#006:秀麗の、トリアドール
#006:秀麗の、トリアドール
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目線より上の高さにあると、自分よりも大分大きく感じる。その、首が長めの狼と表現したらいいだろうか、周りの光を己の中に吸収しているような艶の無い、黒一色で目だけが琥珀色に光を放っているという「化物」を前にして、僕の喉は意思とは関係なく、ひくついてしまっている。いまだ緩やかな動きしか見せてはいないけれど、いつその凶暴そうな口を開いて飛び掛かってくるかはわからない。じり、じりと、相手の目を見ながら後ずさる。僕が倒れていた河原の砂利を踏みつけながら、まだ自由には動かない自分の身体を恨めしく思いながら。
「……」
でも、「化物」との距離は詰まっていくばかりだ。今は目測3メートルほどしかない。このままじゃジリ貧だ。振り向きざまに全力で走る? うまく歩けすら出来ないのに、それは駄目だろう。相手に無防備な背を向けるという危険も冒さなければならないし。
戦う。どうやって? 丸腰だ。相手は相手で、実体があるのかどうかもわからない不気味な感じだし。素手で殴ってどうこうっていう話じゃなさそうだ。
「!!」
僕がそんな埒の開かない逡巡をしている時だった。痺れを切らしたのか、黒い影のような「化物」は、ひときわ腹に響く吠え声を上げると、こちらに向かって突進してきた。やっぱり素早いっ!! もう考えている場合じゃない。危険も何も、言ってる場合か! 僕はその「化物」から逃れようと、くるりと後ろを向いて逃げ出す第一歩を思い切り踏み込んだ。
「!?」
次の瞬間、僕の視界は一面うっすらとした白に覆いつくされる。今まで聞こえていた小川の音も少し遠ざかったかのような……そして「化物」の気配も薄らいだような……その刹那、僕は目の前に現れた青い葉を持つ木の幹が、ふわりと自分に近づいてくるのを視認して、うわあと思いつつ差し出した両手がそれを掴むのを感じる。気が付くと、僕はその巨木の先端付近にしがみついている……!?
そのまま振り返りつつ下を見下ろすと、10メートルはあるんじゃないかくらいの高さ。黒い「化物」がこちらを見上げ唸り声を上げている姿がピンポン球くらいの大きさで見えた。瞬間移動……? いや、そうじゃない。
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「カァージ、今あいてるか?」
別棟シミュレート室。ミザイヤが声を掛けたのは、かなり背の高い(ミザイヤよりも長身)紅髪の女性だった。彼女は部屋の奥にある「シミュレーター」を腕組みしながら見据えていたが、
「Ⅱ騎……ええ。今ちょうどテストが終わったところです。来週から出す予定の新しいパイロットの」
静かに振り返ると、低く落ち着いた声でそう答えた。紅い髪をつんつんにねじって立ち上げ、ぱっと見は線の細い男性のような風貌とたたずまい。切れ長の瞳と高い鼻梁、凛々しく結ばれた口許。実際女性の方にもてているらしい(曰くフォーティア。本人はその気なし、とのこと)。
カァージ・フィルメイ……「Ⅵ士」。18歳と、この組織では若い方に属するが(ミザイヤ24歳エディロア21歳フォーティア24歳オセル24歳)、その物腰や態度は、変わり者が多いここの誰よりも成熟しているように感じる。
「そうか。いや、ちょうどその新パイロットに挨拶でもと思ってな。ここの場所を聞いてきたんだ。どうだ、調子は?」
ミザイヤが周りを見渡しながら聞く。壁のほぼ全面が物々しい機械で埋められたその部屋には、何人かのスタッフが、端末に向かってデータを打ち込んでいる姿が見てとれた。
「……はっきり申し上げますと」
「ん…まずいことでもあるのか?」
ミザイヤの言葉に、カァージは静かに首を振ると、
「……秀逸、の一言に尽きます。これほどの才能/素質を持ったパイロットはおそらく初めてではないでしょうか。ある意味特殊な『新型』も、天性の才とでもいうのか軽く乗りこなしています。まああくまでシミュレーター上のことではあるのですが、この分なら早期の実戦投入も可能と思われます」
そう、言い切った。
(……こいつがそこまで言うってことは……かなり、ってことか)
内心そう思いつつ、ミザイヤはコクピットを模した造りの「シミュレーター」を見やった。「新型」の為に急遽搬入されたらしきその機械は、かなり複雑そうな作りをしている。
「……!!」
と、その時、がこん、と大きな音がして、シミュレーターの前面、手前に向かって倒れてくるような造りのハッチが開き、ごちゃごちゃした配線やら装置類に囲まれたコクピットの中の人影が見えた。
「……あれが今日付け配属の新パイロットか。ずいぶんちっちゃいな」
ミザイヤが、白と赤の全身防護スーツとフルフェイスのヘルメットを身につけたその人物を見やって言う。
「13歳。まだまだ育ち盛りといったところですから……」
カァージが書類をめくりながらそれに答えた。
「『13』!? ホーミィより若いのかよ(ホーミィ15歳)?……まったく人材不足とはいえ、やな時代になったもんだぜ」
ミザイヤがため息をつく中、その「13歳」はタラップを降りてくると、カァージの前に立ってヘルメットを外し始めた。
「どうでした!? 合格かな? カァージさん!」
そしてよく通る、元気な声でカァージに尋ねる。
「……しかも女ときたか。ここは本当に『女系』な組織だよなぁ」
再びため息をつくミザイヤ。変声期もまだ終わってないと思われる甲高い声。ヘルメットの下から現れたのは、まだ幼さの残る、かわいらしい少女の笑顔だった。
「一応『合格』としておく。お前は今日からここに 『ⅩⅡ士』として配属することになった。それと……例のやつの『専属パイロット』としてもだが」
そう、カァージが告げると、
「わかりました!アルゼ=ロナⅩⅡ士!!これからがんばります!!」
その赤い髪に額の上だけ何故か黒い髪をした少女は、元気よく敬礼をしてみせるのであった。