第一章 マンイータ(4)
少女たちを追い抜き、先頭を駆け抜けるヘキサがフロアの半ばに到達したとき、沈黙を保っていた骸骨剣士がゆっくりと面を上げた。ついで多腕を振り上げ、空に向かい咆哮した。
骸骨の双眸。虚ろな眼孔の奥には、爛々とした赤い光が宿っている。出現したカーソルの色は黒。ボスモンスターだ。名前はレッドアイ。
レッドアイは多腕をかざすと先ほどまでが嘘のような俊敏さで、ヘキサたちに向かって突進してきた。
空気を切り裂き振り下ろされた剣をヘキサは盾で受け止める。完全には相殺出来ずに、視界の端のHPが僅かに減少した。
強引に盾で剣を弾く。続けて迫る横殴りの太刀の下を潜り抜け、飛び込んだ懐に跳ね起きざま剣を振るう。
一度、二度、三度振るったところで、斜め上から伸びる攻撃予測線を感知し、後ろに飛び退く。鼻先を巨大な鎚が通りすぎる。
頭上に影が射す。リグレットだ。彼女は空中で身体を回転させると、青白く輝く両足を骸骨剣士の顔面に連続で叩き込んだ。【格闘】スキル、飛蓮脚。
骸骨剣士の巨体が揺らいだ。体勢が崩れて、剣戟が乱れる。左右から伸びる赤い線を縫うように、ヘキサは足を踏み出した。
頭の中で剣技を振るう自分のイメージを思い浮かべて剣先を翻す。連想したイメージ通りに振るわれる剣はシステムによって補佐・加速され、眩いエフェクトと共に骸骨剣士の身体に叩き込まれていく。
ファンシーの戦闘スキルは大分して剣技と魔法に分別できる。そして剣技と魔法にはそれぞれ二通りのスキル発動方法がある。
剣技における発動方法は発音式と思考式。
発音式はその名の通り、スキル名を発音することで使用できる形式だ。条件がスキル名を言うだけなので、初心者にも簡単に使用ができる。
だが、AIが相手ならともかく対人戦で発音式を使うということは、自分でこれからどんな攻撃をするのかを相手に教えるようなものだ。それでは勝てる試合も勝てはしない
そこで登場するのはもうひとつの方式である思考式だ。
思考式は使用スキルのモーションを思い浮かべ、攻撃の初期アクションを起こすことでスキルを発動する形式である。発音しなくて言いため、相手に剣技を悟られずまた発音式に比べてスキルの発動が早い。
しかし、この攻撃モーションを連想する作業が曲者なのだ。イメージが足りないとスキルが発動せず、逆に格好の的になってしまう。
慣れないうちは、十回に一回スキルが発動すればいいほうだろう。まして戦闘中となれば、当然相手の存在も視野に入れなければならない。
敵の動き。ときには仲間の動きも頭に入れながら思考式を使うのは、存外に神経を削る。思考式を使いこなすには高い技術と集中力が要求されるのだ。
故に、思念式は上級技術とされ、トッププレイヤーの仲間になるための必須技術となっている。
「フレイムランス!」
炎の槍がレッドアイの肩に突き刺さった。
ハズミが猛烈な勢いで手を動かし、中空に光の記号を刻んでいく。刻まれた記号から放たれた炎の矢が骸骨剣士に牙を剥く。
一方、剣技に対して魔法の発動形式は、記号式と詠唱式である。
記号式は現在ハズミが使用している方式だ。
魔法をあらかじめ記号とセットで登録しておき、スキルを使うときは登録した記号を刻み、魔法名を発声することで魔法を使う。
ハズミの横でシルクが先端に水晶が嵌った杖を眼前に構え、粛々と呪文の詠唱を行っている。その詠唱は普段の間延びした話し方とは対照的に、滑らかで淀みがない。
シルクの周囲に、無数の鋭い氷の刃が形作られる。
「アイスブリット」
