第二章 錆びた歯車(3)
今日もファンシーの空は晴れ渡っている。絶好の狩り日和だ。中央都市パンゲアの転移門には、狩りに向かう無数のプレイヤーがひっきりなしに行き交いしている。
これから繰り広げられる冒険に胸を躍らせているのか。その表情は一様に明るい。
だが、そんな晴天の下、どんよりとした陰を背負うプレイヤーが一人。ヘキサだ。彼は舗装された通路の端を俯き加減に歩いている。表情は暗く覇気がない。まるで徹夜明けの会社員のような有様だ。
いや実際、ヘキサは昨日ほとんど寝ていなかった。眠れなかったのだ。原因は昨日の夜に見た幻を未だに引きずっているためだ。
幻。そう幻だ。冷静なって考えれば現実に起こりうるはずがないのだ。第三者に昨日の夜に体験した一連の出来事を、現実と妄想のどちらだろうかと尋ねれば、十人中の十人が後者だと答えるだろう。
それが一般的なのだ。他にどんな答えがあるというのか。アレを現実だと認めるのがイレギュラーなのだ。そんなことを他人に公言しようモノなら、即黄色い救急車で病院に連行されてしまうだろう。
大体、自分を介護してくれたニット帽の青年も言っていたではない。そもそも霧自体でていなかったと。彼が嘘をついたとは思わない。メリットがないからだ。ならばそれが真実なのだ。
アレはぶっ倒れた際に見た、ただの幻だったのだ。――だが、そうなると別の問題が発生する。何故、前触れもなく倒れたのかということだ。
少なくとも自覚症状の類はなかった。風邪を引いているわけでもない。半年前の健康診断も異常はなかった。自分は健康体、だと思う。
それとも自覚がないだけなのか。案外、ファンシーが原因なのかもしれない。なにせ学校と食事や風呂以外の時間の全てをファンシーに注いでいるのだ。自分でも知らないうちに疲労が蓄積していたとしても不思議ではない。
誰かに相談しようにも話せそうな相手もいない。それがまた欝にさせる要因なのだが、いまはどうでもいい。どうでもいいとしておこう。現実を直視すると立ち直れそうにないから。
「まあ、それはいいや。いまはそれよか切羽詰った問題があるんだし……」
力なくつぶやくと思考を切り替える。
ヘキサを悩ませるもうひとつの問題。それはリグレットたちにどんな顔をして会えばいいのかということだ。徹夜してしまったのはこれが原因でもある。
衝動のままに逃げたことを後悔するが、最早どうにもならない。正直、彼女たち――特にリグレットに会うのは億劫だった。考えるだけで気が重くなる。できることならしばらく行方を眩ましたいところではあるが、生憎とそういうわけにはいかない。
恩人に泥をぶつけておいて平然としていられるほどヘキサの神経は図太くなかった。図太くはないが、それと解決策が見つかるかどうか別問題だ。
「うわー、マジでどうしよう。なんかいい方法ないかな。――そうだプレゼントでも買っていって……いや、そういうのリグレットは逆に嫌がりそうだからなぁ。大体、なにプレゼントすりゃいいんだよ。……は、花?」
自分の引き出しの少なさに思わず頭を抱えてしまう。やっぱりここはひたすら謝るしかない、と腹を括ったときだった。
「あ、あの……」
か細い声が耳朶を打つ。反射的に背後を振り返るとそこには、胸の辺りで指先を絡ませる一人の少女が立っていた。猫科の大きな瞳で上目遣いに白髪の少年を見やり、頭の後ろで黒いリボンで束ねられた長い金髪が、彼女の動きに合わせて尻尾のように揺れている。
誰だろう? どこかで見たような見ていないような――。ヘキサは内心で疑問符を浮かべた。金髪の少女の目線は、自分に注がれている。声の掛け間違いではなさそうだ。
ヘキサは視線を少女の顔から、緑と白を基調とした戦闘服に移動させて、彼女の腰の左側に吊るされた細剣が目に映り――脳裏を過ぎる光景に思わず声を上げた。
「君は確かアスピールの森にいた……」
「カシスっていいます。先日はありがとうございました」
「あーいいって。そんなにかしこまらなくてもさ」
ぺこりと頭を垂れるカシスに、ヘキサは苦笑するとひらひらと手の平を振ってみせた。女の子に頭を下げられるというのは、どうにも決まりが悪くて仕方がない。
