異世界女子の経過報告
このお話はファンタジーでフィクションです。
エーレクロン王国王城、執務棟の一室。
最高機密を扱う区画にある警備の厳重なそこには第一王子ファリシオン、第二王子レインナーク、第三王女ミリスティア、クラウンベルド公爵ラスニールと精霊レスタ、そして青騎士ジーク・フィールドが揃っていた。
ジーク以外はソファに座り、ドアの一番近い場所で立つジークも薄い表情で侍女がお茶を用意するのを見守り、場が整うのを待っていた。
「さて。『チハヤ』についての定期報告といこうか」
最初に口火を切ったのはこの件の最高責任者である美貌の王太子ファリシオンだ。しっとりと流れる銀の髪と宝石のような翡翠の目を持つ青年は、その整った顔に楽しそうな表情を浮かべて斜め向かいに座るレインナークから促した。
顔の造作は似ているのに茶髪と茶色の目という平凡な色彩のためにファリシオンとは雰囲気の違った男らしい第二王子は、長い足を組んで楽しそうに話しだす。
「彼女は平民で、戦いなどない平和な国に住んでいたという本人の証言に嘘はないな。運動としての剣術はあったようだが、命のやり取りの経験もないから警戒心も薄い」
「聡明で思慮深くはありますが、人を疑うことが少し苦手なようですわ。前の世界では周囲の人々に恵まれていたのでしょうね。精霊たちの話だけではなく自分の世界の話も不用意にしておりませんし、わたくしは人として信用のできる方だと思いますわ」
この場では最年少だが大人びた口調のミリスティアが優雅にお茶を飲みながら告げれば、少年姿のラスニールは呆れたように姪を見た。
「チハヤはずいぶん戸惑っていたぞ。精霊の話もお前たちの話も、平民である自分が聞いていい話ではないと恐れていたし。だが王城でも物怖じしない程度には育ちはいいな。食事のマナーも教えさえすればほぼ完ぺきにこなせる知性もある。何よりアレは一度受け入れた人間を裏切ることのできない性格だ。それも育ちで形成されたものだとしたら、どれだけ生き残るのが容易い場所にいたのか想像はできないな」
話し終えると深紅の目がジークに向けられ報告を促される。
黒騎士の護衛のいるこの部屋で唯一青騎士の制服を着た背の高い男は、視線をテーブルに向けたまま必要な報告を固い声で話し始めた。
「人との深い付き合いは望んでいないように感じました。正確な『自分』は必要な人が知ってくれていたらそれでいい、とも話しております。それと私と二人でいるときに殿下方の名を出すことはほとんどありませんでした。名を出すのも判らないことについての質問時のみです。私には自分の位置を慎重に探っている、という印象を受けました」
「ああ、それは私も同じ印象を持った」
ジークの報告にそれまで黙って聞いていたファリシオンが同意する。
一人用ソファに頬杖をついて座っていた行儀の悪い王太子は、最初に千早と話をした国王との会話を話し出した。
「レスタの契約者であるがゆえに聖女や王族の伴侶にもなることができると父が言ったらしいが、その前にレスタの契約者である肩書以外はいらないと断ったらしい。もちろん父がこの国の王であることも知った上で、聖女や王族の義務まで背負いたくないと断言したそうだ」
「そこまで判っているならこの集まりはいるか?」
「『王』とは何か、『聖女』とは何かをチハヤが理解していない可能性もあったからね。この世界の形を知った彼女がどう考えるのかを知る必要があったんだよ」
呆れたようなラスニールとにこやかにほほ笑むファリシオンを見ていたミリスティアがふと思いついて発言する。
「もしかしてコレが『精霊の愛し子』の影響かしら? レインナークお兄様、お兄様の精霊はチハヤに会わせましたか?」
「いいや」
「お母様も黒蛇も彼女のことをすごく気に入っているのです。クラウンベルド公爵もそうですし……精霊が愛し子を慈しむ気持ちが契約者にも伝わるとおっしゃっておりましたわね。もし精霊を介して契約者を油断させるような能力を持っているのだとすれば……」
確認するミリスティアにレインナークが否定すると、王女は最悪の事態を想定して話を続けたが。
「彼女は未だに一人で泣くのだ」
それまで沈黙を続けていたレスタが王女の言葉を遮るように重い口を開いた。ロイヤルブルーの目を伏せて悲しげに、その黄金のたてがみすら輝きを失ったのではないかと錯覚するほど意気消沈して。
その部屋にいたすべての人間がレスタに視線を向け沈黙する。
「昼はそれほどではないのだが、夜はどうしても苦手らしい。千早が落ちてきたのも暗い影を踏んだ夜だったと言っていたし、眠る間際に家族や友人を思い出すのだろう。私に気付かれないようにそっとベッドを抜け出して、月を見ながらバルコニーで一人泣くのだ」
