異世界女子、友人ができる
このお話はフィクションでファンタジーです。
誤字脱字報告に感謝します!……いつまでたっても無くならないね~(虚)
「というわけで私には一般人の生活がまだ無理だということが判りました」
微かな音をさせながら食事をしていたラスニールは手を止めて向かいに座る女性を見つめた。珍しく大人の姿で過ごしていた彼は気の抜けた様子で小さく首を傾げてからオットマンに座るレスタを見る。
「まだ諦めてなかったのか」
レスタとともにいるのなら平民の生活は無理だと教えたはずだが。落ち着いた紅い瞳が訝しげに細められ、大人の男の威厳と色気に惚れ惚れしていた千早は恥ずかしくなって笑ってごまかした。
「言葉が通じるようになったことで、いろいろと忘れていたようです」
「ほぅ。詳しい話を聞いても?」
再び手を動かして食事を再開した男が笑いながら低くいい声で続きを促す。
「はい。まずはモノの名前がほとんど判らなくて、無意識に私の世界の似たものの名前に置き換えていたようです。食事もしていたのでなんとなく原型が判るかな?と思っていたんですが、まったく想像外の形をしていたりして一から覚えなおすことにしました」
「まぁ、そうだろうな」
白身魚を優雅に口に運ぶ仕草すらエロいな、このおっさん。夜のけだるそうな雰囲気も相まって、ラスニール(大人バージョン)の動き一つ一つが妙に気になりながら千早は項垂れる。
「それと私は魔力がないので一人ではほとんど何もできないことも判りました」
木と石でできた建物と馬車を使った移動手段からもう少し文明が遅れているかと思いきや、誰もが持っている魔力を利用した便利な道具が驚くほど一般人に浸透していた。鍵も、明かりも、水やお湯を出すことも、調理をするにしても、すべてにおいて魔力が必要なのだ。
そういえば王城のレスタの部屋でのトイレにもわざわざ千早用に魔石が用意され、魔石をスイッチに触れさせることで洗浄している。部屋以外のトイレはブレスレットをかざすように言われていて、容量の少ないソレにレスタが毎日魔力を補充してくれていたのだ。
王城には貴族や王族もいて、それらの人々は自ら鍵を開けたりドアを開けたりしないために千早も気付かなかったし、レスタやメイサ、ジークたちに精霊も常にそばにいてくれたおかげで不自由なく生活できていたと言っていい。
「やはりそこか」
現在住んでいるクランベルド邸の離れは千早が入るにあたって国外の賓客と同じ仕様に改装されている。明かりも、水も、トイレも、すべてのスイッチに魔石が組み込まれていて、一度触れるとオン、二度触れるとオフになる仕様になっていた。
魔石自体が魔物からとれる高価なものだと聞けば普段使いなどできるわけもなく、魔力チートも知識チートもない千早は現状に甘える以外に生活していく術がないと思い知ったのである。
「はい、そこでした」
千早にはレスタの呪いを解いたという実績があるからこそこうして手厚くこの国にもてなされているが、落ちたのが王子の寝室だったのはこうなれば奇跡だったとも思えた。そうでなければ千早はレスタに出会えず、意思疎通もできないまま生きていくことはできなかっただろう。
「私は恵まれています。こうして言葉も通じて、雨風をしのげる寝床があって、飢えることなく食事が取れて、人としての尊厳が守られる環境にいるのですから」
「……そうか」
あきれたような深いため息と苦笑い。大人の男の艶のあるしぐさに内心で悶えながら、千早は食後のお茶を飲んでいると横から大好きな声が割り込む。
「私の契約者になったことは」
「それは奇跡」
ラスニールとは違うレスタの低い声に間髪入れずに即答すると、押し殺したような笑い声が二つ響いた。
