第一章 マンイータ(3)
Phantasy Chronicle Online。
通称、ファンシー。
とある大手のゲーム会社が満を持して発表した、仮想世界体験型のオンラインネットゲーム――VRMMORPGだ。
その造りこまれたグラフィックスと自由度の高い世界観から、クローズβ以前から注目されていたタイトルである。
剣と魔法の世界に降り立ったプレイヤーは、流麗な剣技振るう剣士として、万物の根源を操る魔法使いとして、あらゆる武器を鍛造する鍛冶師として、自分だけの物語を紡いでいく。
――自分だけの物語を貴方に――
高校への通学路にあるゲームセンターで目にしたポスターのキャッチコピー。美麗なグラフィックで描かれたポスターに、多くのプレイヤーが目を奪われた。
半年にも及ぶクローズβが無事終了し、ファンシーは完全予約制の三十万台限定で発売されたがその人気は凄まじく、予約が開始されてから僅か三〇分で完売したほどだ。
クローズβの抽選に落ちたヘキサが製品版ファンシーを手に入れられたのは、幸運以外の何物でもなかった。
いまでも思い出す。ファンシーが届く前日は興奮のあまり眠ることが出来なかった。まるで遠足前の子供のようにわくわくしていた自分がいた。何かが変わる気がした。変わると思っていた。
――そのはずだったのに。
「――、ん」
ヘキサ――否、樋口友哉はゆっくりと目を開いた。
遮蔽バイザー越しの世界は薄暗くどんよりとしている。ベットに横になっていた友哉は、ヘッドギアを外すと上半身を起こした。
両手に持っているヘッドギアの後ろから太い青色のケーブルが伸びていた。ケーブルはベットの脇に置かれた黒い箱に接続されている。
縦横九十センチほどの正方形の黒い箱。これがファンシーの本体である。箱上部のインジケーターがチカチカと緑色に光っている。
「……ギルド、か」
天井を見上げて、ぼそりとつぶやく。
あの後、リグレットの工房から飛び出した彼は、自分の滞在している宿屋の一室に駆け込みすぐさまログアウトした。
頭の中をリグレットの『ギルド』という単語がぐるぐると回っている。過去に一度だけ所属していたギルドでの光景が脳裏を過ぎる。
お世辞にも楽しいことばかりとは言えないが、それでも入っていてよかったと思えるくらいには思い出があった。
だが――、
「リグレットはそう言うけど、やっぱり僕には無理だよ」
友哉はヘッドギアをベットに置くと立ち上がり、固まった身体をほぐすように大きく両手を上げる。
「あぶっ」
喉が渇いた友哉は飲み物を求めてキッチンに行こうとして、足を前に出した拍子に雑誌を踏みかけた危うく転びかけた。転ばないように踏ん張りバランスをとる。
「これは掃除しなくちゃ駄目かな」
部屋を見回し、嘆息する。
我ながらというか、部屋の中は物が散乱して、ひどい有様だった。絨毯にはゲーム雑誌やらマンガやらが無造作に放り投げられ、足の踏み場がない。
正面の机の上にはパソコンが鎮座している。その横にはテレビがあり、その前にはいくつものゲーム機が使われることもなく置かれていた。教科書が入った鞄は部屋の隅に投げ捨てられている。
友哉はモノを踏まないように気をつけながら自室を出て、キッチンのある一階に行くために階段を下りようとして、
「あっ」
階段を上げってきた短髪の少女の姿に足を止めた。
彼の妹の樋口奈緒だ。
「……なによ」
「いや、その……別に」
「ならどいて。邪魔だから」
興味がないとばかりに素っ気なく言う奈緒。
「う、うん」
慌てて横に退ける。奈緒は友哉の脇を通り抜け自分の部屋に戻った。
彼と妹のやりとりはいつもこんな感じだ。二言三言、言葉を交わすだけ。それで終わり。外で話した記憶などここ数年を振り返っても一度もない。