放たれた氷の刃がレッドアイに殺到する。骸骨剣士が六本の腕を振り回し、氷刃を迎撃するが数が多すぎる。多腕をすり抜けた刃が、骨の身体に突き刺さる。
レッドアイは出鱈目に武器を振り回し、憤怒の咆哮を吐きだした。
詠唱式は、そのままの意味でまずは呪文を唱えてから魔法名を発声する方式だ。前者と後者では圧倒的に前者のほうが魔法の発動が早いが、その分魔法の威力・効果共に一定割合で削られてしまう。
魔法の種類にもよるが、一般的に詠唱時間が長い魔法ほど、刻む記号画数も多くなる――それでも詠唱式に比べたら断然早い――そして、威力・効果の減衰が大きいとされている。
威力が低いが発動が早い記号式。威力は高いが発動が遅い詠唱型。この二つの形式を状況に応じていかに上手く使い分けるかが、プレイヤーの腕の見せ所なのだ。
ヘキサとリグレットが俊敏さを活かして骸骨剣士を翻弄し、後方からハズミとシルクが魔法を撃つ。魔法に気を取られた隙に肉薄し、剣技で確実にダメージを重ねていく。
「ヘキサ! リグレットッ!」
レッドアイのHPが五割を切ったところでハズミが声を張り上げた。
ヘキサはポーションの中身を一気に飲み干す。リグレットも骸骨剣士から距離を取り、ポーションのコルク栓を親指で弾いた。
「今から大技使うから! そいつの注意引き付けておいて!」
頷くヘキサとリグレット。
そして二人の魔女は同時に魔法の詠唱を始めた。
空になったポーションのビンを投げ捨て、ヘキサは地面を蹴った。リグレットも続く。
迎え撃つレッドアイは、六本の腕を地面に叩きつけた。振動が地面を伝い、身体がビリビリと震えた。
多腕による同時攻撃は確かに厄介だが、攻撃パターンはすでに掴んでいる。ヘキサは剣と盾で攻撃を弾きつつ、タイミングを見計らった。
――、いま。
身を捻る。鉄塊の先端が頬に触れた。HPが減少するのも構わずに、反転した勢いのままに剣先を跳ね上げた。
直後、懐に入ったリグレットがわき腹に拳を打つ。そこから掌底、肘鉄に繋げ、右か真横に薙がれた剣をバックステップでやり過ごす。
鋭く息を吐き、重心を落として左足から前に踏み込む。腰を回転させ、右拳を真っ直ぐ前に突き出した。
【打撃】スキル、獅子弧咆。単発技なうえ攻撃モーションが大きいため、使いどころが難しいスキルだが、突撃重槍並みの攻撃力を誇るスキルだ。それだけではない。
拳がヒットした瞬間、骸骨剣士の動きが止まった。
獅子弧咆の追加効果だ。命中した瞬間、相手を硬直状態――スタンさせる。スタンするのは一瞬だけだが、その一瞬で十分だった。
ヘキサは振り抜いた剣を手元に寄せ、上段に構える。斜交いに振り下ろされた刀身が真紅の光に包まれている。現在ヘキサが習得している片手剣スキルで最長の六連続技ブラスレイター。派手なエフェクトが散り、レッドアイのHPがレッドゾーンに突入した。
「ヘキサさん!」
シルクの声が聞こえた。
二人が後方に飛び退いたのと、彼女の魔法が発動したのは同時だった。
レッドアイを中心にして、周囲の空気が急激に下がった。宙にはキラキラとした氷の結晶が浮遊している。
瞬間、空間を切り裂き十数本の氷の鎖が出現した。鎖が生き物の如くうねる。縦横無尽に疾駆する氷の鎖が骸骨剣士を串刺しにした。
鎖に絡め取られて暴れる骸骨剣士のHPがじりじりと減少していく。相手の動きを封じ、その間HPが減らし続ける水系統の中位魔法だ。
と、時間差でハズミが詠唱を終えた。上空に掲げられた両手。その頭上には途轍もない大きな炎の塊が浮いている。
「いっけぇっ!」
