断章 遥か遠き残響(1)
グゥゥゥ――――。
鮮やかなコバルトブルーのエフェクトが炸裂した。身の丈ほどもある大剣が、ハイゴブリンの一団を纏めて薙ぎ払う。
肉厚の刀身は薄汚れた軽鎧ごとハイゴブリンを胴体から真っ二つに分断した。連続する破砕音と破壊音を撒き散らし、彼を取り囲んでいた亜人たちは次々にオブジェクト片に砕け散った。
クラウネル・リッパー。身体を竜巻の如く回転させ、周囲を薙ぎ払う広範囲剣技。多数との戦闘にこそ真価を発揮する【両手大剣】スキルだ。
どうやらいまの一団が最後だったようだ。周囲に【索敵】スキルに反応する敵がいないのを確認すると、モンスターを一掃した少年は戦闘状態を解除した。
黒髪に黒い瞳。黒いレザーコートと黒づくめの少年だった。彼は剣を背中の鞘に収めると、壁に背中を預けてアイテムウインドを開いた。
新規入手アイテム一覧には、今回の探索でモンスターがドロップした爪や牙、装備品などが表示されている。中でもハイゴブリンから手に入れた短剣は中々のレアアイテムだ。高値で売れるだろう。
黒髪の少年が探索の成果に満足していると、パチパチと乾いた音が通路に響いた。
通路を反響する音に慌てた様子もなく、彼はアイテムウインドを閉じると、音の聞こえてきた方向に見やった。
【識別】スキルで補正された視界の先。そこには黒い長髪の少女がいた。音は彼女の手元からしている。拍手だ。
彼女が遠巻きにこちらを見ていたのは、戦闘中からわかっていた。初めはPKかもと疑っていたが、少女のカーソルが青だったので、とりあえずは目の前の戦闘のほうを優先して集中していたのだ。
もっもと、青カーソルだからといって、すぐに安心するのは早計である。中には犯罪プレイヤーと手を組んでPKをする悪質な一般プレイヤーもいるし、彼らの被害者は決して少なくはないのだから。少しの油断が死に直結しかねないのだ。現在のファンシーの状況を考えれば、警戒しすぎて損をすることはない。
「すごーい。強いんだね、君」
軽やかな声色が耳朶を打った。
拍手を止めて、少女が近づいてくる。
「……なにか用?」
そう言いながら壁から背中を離す。抜剣こそしないが、いつ戦闘に突入してもいいように彼女の挙動に注意を払う。
見たところ武器は右腰に吊るした細剣のようだか、黒髪の少女の動作には無駄がない。かなり腕のたつプレイヤーのようだ。
「うーん。用ってワケじゃないんだけどねー。――もう。そんなに警戒しないでよ。なにも取って食べたりなんてしないわ」
苦笑すると両手を掲げて、ひらひらと振って見せる。戦闘する意思はないということのようだ。明け透けな少女の言動に毒気を抜かれた様子で彼は肩を竦めた。
「それにしても凄いね。あいつら結構強いのに」
必ず集団でくるから厄介なのよねー、と彼女は嘆息した。
「別に。攻撃パターンは単純だし。位置取りにさえ気をつければ、そうそうやられることはないよ」
自慢するわけでもなく淡々と言う。彼の言葉はある意味で正しく、ある意味で間違っている。確かにハイゴブリンの攻撃パターンは単純だ。慣れれば先読みも可能だろう。
だが、決して雑魚ではない。少年と少女がいるのは最前線から僅か四階層しか違わない。ハイゴブリンは十分に強力なモンスターなのだ。単独で行動しているところ集団で襲われればひとたまりもない。普通なら遭遇した時点で逃走を試みるのが妥当な判断のはずだが、彼はそれをせずに一人で挑み、なおかつハイゴブリンの一団に勝利したのだ。
「仲間はいないみたいだけど、ソロなの?」
頷く。モンスターの種類と特性にもよるが、ファンシーはその戦闘システム上、ある程度のプレイヤースキルと反応速度があれば、PTを組むよりもソロ狩りのほうが経験値及び金銭効率がいいことがままある。
彼に言わせれば、他のプレイヤーとの共闘など時間の無駄使い。ろくに思考式も使えない足手まといの仲間などいても邪魔なだけだ。
だから彼は常にソロだ。いままでも。そしてこれからも。ずっとソロプレイヤーとして生きていくだろう。
「ふうん――そっか。ソロなんだ」
ぽつりと少女がつぶやく。
なにやら意味深な含みを感じる。ソロだと問題があるのだろうか。
「ここでソロって相当よね。レベルはいくつ?」
レベルなどのステータス情報はファンシーにおける生命線。情報こそが重要なのだ。どのスキルを選択しているか。そんな些細なことひとつが、ときとして明暗をわけることがある。ソロプレイヤーである彼はそのことを重々承知していた。
していたのだが、
「……112」
気がつけば、馬鹿正直に答えている自分がいた。どうしてかは彼自身にもよくわからなかった。馬鹿か、僕は。内心で毒づき呆れる。
初めて会った人物に自分の情報を洩らすなぞ、正気の沙汰とは思えない。自殺行為もいいところだ。彼女の表情が無邪気で、悪意を感じなかったからだろうか。もしくは少女が余りにも自然体だったからかもしれない。
黒髪の少年の答えに、少女は目を見開いて丸くした。
「私よりも上じゃない。……ますます欲しいわね」
「なにか言った?」
「ううん。独り言。ギルドは? それだけ強ければあっちこっちから引く手数多でしょ」
確かに。日頃からギルドの勧誘は多い。どのギルドも戦力を整えようと必死なのだ。特に彼のように強力な剣士は、喉から手が出るほど欲しいのだろう。
しかし、彼は勧誘を全部断っている。仲間を集める必要性を感じないからだ。理由はさきほど述べたとおり。ソロのほうが効率がいいし、なにより苦手なのだ。人と肩を並べる行為が。何を話していいのか分からない。他人に気を使わなくていいので、ひとりのほうが気が楽だ。ギルドへの加入など、メリットよりデメリットのほうが多い。
だから僕はソロなのだ、とそう強く自分に言い聞かせる。それは彼の習慣のようなモノだった。そうでなければとてもではないが、この孤独に耐えられそうになかった。
「入ってない」
内側の葛藤を悟られぬように、平坦な口調でそう彼女に告げると、何故か彼女は笑みを浮かべた。
「それは好都合だわ。これも神様の思し召しってやつかしら」
「さっきからなにをぶつぶつと言ってるんだ。えっと――」
そこで彼はまだ自分が彼女の名前すら知らないことにようやく気づいた。そんな単純なことも忘れていたとは、改めて自分に呆れてしまう。
「ああ、そういえばまだ名前言ってなかったっけ。わたしは――」
彼女は名乗り、君は? と聴いてくる。
その問いに黒髪の少年は、自分の名前を口にした。囁くように紡がれ言葉が、大気を小さく振動させた。
「――、ヘキサ」