小さい頃は仲がよかった筈なのだが。中学生くらいだろうか。妹と徐々に会話する機会が減り、いつの間にかいまの関係になっていた。
それとも現実も兄妹関係なんてこんなモノなんだろうか。
少し考えて――答えはすぐに出た。
顔も平凡。成績も平凡。趣味はネットゲームのオタク野郎。両親が共働きで家にいないのをいいことに、毎日深夜までネトゲ三昧。
特技といえば、他人よりちょっとだけ上手くゲームのキャラを動かせる。それだけ、だ。好かれる要素がないから好かれない。ただそれだけのことなのだ。考えるまでない。気づいてみれば単純だった。
「ネトゲが得意な兄なんて自慢にもならないよな」
しばらく友哉は奈緒が消えたドアをじっと見つめていたが、ふと視線を外すと喉の渇きを癒すため階段を下りていった。
翌日、学校から帰宅した友哉がファンシーにログインし、待ち合わせ場所である炭鉱入り口に行くと、そこにはすでにリグレットの姿があった。
「悪い、待った?」
「いいえ。私たちもいまきたところです」
リグレットの格好はいつもの黒のゴシックドレスだ。彼女にとってゴシックドレスは、普段着であり作業着であり、そして戦闘服――ちなみこのゴシックドレスは特注品で、半端な金属鎧よりも防御力に優れていたりする――でもある。
ただし一箇所だけ普段と違う点があった。黒い長髪を払う指先が、金属の光沢を帯びている。リグレットは両腕に、肘から指先までを覆う銀のガントレットを装備していた。
「ヘキサ。紹介します。彼女が今回の依頼者の――」
「どーもー」
と、リグレットの後ろから小柄な少女がひょっこりと顔を覗かせた。大きい瞳を柔和に細めて、青い長髪の少女は朗らかに笑う。
「はじめまして。シルクです」
「あ、俺はヘキ――げっ」
ぺこりと頭を下げるシルクに自分の名前を告げようとしたヘキサは、予想外のモノを見てしまい呻いてしまった。
シルクは魔法使いが愛用する法衣を身につけている。それはいい。問題なのは法衣の左胸の紋章だ。青い箒に跨った魔女の紋章に、とある少女の顔が脳裏を過ぎる。
「セブンテイル。……青箒?」
「今日はよろしくお願いします」
ふんわりと笑うシルク。
「どうかしましたか?」
「い、いや。なんでもない」
ヘキサは頭を振って嫌な想像を掻き消すと、改めてシルクに名乗る。
「ヘキサ、だ。こっちこそよろしく」
「はいー。……ヘキサ?」
その言葉にシルクは宙を仰ぎ、なにやら思案しだした。そしてポンと手を叩くと、
「あっ、そっかー。あなたが『あの』ヘキサさんなんですねー」
「やっぱ知ってんだ」
「有名ですからー」
どう有名なのかはあえて聴くまい。聴いたところで欝になるのがオチなのだから。
「ごめん」
「? なんで謝るんです?」
「俺がいると迷惑だろ」
「どうしてですか?」
きょとんとする彼女に、逆にヘキサの方が困惑した。いままでにない反応だ。突然の事態にどう返答したものかと固まっていると、
「噂は噂ですよ。会ったこともないのに、噂だけでそのヒトを判断するなんて失礼じゃないですかー」
邪気のない言葉にヘキサは沈黙した。二人の会話に静観していたリグレットが、口元を僅かに緩めて言った。
「言ったでしょ? 悪い娘じゃないと」
「……そうだな」
気恥ずかしくなり視線を逸らすと、話題を変えようと矢継ぎ早に口を開いた。
「あー。ンじゃ、そろそろ行こうか。PTリーダーは誰にする?」
右手を振り、メニューウインドを展開。画面をPTウインドに切り替えるヘキサに、「ちょっと待ってください」とリグレットが静止をかけた。
「まだメンバーが揃っていません。もうしばらくここで待機していてください」
「へ? でも、昨日は三人って言ってなかったっけ」
