第八章 星の金貨(2)
中央都市パンゲアはファンシーに点在する街の中で最大の規模を誇り、その構造を完璧に把握しているプレイヤーはおそらくいないだろう。ヘキサにしても普段から利用している場所も含めて、知っている路地はほぼ一部だけだ。不用意に見知らぬ裏路地に踏み込めば、五分とかからず迷子になる自信がある。
「こっちです。ここいらは道が迷路のように入り組んでますから、ちゃんとついてこないと迷子になりますよ」
肩越しに振り返るリグレットの言葉にヘキサとハズミは、きょろきょろと周囲の複雑な路を見回してぼそりとつぶやいた。
「……なあ、ハズミ。ここまでどうやってきたのか覚えてるか?」
「全然。もう諦めたわよ」
街の中心を十字に横切る大通りから脇道に逸れ、リグレットに先導されて裏路地を歩くこと約十分。二人は自分がパンゲアのどの地点にいるか、完全に見失っていた。
もしもパンゲアの構造を網羅したマップが作成されたら大儲けできるよなぁ、とくだらないことを考えつつも足を動かす。
俺たちのホーム、か。先を行く黒髪の少女の小柄な背中を見ながら、ぼんやりとヘキサはギルド斡旋所での彼女の言葉を反芻した。
その口ぶりから察するに、どうやらリグレットは自分たちに内緒で、既に≪星の金貨≫のホームを入手していたようだ。資金も支払い済みらしい。それを聞き後で絶対にお金を貯めて彼女に返そうと誓うヘキサだった。
ホームとは、ギルドの拠点のことだ。ファンシーにおいて街の建物は、単なるハリボテのオブジェクトではなく、プレイヤーが買うことができる『空き家』なのである。
結成して間もないギルドや資金に余裕のないギルドは、宿屋の一室などを拠点として活動しているワケだが、メンバーが増加し金銭面でも潤ってくると今度は各街やフィールドに存在する物件を購入し、そこを拠点として活動して行くようになる。
むろん、一言に空き家といっても、モノによってピンからキリまで様々な物件が存在する。現実でもそうであるように物件の広さや交通の利便性、街のどこに位置しているかによって価格にも雲泥の差が生じる。また、人口密度やファンシーの攻略状況と密接に関係しているので、物価が上がったり下がったりすることも間々ある。
ギルドにとって名前が看板ならば、ホームはさしずめ格を示すというべきか。どこに拠点を構えるかによって、ある程度そのギルドの力量を推し量ることができる。
例えば千を越すプレイヤーが所属する大型ギルド≪聖堂騎士団≫は、常夜の森と呼ばれる一年中深い闇に覆われた森に存在する、白亜の古城を丸ごと自分たちの本拠地にして利用している。その白亜の古城は一般的に領地付きと呼ばれる最上位のホームである。
かつてヘキサが所属していた≪暁の旅団≫も中央都市に拠点を構えていたが、解散と同時に売り払われいまは他のギルドのモノになっている。
「ヘキサ。それにハズミ。よそ見をしていないでちゃんと道を覚えてください。今後、頻繁に利用することになるんですから」
「……努力はする」
「努力もいいですが、できれば結果で示してください――ここです」
と、曲がり角の先を指す彼女に、追いついたヘキサがそちらを見やった。
「って、行き止まりじゃないか」
彼の言うように正面にあったのは白地の壁だった。左右も壁に囲まれているし、建物らしいモノなど――否、違った。
「あれってドアじゃない?」
背後からハズミがつぶやく。確かに正面は壁だったが、ただの壁ではなかった。ドアだ。白地の壁には簡素な木のドアが埋め込まれていた。
「これを――」
呆けるヘキサの手を取って、手の平を上に向けさせると、リグレットはそこに小さな鉛色の鍵を置いた。シンプルなシリンダー錠をまじまじと見ていると、頭上から声が降ってきた。
「ホームの鍵です。ハズミにも複製した鍵を後で渡しますんで、これは貴方が持っていてください」
「わかっ――だッ!?」
ヘキサは返答しようとし、赤毛の少女に腕を掴まれて前につんのめった。ハズミは笑顔を弾けさせながら彼の腕を引っ張る。
「ねえ、早く中を見てみようよッ」
「わ、わかったから、ちょっと落ち着けってッ」
ハズミに腕を引っ張られてドアの前に立ったヘキサは、彼女の視線を背中に感じながら、鍵穴に錠を差し込むとゆっくりと回した。カチリ、と金属が噛み合い、鍵が外れた。