両腕を振り下ろす。巨大な火炎球が骸骨剣士に目掛けて放たれた。レッドアイを縛っていた鎖が砕け散る。だが、そのときには火炎球は骸骨剣士の目前まで迫っていた。
着弾。大爆発を起こした。土砂が巻き上がり、視界が煙に黒く塗りつぶされる。
「これで」
決まったか。そうヘキサが言いかけたとき、黒い視界に赤い線が走った。線の端はハズミに繋がっている。ヘキサは大声で叫んだ。
「ハズミ!」
「え?」
爆煙を突き破り、レッドアイが飛び出してきた。その赤い眼光の先に映っているのは、赤毛の魔女。
「まずいッ」
舌打ちするリグレット。魔法使用後の硬直時間で、いまのハズミは動くことができない。
レッドアイのHPは数ドットの幅で残っている。強振の一撃で削れるような微々たるモノだが、現在のハズミには迎撃手段がない。
最後の悪あがきとばかりに、無慈悲に振るわれる右上腕の大槌。反射的にハズミは目を閉じた。くるであろう衝撃に身を萎縮させて――甲高い金属音が耳朶を打った。
いつまでも衝撃がこないことにいぶかしみ、恐る恐る目を開くハズミ。その瞳に、白髪の少年の背中が映し出された。
【直感】スキルでいち早くレッドアイの目的に気づき、攻撃がヒットする瞬間、俊敏力にモノをいわせて強引に割り込んだのだ。
盾と大槌が鬩ぎあう。
鉄塊をそのままに、レッドアイが左下腕の曲剣を振るう――より刹那速く、ヘキサが右手のペルシダーを弓のように引き絞った。
「――、終わりだ」
一閃。
剣先がレッドアイの胸を貫いた。HPが今度こそゼロになる。ピシリ、と突き刺さった剣を中心に骸骨剣士の身体に亀裂が走った。
直後、多腕の骸骨剣士は木っ端微塵に砕け散った。
ふぅっ、と一息吐き、ヘキサは腰の後ろの鞘に剣を収めた。振り返ると尻餅をついたハズミが、きょとんとした呆けた顔で彼を見上げている。
「大丈夫か?」
「……え? あ、うん。平気」
ふと我に返ったハズミは、差し伸べられた手に掴まり起き上がった。心なし頬が赤い。緊張したからだろうか。
「ありが――」
「あった! ね、ね。あったよー!」
ハズミが言おうとした言葉は、シルクの声に掻き消された。
見るとシルクが手招きして、リグレットが駆け寄っているところだった。彼女はシルクの手元のウインドを凝視している。
「なんだろ。俺たちも行ってみよう」
「う、うん」
リグレットたちに近づくヘキサ。その背中をなにか言いたげなハズミが追いかける。ヘキサは彼女らの脇から画面を覗き込む。
まず目に映ったのは、無地で表示されたメインウインドだった。他人からウインドを覗かれるのを防ぐための遮蔽モードになっているからだ。
そしてその横にサブウインドが開かれている。新規入手アイテム一覧表示の画面だ。ダンジョンに入ってまだ一度も開いていなかったので、画面には複数のアイテムが記載されている。どうやら入手順にソートされているようだ。彼女が指差しているのは、一番上にあるアイテムだった。
「えっと……聖骸布?」
始めてみるアイテムだ。おそらくレッドアイ――ボスモンスターからのドロップ品だろう。PTに入る際、モンスタードロップをランダム設定にしておいたのだ。
種類は織物。素材アイテムだろうか。
「良かったね、リグちゃん」
シルクがリグレットに微笑みかける。
その光景にヘキサは首を傾げた。
「ン? 何。これってリグレットが探してたアイテムなのか?」
「え、ええ。その……そうです」
途端に何故か狼狽しだすリグレット。普段は見ない彼女の姿に疑問を持つヘキサだったが、あえて突っ込むような真似はしなかった。何気なく頷くと、