「それよりもクエストはどうだった?」
「はい。おかげさまで無事にクリアできました」
「そっか。それはよかった」
それだけで割って入った価値があったと、ヘキサはカシスを見ながら思った。すると彼女は白髪の少年を見つめながら、確かめるような口調で口を開いた。
「あの……あなたは、ヘキサさん――ですよね?」
途端、ヘキサの顔色が変わった。自身に重なる赤い二重円。PKの証たる赤いカーソルが、カシスにはハッキリと見えているはずだ。
「――ああ、そうだ」
固い声色で言うヘキサだがしかし、彼の肯定にカシスは「やっぱりそうですか!」と表情を華やかさせた。頬を紅潮させると彼女は、初対面の大人しさが嘘のような快活さで捲くし立てるように言った。
「そうだと思ったんですっ。でも、凄いですね。マッドラビットを単独で倒したヒトなんてはじめて見ました! やっぱり凄いです。流石はプレイヤー百人斬りを成し遂げただけはありますッ!」
いや、それ、違うから。事実とは異なるかってに拡がった噂だから。いくらなんでも流石に百人は大げさすぎるでしょ。そう言いたかったヘキサだったが、想像とは正反対の反応に二の句を告げられなかった。
「あの、あの――それでお願いがあるんですが、いいですかねっ」
「お、お願い……?」
はい! と力強く頷くと、拳を握り締めてずいと身を前に迫り出す金髪の少女に、彼は圧倒されしまい一歩後退ってしまった。
「フレンド登録したいと申し出るワケですが、どうでしょうかッ」
フレンド登録はプレイヤー同士の合意でお互いの名前を登録でき、フレンドリストで登録者のログインの有無やメールのやりとりなどが可能となる便利な機能である。
「いや、できればいいんです。できればいいんですが、私としては是非とも、登録したいなと思ったり思わなかったりするワケで――」
そこで目を白黒とさせるヘキサの様子に気がついたのか、彼女は口を閉じると俯いてしまった。
「あ、ごめんなさい。一人でかってに舞い上がっちゃって。恥ずかしいですよね」
「そんなことはない。うん。カシスはそれでいいと思うぞ」
お世辞ではなく本音だった。確かに急変するカシスにほんのちょっとだけ引いてしまったが、普段から鬱々としている彼からすればとても好ましく思えた。
「フレンド登録だっけ? 俺は別に構わないけど――カシスはいいのか?」
なにがですか? と小首を捻るカシスに、彼は頬を掻きながらためらいがちに言った。
「ほら。俺ってなにかと問題児扱いされてるだろ。なにかの弾みで俺とフレンド登録してるのがバレたら、カシスにも迷惑がかかるんじゃないか」
「問題ありませんっ。確かに噂では鬼畜だとか人間の屑だとか、後は≪暁の旅団≫が残した最大の汚点だとか色々と云われて、私も最初は死ねばいいのにとか、なにが楽しくて生きてるんだろうとか、ウザいからとっとと引退しないかとか、正直思ったりしてましたけど――って、ああ! 違います。ここからいいところなんです! 最大の見せ場なんです。だからそんな落ち込まないでくださいよぉッ」
どうせ俺は日陰者さ。道端の石ころ以下の存在なんだ。背中に暗い陰を背負い、額を壁に押しつけて「生まれてきてごめんなさい」と反芻するヘキサ。
見るも無残な姿に当のカシスは慌てて声を荒立てた。
「ええっと、ようするになにが言いたいかと言えば――他人の評価なんて当てにできないってことです」
その言葉にヘキサは伏せていた面を上げた。彼の顔を真っ直ぐと見つめながら、彼女は薄く微笑した。
「ヘキサさんはいいヒトです。大丈夫。私が保証します。これでもヒトを見る目はあるつもりです。――って、ついこの間、臨時PTでハズレを引いちゃった私が、言えた義理じゃないんですがね」
てへへ、と金髪に手をやり照れ笑いをするカシスに、ヘキサもまた口の端を歪めた。温かくてこそばゆい感覚に、彼は手元に展開した画面を操作した。ポンッと軽快な効果音と共に、彼女の眼前に新たな画面が表示された。フレンド登録の了承画面だ。
「フレンド登録。俺のほうからお願いしていいかな?」
「は、はいっ。もちろんです。私はいつでも準備万端ですっ」
