第十章 記憶の欠片(4)
依頼内容に無言でヘキサは、色素の薄い瞳を細める。その視界には自分の赤いカーソルとは違う、複数の青い二重円が映し出されている。
一般プレイヤーの証である青のカーソル。それはかつて当たり前のように自分にも存在し、そしていまはどれだけ手を伸ばしても届かない過去の残滓。
「――俺に≪聖堂騎士団≫の手助けをしろってのか?」
「結果的にはそうなるだろうね」
冷ややかな口調だった。視界の端に肩を竦ませる桃色髪の少女が見えたが、彼は眼前の青年から視線を外すことはなかった。
刃を連想させる鋭い双眸に睨まれながらも、クリスの表情が変わることはなかった。いっそ小気味いいとすらいえるふてぶてしい態度に、ヘキサの肩から力が抜けた。
ふうっと吐息を吐いて気持ちを切り替える。冷静になれと自分に言い聞かせた。頭に血を上らせたところでなにも解決はしない。
とりあえずは疑問を解消しよう。判断するのはそれからでも遅くはあるまい。
「幾つか訊きたいことがある」
「なにかな?」
「依頼者は誰になる。お前か?」
「うーん、そうだね。クライスを仲介役にして、僕からの依頼という形になるかな。……表向きはね」
語尾に付け足された露骨な含み。それが意味するものは明白だった。それは一種の偽装工作。今回の真の依頼者が誰なのかなど論ずるまでもない。
「本当の依頼者は≪聖堂騎士団≫……ですね?」
「……僕とクライスの二重仲介。ただし、これが表沙汰になることはない。今回の依頼者は僕ってスタンスだから」
黒髪の少女の問いに、クリスはあっさりとそう答えた。
「彼らの目的はダンジョン攻略。故に、そこに到るまでの過程での障害なんてどうでもいいのさ。特に今回のような場合はね」
PKの協力なしでは絶対にクリア不可能なイベント。それをクリアしたとなれば、PKに助力を求めたと考えるのが自然である。
だからこその≪梟の巣≫。イベントのクリア条件が第三者に知られた場合に備えての対策なのだろう。≪聖堂騎士団≫は今回のイベントに携わっていない。PKに依頼したのは≪梟の巣≫なのだと。そう証明するための口実作り。
幼稚な子供だましもいいところではあるが、何事にも本音と建前があり、事前に落としどころを作っておくことが重要なのである。
「ちなみに君に依頼したのは僕の独断さ。この件に関しては僕に一任されているからね」
フン、と面白くなさそうに鼻を鳴らす。
大方、このイベントに関する問題は、すべて≪梟の巣≫に押し付けるつもりなのだろう。まったく。裏でどんなやり取りがあったのやら。
「さっきも言ったと思うけど、僕の交友関係の中には適材がいなかったんだよ。そんなときにどうしようかと困って相談したのがクライスで、紹介されたのがヘキサだった――と、そういう感じかな」
それでクライスが仲介役なんかになっているのか。バラバラだった断片が繋がり、ようやく合点がいった。
「勿論、依頼に見合うだけの報酬は払う。なに。相手は天下の≪聖堂騎士団≫。好きなだけふんだくればいいさ」
報酬。その単語に対するヘキサの反応は淡白だった。やはりいまいち気が乗らないのだ。気の乗る要素がないのだから、当然といえば当然なのだが。
「どうだろう。引き受けてはもらえないかな?」
クリスが問いにヘキサは目線を下に落とした。
損か得かで決めるのならば、少なくともヘキサとっては損だと断言する。報酬とやらに魅力を感じないのもそうだが、一番得をするのが≪聖堂騎士団≫だというのが大きい。
視線が集中するのを意識しながら、しばしの黙考の後、彼はゆっくりと口を開いた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「すまなかった」
謝罪を口にして頭を垂れる眼鏡の青年に、ヘキサは目を丸くして驚いた。明かりを落とした室内にいるのは彼ら二人だけだった。
リンスは説明を求めるクリスに連れられてどこかへ行ってしまったし、リグレットとハズミには先に外へ出て待ってもらっている。
そういえば結局、リンスの話も有耶無耶になってしまった。彼女を助けたのが本当に自分なのか。今度もう一度ちゃんとした場を設けたほうがいいかもしれない。
もっとも、あの調子ならこちらがなにかをするまでもなく、あちらのほうからまたコンタクトを取ってきそうではあるが。
初対面――であるはずの少女の顔を思い浮かべて、そんなことをぼんやりと思っていたときだった。突然クライスがそう言い出したのは。
「え、はぁ? 急にどうしたんですか?」