「ふうん。それより早く行こうぜ。鉱石掘るんだろ?」
「そ、そうですね。行きましょうか」
コホン、と咳払いひとつし、調子を戻した彼女はシルクの手を引いて通路の方へと向かう。シルクがなにやら喚いているが、まあ瑣末ごとだ。
「あ、ヘキサ」
リグレットたちを追いかけようとしたヘキサは、その言葉に足を止めた。見るとハズミが両手を胸の前でもじもじさせて、片足で地面を叩いていた。
やがて彼女は伏せていた面を上げると小声で囁くように言った。
「さっきはありがとう」
それだけ言うと彼女は、早足で通路の奥へと消えていく。ヘキサはしばらく呆けていたが、頭を掻くと彼女たちを追いかけて通路の先へと進んだ。
細い通路を抜けた先は、円形状の空間になっていた。天井や壁、地面など至るところから紫色の水晶が突き出している。そして部屋の中央には、一際大きな紫水晶が鎮座していた。
ヘキサが視点を中央の水晶に合わせると、採掘可能を示すアイコンが現れた。どうやらこれが目的の月晶石のようだ。
紫水晶の間近にいるリグレットが指を回して、メニューウインドを表示させる。アイテムイベントリを開き、ツルハシを選択。現在の装備と入れ替える。
すると彼女の両腕から銀の篭手が消え、入れ替わりにツルハシが実体化した。そして彼女は月晶石目掛けて、力強くツルハシを振り下ろした。
カンッ、と小気味いい音がして、白い火花が散る。それからリグレットは一言も発さず、黙々と採掘作業を継続させる。
「……なあ」
「なによ?」
「俺たちもなにか手伝えないかな? 見てるだけってのはその、どうにも決まりが悪くてさ」
その光景を見ていたヘキサがつぶやいた。
女の子ひとりを働かせて、自分は眺めているだけというのは精神的によろしくない。するとハズミはため息を吐き言った。
「あんたの【採掘】スキルはいくつ?」
「0。そっちは?」
「あたしも0よ。つまりあたしたちに手伝えることはないってワケ。……念のために聞いておくけど、シルクはどう?」
「んー。私も0だよー」
ですって、とハズミは相槌を打つ青い髪の少女に肩を竦めた。
【採掘】スキルの熟練度は、鉱石毎に設定された成功判定に影響を与える。例えば一般的な鉱石である鉄鉱石なら、熟練度が0でも一定の確率で成功するが、ワンランク上の鉱石になるとある程度の熟練度がないと絶対に成功判定がでないという具合だ。
「つーか、さ。思ったんだけど、あんた妙にリグレットに甘くない?」
「……そうか? そんなことはないと思うけど」
でも、そうかもしれない。彼女には何かと世話になっている。いくつか借りを返さなくてはと思っているのだが、借りは堪るばかりでいっこうに減る気配を見せない。どころかどんどん増える一方な気がする。そこら辺のこと情が無意識のうちに面に出ているのだろうか。
しばらくハズミは、ヘキサをジトーとした眼差しで見ていたが、ふいに視線を外すと隣に立っているシルクを見やり言った。
「ねえ。シルク。ちょっと気になってたんだけど……どうしてリグレットに依頼したの?」
その問いに首を傾げるシルクに、ハズミは更に言葉を繋ぐ。
「彼女の専門は『剣』でしょ。魔法職のシルクが依頼する相手としては、役不足じゃないの」
別に赤毛の少女はリグレットを馬鹿にしているワケではない。ただ魔法使いの武器製作を頼みたいのなら、その道の専門家にするべきではないのかと言っているのだ。
スキルの種類が多岐に及ぶが故の、ある種の弊害というべきか。