言って、カシスはOKのボタンをクリックした。画面が切り替わり、お互いのフレンドリストが更新された旨を告げるメッセージが表示された。
「へえ。カシスって、≪銀狼≫に所属してるのか」
確認のために自分のフレンドリストに視線を落としたヘキサが、感嘆の吐息を吐いた。フレンドリストの基本機能である簡易的な自己紹介欄には、吼える狼のシルエットを縁取った銀の刻印が記されている。よく見れば彼女の戦闘服の襟にも、同様の紋章が刻まれたバッチがつけられている。
「いえいえ。そんな全然大したことないですよぉ」
「大したことあるだろ。≪銀狼≫って言えば、≪銀鎖同盟≫の片割れ。三大ギルドのひとつじゃないか」
謙遜するように手を左右に揺らす彼女に、ヘキサはそう苦笑した。
三大ギルドはファンシーに存在する無数のギルドの中でも、特に巨大な勢力を誇るみっつのギルドの総称である。
一ヶ月前は≪聖堂騎士団≫・≪天上神歌教会≫・≪暁の旅団≫が三大ギルドとして君臨していたが、ヘキサが所属していた≪暁の旅団≫が解散したことで、三大ギルドの一角に空位が生まれた。当初は第四勢力と云われていた≪エニグマ≫が繰り上がるはずだったのだが、これを好機と見た当時の第五勢力≪銀狼≫と第六勢力≪棘の鎖≫が互いに手を組み、≪銀鎖同盟≫として≪エニグマ≫を追い抜き、現在の第三勢力として三大ギルドに数えられている。
三大ギルドはこの仮想世界において強い権限を持っている。それはときとして、運営さえも退けることもある。そうなると三大ギルドに所属希望者が増加するのは当然の理だ。いまやその構成人数は、上限にまで達しているといわれ、いまから三大ギルドに所属するのは大変な至難である。
「恥ずかしながら実力じゃないんですよ。私の友達が≪銀狼≫の幹部で、そのコネで入れてもらったんです。所謂、裏口所属ですね」
「そ、そうなんだ」
えっへんと胸を張る金髪の少女に、ヘキサは曖昧に返答するしかなかった。なんと言えばいいのか。初対面の印象とはまるで違った。アスピールの森ではもっと大人しい娘だと思っていたのだが。でも、まあ――嫌いではない。
「――あうっ。これはまずい!」
と、カシスが突然声を張り上げた。おろおろと視線を泳がせると、早口で口を開いた。
「こちらから声をかけておいてあれなんですか。ちょっと約束がありまして……そろそろこの場を去らなくてはならないようなのですよ」
「そうか。わか――」
「今度は時間があるときにゆっくりとお話しましょうねッ!」
早ッ。ヘキサが言い終わらないうちに、金髪の少女は手を大きく振って、あっというまに人混みの中に姿を消してしまった。
その場に一人残された彼は、急転する展開についていけずに呆けた表情で固まった。
「元気な娘だな……」
あの半分でも自分に快活さがあれば、こんなにうじうじと悩まなくてもすむのだろうか。試しにヘキサは『元気溌溂とした自分』を空想し、刹那にして破棄した。明るい自分なんて不気味でしかなかった。やはり人間には不向きがあるのだ。
と、ヘキサが重いため息を吐き、広場のほうから聞こえてくる歓声に釣られて、そちらのほうを見やった。広場にある噴水の前に人だかりができている。
「今日、イベントなんてあったっけ?」
気になるヘキサだったが、あの人混みの中に飛び込む勇気はなかった。どうしたモノかと周囲を見回すと、NPCが経営する武器屋の近くにちょうどいい高さの樹があった。
ヘキサは街路に植えられた樹に駆け寄ると、樹木の表面に手をかけてすいすいと登りだした。瞬く間に天辺に辿り着いたヘキサは、手で枝の強度を確かめると幹から枝のほうに飛び移り広場のほうに視線をやる。
少し遠いがヘキサの位置からは、広場の中央を見下ろすことができた。輪を作る観客の中央には、ふたりのプレイヤーの姿があった。
どうやら決闘が行われているようだ。
決闘とは、プレイヤー同士で行われる対人戦のことだ。決闘は合意の上で行われる為、PKとは違いペナルティが発生することもない。
決闘が行われる際、形成されるフィールドには第三者の立ち入りが制限される。決闘のルール設定はプレイヤーのほうで設定することも可能だ。主に行われる方式は、先に一撃を入れたほうが勝つファーストアタック。どちらか一方のHPがゼロになるまで戦闘するデスマッチ辺りだろうか。
