穏やかに笑い、もう一人の男性は表情を動かすことなく灰色の切れ長の目で千早を見つめ続ける。視線が刺さるなぁとは思うが千早とてジロジロと二人を観察した自覚はあるので素知らぬふりで話を聞いた。

「王も壮健でなにより。彼女が私の契約者、皆川千早だ。そしてそちらがこのエーレクロン国のサラディウス王と王族を守る近衛騎士のジラール団長だ」

 紹介と同時に軽く頭を下げるも口は開かないのは、この国の礼儀作法がまるで分からないから。身分の高さの区別もつかないから下手なことにならないようにレスタに丸投げすると、彼は今日の空模様を話すノリで千早の説明を始めた。


「王よ。簡単に言おう。彼女はこの世界の人間ではない。異なる世界から来た迷子なのだ」

 前置きとか心の準備とか根回しとか一切なしに、いきなり要点を話した精霊の長に国王も近衛騎士団長も絶句する。そして病み上がりで騙されているんじゃないかとかすぐさま心配になるくらいには荒唐無稽な話に聞こえたのだろうが、そんな考えなど一切表情にださぬまま二人は沈黙した。


「証拠が欲しければ青騎士団下級騎士ジーク・フィールドの精霊ロイに確認するといい。この世界の生き物ならばなんであろうと意志疎通可能な精霊が呼びかけても彼女には届かなかったのだから。王子の寝室に現れたのも彼女の世界から落ちてきた時の偶然だったようだ。彼女に他意はなかった」

「……それはその者が言ったのですか?」


 枯れた低い声で近衛騎士団長が言葉を絞り出す。レスタを気遣いつつも彼の契約者を疑わなければならない苦渋に眉間の皴が深くなった。

「正確に言おう。彼女が近衛に捕まった後、緑騎士団に尋問され、日の当たらない地下牢の寒さの中で濡れたまま放置され、発熱で体調を崩した後は『魔女の呪いで動物の本能だけになった私』に食い殺させようとした。そして同じ牢に入れられた彼女と契約の第一段階を結び、彼女の言葉を一方的に私だけが理解できるようになったあとに話していたのだ」

 王子の寝室に落ちてきたところをレスタは直接見てはいない。だから牢に入れられてからの事実を推測に結び付けて証拠にするつもりなのだろう。


「泣きながら言っていたよ。『こんな世界にいたくない。帰りたい』と」

 つらい記憶を思い出して手が白くなるほどスカートを握りしめる。人もいて生き物もいて、それなのに世界にたった一人きりのような絶望的な孤独。無性に叫びたくなる衝動をレスタを抱きしめることで堪えていると、慰めるように尻尾が背を叩いた。


「荒唐無稽すぎて疑うことも忘れるな。暗殺者ならそんな凝った身分設定など作らぬし、必要ないのではないか? ジラール」

 騎士団長の名前を呼んでおっとりと笑った国王と名を呼ばれた大柄な男は悩まし気にため息を吐く。

「王太子殿下の寝室に現れたのは転移魔法の失敗で済ますとして……問題は彼女がレスタ様の牢に入れられたことですね」

 案外あっさり事実と認めたのはレスタへの信頼なのか、とりあえず自分たちが認識できる問題を先に解決しようとしているのか。


「ねぇ……」

 二人が入室してから一言も話をしなかった千早が小さく声を上げた。相手はレスタにだったが国王と近衛騎士団長の注目も引いてしまう。

「私は何か罪を犯したの?」

 金のたてがみに顔を埋めながら二人の視線はまったく無視して唯一信頼している相手にのみ意識を傾けると、レスタは小首をかしげて否定した。

「ないのではないか? 王城に侵入したのも言葉が通じなかったのも、故意ではなかったのだから」

 それ以外の罪はないのだろうかと顔を上げて国王と騎士団長を盗み見るも、二人からも否の声は上がることはなく千早はようやく肩の力を抜く。ここでこの国の最高権力者が言い返さないのだから後で誰かがとやかく言おうと問題はない、はずだ。


「彼女は私の契約者だ。私の側でこの世界のことを学ばせる。もしなんの役割も持たぬ者が王城ここにいることを厭うたり、彼女が不快に思うようなことがあるのなら出ていくこともあるだろう」

