断章 遥か遠き残響(10)
書く気があっても時間がない。
最低でも一週間に一回は更新したいんだけどなぁ。
中空に浮かぶ盲目の女性が淡く微笑している。光を失った暗い瞳が、眼下の二人の少年を柔らかく見据えていた。
「こいつ――NPCか?」
盲目の女性に重なる緑の二重円に、色素の薄い双眸を細めて、デュオは警戒心を露にして小さくつぶやいた。
その隣にいるヘキサもまた、大剣の柄を掴んだまま鋭い視線を周囲に走らせるが、【索敵】に反応するモノはなかった。
状況から推察するにデュオが剣を引き抜いたことで、なにかしらのイベントのフラグがたったのだろう。
そして問題なのはそのイベントの中身だ。アイテム回収や素材集めなどならいい。だが、もしも戦闘系のイベントだったら。
イベント戦闘にはアイテムや魔法による離脱が不可能なモノもある。モンスターによっては致命傷になりかねない。
いまのところ盲目の女性の出現以外で、これといった異変は見受けられない。七色に変化する水晶群に変化はなく、モンスターが出現する気配はなかった。
とはいえ、現状なにが起こるか判断できないのだ。油断するわけにはいかない。目の前の女性が突如として襲い掛かってくる可能性だって十分に考えられる。事実、そうした性質の悪いクエストも実際にあるのだ。
忘れてはならない。これはただのゲームではないのだ。ふとした一瞬の気の緩みが命取りになると、これまでの経験で骨身に思い知らされている。
見詰め合う二人の少年と盲目の女性。ヘキサたちの間に嫌な沈黙が落ちる。
「――ン?」
張り詰める空気の中、白髪の少年が疑問の声を洩らした。
「あれ……なんか……こいつ……」
ぼそりと独白し、眉根をひそめるデュオ。その声に釣られるようにして、ヘキサは若干上擦った口調で問うた。
「どうしたの?」
「いや。なんて言うか――」
視線を頭上の女性に固定したまま、デュオはなにかを思い出そうとしている最中のような口調で言った。
「こいつ、どこかで見たような気がしないか?」
「は? どこかって――」
どこだよ、と言いかけてヘキサは口を閉じた。確かに。改めて言われてみると、彼も彼女の顔を見たことがあるような気がした。
記憶の奥にぼんやりとある情景。最近ではない。ずっと前にどこかで――あれはいつのことであっただろうか。
「NPCの使い回し、とか?」
「違う。確証はないが、そうじゃないと思う」
汎用クエストには同じ外見のNPCを使っているケースもあるが、今回のような明らかに発生度の低いクエストには、専用のNPCが配置されているのが通例だ。
と、そこでまるでタイミングを見計らったかのように、盲目の女性が静かに言葉を紡いだ。
「――まずは感謝を。ありがとうございます――若き冒険者よ」
つま先が地面を叩く。ふわりと重力を感じさせない動作で着地すると、盲目の女性は優雅な動作で会釈して見せた。
「よくぞ守護者を打ち倒し、古の封印よりこの地を解放してくれました」
守護者? ……ひょっとしてあのクリスタルウルフのことだろうか?