いま行われている決闘は一対一のようだが、複数対複数や一対複数など変則的なモノまで様々な方式がある。
「って、あれハズミじゃないか」
目を細める。間違いない。決闘に望むふたりのプレイヤーの片方はハズミだった。赤毛の少女はこれから決闘に望むとは思えないほどリラックスしている。一方、赤箒と対峙する紫色の法衣の男はというと、遠目でも分かるほどガチガチに緊張している。
ふたりの中間地点には数字が表示されている。決闘開始を知らせるカウントダウンだ。……3……2……1――――。
先に動いたのは法衣の男だった。宙に杖を翳し、朗々と詠唱する。中々の詠唱速度だ。男の前方に炎が収束する。炎はうねり蛇の頭を模した。バインドフレイム。確かそういう名前の火魔法だったはずだ。
そこでようやくハズミが動いた。猛烈な勢いで右手を疾らせる。魔方陣の中央に炎が集い、意思を持つ蛇となった。
男の詠唱が完成。魔法名を唱える。詠唱は男が先。しかし発動は同時だった。二人の中間で炎の蛇が激突。火の粉を散らして互いを貪り喰らう。
拮抗したのは一瞬だけだった。ハズミの炎蛇は男の炎に牙を突きたて噛み砕いた。炎蛇は首を巡らし、次の標的である法衣の男に襲いかかった。
男は小さく悲鳴を洩らし、防御魔法を展開しようとするが遅すぎた。炎の蛇は大きく口腔を開くと、男を頭から丸呑みにした。
男のHPが一撃で消失した。炎の残滓が中空に舞い、広場を赤く照らす。
圧倒的だ。勝負になっていない。紫法衣の男もそれ相応の腕を持っていたが、それ以上にハズミが強すぎるのだ。
そもそも同一魔法にも関わらず、記号式で詠唱式を破っている時点で普通ではない。
流石と言うべきか。ファンシーにおける最強の火魔法使いに贈られる、赤箒の二つ名は伊達ではない。
赤髪の少女の圧倒的な強さに、見物人たちが興奮した様子で賞賛の言葉を投げかけている。野次を飛ばしているのは、大穴狙いで男のほうに賭けていた連中だろう。
と、ふいにハズミが視線を上げた。
ヤバい、と思ったときは手遅れだった。ハズミと目が合う。彼女は驚きに目を見開き、にっこりとヘキサに微笑みかけた。
「……え?」
ひょっとして怒ってない?
そう思い内心で安堵するが甘かった。ハズミは満面の笑みを浮かべたまま、右手を首元にやり――首を掻っ切るジェスチャーをして見せた。
訂正。めちゃくちゃ怒っている。半端じゃなくお怒りだ。
表情を一変させたハズミは、顎で裏路地のほうを指した。そこにこいと言っているのだ。
こうなっては仕方がない。最早、逃げられる状況でもない。彼女はすでに移動を始めていた。邪魔な見物人を文字通り蹴散らしている。
ヘキサは覚悟を決めると枝を蹴り跳躍。樹から飛び降りた。
「――っで?」
裏路地でヘキサを待ち構えていたハズミの最初の一言がそれだった。彼女は壁に背中を預けて、腕を組みながらこちらを見ている。
てっきり開口一番に怒鳴られると思っていたヘキサは逆に困惑した。
なまじ無表情なだけになにを考えているのか読めない。これならいつものように怒鳴り散らしてくれたほうが遥かにマシだ。
「っで?」
話の取っ掛かりが掴めず沈黙して脂汗を流す少年に、赤毛の少女が更なる追い討ちをかける。咄嗟にヘキサはさきほどの決闘を思い出し、反射的に口を開いていた。
「さっきの決闘見た。凄かったな。相手を一撃で倒してさ」
「……それほどでもないわよ。レベルや装備に差があったし。あたしから見て、相手のプレイヤースキルもまだまだだったからね。アレくらい一蹴できなくちゃギルドの仲間に笑われちゃう。でも――」
ハズミは前髪を掻き揚げると、憂鬱そうに吐息を吐いた。
「最近、挑戦者が多くて嫌になるのよねぇ。断ってもいいんだけど、しすぎると後々めんどくさいことになるし。あいつは二つ名を渡したくないから決闘に応じないとかなんとか。あることないこと言いたい放題」
ホント嫌になる、と独白するハズミ。
――セブンテイル。
ファンシーのプレイヤーで、そのギルドの名を知らぬ者はいないだろう。
