第二章 錆びた歯車(2)
転移する赤と青の魔女を見送り、黒髪の少女は静かに吐息を吐いた。
頬を撫でる冷えた空気に、頭上を仰ぎ見ればすでに日は落ち、夜空のふたつの月が淡い光を世界に落としていた。
リグレットはしばらくの間、怜悧な瞳を細めて双月を見上げていたが、ふと視線を夜空から外すと眼前で指を回してメニューウインドを展開した。目の前に表示された画面をアイテムウインドに変えると、アイテムを名前順にソートして、右端のツマミを動かし画面を下方にスクロールさせる。
文字が流れる画面を凝視して、指定されていたアイテムが揃っているのを確認し、チェックをし終えると画面を閉じた。
次にポーチから跳躍の翼を取り出し、胸の前に掲げてリグレットはトリガーボイスを口にした。瞬間、視界がぐにゃりと歪み、眩い光を放った彼女の身体が、キプロス鉱山から消失した。跳躍の翼を用いた転移である。
転移の際に発生する浮遊感から開放され、歪んだ視界に正常に戻ると、そこは閑散とした鉱山ではなく、無数のプレイヤーが行き交う広場のど真ん中だった。商業都市シメオン。それがリグレットの転移した街の名前だ。
ファンシーで三番目に開放されたシメオンは街の規模こそ中央都市に及ばないが、モノの品揃えはファンシーでも随一であり、この街にないアイテムは存在しない――お金に糸目をつけなければではあるが――とまで云われている。
「まだいるとよいのですが」
そうつぶやいてセーブポイントから降り立ったリグレットは、一度周囲に視線をやると、目的地に向かって真っ直ぐと歩き出した。人々の喧騒を横目に、彼女の足は街の中心から外れのほうへと向かっていた。大通りを抜けて横道に入る。表通りの活気が嘘のように、裏路地は寂れて沈黙している。
路地裏をしばらく歩き、唐突に彼女の足が止まった。彼女の視線の先にはひとつのドア。普通なら気づかずに素通りするような壁に埋め込まれたドアには、簡素な文字で一言『開店中』と書かれた、プラカードがぶら下がっている。
いかにも怪しげな雰囲気を醸しだすドアにしかし、リグレットは躊躇なくドアノブを捻った。金属製のドアが錆びた音を響かせて開く。
意外なことに寒々しい外観とは裏腹に、室内は落ち着いた色合いで統一された洒落た空間になっていた。壁には色彩が鮮やかなドレスが飾られている。整頓された棚には、厚手の上着や迷彩柄のズボンなども取り揃えられていた。
「カティナ。――いますか?」
「あら? 誰かと思えば……リグレットじゃない」
人気のない店内を見回して知人の名前を口にすると、ちょうどカーテンで仕切られた奥の部屋からひょっこりと件の人物が顔を覗かせた。
「珍しいわね。こんな時間に貴方が会いにくるなんて」
訪れた知人の姿に、カティナはうっすらと微笑した。
黒いエプロンドレスを身に纏った身体からは、薄く香る香水の匂い。カティナは短く切り揃えられた黒髪に指を這わすと、囁くような口調で言った。
「あんまり夜更かししちゃ駄目よ。その上質な絹のような柔肌にシミができたらどうするの? お姉さん悲しくなっちゃうわ」
「大きなお世話です。それにこの世界は仮想。現実とは別物ですよ?」
「なに言っているの。夜更かしは肌荒れの元。乙女の天敵じゃない。私も早くお肌のお手入れしくちゃ……ここのところ徹夜が続いているのよね」
「……どこから口を挟めばいいのか判断に苦しみますが――そもそも、貴方は男性ではありませんか。乙女とは無縁だと私は思いますが?」
「もう。それは言わない約束でしょっ」