「ええ。その筈だったのですが」
「ハーちゃんが手伝ってくれるんです」
「……はーちゃん?」
どちら様ですか、と首を傾げるヘキサにリグレットが説明する。
説明といっても話は単純で、シルクの友人が今回の鉱石採集を手伝ってくれるらしい。リグレットもシルクと合流して初めて知ったようだ。
「ごめんねー。急に決まったから連絡できなくてー」
「いいって。人数が増える分には問題ないし。……ハーちゃん、ね」
なんだろう。凄く嫌な予感がする。
「まさかね」
でもなー。あいつもセブンテイルだからなー。いやいや。同じギルドの奴とは言ってないし。こっちの早合点かもしれないだろ。違うとも言ってないけど。
「あ! おーい。ハーちゃん!」
と、ヘキサが煩悶していると、突然シルクが大声を発して手を振った。どうやら知り合いがきたらしい。軽快な足音がこちらに近づいてくる。
「こっちだよー。こっち」
「ごめーん。遅れちゃった。――って、あッ。 アンタはッ!」
「……はは、昨日ぶりだな」
油の切れたブリキ人形みたいなぎこちない動作で片手を上げてみせる。悪い予感は的中したようだ。そこには髪を逆立てるハズミの姿があった。彼女は親の敵のような目で、目の前の白髪の少年を睨みつけている。
「なんでアンタがここにいるのよ!」
「俺はリグレットの手伝いでここに――って、いきなりかよ!」
掲げられたハズミの右手に炎が渦巻く。大気を焼く熱気が、チリチリと肌を炙る。
「灰になりなさいッ!」
「だめー」
手のひらに火球を形成したハズミに、シルクが横から抱きついた。タックルのような抱きつきに意識が乱れ、頭上の火球が解けて霧散した。
「そんなことしちゃだめだよー」
「なに言ってんの。こいつは人間の敵。女の敵。百害あって一利なし。灰にして燃えるゴミの日に廃棄すべきなのよ!」
「ひどい言いようだな」
余りの言われようにヘキサは呻いた。相変わらずといえばそれまでなのだが、どうしてこうまでも目の仇にされているのか。彼女に手を出した記憶は――まあ、ない。多分、自分の存在が気に食わないのだろう。事実、それだけのことを彼は過去に、仕出かしてしまっているのだから。
そんな風に落ち込んでしまったヘキサに、リグレットは目を瞬かせた。
「お二人は知り合いなんですか?」
「いや、知り合いというかなんというか」
どちらかといえば知り合いよりも敵対関係に近い。もっとも彼女の方が一方的にヘキサを敵視しているのだが。
とはいえ、このままではラチが明かない。いつまでもここで立ち往生しているわけにはいかないのだ。見ればハズミはシルクに抱きしめられたままジタバタしている。
「あのさ」
意を決して話しかけると、ハズミは動くのを止めた。ついで、さも不機嫌そうにつぶやいた。
「……なによ」
「仲良くしようとは言わないけど、いい加減敵視するのは止めないか。ハズミだってシルクを助けにきたんだろ? これじゃあ、いつまで経っても鉱石採掘にいけないじゃないか。そんなに俺が気に食わないっていうなら今回はついていかないからさ」
しばしの間、ハズミはヘキサをじっと睨みつけていたが、ふいに視線を彼から外すと小さな声で言った。
「わかった。――ただし、ちょっとでも変なことしたらすぐに火葬するからね。……ほら、もたもたしない。さっさと行くわよっ」
「あうー。待ってよー、ハーちゃん。まだPT組んでないよー」
ひとりでさっさと炭鉱に入っていく彼女の後ろを慌ててシルクが追いかける。習うようにリグレットもヘキサに「行きましょう」と声をかけ、ハズミたちの後に続く。
出発前からゴタゴタとしたが、これでようやく当初の目的を果たせそうだ。とはいえ――、
「しょっぱなからこれか。はあ……この先どうなるんだろ」