突然の彼の挙動が理解できずに、ヘキサは思わず聞き返していた。意味がわからない。どうしてクライスは自分に頭を下げているのだろうか。
自分が彼に謝らなければならないことは腐るほどあるが、彼が自分に謝ることなどなにひとつないというのに。
「今回の依頼のことだよ。私が軽率だった」
面を上げたクライスが、顔をしかめながらそう言った。
「≪聖堂騎士団≫絡みの依頼に、君を関わらせるべきではなかったというのに。配慮が不十分だった。……しかし、クリス君から話を聞いたとき、相応しい人材はヘキサ君しかいないと――いや、これは言い訳か」
「……別に気にしてないです」
なんだそんなことか、とヘキサは内心で思いながら言った。
「だが、君は≪聖堂騎士団≫を憎んでいるのではないのかね?」
「ええ、それはもちろん」
即答だった。
一瞬の躊躇もない端的な言い方が、それを如実に物語っている。
当然だ。いままでの≪聖堂騎士団≫とのイザコザを思い起こせば、好きになる要因など皆無なのだから。
正直にいってしまえば、クリスの依頼内容を訊いたとき、ふざけるなと思ったのも事実だ。なにが悲しくて≪聖堂騎士団≫絡みの依頼に関わらなければいけないのか。
冗談ではない。むしろこのままイベントを進行できずに、他のプレイヤーから袋叩きになればいいのだ。その光景を眺めるのはさぞ痛快だろう。
なにしろ攻略法が判明した時点で、≪聖堂騎士団≫による単独でのクリアは、事実上不可能になってしまったのだから。
攻略に必要なのは、PK。いままで散々否定していたPKを、攻略のためとはいえ使えるはずがなかった。そんなことをすれば批判どころの騒ぎではない。≪聖堂騎士団≫の名前は地に落ちる結果になるだろう。
「でも、それとこれとは話が別だというか、なんというか……」
ごにょごにょと言葉を濁すヘキサ。
≪聖堂騎士団≫は大嫌い。それでも今回の依頼を引き受けたとは、クライスが仲介役だったからである。
白髪の少年にとって彼は恩人なのだ。そして、恩人の頼みを知らぬ存ぜぬで蹴飛ばすほど、自分はロクデナシではないという自負がある。
今回の依頼の仲介役であるクライスの顔に、僅かとはいえ泥を塗るワケにはいかないのだ。そのような所業は自分が許さない。
感謝しているのだ。だから彼からの依頼はよほど理不尽ではない限り、自己の都合を無視してでも受けようと決めているである。
それに強いPKならば誰でもいいというワケではない。単純に強ければいいのであれば、自分よりも適任な人物は他にもいるだろう。
だが、それだけでは駄目なのだ。強いだけではなく、情報を他者に漏らさない信頼できるPKでなければならない。
つまりそれは自分が彼に信頼されているというなによりの証なのだから。それを嬉しく思うことはあったとしても、疎ましく思うはずがない。
「と、とにかく俺は別に気にしてないんで、クライスさんが謝る必要なんてないですよ」
などと思考してはみても、それを口の出せる度胸もなく、ヘキサは早口で話題を打ち切ってしまった。
「そうか。君がそう言ってくれるのならば、私もなにも言うまい。ありがとう、ヘキサ君」
「う……じゃあ、そろそろ俺も行くんで」
挙動不審なヘキサになにを思ったのか。そう言って笑うクライスから顔を背けると、早足で部屋を後にしようとして、背後からの声に足を止めた。
「明日のことだが、一人で行くのかね?」
「洞窟の奥までは、リグレットたちと行きます。……ていうか、そのためにここに呼んだんでしょ?」
退出の間際、クリスが≪梟の巣≫の団員を何人か貸し出そうかと言ってきたが、馴染みの面子のほうが気楽なので丁重にお断りした。
「そのほうが君も動きやすいと思ったのだよ」
違いない。流石に自分のことをよくわかっている。
「とはいえ、三人ではキツいのではないのかね?」
「さっきハズミがシルクに連絡してたんで、どうにかなるんじゃないですか」
秘密を守るためにも、情報を知る人間は最小に留めるべきだが、この程度は許容範囲内だろう。それに彼女は秘密を守れる人物だ。
「それからイベントモンスターには、俺一人で挑むつもりです」
とりあえず明日は様子見のつもりだった。
一応、クリスからはモンスターについて、彼が知り得る限りの情報をもらっている。押し切れるようなら押し切るつもりだが、そう簡単にいくとは考えづらい。
出たトコ勝負の感が強いが、なんとかなるだろうと勝手に思うことにしておこう。
「まあ、引き受けた以上はちゃんとやりますから。クライスさんは朗報を期待して待っていてくださいよ」
そう言って、ヘキサは苦笑すると肩を竦めてみせた。