精霊は眠りを必要としない。この世界の人間ならば誰しも知っている事実だ。たとえおとぎ話レベルであろうとも精霊の話は他国にもあふれていて、知らないふりをすることは難しいし意味がない。
憂う精霊王は声の調子を変えぬまま淡々と『彼女』を紡ぐ。
「翌朝は何もなかったかのように笑ってくれるが、泣きはらした目を隠せなくて落ち込んでいる。まるで元の世界に戻れないことを悲しんだことで、私たちを傷付けてしまったかのように」
そこで一息つくと理知的な光を宿した真剣なまなざしで一同を見返した。
「千早の存在は私以上に稀有なもので、国としてもこの世界の住人としても簡単に許容するわけにはいかないのは理解している。だがまずはお前たちのその目で見た千早はどうだったのかを考えてほしい。この世界の住人ではないとか、魔力を身に宿していないといった目につく特徴ではなく、生身の彼女と話をしたお前たちの感覚は決して間違いではないはずだ」
いつになく饒舌に話したレスタは彼らの返事を待つことなく立ち上がり、ドアに向かって歩き出した。
「ああ、そうだ。ファリシオン」
黒騎士が開けたドアをくぐる前に歩みを止めた精霊王が、言い忘れたことがあるらしく振り返って王太子の名を呼ぶ。
「お前の案は確かに確固たる身分を千早に与えるだろうし、監視をしやすいといった名分も納得しやすい。だが千早は嫌がるぞ。それに私も千早を他の男にくれてやる気はない」
レスタの縦長の瞳孔が細く絞られると、考え込んでいた美麗な青年の眉間にしわが寄せられる。それだけでも珍しいことなのに、さらにファリシオンは何やら呆れた様子で椅子の背もたれへと自身を預けた。
「全部お見通しというわけですね。それは陛下かスノーからの情報ですか?」
自分の父とその精霊の名を出すと、レスタはひげを揺らして笑う。
「いや、千早だよ。あの子は情報の取り扱いと結び付け方をよく知っている」
その言葉に難しい顔をしたのはファリシオンとラスニールだった。
「ああ、あくまで今回気が付いたのは偶然だと言っていたがな。ただこれをこの場で報告する正直さは汲んでほしいとの伝言だ。それと最後の一言は私の本気だよ」
驚く人々を置いて優雅に立ち去るライオンを見送り、再び密室になった部屋で人間たちは視線を交わし合った。
「……ファリシオンお兄様。まずはお兄様の案とやらをお聞かせくださいますか?」
「チハヤを私の後宮に入れてはどうかという話は出ていた」
ミリスティアは年に似合わぬ眉間の深いしわを自らの手で直しながら質問すると、ファリシオンは誤魔化すように出されたお茶を飲みながらさらりと暴露する。
千早が精霊たちから知りうる情報は断片過ぎて、たとえ彼女から漏れたとしても修正の利くものだ。だが一部の文官貴族から出されていた情報漏れを懸念する声は無視できるものではなかったし、それを払しょくするにも間違いのない提案だったのだが。
「確かに彼女を守っておくには最適ですわね」
同意したミリスティアにレインナークが残念そうな表情を浮かべる。
「ミリー。彼女は最初に陛下の提案ですら必要ないと言っていたんだぞ」
「そうだな。彼女を私の後宮に入れることはあまり難しいことではなかった。そのための根回しもしていたしね。ただ一番の問題は……」
「チハヤが王太子に落ちないことだろうな」
千早が望まなければ王太子の後宮入りは実現できないと、最後のラスニールの言葉にその場にいた全員が深いため息をつく。精霊王レスタの契約者とはそういう力を持つのだ。
「エーレクロン王国の美貌の王太子の名が廃りますわね。いいえ、この場合はファリシオンお兄様の魅力が足りなかったというべきかしら?」
隣国の王女という婚約者がいてもなお夜会などで関係を持とうとする令嬢があとを絶たないほど人気のある王太子に対して、妹姫が受けた衝撃をやり過ごすように理不尽な言いがかりをつけてくる。
「ミリー。いくら『お兄様』でもそれは傷付くよ」
「チハヤのレスタへの敬愛はおそらく誰よりも高い。私ですら彼女をレスタから引き離せなかったのだから」
ファリシオンのわざとらしい嘆きに同調することなく、ラスニールは怜悧な顔に胡乱な表情を乗せて彼女と移動した数日間を思い出していた。
カルシーム砦から王城までの移動中、レスタは常に千早のそばにいた。往路ではあいさつ回りに離れていたという報告を受けていたラスニールは、レスタが離れた時を狙って彼女を見極めようと考えてもいたのだがうまくいかず。リーガが思いのほか彼女を気に入り常にそばにいたこともそうだが、何よりレスタがラスニールを警戒したことに驚いたのだ。
精霊の契約者を警戒していたのであれば護衛していた青騎士ジークもそうなのだから関係はない。そして何が違うのかを観察していて原因らしきものにようやく気が付いたのは城に着く直前。ラスニールを警戒していたのはレスタではない。おそらく千早なのだと。