鉱石を採集する前どころか、まだダンジョンに入ってすらいないというのに、どっと疲れてしまったヘキサは、肩を落として炭鉱に足を踏み入れた。
炭鉱前でのやりとりが嘘のように、ダンジョン探索は順調に進んでいた。
マップに従い最短コースを通ったこともあるが、ダンジョンに潜って僅か三十分。ヘキサたちはスケルトンナイトの沸く部屋へと続く通路で、モンスターの一群と一線を交えている最中だった。
視界には赤いカーソルが複数出現している。ファンシーでは、マーカーの色によって、その動的オブジェクトの属性が一目で分かるようになっている。緑はNPC。青はPC。赤はモンスターで、黒がボスモンスターをそれぞれ表している。
モンスターは、亜人型のブルゴブリンの一団だった。大人の身長の半分くらいしかない彼らは、それぞれ短剣や棍棒などを手に取り、ヘキサたちに襲いかかってきた。
基本的に亜人系モンスターは、個別ではなく集団でプレイヤーに襲い掛かってくる。そのため個人のステータスで勝っていても、数で押し切られてしまうことがままある。非常にやっかいなモンスターである。
普段はソロのヘキサも、以前に何度となく彼らに苦渋を飲まされていた。もっとも、それは遠い昔の話だ。キプロス鉱山自体とうの昔にクリアされているダンジョンであるし、加えてこのメンバーだ。このレベル帯のモンスターなど今更敵ではない。
堪りに堪った鬱憤を晴らすが如く、暴れまくるヘキサ。剣を振るう度、ブルゴブリンが砕け散り、岩肌が剥き出しの通路に悲鳴が木霊する。
左からの棍棒の一撃をかわし、グランルーパで二匹同時に仕留める。その横でリグレットが拳を叩き込み、ブルゴブリンの一団を粉砕していく。
ブルゴブリンの攻撃を最小限の動作でいなし、的確に拳打をヒットさせている。その動きは流麗で、無駄がなく、最前線で活躍するプレイヤーにも引けを取らない。
相変わらずのリグレットの動きに、内心でヘキサは舌を巻いた。
半生産半戦闘型のリグレットは、ポイントを鍛冶に必要なステータスに割り振らないといけない。必然的に純粋な戦闘職には及ばないはずなのだが、彼女はステータス面での差をプレイヤースキルで補っているのだ。
ヘキサとリグレットは瞬く間にブルゴブリンの一団を一掃していく。
「暇」
後ろでそれを眺めていたハズミがつぶやく。
「仕方がないよー。こんな場所で魔法使っちゃったら、ヘキサさんたちに当たっちゃうもん」
こちらも愛用の杖を手持ちぶたさにしながらシルクが言った。
このダンジョンは広い部屋が余りない。狭い通路で構成されているので、彼女の自慢の火魔法も相打ちになりかねず、おいそれと使用することができないのだ。
そのうえ戦闘もヘキサとリグレットでこと足りるため、ハズミとシルクは援護で魔法を一・二回使用しただけで、後は彼らの活躍を眺めているだけだった。
「ねーねー」
退屈を紛らわせるためか、シルクがハズミに話しかけた。
「ヘキサさんとはどこで出会ったのー?」
「な、なによ。やぶからぼうに」
「だって、ハーちゃんがあんなにムキになるなんて珍しいでしょー? だからなにがあったのかなーって」
「別に大したことないわよ。ただ……」
「ただー?」
「ちょっと諍い沙汰になってね。それで、その……なに? あれよ、あれ。なんていうかその、さ」
途端に歯切れが悪くなる。その態度になにか思い当たる節があるのが、ピンときたシルクがハズミの耳元で囁いた。
「負けたの?」
「ち、違うわよ!」
反応は劇的だった。明らかに取り乱した様子のハズミは、捲くし立てるように言った。
「負けたわけじゃないわよ! ちょっと油断してて――ほ、本気じゃなかったんだから!」
「ハーちゃん。それ負け惜しみだよ?」