「どうして笑うのよ」
ちょっとムッとしながら二人を見れば洋紅色と紺桔梗の優しい目が千早を見返して、同じ言葉を同時に発した。
「お前は「そなたは『可愛いな』」」
耳まで赤くなった千早がテーブルに突っ伏してから顔を上げるまで五分以上の時間がかかったのだった。
「とっもだちじゅ~にんでっきるっかな~」
本という繊細な物の保存場所故に窓の少ない書庫を出た千早は、腕の中に図鑑を抱えて歌を歌いながら王城を歩いていた。もちろん周囲にはレスタ以外誰もいないと確認した上での行動である。
「じゅ~に~んでお弁当食べたいな~って一人足りないよね」
「そうなのか?」
不思議そうに見上げてくるレスタ。
「だって十人の友達と私を入れたら十一人でしょ?」
「確かにな」
人通りのない廊下から明るく開放的な廊下へと進み、城の浅い部分まで戻ると職場へと足を進めた。多くの人が行き交う廊下は広く、たまに精霊王の姿を見て嬉しそうに立ち止まる者はいるもののほとんどの人は仕事のために歩いていく。
廊下といっても学校のような狭さではない。幅は学校の教室を二つつなげたくらいで、吹き抜けの天井と大きな窓のために広間と言っていいほど。おかげで人が多くても千早は怯えることなく歩くことができるのだが。
あと少しで緑騎士が立番している客間へ続く廊下の入り口というところで、前方からざわめきが近づいてきた。
「あ、メリーベル様だ」
第二王女メリーベルが護衛騎士二名と侍女数名、それと友人らしき貴族の女性三人と歩いてくるのが見えた。さすがに王族の登場だけあって人々は歩みを止めて皆が首を垂れる。レスタの横で千早もまた日本式で頭を下げて彼女たちが通り過ぎるのを待っていると、第二王女はレスタの前で足を止めて挨拶を交わした。
「ごきげんよう、レスタ。それにチハヤ」
年齢が近いこともあって得体の知れない人間の千早にも気軽に声をかけてくれる。ちなみにこの国の流通を管理するのが彼女の仕事であり、将来は公爵家へと降嫁することになっていた。もちろんレスタの部屋に来て愚痴っていったことも数回あるが、兄弟五人の中では一番大人しい印象を持った女性である。
「相変わらず仕事が忙しそうだね、ベル。私にできることはあるかい?」
「いいえ。今はないわ」
国内を半日で移動できるレスタや一部の精霊の力を借りることの多い王女は精霊とも相性が良いらしく、精霊たちから彼女に関する愚痴を聞いたことがほとんどない。逆に王子王女の中で一番評判が悪いのは第一王子ファリシオンだ。理由は自分の契約者をこき使うから、というなんとも微笑ましいものであるが。
「チハヤもここでの生活に慣れた? おじ様が無理を言っていないかしら?」
王族に会うとなぜか後見人の名前とともに迷惑をかけていないかと聞かれることが多い。彼が若いころはどれだけやんちゃだったのか、なんとなく察せられる話だ。
「おかげさまで快適に生活させていただいております。クラウンベルド閣下にも良くしていただいております」
「それを聞いて安心しました。それでは、またね」
見苦しくない程度の敬語で返せば、王女は満足そうに笑って別れの挨拶とともに立ち去っていく。ワンピースを着た千早は丁寧にお辞儀をして見送ると、付き従っていた令嬢の一人が目の前で足を止めた。
「かかとを揃えて、つま先は指三本分くらい広げるの。頭を下げたときに背筋が曲がらないようにすればもっと美しい姿勢を保てるわ」
千早の礼に対する指導に口を小さく開けて相手を見上げると、金髪と緑のつり目の令嬢は厳しい表情のままじろりと見まわしてくる。
「はじめまして。エインズワース侯爵家のオーガスタよ」
「レスタの契約者の皆川千早です」