 温和なレスタが優しく微笑みながら国王に告げると、この城代表の二人があからさまに顔を強張らせる。いったい何があったのかとレスタの蒼い目を覗き込むも、彼は鼻先を千早の頬に押し当てながら低く蠱惑的な声で囁いた。

「心配はいらない。私に任せて、今は身をゆだねて」

 なんだろう。そこはかとなく大人な雰囲気とセリフに千早の頬が薄く染まる。相手はライオン、ライオンと頭の中で唱えるも、知性が高く穏やかで絶対の信頼が置ける男性――雄だと自己申告もあったし――の何かを含んだような言葉に少しだけ反応してしまった。

 千早の反応に小さく笑ったレスタは楽し気な雰囲気のまま国王と近衛騎士団長を見返す。


「案ずることはない。スープの味が気に入らぬからと出ていくようなまねはせぬよ。彼女は聡明で礼儀正しい女性なのだから」

 信頼の言葉を口にしてレスタは視線で千早を促すと、いまだに沈黙するこの国の最高権力者に向かって初めて口を開いた。


「私は……」

 緊張でゴクリと唾を飲み込む。

「元の世界では普通のサラリーマン……一般家庭の子供でしたので、ここでもレスタの契約者以外の肩書は必要ありません。ですが『レスタのおまけ』として滞在させてもらう以上、レスタの許可がおりて私にできることがあればお手伝いしたいと思っております。どうぞよろしくお願いいたします」

 背筋を伸ばして丁寧に頭を下げると、国王の茶色の目が面白そうに笑みを浮かべた。


「ミナガワとやら。そなたは精霊王レスタの契約者だ。望めば聖女としての地位や王族との婚姻も不可能ではないのだぞ? もちろんレスタの許可などいらぬ。そなたの意思一つなのだが?」

 誘うような国王の言葉に小さく首を傾げ、千早は面倒くさそうに口を開く。

「私にはレスタのそばにいることが一番大事です。聖女とか王族とか、なにが面白いのかわかりかねますし、それらに付随する義務まで背負うつもりはありません」


 とにかく今はこの世界に馴染むことで精一杯で権力も高貴な身分も必要はないと暗に示しても、国王の甘言は止まらない。

「だが精霊の契約者とはそれだけで敬われる身分となる。もちろん精霊が選ぶが故に全員とはいかぬが、皆それなりに高い地位についているものばかりだ。そなたにももちろんレスタの契約者として必要な身分を持ってもらわねばならぬのだよ」

 これは決定事項だといわんがばかりの言葉に、けれど千早は表情を変えぬまま自分が直接見た事実を口にした。


「私は他の精霊の契約者が怒鳴られ、蹴られるのを見ています。そのように(・・・・・)敬われる身分や高い地位でしたら必要ありません。もちろんその精霊とレスタの地位が違うなどとおっしゃることはないですよね? 精霊とは身分など持たぬ自由な存在だと聞いておりますので」

 必要なことだけを言葉にすると、大きく深呼吸をする。今日一日でここ数か月分と同じだけの話をしたのだ。体力のない千早はすでに疲労困憊で平静を装うことが難しくなっており、最後には先手を打って釘を刺してしまった。


 眉をひそめ不快を表す近衛騎士団長とそれまで見せなかった老獪な笑みを浮かべた国王に、満足そうに笑うレスタが自慢げに語る。


「王よ。我が契約者は愛らしい上に聡いだろう?」

「そうだな。ミナガワ嬢、試すような真似をしてすまなかった。この世界のことを知れば今の試すような言葉の意味もそなたなら理解するであろう。どうかレスタを頼む。彼は私にとっても家族同然なのだ」

 先ほどまでの為政者としての顔から一人の男性の顔へ表情を変えた国王は真摯に、そして親しみやすい笑顔を浮かべたのだった。


【次回嘘予告】


「王様、悪いと思うならいくつか質問してもいいですか?」

「なにかね?」

「王様というのは権力を持っていて、美人さんを強引に娶ることができるので自然と美形ばかり生まれるようになるというのは本当ですか?」

「……」

「王様なんていっても面倒な仕事は全部部下が片付けるので暇があり、王妃様だけじゃなく何人もの側妃や、その気になればメイドにまで手を出すというのは本当ですか?」

「……っ……」

「王様というのは」

「千早、もうかんべんしてやってくれないか」

「……レスタがそういうのなら我慢します」

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