やんっ、と恥らうように手で頬を押さえる『彼』に、リグレットは呆れたような表情で鋭く突っ込んだ。まったく。この『趣味』さえなければ、文句のつけようのない優秀な製作者なのだが。それはカティナが製作し、リグレットが身に纏う、黒のゴシックドレスのデザインと性能を見れば明らかだった。
内心で嘆息すると、彼女は黒髪を揺らして頭を振った。
リグレットの言うとおり。この店の経営者であるカティナは、身形や口調こそ女性のそれではあるが性別は男。女性の格好をした男性なのだ。
「前々から忠告していますが、いい加減に女装を止めたらどうなのですか? 正直、その……どう対処すべきか判断に困ります」
「それは無理。だってこれは私の趣味――ううん、生き甲斐ですモノ。この世界は最高よ。自分の好きなことを好きなだけ堪能できる。私にとっては夢みたいな世界だわ」
そう言って、人差し指を唇に添えると、カティナは艶然とした笑みを浮かべた。
女装を趣味とする彼にとって、想像力次第で自由に衣服を生みだせるファンシーは、居心地の良い世界に違いない。なにせファンシーをはじめた目的にしても、自分好みの洋服を作るためだというから、ある意味感心してしまう。彼がファンシーでも屈指の裁縫師として知られているのは、ひとえにその情熱故なのだろう。
「しいて苦言するとするのなら、アカウント作成時に女性として登録できなかったことよね。……どうせなら女性としてプレイしたかったのに」
ファンシーでのアカウント作成は、現実と同一の性別でしか登録できない。これはファンシーのルールであり例外はない。ただ彼にとっての幸いは、ランダムエディットで作成されたキャラクターが、中性的な顔立ちだったことだ。事実、彼が男性プレイヤーであると初見で見破れる人物は皆無に等しい。
「と、まあ、私の話は置いといて……用件はなにかしら?」
「以前にお話していたアイテムの作成依頼です。指定されていた素材を持ってきましたので確認してください」
眼前にトレードウインドを表示させると、カティナ側のインベントリに用意してきた素材アイテムを移動させる。
「えっと……砂銀と月晶石、星水に――聖骸布? 私が指定したのは妖精の絹糸じゃなかったかしら?」
ウインドに表示されたアイテム名に小首を傾げるカティナ。彼女が指定した妖精の絹糸は魔法防御力を高める素材で、リグレットからの依頼の要求を満たすためには欠かせない素材アイテムである。
「ええ。一応、妖精の絹糸もあるのですが、それよりも上位の素材アイテムを入手できたので、それを使っていただきたいのです」
≪小人の金槌≫の情報網で聖骸布の情報を知ったリグレットは、シルクからの依頼に乗じてなんとかこのアイテムを入手できないかと考えていたのだ。予めシルクにも、もし聖骸布がドロップしたら、自分に譲ってくれるよう頼んでいた。
とはいえ、実際にドロップするかどうかは賭けだったワケだが、幸運にも彼女は聖骸布の入手に成功したのだ。
「うん、そうね……確かに、これなら当初の想定よりも性能がいいアイテムが造れそうよ」
「それはよかった。私も苦心した甲斐がありました」
聖骸布の詳細画面に目を走らせた彼の言葉に、リグレットは口元を綻ばせた。と、そんな彼女の様子に、カティナはにんまりと意地の悪い笑みを浮かべた。
「ところで……完成したら、誰にプレゼントするの?」
「……なんのことですか?」
「惚けても駄目よ。だって今回の依頼は、自分用じゃないでしょ? リグレットの趣味じゃないし。噂の彼……マンイータに贈るつもりじゃない?」
途端、怜悧な顔つきに戻るリグレット。マンイータ。彼の口から飛びだした単語に、彼女は押し殺した声色で言った。
「どうしてそう思うのですか?」