「そう、レスタ様の……ところで今言ったことを意識して、もう一度礼をしてみなさい」
腕に分厚い辞典を抱えていたが、オーガスタについていた侍女が近づいてきて受け取ろうと手を差し出してきた。無言の威圧に負けて恐る恐る渡すと、先ほど言われたことを思い出しながら姿勢を改めて頭を下げる。
「頭を下げすぎ。背筋から一直線になるようにして。腕は軽く曲げて、指はまっすぐ伸ばして」
最後はプルプルと震えながらも言われたとおりにお辞儀をすると、彼女は満足したように笑みを浮かべて大きく一つうなずいた。
「よくできているわ。これなら王族の前に出ても少しはましね」
「これ以上どこを直せば?」
王族の方々とはよくお会いするから、できるなら完璧な礼儀を覚えたいと親身になって指導してくれた女性に質問すると、彼女は仕方なさそうに口を開く。
「たとえ平民だろうとも王族にお会いするならドレスが正装よ。そしてドレスを身に着ければ礼儀作法も変わってくるわ。レスタの契約者ならある程度のドレスを購入できる予算があるはずだけど……なぜドレスを着ないの?」
やっぱりドレスかぁと遠い目をしていた千早は最後の質問にしばらく考え込むと、オーガスタに同意するようにうなずいているレスタの頭を撫でながら苦笑した。
「それはレスタのための予算です。私の身を飾るためのお金ではないはずです」
「いいえ。レスタ様の契約者が不自由しないためのお金です。今までレスタ様の契約者はほぼ全て権力者でいらっしゃったので必要ありませんでしたが、そうでないのなら、あれは貴女の身を整えるために使われても構わないものなのよ」
「エインズワース侯爵家は代々財務関係の役職に就いているのだ。そなたでは太刀打ちできぬよ」
つたない言い訳はすぐさま否定され、反論できずにいる千早に笑いをこらえたレスタが助け舟を出す。ぐうの音も出ないとはまさにこのことかと恨めしそうにレスタを見ても、常日頃から何かと千早の欲しいものを聞いてくる彼に通じるわけもなく。
「ドレスは面倒だし、きつくて……」
この世界の貴族女性なら当たり前の事実を嫌だと拒否する自分が情けなく思うが、だからといって四六時中ドレスでいる苦痛と比べるまでもない。
「私のいた世界ではドレスなんて結婚式の時くらいしか着なかったし、それだってコルセットなんてつけなかった。結婚式の数時間だから耐えられたけど、それが丸一日普段着代わりに着ていられるほど慣れていないんです。突然この世界に来て、ご飯が食べられて、住むところも与えてもらって、役に立っているのか判らないけど仕事もさせてもらえて、文字とモノの名前を覚えながらレスタのそばにいられるのならドレスくらい我慢しなきゃいけないことも判っているんだけど……」
言葉を遮られないのをいいことに言いたいことを吐き出していた千早が話すのをやめた。体の横で白くなるほど握られた手がかすかに震え、そこにレスタがそっとたてがみを擦り付ける。はっと冷静になって自分がどんなにわがままを言ったのかを自覚すると、慌てて目の前の令嬢に目を向けて再び凍り付く。
そこには厳しい視線で千早を睨むオーガスタが令嬢らしからぬ腕組みをしていた。
「……」
「……貴女、だれか話を聞いてくれる人はいるの?」
やっちゃったよ、うっかりぶっちゃけちゃったよと青くなっていた千早はオーガスタの言葉を聞いてぽかんと口を開ける。突然のことに言葉も出ない様子を見て、あまりフリルのついていないシンプルな薄緑のドレスを着た彼女は腕組みを解いてレスタを見た。
「レスタ様。挨拶が遅れて申し訳ありません。オーガスタ・エインズワースと申します。彼女と話をしたいのですが、お許しいただけますでしょうか」
「私の許可は必要ないよ」