「な――! 違う。私はヘキサに負けてなんてないわよ!」
「ん? 呼んだ?」
自分の名前を耳にしたヘキサが、何気なく振り返る。ハズミは顔を赤くして硬直した。
「う、うるさーい! こっち見んな!」
頬を紅潮させたハズミが右手で中空に図形を描き、「ファイヤーボール!」と唱えた。
自分目掛けて放たれた火球を咄嗟に横っ飛びにかわす。火球はそのまま直進して、曲剣を振り上げた最後のブルゴブリンに直撃。哀れなモンスターは悲鳴と共に爆散した。
「危なっ。なにするんだよ。当たるトコだったじゃないか!」
「フン。戦闘中に余所見するからよ。ここからが本番なんだからね。気を抜くんじゃないわよっ」
「わ、わかってるよ」
なにやら理不尽なモノを感じつつも頷く。
行動は無茶苦茶だが、言葉自体はまともだった。確かにここまでは前哨戦。本番はここからだ。事前の情報収集した結果、隠し通路の先はこれまでと変わり、拓けた廃鉱になっているらしい。広いフロアでならハズミたちも思う存分に力を振るえるだろう。
モンスターの系統は変わらず、骨系と亜人系が大半を占めているようだ。無論、ステータス面は大幅に強化されているので、いままでの敵と同じだと高を括っていると痛い目にあうだろうが。
そして一番重要なのが、ヘキサたちの目的地――月晶石が掘れる最深部への通路を塞ぐ大型モンスターのことだ。配置場所からも恐らく一戦は避けられない。
そのモンスターの詳しい情報は得られなかったが、十中八九ボスモンスターだ。判っているのはスケルトンナイトと同種のモンスターということだけで、どのような攻撃方法を持っているかは判明していない。
スケルトンナイトと似ているからといって攻撃手段まで同じだとは限らないし、こればかりは実際に戦ってみるしかないだろう。
まだまだ先は長い。ヘキサたちは気持ちを入れ替えると、隠し通路が存在するスケルトンナイトの部屋に足を踏み入れた。
結果から言ってしまえば、部屋の中央で待ち構えていたスケルトンナイトは大したことはなかった。レベル差もあり四人がかりで袋叩きにして、あっという間に撃破してしまった。
スケルトンナイトを倒すことでフラグが立ったようだ。砕けるスケルトンナイトの背後。奥の壁には先ほどまではなかった大穴が、ぽっかりと口を開けていた。
隠し通路を抜けた先は、情報通り拓けた廃鉱になっていた。廃鉱の中は地面から突き出す水晶や壁を覆う光を発する苔に照らされて明るかった。
ヘキサたちはマッピングをしながら、最深部を目指して歩きだした。道中、何度かモンスターと遭遇したが、対処方法が先ほどと変わらなかったため、これといった被害も出さずに殲滅できた。
ただし、やはりステータス面での大幅な底上げがされているので、スキル単発で倒すことが難しく、思いのほか時間を取られてしまった。中には鉛色の金属で造られたワームなどの見たことのないモンスターもいた。
ボス戦も視野に入れてなるべく戦闘を避けて先に進む。罠の可能性があるアイテムボックスは素通りし、所々に鉱石が掘れる箇所があったがそれも全部無視した。
「なんていうか――ヒトがいないな」
ぐるりと周囲に首を巡らし、ヘキサがぽつりと言葉を洩らした。
彼の言うように鉱山に入ってから見かけたのは、入り口付近で鉱石の採掘をしていたプレイヤーくらいで、隠しフロアに踏み入ってからは誰とも遭遇していなかった。
他のプレイヤーとの間で鉱石の争奪戦になるのではと危惧していただけに、拍子抜けする思いだった。
「ここに立ち入れそうなレベルの奴らは、バロウズ活火山の攻略に忙しいみたいだからね。こっちにヒトを割いてる余裕がないんでしょ」
「ふうん。確かにそうかもしれないな」