公式ギルドであるセブンテイルの構成人数は僅かに七人。これが上限であり、減ることはあっても増えることはない。それはセブンテイルの入団条件によるモノだ。
ギルドには入団の際に条件を提示するところがある。そのギルドが指定したモンスターをソロで狩る。特定のスキル熟練度が一定値以上ある。中には週に三度以上のログイン、性別限定などを条件にするギルドもある。
そしてセブンテイルの入団条件は、『箒』の称号保持者であること。『箒』はファンシーで最強の魔法使いに贈られる二つ名だ。
七つの魔法属性に対応した七人の『箒』。即ち、光属性の白箒。闇属性の黒箒。火属性の赤箒。水属性の青箒。風属性の緑箒。土属性の茶箒。雷属性の黄箒。
つまりセブンテイルはそれぞれの属性魔法に特化した、最強の七人の魔法使いによって構成されたギルドなのだ。
故にセブンテイルは魔法使いにとっての憧れであり、魔法使いを志す者の目標でもある。
「ということは、さっきの決闘は争奪戦だったのか」
ヘキサの言葉に赤箒の二つ名を持つ少女は頷いた。
状況に応じて交換が出来る称号と違い、二つ名はプレイヤーの意思での操作は不可。またその特性上、二つ名はひとつにつき一人にしか与えられない。
だがそれだと不満を持つプレイヤーが出てくる。当然だ。例え欲しい二つ名があったとしても、誰かが先に手に入れた終わり。早い者勝ちになってしまう。
それ故に、一部の二つ名に関しては決闘で譲り受けることが可能なのだ。俗に二つ名争奪戦と呼ばれるのがそれだ。
とはいえ、誰もが争奪戦に参加できるわけではない。予め設けられている条件をクリアして、初めて参加することが出来るようになる。
決闘で挑戦者が現二つ名所有者に勝利した場合、二つ名を自分のモノにすることができるのだ。また争奪戦はシステム上で制限が設けられているため、一ヶ月は再戦することができない。これは意図的に連戦に持ち込み、疲弊したところを狙う悪質な手口を防ぐためである。
「あれ? けどさ、俺の記憶が確かなら箒の争奪戦の場合、現箒二人以上の立会いが条件じゃなかったっけ?」
「表向きはね。でも実際はめんどくさがって誰もでたがらないのが実状なのよ。っていうか、あたしも立ち会ったことないし」
それでいいのかよ。言葉にこそ出さなかったモノの、表情にでていたのか。続けてハズミが言った。
「あたしのギルドって、まとまりに欠けてるのよ。元々、セブンテイルは箒の二つ名持ちが自動的に所属するギルドだからね。こういっちゃなんだけど、仲間意識が他のトコに比べて薄いのよ。ギルド単位で活動することなんてほとんどないし。あたしだっていままでに数えるくらいしかない。シルクもあたしも普段は他のギルドの知り合いと一緒に狩りに行ってるしね」
「そんなモノなのか」
そんなモンよ、と言葉を切り、
「っで? 他には?」
そして話の流れが最初に戻る。え? と言葉に詰まる。忘れてはならない。彼女はまだ怒っているのだということを。
「あー、その……なんだ……」
しばらく「あー」だの「うー」だの、意味のない唸り声を上げていたが、
「……ごめんなさい」
「ん。よろしい」
ぺこりと頭を垂れるヘキサに、ハズミは満足気に頷いた。
「ったく、最初から素直にそうすればいいのよ。無駄にどうしようか考えるからろくなことにならないんじゃない」
「……面目ない」
正論すぎてぐうの音もない。
「まあ、いいわ。それじゃあ、行きましょうか。……なによ、その顔」
「……いや、行くって、どこに?」
目を瞬かせるヘキサにハズミは天を仰いだ。
「あんたバカじゃないの。本当だったらあたしより先に謝らなくちゃならないヒトがいるでしょうがっ」
脳裏を過ぎるのは、黒い少女。自分には持ったいないほどの、かけがいのない友人。
「……リグレット」
「この時間ならシルクもいるはずよ。ちょうどいいから一緒に謝っちゃいなさい」
「ちょ、待って、心の準備が……!」
うるさーい! と煮え切らないヘキサをハズミは一喝すると、彼を半ば引き摺るようにして裏路地を後にした。
裏路地に人食いと恐れられる少年の情けない悲鳴が響き渡った。