「それでは遠慮なく。今から予定はあるかしら?」
レスタとのやり取りは短く、真面目そうな彼女の目的が精霊王でないことが判る。先ほどまで厳しい表情だったオーガスタは背筋を伸ばし自分の侍女に何かを指示すると千早に聞いてきた。
「予定……は、これから図鑑で勉強するくらい」
「今からわたくしとお話をしませんこと? お茶を飲みながら」
同じ年齢か少し年下にも見える彼女の迫力に押されて反射的にうなずくと、侯爵令嬢はここで初めて年相応の笑顔が浮かび部屋へと先行しながらレスタに釘をさす。
「あ、女性同士で話をしますのでレスタ様はご遠慮くださいませ」
当然のようについてこようとしたレスタが珍しく顔を歪ませるもオーガスタは対応を変えない。
「そばにいるだけだ。話の邪魔はしない」
「駄目です」
「なぜ」
「男性には聞かせられない話をするからですわ」
「私は精霊だぞ」
「関係ありません。女同士の秘密の話をする予定ですの」
皆が敬愛する精霊王に一歩も引かない侯爵令嬢に、さすがのレスタも観念したようで残念そうに足を止めると千早を見上げた。
「部屋に戻っているよ。ジークを呼ぶかい?」
過保護な精霊に反論しようとしたオーガスタだったが、冷たく固まった空気に何かを感じたのか口を閉じて成り行きを見守る。
「ん、大丈夫。多分一人で帰れる」
「……わたくしがここまで送りますわ」
「オーガスタ様、ありがとうございます」
ちょっと不安だったから助かった~と笑った千早はレスタのたてがみを撫でながら膝をついて抱きしめつぶやく。
「彼女は私の話を遮らずに最後まで聞いてくれた。私の至らないところも理由をつけてちゃんと教えてくれた。お茶の目的は判らないけど、行ってみたい」
今まで出会った人々の中で精霊と身近な人を除けば千早の話を聞こうとしてくれたのは彼女が初めてだった。ほかの人は会話はしても話を聞こうとする人はいなかった気がする。
「そなたが選んだのなら間違いはないだろう。楽しんでおいで」
縦長の瞳孔を持つ穏やかな青い目が細められ、全幅の信頼を寄せる自分の精霊の頬に軽くキスをすると千早はレスタと別れて城の奥へと足を向けたのだった。
「わたくしは第二王女殿下の側近をしております。メリーベル殿下の主なお仕事はご存じ?」
「あ、はい。ご本人やほかの殿下方からも少しだけ伺っております」
王城内の客間を借りることができるほど信用があるらしい侯爵令嬢が、手ずからお茶を入れながら先ほどとは違って穏やかに話し始める。
「ミナガワ、さん」
「あ、千早でいいですよ。皆川は苗字……家名です」
「わたくしのこともオーガスタと。ところでどうして家名と名前を逆に名乗ったの?」
「私の国の名乗り方なのです」
「まぁそうなのね。魔女の森の向こうの国には家名と爵位を名乗ってから名前を告げる国もあるの」
「そうなんですね」
自国の名乗り方をすんなり受け入れてもらえるのは久しぶりだ。名乗った人の半分は作法が違うと高圧的に指摘し、残りの人は礼儀を知らない人間を見るように苦笑する。ごく一部の人だけが笑うか面白がるという反応を示したが、それは個性によるものだと千早は考えていた。
「ええ。ただわたくしのように国外の知識がない人には一言あると後々の面倒は少なくなるわ」
「ソレで私のことをどの程度知っているか測れ、とクラウンベルド閣下に言われました」
花の香りのするお茶は何も入れなくても甘みがあってとても美味しかった。温度も丁度よくて一気に半分も飲むとオーガスタは嬉しそうにほほ笑む。
「そのやり方は公爵閣下だからこそできるものですわ。ですが判りやすい判別方法でもありますわね」
