第十章 記憶の欠片(2)
「――どうやら最後の客人がきたようだね」
不意に響いたドアのノック音に、思考を中断させられたヘキサが次に聞いたのは、クライスが洩らしたそんな言葉だった。
「ああ、そういえばヘキサ君たちにはまだ言ってなかったか。私としたことが……リンス君の話に聞き入ってしまって、事前に説明するのをすっかり忘れていたよ」
失敗失敗、と自分に集中する視線に微苦笑するクライス。そして「入ってきたまえ」とドアの前に立っているであろう人物に向かって言った。
「失礼するよ」
その一言を待っていたようにドアが開き、一人の青年が室内に入ってきた。緑色の衣を着込んだ青年は室内を見回すと、涼やかな声色で口を開いた。
「取り込み中だったかな? なんだったらそちらの用件が済むまで外で待っていようか?」
「構わんよ。先に君の用件を済ませてしまおう」
ヘキサとリンスの証言が噛み合わない以上、そう簡単に決着はつかないであろう。そう考えたクライスはそう言い、いまいち状況が掴めていなさそうな白髪の少年を見やった。
説明を求めるような彼の視線に頷くと、片手を闖入者のほうにと差し出した。
「ヘキサ君。こちらは≪梟の巣≫の――」
「――団長ッ!?」
眼鏡の青年の言葉に、リンスの驚愕を含んだ声が重なった。団長――? と口の中でつぶやきながら振り返ると、口元に両手をやった彼女が大きく目を見開いていた。
「やあ、リンス。元気そうでなにより――って言っても、あれから幾日も経っていないか」
驚きを隠さないリンスの様子に一言、苦いモノが混じった口調で答えると、彼は視線を彼女から白髪の少年へと移した。
「君がヘキサだね」
警戒心を露にするヘキサを鑑定するような眼差しで見やる。
「顔を合わすのは初めてだけど、君の噂は僕もよく耳にしている。……こうして直にしてみると、話で聞くような凶悪なPKとは思えないな」
どこか愉快そうな響き含んだ声に、ヘキサは顔をしかめる。そんな彼の様子に気がついた青年は、「いや、すまない。気を悪くしないでくれ」と謝罪すると姿勢を正した。
「改めて自己紹介をしよう。僕はクリス。いまリンスが言ったように、不相応ながら≪梟の巣≫のトップを務めさせてもらっている。今後もよろしくお願いするよ」
≪梟の巣≫。今日、その名前を聞くのは何度目だろうか。リンスが先日まで所属していた傭兵ギルド。そのトップ――団長が目の前の青年だというのだ。
「ど、どうして団長がここに!?」
予期せぬ再会に声を跳ね上げるリンス。彼女にしてみれば、ここでクリスと会うとは予想だにしていなかったわけだが、それは彼にも言えたことである。
「それは僕の台詞だ。なんの連絡もなしに突然ギルドを辞めたと思えば……まさかこんなところで顔を見ることになるとは、ね」
そう言うとクリスは肩を竦めた。
「それにしてもつれない。辞めるなら辞めるにしても、その前に一度くらい相談してくれてもよかったじゃないか」
クリスの何気ない言葉に、リンスは申し訳なさそうに身を縮めた。
桃色髪の少女が≪梟の巣≫を飛び出したのは、『唐突』の一言に尽きる。なにかしらの前兆があったわけでも、誰かとのトラブルを抱えていたわけでもない。
いつものようにログアウトし、次の日ログインしたクリスが見たのは、リンスが≪梟の巣≫を脱退したことを告げるメッセージ画面だった。
以上。それでおしまい。こちらから連絡を取ろうとメールを送信しても、一向に返事が戻ってくる気配もなく、これで事情を察しろというほうが無茶である。
そうこうしているうちにギルド内からもこんな勝手を許していいのかと、妬み混じりの声が上がり、どう対処したモノかと考えているところに、例のクライスからのメールが送信されてきたのである。
「驚いたよ。まさかクライスからメールに、君の名前が出てくるとは思わなかったからね」
「そうだ。それだ。――クライスさん。これはどういうことです?」
クリスの言葉をきっかけにして、沈黙を保っていたヘキサが口を開いた。
いよいよきな臭くなってきた気がしてならない。≪梟の巣≫を脱退したリンスと、そのギルドのトップであるクリス。
この組み合わせで不審なモノを感じないワケがない。口にこそ出していないが、リグレットとハズミも同様の考えのようだ。
「どうやら彼らは誤解しているようだね」
だからこそ、クリスとクライスの返答は、ヘキサたちにとって意外なモノだった。
「ヘキサ君。君の言いたいことは判る。……だが、今日のクリス君の用件は、リンス君にはなにも関係がないのだよ」
「へ? そうなんですかぁ?」
内心では後ろめたく感じていたのか。呆けた表情をするリンスを一瞥すると、彼は続けてこう話を切り出した。
「うむ。元々、ヘキサ君たちを呼んだのは、クリス君に会わせるためなのだよ。その過程でリンス君が私を訪ねてきたのだが、それならばと彼女にも同行してもらったのだ」