鍛冶師と一括りにしてもアイテムの種類によって、作成に必要なスキルが違ってくるのだ。広く浅くスキルを取得するよりも、ある程度習得するスキルを絞ったほうが、効率よく熟練度を上げられるのは当然と言えよう。つけて加えるのなら、イマジネーション・クリエイトが複雑さに拍車をかけている。
何事にも相性があるように、それがイマジネーション・クリエイトにもそれが当てはまる。つまりプレイヤーによって、潜在的に得意とするカテゴリーが異なっている。そのために鍛冶師の側も、製造する武器の種類を取捨選択し特化せざるを得ないのだ。
そしてハズミが言うように、リグレットの専門は『剣』。ヘキサも彼女が剣以外の武器を作成しているという話は聞いたことがなかった。
ハズミの疑問しかし、シルクの言葉によってあっさりと氷解することになった。
「だって、リグちゃんに頼んだのは私の武器じゃないもん」
「え? そうなの?」
「私の友達がね、もうすぐレベルが50になるのー。他の友達と話しあって、そのお祝いをしようってことになってねー」
「リグレットに依頼したのは、そのお祝いのための武器ってことか?」
「うん。リグちゃんに無理言って、造ってもらうの。――あ、見て。もうすぐ終わるみたい。ほら、水晶のきらきらがなくなってきてるよー」
確かに。よく見るとリグレットがツルハシを振り下ろす度に、少しずつ水晶の光彩が鈍くなってきている。水晶が光を失うと採掘できなくなる。再び掘れるようになるには、しばらく待たなくてはならない。
「どうする。また掘れるようになるまで待ってるか? 市場に出回ってない以上、少し多めに持って帰ったほうがいいだろう」
「それは無理です」
問いに答えたのは、ツルハシを振り上げたリグレットだった。
「この鉱石とボスモンスターは対になっているんです。ボスを倒すとここへの通路が開ける。月晶石が採掘不可能になってから部屋を出て、一定時間が経つとさっきのボスモンスターが再びリポップして、月晶石が採掘可能になる仕組みらしいです」
妥当なところだ。そうでもしないと独占されかねないだろうし。
「っ、どうやら掘り終わったようですね。数は五個。こんなところですか。最悪、もう一周することも考えていましたが、これならギリギリで足りそうですね」
ツルハシをしまい、サブウインドで鉱石の入手数を確認する。画面を閉じると、ヘキサたちのほうに向き直った。
「無事鉱石は採れました。これで目標は達成です。ありがとうございました」
「オッケ。ンじゃ、帰ろっか。さっき使い損ねた転移の白結晶でも使うか?」
転移の白結晶はPTを組んでいればメンバー全員を転移させることも可能だ。
「いえ、転移の白結晶を使うのは勿体ないので歩いて帰りましょう。それでいいですか?」
後半の言葉はハズミとシルクに向けられたものだ。
彼女たちは首を縦に振った。多少のトラブルはあったモノの、今回の冒険はこれで終わりだ。終わりのはずだったのだが――、
「おい、あれ」
問題が起きたのは、ヘキサたちが隠し通路付近まで戻ってきたときだった。彼の視線の先では数人のプレイヤーがモンスターに戦闘しているところだった。
否、一方的に襲われているというべきか。
事情を知らないのか怖いもの見たさなのかは分からない。だが、彼らの装備品などを見るに明らかにレベルが足りてない。
プレイヤーたちはポーションをがぶ飲みしながら逃げようとしているが、ダメージに回復が追いついていない。全滅するのは時間の問題だろう。
「まだスケルトンナイトがリポップしてないはずですから。興味本位で来てしまったのかもしれません」
「あーもーこれだから初心者は!」
「どーするのー?」