敬称なしで『皆川』で呼べばこちらを見下している証拠になり、『千早』で呼べば直接本人を知らない人間だということになるのだ。
「レスタ様の契約者が現れたという話はすでにわたくしたちにも回っているの。でも王族の方々やクラウンベルド閣下、騎士団長方や魔導士長まで認めたというのに夜会にも式典にも出席しないことで貴女を疑っている人が多いわ」
まぁそうだろうな、と正直思う。千早の感覚から言えば国の象徴である一族の結婚相手が決まったと発表されたのに、その相手の名前も顔も判らないのでは不安になるのも当たり前だ。
「言動から平民だと推測できるけど、高貴な身分の方々が歩くカーペットを恐れも戸惑いもせずに歩いた話も聞いていたから、貴女をどのように扱ったらいいのか判らないというところがわたくしたちの本音なのよ」
高貴な身分の方々が歩く絨毯とはアレか。ファリシオン第一王子の寝室が見たいと言った時に通ったあのフカフカの絨毯が敷かれた廊下のことか。それともカルシーム砦から帰還したとき報告しにいった広間に敷かれていた赤い絨毯のことか。どちらにしろ知らなかったしラス様も何も言わなかった。
「あー、んー。知らなかった、では言い訳として不十分ですか?」
「王城の広間に敷かれている赤いカーペットは国の重要人物だけが立ち入ることができると、平民でも知っていてよ?」
あ~、高貴な身分の方々が歩く絨毯ってあっちか~と頷いていた千早はさらに質問を続ける。
「国の重要人物以外はカーペットの上を歩かない?」
「普段は敷かれていないの」
だから普段の謁見では気にすることもないのだと翡翠の目が穏やかにほほ笑むが、クラウンベルド公爵閣下が帰城した際には常に敷かれているので彼は気が付かなかったのだろう。これだから常識がないって言われるんだと落ち込んでいると、オーガスタがお茶を飲みながら淑やかに笑った。
「思っていた以上に普通の女性のようで安心しました。それに常識がないというより常識を知らないのね。誰かに教えを乞うようなことはしなかったの?」
「オーガスタ様。私はこの世界のことを何も知らないのです」
告げてから理解してくれるだろうかと綺麗な緑の目を見つめ返せば、第三王女のようにしばらく考えてから口を開く。
「記憶喪失……ということかしら?」
なんとかこちらの言うことを理解しようとしてくれているのだろう。オーガスタの少しずれた質問に千早もしばらく考えてから答える。
「記憶喪失になったことがないので正確には判りませんが、似たようなものかと」
正確には文化も言語も常識も違うのだが、この際正確さはそれほど重要でない。
「この間、初めてこの国の通貨で買い物をしたんです。計算はできるのですが物の価値が判らないので、一緒にいた友人にとても迷惑をかけてしまいました」
「どこで買い物を?」
「市場で」
「判るわ!」
ここでオーガスタが食いつくように笑った。
「平民が使う市場では店によって同じ品物でも値段が違うのよね。値切ることもあるしおまけをつけてくれることもあるとか」
「オーガスタ様も市場に行かれた経験があるのですか?」
「お忍びでね。わが家が使う店では値切ったり値段を気にしたことがなかったので驚いたわ」
「でも屋台の食事は美味しいですよね」
「それが食べたことがないの。さすがに外で立っての食事は恥ずかしくて」
そこはさすがお嬢様。ほんのり頬を染めて恥じらう様子は身もだえるほど可愛らしく、千早は大学の友人たちを思い出しながらお茶のお代わりを受け取る。
「貴族の令嬢方は城下で遊んだりしないんですか?」
貴族だけが通う学園と各々の家、そして貴族専有の日がある博物館や植物園以外に貴族らしき人を見たことがない。それ以外に何をしているのか興味があった千早は少しおせっかいで親切な女性に質問した。