「私の常連にそんなことを言っていたヒトがいたのよ。貴女の店にマンイータが出入りしているのを何度も見たってね。それにそのスジじゃ、結構有名な噂よ。……でさ、実際のトコ、どうなのよ?」
「どうもこうもヘキサは私の友人です。それ以上でもそれ以下でもありません。ただ――」
そこでいったん言葉を切る。
「最近、元気がないようですので。励まそうと思ったワケです」
否定するのを諦めたのか。プレゼント相手と半ば肯定する発言をする彼女に、ふうんとカティナは相槌を打った。
「元気がない、ね。私も顔を合わせたことはないけど、マンイータってどんなやつなのかしら?」
「そうですね。一言でいうと、そう――へたれ、ですかね」
脳裏には逃走を図る白髪の少年の背中。自分でも言い得て妙だと思った。
「へたれ? 凶悪なPKって話なのに?」
リグレットの意外な言葉に、カティナは目をぱちくりとさせた。彼は心情もわからなくもない。あれほど噂と実際の人物像が乖離しているプレイヤーも珍しいのではなかろうか。
「剣士としては文句のつけようがないんですけどね」
MMORPGにおける強さとは、総じてみっつに分別可能だと黒髪の少女は考えている。
即ち、レベルと装備とプレイヤー自身の腕だ。通常のネットゲームがレベルと装備に強さの比重があるのに対して、ファンシーはプレイヤー自身に強さの比重がある。
むろんレベルが高く装備の性能がいいほうが有利なのは確かだが、仮想世界体験型であるこのゲームは、プレイヤー自身の優劣がより顕著に浮き彫りになってしまう。プレイヤーの行動がよりダイレクトに反映されるからだ。これは仮想世界体験型の宿命ともいえる。
その中でヘキサの場合は、特に動体視力とそれに付随する反応速度が、常人とは一線を画している。飛来する魔法を狙って斬り落とすなんて真似を素でやってのけるのは、リグレットが知る限り彼だけだ。
「とにかく依頼の件、よろしくお願いします。それと――マンイータではなくヘキサです。くれぐれも間違わないようにしてください」
キツく咎める黒髪の少女に、カティナは目元を緩めた。
「――了解。貴女の王子様にもよろしく伝えておいてね」
苦笑まじりの返答にリグレットは一度だけ振り返り、店内から出て裏路地を後にした。
「……はあっ」
樋口友哉は夜空を仰ぎ、肺の奥からため息をついた。
彼は人通りのない夜道をコンビニ袋片手に、トボトボと自宅に帰る途中だった。背中を丸めて歩くその足取りは重い。
理由はいうまでもない。
さきほどのファンシーでの出来事のせいだ。≪聖堂騎士団≫が引き返した後、矢継ぎ早にリグレットたちに謝罪した友哉は、制止を振り切り逃げるようにログアウトしたのだが。
情けない。情けなすぎる。
ちょっと挑発されたくらいでムキになって、ハズミとシルクに迷惑をかけてリグレットに頭まで下げさせた挙句の果てに、逆ギレして彼女にあたって逃走とか。最悪だ。恩を返すどころか、仇をなしてしまった。
≪聖堂騎士団≫の連中には色々と言ったが、本当に学習していないのは自分のほうだ。
あのとき一緒にいたリグレットたちのことなど頭から完全に抜け落ちていた。連中の目的は自分なのだからその可能性は低いだろうが、彼女たちが戦闘に巻き込まれるかなど考えなかった。思いもしなかったのだ。
ダメなのだ。頭に血が上るとなにも考えられなくなる。目の前のことだけに意識が持っていかれてしまうのだ。特にあの手の連中にはそれが顕著に現れる。そして我に返ったときにはすでに手遅れ。自分の行為に後悔する。その繰り返しだ。
「思いっきり逃げちゃったからなぁ。明日からどんな顔して会えばいいんだ」