「……ヘキサ。あんたいつまでそうしてるつもり?」
彼女の視線の先には、窓から中を覗き見る白髪の少年の姿があった。はっきり言って怪しすぎる。変質者と間違われ通報されても否定できない光景だ。
「いい加減、腹括りなさいよ。それでもマンイータって恐れられてるPKなの? 流石に情けなくない?」
「……うるさいな。PKかどうかなんていまは関係ないだろ」
ハズミに引き摺られてリグレットの店までやってきたヘキサだったが、中に入る勇気がなくこうして窓から中の様子を窺っているのだ。
店内にはリグレットの他にもう一人、青い髪の少女がいる。シルクだ。他の客はいないようだ。ふたりはカウンターの前で会話に華を咲かせている。
「――ハズミ」
ふいにヘキサは窓から顔を離すと、真剣な顔つきでハズミのほうに振り返った。
「な、なによ。急に真面目な顔して」
「俺さ。急用思い出したから今日は帰――うそ。うそです。はは……やだなぁ。軽い冗談じゃないか」
だからそんな道端の石ころ見るような目をしないでほしいんだ。地味に傷つくから。
「ねえ、ヘキサ」
愛想笑いを浮かべる彼に、諭すようにハズミは言った。
「さっさと中に入って、謝っちゃいなさいよ。それで終わりじゃない。なにをそんな深刻になる必要があるのよ。まさかこんなことぐらいで絶交するわけじゃあるまいし」
簡単に言ってくれる。
ハズミの言葉にヘキサはそう思った。彼女の言わんとしていることは分かる。悩んでいたって解決しないのだって重々承知している。
だが、どうにも悪い想像ばかりが頭の中をぐるぐると巡るのだ。
嫌われてたらどうしよう。もう顔を見せるなと言われたらどうしよう。
リグレットがそんな奴じゃないと頭で理解していても、百パーセントの保証がない以上、万が一ということもある。そう考えるとどうしても二の足を踏んでしまうのだ。
「ああ、もう……このヘタレはッ」
そんな彼の様子に、ハズミは我慢の限界に達していた。手を伸ばすと肩を落とすヘキサの首後ろをむんずと掴む。
「っが!? なにする……、待て、やめろってば!」
「黙りなさい! 見ててイライラしてくるのよ。とっとと謝ってきなさい!」
どこにそれほどの膂力があるのか。ハズミはヘキサの首根っこを掴まえたまま正面に回り、ドアを開け放つと有無を言わせず彼を店内に放り込んだ。
ヘキサは背中を打ちつけると木の床をごろごろと転がり、カウンターにぶつかりようやく止まった。逆さまの視界には天井が見えている。
「っつう。無茶しやがって」
顔をしかめるヘキサに陰が差した。
気づくとリグレットとシルクが彼の顔を覗きこんでいる。慌ててヘキサは体勢を直すと立ち上がった。リグレットと視線が合う。
頭が真っ白になり――パン、と小気味いい音がした。
ヘキサが自分の頬を叩いたのだ。
ファンシーでは現実同様に、五感で世界を体感することができるが、痛覚に関してはシステム側で遮断されているため痛みはなかった。
しかしおかげで気合が入った。ここで逃げたらそれこそ、もう彼女に顔向けできない。
「リグレット! 昨日はごめん!」
勢いよく頭を下げる。その体勢のまま床を見ていると、
「ふう。まったく貴方は……」
頭越しに声がして、苦笑する気配がした。
「頭を上げてください。別に私は怒っていませんよ」
「……でも、俺、リグレットにひどいコト言った」
「気にしていません。それに――あれは私のために怒ってくれたんでしょ?」
だから平気です。気にしてません、と黒い少女は微笑した。
「……そっか」
肺の奥に溜まっていた澱みが流れ落ちた気分だった。こんなことならハズミの言った通り、さっさと謝っておくべきだった。物事を重く受け止めすぎるのも考えモノだ。
「シルクもゴメン。迷惑かけたな」
「ううん。私も気にしてないよー」
笑顔を浮かべてひらひらと片手を左右に振るシルク。
「――さて」
ポンとリグレットが手を叩き合わせた。
「そこでなんですが。ヘキサ。貴方にひとつ提案があるのですが……」
「ていあん?」
はい、と黒髪の少女は頷き、コホン、と小さく咳払いをした。そして、ん? と首を傾げるヘキサに彼女は静かに言った。
「――ギルドをつくりませんか?」