「遊ぶ?」
「はい。買い物をしたりランチやお茶でおしゃべりしたり、あとは……」
「買い物なら身分にもよるけど侯爵家以上なら自宅に商人を呼ぶわ。伯爵家以下でも貴族街にある貴族御用達の店を使うわね。食料品や日常で使うものは家令を中心に家の者たちで購入するし、食事は防犯上の理由から自宅や貴族専門のレストランで予約を取るわ」
「防犯……」
「男性なら毒薬、女性なら毒や堕胎薬とかかしら。そうは言ってもこの国は平和でそんな物騒な話を聞いたのは百年くらい前の話らしいけど」
年若そうな女性の口から飛び出る物騒な単語に青くなった千早を安心させるように、テーブルの上のお菓子を摘んだオーガスタは優雅なしぐさで堪能する。付け足された言葉に安心して同じようにお菓子を口に運ぶとクッキーのようなお菓子を飲み込んだオーガスタが小さく笑った。
「でも千早は気をつけなさいね。貴女を邪魔だと思っている輩はそれなりにいるから」
それを聞いて喉を詰まらせたとしても、たぶん千早は悪くない。慌ててお茶を飲むと責めるように小さく笑い続ける女性を軽くにらんだ。
「とはいえ神出鬼没のチハヤを毒殺しようとするのはよほど貴女に近い人間でなければ無理だし、クラウンベルド公爵閣下やレスタ様の庇護下にあれば心配することはないわよ」
「驚かせないで下さい。オーガスタ様と会ったのは今日が初めてなんですよ。一瞬だまされたのかと思っちゃいました」
苦しすぎてにじんだ涙をぬぐいながら大きく一息つくと、どことなく嬉しそうに笑う侯爵令嬢がいて。
「良かったわ……今まで命の危険を感じたことがなかったのね」
告げられた言葉に呼吸が止まる。
「けれど今のように見知らぬ人間に簡単について行ってはダメよ」
千早の動きが止まったことが判っているのにオーガスタの自身を顧みない助言は続いた。
「……お茶に誘ってきたオーガスタ様が言うことですか? それに一応私なりの基準があって信用したんです」
「あら、それは光栄ね。一部の連中から新しいレスタの契約者は無礼で精霊王に寄生していて警戒心の強い小娘だと聞いていたから、そんな貴女から信用されて嬉しいわ。ちなみに基準を教えてもらえたりする?」
「いいですよ。私の話を聞こうと言ってくれた初対面の人間はオーガスタ様が初めてなんです。それにメリーベル殿下と一緒にいらっしゃった方ですし、魔導士長と宗教家を除いてレスタより先に私に挨拶した方も初めてでした」
魔導士長は部屋に入った瞬間に千早を研究させてほしいと口説いた稀有な人間だ。ちなみに彼は「精霊なんてどこにでもいるだろう。別に今じゃなくても研究できるし」と正直に口にしてラスニールに頭を叩かれていたが。
「一応ちゃんとした理由があったのね」
「あまり常識がないので苦労してますが、人を選ぶ基準なんて結局自分で選ぶしかないかなぁって」
「常識がないのと常識を知らないのは別ですわ。そして学ぼうと努力している方を馬鹿にするのも滑稽です」
ここまで面と向かってはっきり言われ、千早は赤くなりうつむいた。同時に似たような年齢なのに自分の意見を恐れることなく口にすることができる彼女を尊敬してしまう。
「それに何が悪いのかを指摘する人はいても、それをどう直せばいいのか教えてくれる人はいませんでした」
常識を知らないお前が恥ずかしいと笑う人はたくさんいた。レスタの前でも堂々と告げられたそれは、この国の礼儀を知っていて当然と、そしてレスタもそう思っているはずだと言葉にせずとも高慢に言い放っていた。
「あら。それならこれが自国の礼儀だと言っていいわよ」