まず解決しなければならない問題はそれだ。静止を振り切って、なりふり構わず逃げ出したのだ。
「きっと怒ってるだろうなぁ。……そりゃ怒るよな。ああもう、なんで逃げちゃったんだろ、僕……」
リグレットたちは遁走する自分をどんな目で見たのか。それを考えるだけで欝になってしまいそうだった。
「ただでさえ対人スキルが低いっていうのに、どう対処すればいいんだ……ン?」
異変が起こったのは、文字通り友哉が頭を抱えたそのときだった。
視界が白く濁っている。霧だ。いつの間にか周囲には霧が発生していた。伸ばした手の先が見えない。かなりの濃霧だ。
「なにこれ。……霧? でも、どうして」
首を巡らした友哉は困惑した様子でつぶやいた。
ここまでの濃霧を見たのは初めてだ。ついさっきまではなんともなかったのに。霧とはここまで急に発生するモノなのだろうか。
友哉は障害物がないのを慎重に確認しながら、一歩一歩確かめるように足を進める。とてもではないが、怖くて普通に歩けそうにない。
「と、とにかく早く家に帰らなく、――!?」
瞬間、背筋に例えようのない寒気が走った。
「な、な、なん、だ……これ……?」
歯の根が噛み合わない。全身の毛が逆立っている。まるで極寒の地に裸のまま放り込まれたようだ。寒気が止まらない。
一秒でも速くこの場を離れなくては。さもないと、
「死ぬ?」
理屈ではない。本能がそう全力で警鐘を鳴らしている。この場にいたら死ぬ、と。死にたくなければいますぐ逃げろ、と。
だが、足が動かない。蛇に睨まれた蛙のように、指先を動かすことすら叶わない。ただ言い知れぬ悪寒に、身体を震わせるしかなかった。
「は、早く逃げ……!?」
目が合った。
濃霧の向こう側。自分の身長よりも高い位置に、二つの赤い光が浮いている。目だ。何故かそう確信した。
赤い双眸が、こちらをじっと見ている。低い唸り声が耳朶を打った。続いて地面が縦に揺れた。白濁した濃霧にぼやける影が大きくなる。こちらに近づいているのだ。
「く、来るな」
揺れは止まらない。影がだんだんと大きくなる。友哉の頭上が黒く覆われた。そして眼前の闇がぱっくりと割れて、友哉を――。
……。
…………。
………………。
「おい!」
「うわわわわわわ――っ!?」
目を覚ました瞬間、友哉は叫んでいた。
地面に這い蹲ると肉食動物に襲われた小動物じみた動きで辺りを窺う。息が上手くできない。全力疾走の後のように、心臓が早鐘打っている。
あの化け物がまだ近くにいるかもしれない。友哉の緊張が極限にまで達する。だが――。
「あ、あれ?」
瞳に映ったのは見慣れた光景だった。街頭に照らされた夜道。濃霧など影も形もない。いつもと変わらぬ光景が広がっている。
「なあ、大丈夫か?」
「え?」
そこで自分以外の存在にようやく気づいた。
黒い上下のツナギ。片膝を地面についたニット帽を被った青年が、心配そうにこちらを見ている。
「怪我はないか? どこか痛いトコは?」
「え、あ……な、ないです」
「そっか。それはよかった」
言われるがまま自分の身体をぺたぺたと触るが、特にどこもおかしな箇所はなかった。痛みを感じるところもない。
「倒れてたんだよ、お前は」
頭にハテナマークを浮かべる友哉に、青年は立ち上がりながら説明した。
「倒れてた……?」
「ああ。そこで大の字になってさ。まさかヒトが倒れてるなんて思わなかったから、なにか事件に巻き込まれたのかと焦ったよ。……ほら、これ。お前のだろ?」
冗談めいた口調で言うと、青年は友哉にコンビニ袋を渡した。「ありがとうございます」と小さく礼を言い袋を受け取る。中身を見ると確かに自分のモノだった。
どうなってんの?
