#064:利鈍の、モーブ
#064:利鈍の、モーブ
流れる雲に遮られたか、執務室の窓から差し込んでいた陽射しが、一瞬弱まる。
あたかもカヴィラの過去の話とリンクしているかのような、その舞台装置さながらの演出のような出来事に、わずかにおののきつつ、ルフトは耳を澄ませている。
その正面には先ほどからぴくりとも動かない「鎧」一式。エトォダと呼ばれていたその動く甲冑のようなベンロァの腹心は、少しうつむいた姿勢のまま、微動だにしていない。
「……一瞬の事で、私もベンロァも動けなかった。逃げなきゃいけないとは肌で感じていたものの、上空で跳ね飛ばされた『男』の頭の軌道を悠長にも目で追っていたの。私の目の前に落ちたそれは、二回弾んで私の方を向いた。次の瞬間、力を失った胴体が落ちて来た」
カヴィラは平然とそう語るものの、内容はおどろおどろしい。よくそんな化物と遭遇して二人とも無事だったな、とルフトはまじまじと二人を眺めるものの、まあこの二人なら、とも思い直し、話の続きを待つ。
「翼の生えた『そいつ』が、次の瞬間、音も無く地上に降りて来たわ。人の姿をしていたものの、顔に当たる部分には目も口も無く、体の表面は全体的につるつるとした質感だった。目の無い『顔』で、私たち二人を確かに見ていたように感じた。やられる、と思ったけれど、情けないことに手も足も、呼吸すらもままならないまま、そこに立ち尽くしていたの」
淡々と続けるカヴィラだったが、その横顔にはその時の恐怖を、束の間思い出したのか、少し眉間に皺が寄っている。
「だけどまあ、『そいつ』のお目当ては、私らぴちぴち娘じゃあなくて、今しがた屠ったその『炭化した男』だったっつーわけ。いきなりその翼の化物の胸のあたりが、ばかり、と横に割れたかと思うや、『炭化男』の首も、胴体も、伸びる両手を駆使して呑み込ませてしまったっつぅ顛末なわけだねえ」
何故肝心なところを端折ろうとするんだろう、そしてぴちぴち娘って。と、ルフトは少し真顔になりつつも、二人の話から、おおよそ言いたいだろうことは掴んでいた。
「……つまり、そのお話に出て来た『炭化した男』と『翼の怪物』が、今回出て来た『闇黒』、と名乗る者に似ている、とそういうことですね?」
まあ、それ以外は考え付かないか、とルフトが思いながらもそう言うと、
「まあ、それ以外には考え付かないやねえ。色も形態も違うは違うが、あの全体的な質感のありようとか、佇まいっていうのは酷似していたよ」
ベンロァがその心を読んだかのように言葉を返す。そして、
「……その『翼の者』は『咀嚼』を終えると、私たちの方は見向きもせずに、いずこかへ飛び去っていったわ。そしてその後『三十五年』の間、そいつらしき目撃情報は幾度となくなされていたものの、徐々にそれも途絶えて行っているのが現状」
カヴィラが重々しくそう告げるが、ルフトには腑に落ちない点があった。
「……今回現れた『闇黒』は、その『炭化した男』や『翼の者』とは別の個体なんですよね? そんな化物が何体もいるってことは、由々しき事態と思いますし、ましてやそのうちひとつが、今、活動を始めたのならば、冬眠から一斉に目を覚ますベザロアディムのように、次々と目覚める可能性もあるということですよね? どう対応したらいいか……」
わからない、と言おうとしたルフトの言葉を遮る者があった。
「『闇黒』の大元はひとつ。活動を行うためのエネルギーを採取するために分裂・融合を繰り返すが、唯一の存在というのが、ここ最近の見方よ。その辺のことは……結構うといのね」
流暢に話し出したのが、目の前の彫像化していた「鎧」だったため、ルフトは思わずびくっとなる体を止められない。いきなり言葉を発し出したことにも驚かされたが、
(機械じゃなかったどころじゃない……女のひと、だったのか)
予想外に穏やかで柔らかい声が、その主を若い女性と認識させた。
「昔話はその辺にして……お母様? 私、こちらの『ジェネシス』を拝見したいのですけれど」
全身甲冑のエトォダは、そのかなりの重量に思われるそれを身に着けながらも、ふわりとした軽い仕草で立ち上がると、そう涼やかな声で言い放つ。