国民性ゆえか礼儀を欠くという行為を恥ずかしく思っていた千早は、あっけらかんと告げられたオーガスタの言葉に頭にハテナマークを浮かべる。理解が追い付かない彼女のために金髪の彼女は透明な宝石のついたイヤリングを揺らして更なる説明をしてくれた。
「貴女が今までこの国にいなかったことは皆知っているんだもの。これがチハヤの国の礼儀だといえばそれを馬鹿にする貴族はいないわ。貴族は自国に誇りを持っているのだから相手の国を尊重するのが最低限の礼儀よ。それでも相手が何か言ってくるようなら『あなたは相手の国の礼儀も尊重できないのですね』って言っていいわよ。多分その前に周りの人が止めると思うけど」
「でもできれば何が間違っているのか聞きたいんですけど……」
「やめておきなさい。信用のない相手に教えを乞うても嘘を教えられて貴女が恥をかくだけよ」
そういう切り返しもあるのかと感心する千早に、呆れたような視線を向けるオーガスタ。
そこに侍女が「時間です」と声をかけてきて、千早は長時間話し合っていたことにようやく気が付いた。
「とても楽しかったわ、チハヤ。今度はゆっくりお話をしたいから今度我が家に遊びに来て」
「こちらもありがとうございました。レスタも一緒にいいですか?」
「レスタ様に内緒の話はないの?」
そういえば先ほどもオーガスタはそういってレスタを断っていた。レスタに内緒の話……と言われても思いつかない千早を見て、彼女は淑やかに笑って小声で囁く。
「チハヤが気になる人はいないの? ここはこの国の中枢よ? 男性女性問わず素敵な人が多いわ」
いわゆるコイバナをしようと誘われているらしい。若い女性らしい気遣いだと笑っていると、花の香水がフワリと匂うまで近づいてきてそっと手を握ってきた。
「わたくしの恋人に立候補してくださってもいいのよ?」
「そうだった……この国は同性愛もメジャーだった……忘れてた……」
恋愛一つとっても常識と違うのだと真っ赤になった千早は、項垂れつつも彼女にエスコートされるためにノロノロと立ち上がったのだった。
三日後。
「オーガスタ様、あ~そ~ぼ~」
貴族の邸宅が立ち並ぶ一角にあるエインズワース侯爵家の門扉の前で、護衛の騎士に睨まれながら千早は声を上げる。侯爵家を守る騎士ゆえに先ぶれのない訪問を警戒していたが、即座に取り押さえられなかったのは隣にレスタがいるからだ。
「貴女! 歩いてきたの?!」
不審者であるはずの千早の訪問だったが、侯爵家の使用人は親切にもオーガスタへ報告をしてくれたらしい。
「え? 私、馬車なんて持ってないよ」
「そういうことじゃないし、訪問の予定はなかったわ!」
「散歩ついでに寄っただけだから忙しいなら気にしないで」
「精霊王を連れて散歩しているの?!」
「レスタとの散歩、楽しいよ? その場所であったこの国の歴史を話してくれるし」
「……ねぇ、チハヤ。わたくし、貴女に言ったことを訂正するわ。『自国の礼儀』を盾にするのもほどほどにね。それと今日は予定がないからゆっくり話をしましょう」
数日前の千早とは逆に頭が痛そうに項垂れた彼女は、それでも仕方なさそうに屋敷へと招き入れてくれたのだった。
【次回嘘予告】
「豪華なドレス、美味しい食事、ガラスの靴、カボチャの馬車」
「ガラスの靴にカボチャの馬車?」
「レスタは知らない? 私の世界の舞踏会のイメージなの」
「ガラスの靴ならなんとなく想像できるが、カボチャとはなんだ?」
「あー。皮が緑色で固くて、身は黄色で甘い野菜で……いいや。とにかく魔法で野菜を馬車にして舞踏会に行くの」
「千早ならクラウンベルド公爵家の馬車に乗れるだろう」
「それでラス様と一緒に馬車を降りるの? それはちょっとね~」
「嫌なら私が乗せていこうか?」
「それもちょっとね~」