「助けるに決まってるだろ!」
見殺しにするのも後味が悪い。ヘキサは舌打ちして剣を抜くと、地面を蹴った。
襲われているのは三人組のPTだった。
盾持ちの片手剣と両手槍使いに魔法使いで構成されている。片手剣使いが敵の攻撃を盾で必死に防御している。その後ろから槍使いと魔法使いが援護しているが、モンスターのHPはまだ七割以上ある。
敵はハウルグリズリー。牙と両手の爪を武器にする巨大な魔物型モンスターだ。その強力な攻撃の前に、彼らは一方的に攻め続けられている。特に一番激しく攻撃されている片手剣使いのHPはさきほどから、イエローゾーンとレッドゾーンの間を行ったり来たりしている。まだ持ち堪えているのが不思議なくらいだ。
だが、それも長くは続かなかった。ついに片手剣使いが盾で防御するのに失敗したのだ。爪による一撃が直撃した彼のHPが一瞬で消滅した。硝子の割れる甲高い音と共に身体が粉々になった。
ハウルグリズリーの雄叫びが、廃鉱内に木霊する。魔物が次ぎのターゲットを定めた。モンスターの濁った目に映っているのは、盾持ちの後ろにいた魔法使いだった。
魔法使いは逃走を諦めたのか、自分に牙を突きたてようとするハウルグリズリーを黙って見ている。槍使いも同様だ。槍を垂れ下げて逃げようともしない。
鋭い牙が魔法使いの身体を食い破る――その直前、駆けつけたヘキサが、魔物の無防備な背中に剣を一閃した。
白いエフェクトが散り、ハウルグリズリーのHPが目に見えて減少した。狩りを邪魔された魔物が怒りの叫び声を上げ、ターゲットを魔法使いから白髪の少年に変更する。
「離れろ!」
突然の乱入者に目を丸くして固まっている槍使いを突き飛ばす。真横から伸びてくる白い毛の生えた太い腕を前転の要領でかわす。片手で地面を叩き跳ね起きると、魔法使いとハウルグリズリーの間に割り込んだ。
振り下ろされる爪を剣で弾く。魔物の巨体がよろめき、がら空きになった胴体にすかさず連続技を叩き込む。ハウルグリズリーのHPが更に減り三割を割った。
牙を剥き出しにして出鱈目に振り回される両手の爪を盾と剣で的確に防ぎ、攻撃の合間を見計らいスプライザーを発動した。
スプライザーの二撃目が命中した瞬間、ハウルグリズリーは絶叫と破砕音を撒き散らし砕け散った。
周囲に他のモンスターがいないのを確認して、ヘキサは剣を鞘に収めた。
「無事? ……ごめん。遅れて。ひとり助けられなかった」
呆然と立ち尽くしていた冒険者は、その言葉にふと我に返った。自分たちは助かった。そう理解した彼らは一様に安堵の表情を浮かべた。
「あ、いえ……そんな……」
「助けてくれて、あり――」
と、自分たちを助けてくれた白髪の少年に礼を言おうとし、
「――っひ」
小さく悲鳴を洩らした。
彼らは見てしまったのだ。白髪の少年に視点を合わせたことで現れたカーソル。追いついたリグレットたちの青いカーソルに混じって、一際異彩を放つカーソル色。少年に重なる二重円――赤いカーソル、を。
「は、白髪に白装束。じゃあ、こいつが……? あの≪暁の旅団≫を潰したレッドネームプレイヤー、ヘキサ?」
感謝は一転、嫌悪に変わった。
身体を強張らせ、ジリジリと後退さる。ハウルグリズリーに襲われていたときよりも明確に、その表情には恐怖が張り付いている。
一方、ヘキサはといえば、これといった反応を見せなかった。いまにはじまったことではな い。こういう反応には慣れている。
が、彼らの挙動に納得できない者がいた。
「ちょっと待ちなさいッ。あんたらヘキサに助けてもらったんでしょ。まずは礼を言うのがスジなんじゃないの!」