つまり今日、ヘキサたちを招いた『本題』はこちらであり、あくまでリンスはそのついでに過ぎないのだとクライスは語る。
「……もっとも、個人的に話したいことがないと言えば嘘だけど、少なくとも今回の件に彼女は関係ない。用があるのはリンスではなくて、君のほうだしね」
「俺に……?」
「うん。端的に言ってしまえば、僕から君に是非とも受けてほしい依頼があるんだよ」
自身を指差すヘキサに、クリスは更に続けて言った。
そこで自分の名前が出る意味が彼にはわからなかった。ヘキサとクリスの間には接点がない。にも関わらず、わざわざ自分を名指しする理由はなんなのだろうか。
「より正確にいえば、クライスに相談した結果、彼に紹介されたのが君だったんだよね」
話がよく見えなかった。クライスがクリスに自分を? どういうことだろうか。両者の関連性が不透明でなんとも言えない。
「ふむ。そこで本題だけど、さて……どこから話そうかな……」
しばしの間、考えるような仕草をしていたが、ふいに面を上げるとクリスはこう言ってきた。
「そうだね……わざわざ確認する必要はないとは思うけど……ヘキサ、君は≪聖堂騎士団≫とは因縁浅からぬ間柄らしいね」
「違う。向こうが一方的に絡んでくるだけだ」
即座に反論するヘキサ。むっとした不機嫌な表情からは、いまの物言いに対する不満がありありと見て取れた。
どいつもこいつも揃って誤解しているようだが、なにもヘキサは自分から≪聖堂騎士団≫にちょっかいを掛けているワケではない。
向こうのほうからしつこく挑んでくるので、自衛のために反撃しているだけなのだ。そこを勘違いしてもらわないでほしい。
「……ていうか、この流れでその名前が出てくるってことは――」
「≪聖堂騎士団≫絡みというワケですか」
リグレットの独白にクリスは沈黙で返し、同時にそれが答えでもあった。
マジかよ、とヘキサは内心で大きく嘆息する。≪聖堂騎士団≫絡みの用件。もうこの時点でヘキサは回れ右して、このまま帰りたい心境に駆られていた。
大体、その名前が出てきていいことなんてひとつもないのだ。もはや白髪の少年の中では、≪聖堂騎士団≫と不幸は同義で扱われていた。
とはいえ、曲がりなりにもクライスが関与しているというのならば、最低限の義務として話くらいは訊いておくべきだろう。実際どうするか判断するのはそれからでも遅くはあるまい。
「はあっ。それで? あのギルドがなんかやらかしたのか?」
「うーん……そうだね。君は≪聖堂騎士団≫が『何に』一番労力を注いでいるか知ってるかな?」
「PK撲滅だろう」
質問を質問で返されて投げやり気味に答えると、クリスは首を横に振って否定した。
「違う。それはあくまでも副団長であるフレリアの意向さ。彼女はPKを過剰なまでに嫌っているからね。≪聖堂騎士団≫としての方針は『未踏ダンジョンの初期クリア』だよ」
「そういや、そんなのもあったっけ」
何処か懐かしむような口調でつぶやく。というのも、彼が以前に所属していた≪暁の旅団≫の基本思想も同様のモノであったからである。
まだ誰にもクリアされていない未踏のダンジョンの初期クリア時には、通常は出現しないレアアイテムを入手できる。その他にも特典はあるのだが、その中でもギルドに重視されるのはたったひとつ。
それは『名誉』だ。
誰よりも早く、誰よりも強く、他の誰からも羨望と憧れの眼差しを集めたいが故に。彼らは初期クリアに執着するのだ。
たかがその程度と思うプレイヤーもいるだろうが、ゲームへの依存が強いプレイヤーほどその特徴は顕著になる。ましてや≪聖堂騎士団≫のギルドランクは第一位。その依存度は相当のモノであろう。
「それを前提にして考えた場合、今回のバロウズ活火山の攻略――予想以上に時間がかかってるとは思わないかい?」
「……当初の予定よりダンジョンの規模が大きいからだろ? 中継ポイントも複数用意されてるみたいだしな」
「だとしても、だ。もうそろそろボスモンスターを倒していてもいい頃じゃないかな」
一理ある。自分には関係ないとあまり気にしたこともなかったが、改めて言われると確かにおかしい。いくら内部構造が複雑で広大だからといっても限度はある。
なのに、未だに詳細が伝わってこないのはどういうことなのだろうか。
「ここだけの話、実はダンジョンの攻略自体はすでに終わってるんだよ。マッピングも完了して、ボスのいると思われるフロアも発見済みだ」
「はあ? そんな話、聞いたことないわよ?」
「だろうね。このことを知っているのはごく一部の人間だけだ。僕も今回はじめて知ったくらいだし」
「じゃあ、なんで未だにクリアしてないんだ。ボスが半端なく強かったりするのか?」
「いや、それはありえない」
何故ならば、と一旦区切り、
「彼らはまだボスと対峙していない。門の前で立ち往生しているんだからね」