ヘキサの疑問に答える声はなく、盲目の女性は涼やかに言葉を紡ぐ。
「私はフレイ。人々からは選定者の名で呼ばれています」
その言葉をきっかけにして、ヘキサとデュオは同時に彼女のことを思い出した。やはり彼らは以前に彼女と出会っていたのだ。
それはこの仮想世界に降り立った最初の日。すべてのプレイヤーがはじめて目にする人物こそが、この青い髪の盲目の女性なのである。
選定者フレイ。神の言葉を伝える仲介者。この世界を滅ぼそうとした魔王・ツァラトゥストラ。彼の魔王を倒した十一人の勇者――即ち、十一賢者を選定したのが彼女なのだ。
ただしヘキサたちプレイヤーからすれば、基本操作を教えてくれるチュートリアル役といったところか。プレイヤーは彼女から一通りの操作方法を学び、それから本当の意味でこの仮想世界の住人になるのである。
もっとも、フレイに対面したのはその一回きりなので、忘れていたのも仕方がないことではあるのだが。
「貴方が手にしたその剣は、数多の願いと祈りにより鍛えられた幻想。いまはその力を失っていますが、もしその力を甦らせたのならば、きっと貴方の目的を達するための心強い力となるでしょう」
彼女の声に応えるように、リン、とデュオの持つ硝子の剣が鳴った。それを見届けて、フレイを瞑目すると、胸の前で両手を組んで祈りを捧げる。
「私はフレイ。世界を行く末を見守る者」
「おい! ちょっと待てよッ!」
フレイの体が透ける。輪郭がぼやけて、その存在の密度が希薄になる。消える直前、彼女の小さな囁きが、水晶群の空間に響き渡った。
「願わくば貴方の『欲望』が、世界を救う力とならんことを」
それで終わりだった。選定者はその姿を消し、その場には話についていけなかった二人の少年だけが取り残された。
話を挟む間もなかった。まあ、挟んだところで無視されそうな雰囲気ではあったが、一方的に言いたいことだけ言って、満足気に消えてしまった盲目の女性に唖然としてしまう。
「おい。ヘキサ。ちょっとこれ見てみろよ」
ふと我に返ったヘキサが横を見ると、デュオの眼前にはいつの間にか、半透明のシステムメッセージが出現していた。
ちょいちょいと指先でウインドを指す彼に、ヘキサは後ろから画面を覗き込み、目を大きく見開いた。
「幻想武器修復クエストを受諾しました……?」
画面の文字を読んだヘキサは、その文章に小首を傾げた。
幻想武器。フレイの言動からするに、おそらくこの古びた硝子の剣を指しているのだろうが、いままでに聞いたことのない名称だ。
「幻想武器? なんだそりゃ?」
デュオも同じようだ。目の前のメッセージに突っ込みを入れると、画面に触れて次のページに切り替えた。
「うわ……また、スゲーことになってんな」
切り替わった画面には、幻想武器――朽ちた硝子の剣――とやらの修復に必要なアイテムの一覧が表示されていた。
「えっと、虹水晶……神鉄……生命の霊薬、王冠石に腐食銀――って、いやいや……ちょっと、なにこれ!?」
白髪の少年の背後から画面を覗き込んでいたヘキサも、表示されているアイテムの名前に思わず声を張り上げていた。
当然だ。そこに表記されているアイテムはどれもこれもが、頭に超がつくほどのレアアイテムばかりなのだから。
「それこの紅炎って、なに? デュオは知ってる?」
「さあ。俺もはじめて見た」
中にはヘキサたちですら知らないアイテムも混じっている。このアイテムの内のどれかひとつだけでもオークションに出品すれば、簡単に一財産を築けるだろう。
むろん、独力で入手するのは容易なことではない。
数々の連続クエストのクリアが必要だったり、強力なモンスターを倒さなければならなかったりと、手順が複雑で困難極まりない。
またランダムドロップの性質上、目的のアイテムを入手できるかは運次第。運が悪ければ同じクエストを永遠と繰り返す羽目にもなりかねない。
しかし、逆にいうとこれだけ大量のレアアイテムを使用し、この世界の重要人物であるフレイまでもが登場する、このクエストの報酬であろう古びた剣には、一体どれだけの価値があるのであろうか。
「はは……面白くなってきたな」
「そう? 僕としてはこれ以上の騒動は、正直勘弁なんだけど」
さも愉快そうな調子で、器用に手の中で硝子の剣を回転させるデュオに、ヘキサはげんなりとした口調で返答した。
興味がないといえば嘘になるが、それよりも訪れるであろう波乱のほうが憂鬱だった。確証はないがしかし、絶対に穏便にはいかないだろうという嫌な確信があった。
「はあ。とりあえずは早く戻らない?」
予想外の展開に忘れがちだが、いまはお使いという名の罰ゲームの最中なのだ。すでにあれからかなりの時間が経っている。
「きっとリグレット怒ってるよ」
思いのほか時間を食ってしまったこともあり、いつまでも戻ってこない二人に、黒髪の少女はさぞお怒りになっていることだろう。流石にいまからの説教コースは遠慮したかった。
「うっ。確かにマズいな」
顔をしかめながら言って、デュオは硝子の剣をアイテムウインドに収めると、頭上に転移の白結晶を掲げて、トリガーコマンドを口にした。
景色が揺らぎ、身体が独特な浮遊感に包まれる。視界が白く染まる直前、今後の波乱含みな展開を想像して、ヘキサは静かに嘆息した。