第十一章 火と油(1)
異常事態。
その光景を見て、彼らにまつわるエピソードを少なからず知る者ならば、誰もが自分の目を疑うであろうことは確実だった。
「――――――」
黙々と歩く一同の間には会話がなかった。とてもではないが、軽口を吐けるような状況ではないのだ。
場の雰囲気は最悪の一言に尽きた。いままでに数多くのPTを組んだ経験があるハズミだったが、ここまで険悪なPTははじめてだった。
プレイヤーはNPCとは違う。ポリゴンの向こうにいるのが生身の人間である以上、トラブルが発生することだって多々ある。
ときには嫌いなプレイヤーとPTを組まなければいけないことだってある。が、例えそうだったとしても、このPTの険悪さに増さるPTなど存在しないのではないのか。
そう思わずにはいられなかった。まるでなにがきっかけで爆発するかわからない、爆弾を運ばされている気分だった。
重苦しい空気にげんなりして、彼女は頭上を見上げた。
空が暗い。まだ昼間だというのに仰いだ空はどんよりとした雲に遮られて、周囲は薄暗くてじめじめとしている。
錆びた十字架に薄汚れた石の墓。剥き出しの地面は荒れ放題で、乱立する樹木がお互いの葉をざわざわと擦らせている。
加えて、遠くのほうからは苦痛とも快楽ともつかない耳障りな呻き声。この場所が人々から見放されているのが一目瞭然だった。
それも当然か。ここは咎人の墓場。誰が好んで罪人の墓所を訪れるというのか。
はあっと嘆息する。周囲の粘つくような淀んだ大気との相乗効果で、尚のことに雰囲気が悪く感じられる。
ここでモンスターでも現れてくれれば、余計なことを考えずに済むのだろうが、世の中そう上手くはいかないのが常である。
まあ、このレベル帯のモンスターなんて、集団で出現したところで瞬殺だが、それでも多少のストレス解消の役には立つはずだ。
モンスターの姿を追い求めて、ぐるりと首を巡らしてはみるものの、敵の影はひとつもなく、墓場特有の不気味な光景が広がっている。
ちらりと横に目線をやると、リグレットの整った横顔が見えた。
普段から感情を面に出すことが少ない彼女ではあるが、今日はいつにも増して無表情に思えるのは、自分の考えすぎなのか。
最近は無表情の中の感情を、なんとなく読み取れるようになってきたと感じていたのに、いまの彼女の考えを読むことができないでいた。
それとも自分が自惚れていただけなのだろうか。
なんてことを半ば現実逃避気味にぼんやりと思いつつ、ハズミは視線を彼女から前方を歩く『二人』に移した。
先行する二人を取り囲む空間は、明らかに異質なモノだった。これに比べれば罪人の墓所の雰囲気など生温く感じる。
それほどの異常。戦闘中でもないのに続く極度の緊張状態に、こちらのほうが先に参ってしまいそうだった。
良い意味ではなく悪い意味で。その二人を知らぬ者など、凡そファンシーには存在しない。何故なら彼らは共に最強のPKとして、ファンシーに名を馳せているのだから。
片方は、白。
白髪に白装束。左腕に小型の円形の盾、腰の後ろには幻想を冠する片手剣。鮮やかな真紅の襟巻きを靡かせて、鋭く細められた色素の薄い瞳に剣呑な光を宿らせている。
片方は、赤。
金髪に赤い軽装鎧。武器は装備していない。白と黒の仮面で顔を隠しているため、その表情を伺い知ることはできないが、全身をある種の倦怠感が包み、まるで老熟した老人のような雰囲気を纏っている。
白と赤。
人喰いと殺幻鬼。
――ヘキサとナハト。
決して交わるはずのない二人が、肩を並べて歩いている。これを異常事態と呼ばずになにを異常事態と呼ぶのか。
特に彼らに関して言うのならば尚更である。
二人の関係を簡潔に表すならば、さしずめ天敵。もしくは不倶戴天といったところか。どちらにせよ、共に行動するような間柄でないのは確かだ。
少なくとも事情を知るハズミはそう思っていたし、だからこそ現在の状況に強烈な違和感を抱かずにはいられなかった。
「なんだかなぁ」
誰にも聞こえないように、小さな声で愚痴を洩らす。その一言が赤毛の少女の心境を、如実に物語っていた。
もっとも、現状に不満を感じているのは彼女だけではない。この面子の中で誰が一番不満を持っているかなど言葉にするまでもなかった。
ふわっ、とナハトは欠伸をしながら口を開いた。
「なあ? まだ着かないのか。いい加減、この光景にも飽きてきたぜ」
「……そろそろ着く。黙って歩け」
緊張感の欠片もないナハトに、問いかけられたヘキサは端的に言った。
なにかを押し殺したような平坦な声色だったが、語調に滲む暗い感情までは抑え切れてはいないようである。
「なんだよ。つれないな」
白髪の少年の物言いにナハトが不満気に肩を竦める。陰鬱とした電子音声が、仮面の奥から発せられた。
「ちょいとばっか淡白じゃないか。こんな機会なんて滅多にないんだし、もっとコミュニケーションとろうぜ?」
言って、なんのつもりか指を鳴らすナハト。パチン、と乾いた音が周囲に響く。
「なんせこれからオレとお前とのコンビで一戦やらかすんだ。今回くらいは仲良くしたっていいと思うぞ」
「……ナハト」
「おう」
「黙れ」
仮面の道化師のほうを見ようとせずに、正面を向いたまま吐き捨てる。びくりとハズミの小柄な身体が強張った。
「へいへい。了解しましたよっと」
対してナハトの調子は変わらずだった。相変わらずのふざけた態度に、ヘキサの表情が一瞬だけ変化し――だが、それだけだった。
口を噤み歩く。頑なにナハトのほうを振り返ろうとしない。明らかに苛立ってはいるが、その先の行動、早い話が実力行使には移さない。
普段のヘキサからすれば穏やかすぎる対応だ。いつもの彼ならば対面した瞬間に斬りかかってもおかしくはない。
いや、むしろ確実に斬りかかっているところである。
ましてやここはダンジョンで、中立エリアではないのだ。いつ問答無用で襲い掛かるのかと、ハズミのほうが冷や冷やしていたくらいである。
しかし、ヘキサは堪えていた。それがこの奇怪な光景を容認する一因でもあった。とはいえ、かなり微妙なバランスなのは間違いなかった。
モンスターが現れてもいないのに、ヘキサの右腕が時折、自身の剣の柄に触れていることに、果たして彼は気がついているのだろうか。
おそらく気がついてはいまい。そんな余裕などないくらい、ヘキサはこの瞬間も葛藤していた。なにを葛藤しているかなどあえて言わないが。
まったく。なんでこんなことになったのやら。
内心で独白したハズミは、右手で額を押さえると被りを振った。
なんで――、とつぶやきながらも、実際にこうなってしまった原因を彼女は知っていた。その場にいたのだから当然である。
そもそもは二日前。ヘキサがイベントモンスターの討伐に、『失敗』したことがはじまりだった。