ハズミの言葉にヘキサは納得した様子で頷いた。
現在、高レベル帯のプレイヤーは、最前線であるバロウズ活火山の攻略に望んでいる。そのためハズミの言葉通り、この隠し鉱山のモンスターと戦えるレベルのプレイヤーが、キプロス鉱山を訪れる機会は少ないのだろう。それが月晶石高騰の一因ともいえる。
「まあ、競争相手がいない分には困らないからいいか」
その一言を最後に会話が途切れる。ただ黙々と奥を目指すこと、一時間。
ヘキサたちはようやく最深部と思われるフロアに到着した。フロアの奥には更に奥へと続く細い道がある。
そして、その前に仁王立ちする大型モンスターがいた。襤褸切れの布を纏った骸骨剣士。その四本の腕にはそれぞれ違う種類の武器が握られている。
まだ敵の索敵範囲外のようだ。骸骨は多腕をぶらりと垂れ下げ、身じろぎひとつしない。
冷えた空気が彼らの頬を撫でた。ぶるりと身体が震えたのは寒さのためか、はたまたこれから死闘を想像してだろうか。
各々ウインドを開き、手持ちアイテムの確認をする。
ヘキサとリグレットは七割に減っているHPを回復させるため、ポーチから赤いポーションを取り出すと一息で喉に流し込んだ。これで一分もすればHPが全快するだろう。残りの二人は赤ポーションの変わりに、MPを回復させる青ポーションを飲んでいる。
「準備は万全ですか? 回復アイテムが足りないようでしたら、私が余分に用意しているので、多少なら渡せますが?」
手元のPTウインドでメンバーのステータス情報確認しながらリグレットが訊ねる。ちなみにPTリーダーはリグレットが勤めている。なりゆきだが妥当なところだ。
「こっちはオッケー、だ。モンスターとの戦闘はできるだけ避けてきたしな。まだまだ余裕がある。――そうだ。リグレット」
「はい?」
「危険だと判断したらすぐに逃げろ。転移までの時間は俺が稼ぐから」
俺が死亡してなかったらだけどなと言い、ヘキサはポーチから取り出した白い結晶体をリグレットに手渡した。
「なにそれ。アンタを見殺しにしろってこと?」
不愉快そうに眉根を寄せる赤毛の少女に、ヘキサは首を横に振った。
「違う。そうは言ってない。全員で逃げられるならそれに越したことはないけど、そう上手くいくとは限らないだろ」
転移の白結晶は、トリガーボイスを唱えてから発動まで若干のタイムラグが存在する。その間に攻撃を受けてしまうと、転移が中断してしまうのだ。そうならないように場合によっては、誰かがその場でモンスターを足止めする必要がある。ヘキサはもしものときは、その役目を自分がやると言っているのだ。
「大丈夫。あくまでも万が一のときの保険だから。それにモンスターが相手なら、足止めの一番の適任は俺だろ? クソ忌々しい【捕食】スキルの『せい』で、ミストが腐るほどあるんだからな」
そう苦々しく口の端を歪めるヘキサ。自嘲する白髪の少年にリグレットは目を細めると、手の平の結晶体を彼のほうへと放り投げ返した。慌てて両手で転移の白結晶を受け止めるヘキサを横目にし、普段よりもキツめの口調で彼女は言った。
「馬鹿なことを言ってる暇があるのなら、装備の再確認でもしなさい。くだらない妄言を吐くよりも、勝利の確率を上げるほうが先ではないですか」
「い、いや……だから俺は万が一の可能性をだな」
「そちらの準備はどうですか?」
面を喰らった様子で口を開くヘキサを無視し問うと、それぞれ「問題ないわよ」「大丈夫だよー」という声が返ってきた。
「結構です。では、行きましょうか」
「あ、お、おい。ちょっと――」
リグレットの言葉を合図に、彼女たちは骸骨剣士へと突撃した。
その場に放置される形になったヘキサはしかし、今度は口元に確かな笑みを浮かべると、剣を抜き放ち地面を蹴った。