ぐわんぐわんと耳鳴りがする。コンビニ袋の中身を覗いた体勢のまま内心で自問した。自分は夢でも見ていたのだろうか。もし夢だったというなら一体どこまでが現実で、どこからが空想なのか。まるで化け狸に騙された心境だった。
ふいに脳裏に過ぎる、白く濁った視界に浮かぶ赤い双眸。
ぞくりといまさらながらに寒気がした。あのときの恐怖を思い出したからか、全身の震えが止まらない。もしアレが現実だったのなら、自分はいまごろどうなっていたのか。考えただけで恐ろしい。
「――っか。おい」
耳元で青年の声がした。軽く肩を揺さぶられて、友哉は我に返った。どうやら思考の底に意識が沈んでいたらしい。
「本当に平気なのか? 外傷がなくて呼吸も正常だったから様子見してたけど。具合が悪いんなら救急車呼ぼうか?」
「い、いえ。ホントに大丈夫ですからっ」
青年の親切は嬉しかったが、事態を荒立てなくなかった友哉は慌てて首を横に振った。そしてふと疑問に思ったことを彼に尋ねてみることにした。
「あの……さっき、ここら辺に霧がでていませんでしたか?」
「さあ? 俺は見てないけど。霧なんてでてたっけ?」
「あ、いいんです。僕の勘違いみたいですから。……あの迷惑をかけたみたいで本当にすみませんでした」
「ンなモンいいって。困ったときはお互い様だろう?」
ヒトの良い笑みを浮かべる青年に申し訳なさで一杯になる。同時に倒れていたのを見られたかと思うと顔に血が上るのを感じた。
羞恥で顔を赤くした友哉は、ニット帽の青年にもう一度礼を言うと、早足でその場を立ち去った。
「――ふう。なんとか誤魔化せたか?」
曲がり角の向こうに友哉の姿が消えたのを確認して、ニット帽の青年は安堵したようにつぶやいた。さっきとは違いやたらと砕けた口調だった。
「危ねぇ、危ねぇ。冗談じゃねってのっ。こんなくだんねぇことで俺の計画潰されちゃあ堪んねーよ。死んでも死にきれん」
気だるげな動作で片腕を上げる。すると何もない空間から滲み出るモノがあった。四メートル四方の正八面体で構成された灰色の結晶体だ。結晶体にはさきほど友哉が見た影の本体が閉じ込められている。一言でいうなら、金色の鬣を待った二足歩行の獅子。二股に分かれた尻尾の先は蛇の頭部になっている。獅子は怒りの咆哮を上げ、自分を閉じ込めているそれを破壊しようと、両手の鋭い鉤爪を結晶体に叩きつけている。
「アームドタイタン。レベル60。魔獣型。生息地はバロウズ活火山。攻撃方法は俊敏力を活かした両手の鉤爪による斬戟と、尻尾の蛇による噛み付き及び毒攻撃。それと口腔からのブレス。高い攻撃力と防御力を持った、獰猛極まりないボスモンスター。……ヘキサならともかく、こっちの樋口友哉じゃちょっとキツいな。つーか、無理無理。アホか。こんなんに襲われたら即死だっつーの。頭から丸かじりですよ?」
――グルルルル!
青年の解説など知ったことではないとばかりに、獅子は尚も暴れまわる。しかし結晶体はビクともしなかった。ヒビひとつ入らない。
ニット帽の青年は顔をしかめた。
「うるせーよ。近所迷惑だ。静かにしろ。それにそのオブジェクトの破壊は、お前には不可能だ。とっておきのレアアイテムだからな」
破砕の灰結晶。それがアームドタイタンを封じるアイテムの名前であり、まだ実装されていないはずのアイテムであった。
存在しないはずのアイテムを使用した青年は、そういうワケで、と言葉を区切り、掲げた片手の中指と親指を合わせた。
「消えろ」
指を鳴らす。
それを合図に結晶体が圧縮しはじめた。内部にアームドタイタンを捕らえたままで。異変を察した獅子は激しく抵抗するが、狭まる結晶体に身動きすらできなくなる。更に体積を減らし続ける正八面体。やがて限界まで圧縮した結晶体は、内部のアームドタイタンごと弾けて砕け散った。
「さて、と。これからどーすっかねぇ」
アームドタイタンの消滅を見届けた青年がぼやく。
「ったく。ウィリディタスの野郎……。次から次へと問題ばっか起こしやがって。ルベドの奴はなにやってんだ? 管理者なら管理者らしくちゃんと見張ってろよな。まったく職務怠慢で訴えるぞっ」
遠い昔に袂を別った同胞。胸に湧く郷愁を頭を左右に振り掻き消す。
「まあ、いいさ。『変革の日』まではしばらくある。それまでには決着をつけてやる」
拳を握る。指先が白くなるほど強く強く、拳を握りこむ。
「絶対に俺の邪魔はさせない。これが最後なんだ。今度こそ絶対に――」
そこで青年は言葉を切り、頭上を仰ぎ見た。夜空には月。現下の喧騒など素知らずに、いつもと変わらず輝いている。
「……世界で一番キレイなモノ、か」
はっ。空気が吐き出されて、口元が歪む。自らを嘲笑するかのような淀んだ笑みだ。
「ぞっとしねーな」
ニット帽を目深に被り直す。青年はポケットに手を突っ込むと、夜の闇に溶けるように姿を消した。