その態度にハズミが怒鳴る。口にこそ出さないが、シルクやリグレットも不満そうにしている。
プレイヤーたちは彼女の強い口調に、ますます怯えた様子で身を竦ませた。
「……ハズミ」
別にいいよ、そう言おうとしたときだった。
「そこまでだ!」
野太い怒鳴り声が耳朶を打った。怒号は右手側。隠し通路の方角から聴こえてきた。同時にガチャガチャと金属を擦り合わせる音がした。ひとつではない。複数だ。
今度はなんだ。声のしたほうを見やったヘキサは、今度こそ露骨に顔をしかめた。
「こんなところでまで初心者狩りとは。見果て下げたモノだな。貴様の狼藉、これ以上は捨て置けん!」
通路を塞ぐのは、二十人以上からなる金属甲冑の一団だった。その無駄に偉そうな態度と右胸の交差した剣に盾の紋章にひどい既視感を覚えた。
「またかよ」
いい加減にしてくれ。もう飽き飽きだ。頭痛を堪えるように額に手をやる。なにか自分に恨みでもあるのだろうか。
「……いや、あるか」
つい昨日も同じギルドの連中を一人残らず『ロスト』させてやったばかりだ。とはいえ、ヘキサに言わせれば正当防衛だ。
だが、そんなのは関係ないとばかりに、集団の先頭に立つリーダー格のバンダナの男は語調を強めた。
「貴様の悪事もこれまでだ。貴様に敗れた同胞たちのためにも、今日こそは覚悟してもらおうか!」
己の言葉に悦に入るバンダナ。自分が正義だと疑わない態度だ。相手の都合などお構いなし。正直に言ってしまえば、ヘキサがもっとも嫌いな人種だった。
「あ、こら!」
ハズミが叫ぶ。チャンスとばかりに彼女の静止を振り切り、魔法使いと槍使いは≪聖堂騎士団≫の脇を駆け抜け、入り口のほうへと走り去ってしまった。
待機していた≪聖堂騎士団≫の数人が移動し、ヘキサの進行方向を塞ぐ。逃がさないという意思表示だ。どうあってもやる気らしい。
「馬鹿のひとつ覚えみたいに何度も何度も。昨日やられたばかりだろうが。少しは学習したらどうなんだ。そんなにキャラロスしたいのかよ」
自然と声色も低くなる。
「さっきから黙ってりゃ好き勝手言いやがって。誰が初心者狩りだ。大体さっきの奴らにしたって、モンスターに襲われてたから助けてやっただけだぞ。」
「黙れ! 貴様の話など信じられるわけなかろうが! 一月前、なにをしたのか忘れたとは言わせんぞ!」
その言葉にヘキサの思考が一瞬だけ止まった。
それは彼の罪であり罰。そもそものはじまりでもある。
一ヶ月前、ひとつのギルドが解散した。
解散したのは≪聖堂騎士団≫、≪天上神歌教会≫ に次ぐ当時の第三勢力のギルド≪暁の旅団≫。大型ギルドのいきなりの解散は、ファンシー中を大いに騒がせた。
しかもその原因が、≪暁の旅団≫に所属していたひとりのプレイヤーにあるというのだ。
そのプレイヤーが突如PKとなって、所属するギルドメンバーを片っ端からキルしだしたのだ。彼の力は凄まじく、ギルドが束になっても敵わなかったという。最後はギルド追放権限を持つギルドマスターによって、そのプレイヤーのギルド追放という形で事態は収束したのだが、その一件が元で≪暁の旅団≫は力を失い、遂には解散してしまった。
あれから一ヶ月が経つが、現在でもそのこと件は語り草となり、憶測が憶測を呼びいつしか人々は畏怖と嫌悪を込め、そのプレイヤーをこう呼んだ。
一〇〇人斬りの悪鬼。同胞殺し。モンスターと同じ赤いカーソルを持つ、現ファンシー内でも数少ないレッドネームプレイヤーにして、もっとも狡猾で残虐な虐殺者。
即ち――、
「人喰い、ヘキサッ!!」