「チハヤは自分の世界ではあまり馴染みのない『身分』を警戒している。だから陛下の誘いも、本当の私の姿にも、王太子殿下の詫びにも反応しなかった」
千早をレスタの契約者と認めた謁見時に不愉快な思いをさせたとして申し出たファリシオンからの詫びの話は、後見人であるラスニールに報告されている。「落ちてきた場所を確認させてもらったのですが、大丈夫でしょうか」と不安と落胆を混ぜた表情に彼女の希望がほとんど絶たれたのだと知り、さすがのラスニールも同情を禁じえなかった。
「それを差し引いても私の容姿は女性に好まれやすいと思っていたのだけどね」
冷静で見目麗しく優秀な王太子。彼の評価はおおむね良好なものばかりだ。高貴な雰囲気を漂わせて穏やかに笑う長兄の言い分は、兄弟姉妹に言わせると少し違うようだが。
「チハヤの好みがファリシオンお兄様のような(裏の顔を知らなければ)美形でもなく、クラウンベルド公爵のような(わたくしの好みではない)たくましい体でもなく、今の(外見だけは)可愛らしい少年でもなく、お母様のような(くやしいけれど)美女でもなく、レインナークお兄様のように(素敵で)平凡な容姿でもないとしたら……あ」
ミリスティアは小声で注釈を入れながら適任はいないかと次々と千早が会ったことのある人物をあげていて、一人だけ心当たりがあると言葉を止めた。その場にいた護衛を含めた全員が彼女に注目する。
王族であるという自覚からくる為政者としての聡明さを、この時ばかりはどこかに放り投げたらしい王女はどこか夢見るようなうっとりした口調で言った。
「そういえばチハヤと話しているときにジラール団長が素敵だと言っていたのです。わたくしも同じく思っておりましたからとても話が弾んで……きっとチハヤはジラール団長のような渋くて大らかで、人生経験を積み重ねた大人の男性が好きなのではないかしら」
恋の話に王妃譲りの青い目を年相応に輝かせるミリスティアを生ぬるい目で見守る男性陣。もう少し年若い貴族子息とか精悍な青年騎士とかいるだろうに、と妹を不憫に思っていたファリシオンはそれで納得もした。
「そうだとしたら条件が完全に当てはまるレスタが彼女の好みだったわけだ。私の魅力が足りないわけではなかったな」
「兄上。意外と気にされていたのですね」
少しばかり同情気味のレインナークが苦笑すると、ラスニールが飲み干した茶器を置いて一同を見回す。
「それなら私はこのまま後見を続けよう。幸いチハヤが寿命を迎えるまでなら生きているだろうし、途中で死んだら次のクラウンベルド公爵が引き継ぐ」
「今はそれしかないな。彼女の件はこのまま私の預かるところとする。もし異変があればすぐに報告を」
結局今回の報告会で千早は観察継続となったということだろう。今まで通りに見守りつつ過ごすことになったことに安堵したジークは、王子王女が退室した室内でラスニールに指示を受けた。
「グランバルには私から伝えておくから、これからも彼女を頼む」
「承知いたしました。それとチハヤを城下に案内したいのですが許可をいただけますでしょうか」
「……そうだな。いつまでも城に閉じ込めておくわけにはいかないか。レスタは連れていけないから説得するとして……チハヤもずいぶんこの世界に慣れてきたようだし、護衛もお前たちがいれば十分だろう」
ジークの剣の腕も精霊ロイの強さも知っている線の細い少年は、紅い目を細めて面倒くさそうに頭を掻く。
「よし、許可しよう。俺から話しておくか?」
「いいえ、自分で誘います。許可していただきありがとうございました」
そう言って入り口近くで頭を下げ微動だにしない青騎士を見て、ラスニールはにやりと笑いつつも部屋を出た。
「……冗談だったんだが、すぐに拒否したな」
護衛騎士を連れながら独り言ちる。廊下の窓から外を見ればまぶしい日差しと青空、城下の街並みが遠くに見えた。後見をしている女性がこれからどうなろうとも、レスタが契約している以上なるようにしかならないと笑いながら亜麻色の髪の少年は再び歩き出した。
「なぁ、レイン。私はそんなに魅力がないか?」
「あ、兄上。ミリーは敬愛する兄上を慕わない年頃の女性がいたので慌ててあのようなことを言っただけだ」
「だが、お前やラス叔父上に靡いたのなら判るが、相手はレスタだぞ。俺はライオンの姿の精霊に負けたんだろう?」
「人の好みはそれぞれでは? 私は兄上以上に素敵な男性はいないと思う」
「お前ならレスタと私、どちらを選ぶ」
「もちろん兄上だ」
「ありがとう。私もお前を愛しているよ」
「という話を聞いたの、千早!」
「……え~と、ファイさん。それはここで話してもいいんでしょうか」
「え? ダメだった? 麗しい兄弟のお話よ?」
「……ここ、侍女の休憩室ですよ……(もはや手遅れ)」