外見から内部がまったく想像できないヘキサは、恐る恐るゆっくりと木のドアを開き、その先の光景に軽く目を瞠った。
まず目に飛び込んできたのは、木の質感を生かした玄関だった。その右側にはソファーやテーブルなどの家具が配置されたリビング。玄関の正面には二階への階段がある。
「ねーリグレット。こっちはなに?」
「そこは私の工房です。相談なしですみませんでしたが、こちらのほうで勝手に増築させてもらいました」
「いいって、そんなの。それにここの資金はリグレット持ちでしょ。言ってくれればあたしも出したのに」
「――いやいや。そうじゃなくて……他に気にすることがあるだろ」
早くも盛り上がる二人の少女に突っ込みを入れるヘキサ。
確かに増築などにより、外観よりも内部が広くなることは多々ある。そこはゲームならではのシステムだといえるだろうが、それでも大原則として内部の構造は外観に準じる。
端的に言ってしまえば、一階建てが中に入ると実は二階建てだったなんてことはありえないし、それ以前にドアの周囲は壁に囲まれて建物なんでなかったはずだ。これはひょっとして――、
「空間が捩れてる?」
「正解です」
玄関の傍に立ったリグレットが独白に答えた。
「なかなか面白い仕掛けでしょう? 『こちら側』と『あちら側』がこのドアを基点にして空間接続されているんです。入り口はあそこのひとつだけですが、出口はドアノブのダイアルでいくつかの候補から選択することができます。時間短縮には便利かもしれませんね」
まさに隠れ家にはうってつけというワケだ。これならば例え入り口の場所を第三者に知られたとしても、ホームの所在がバレる心配はない。これもなにかと目立つ自分に対する配慮なのだろう。本当につくづく頭が下がる思いだった。
「それでなんですが――ヘキサ。貴方に渡したいモノがあるんです」
「俺に……?」
「はい。ギルドの結成祝いです」
冗談めいた口調でそう言うと、彼女の手前にウインドが出現した。続けてヘキサの目の前にも同じウインドが展開される。トレードウインドだ。
リグレットが手元のウインドを操作すると、ヘキサ側のトレードインベントリにアイテムが表示された。アイテム名は、真紅のエポワール。見たことのないアイテムだが、どうやら装備アイテムのようだ。装備箇所は肩。マントだろうか。
「装備してみてください」
「あ……う、うん」
言われるがままトレードウインドを閉じ、代わりにアイテムウインドを開く。装備アイテム一覧に切り替え、新規入手順にソートする。
一番上に表示された真紅のエポワールをドラッグし、ウインドの左半分――表示されている現在の装備のうち、空欄になっている肩部位にドロップする。
軽快な効果音と共に瞬時に真紅のエポワールが実体化した。ヘキサの予想とは違い実体化したのは、その名の通り見るも鮮やかな真紅の襟巻きだった。ヘキサの装備は白で統一されているため、尚のことよく紅が映える。
「とてもお似合いですよ」
「……ありがと」
満足そうに頷くリグレットに、気恥ずかしくなりぽりぽりと頬を掻く。
「でも、いいのか。こんなレアアイテムをただで貰っても」
改めて装備性能を確認してヘキサは言った。
高い防御力に筋力及び俊敏に対するステータス補正。更には各魔法属性への耐性まで付加されている。どう考えても非売品のレアアイテムだ。
「むしろ受け取って頂かないと困ります。そのために苦労して素材アイテムを集めたのですから」
照れた調子で微笑するリグレット。滅多に見ることのない彼女の笑顔に、心臓が早鐘のように打った。お互いに無言で見詰め合う。
「ねえ。ヘキサ。ちょっとこっちにきてよっ」
その声が聞こえたのはそんなときだった。声は二階からのようだ。見ればいつの間にかハズミの姿がない。
「私のことはいいですから行ってあげてください」
その言葉にヘキサはハズミの呼びかけで二階に上がった。二階には合計でななつのドアがあり、そのひとつが開け放たれていた。
中を覗くとベットに腰かけたハズミが足をぶらぶらとさせている。室内には他にタンスと丸テーブルが配置されている。これらの家具は初期配置されたモノなのだろう。
ハズミは室内に入ってきたヘキサの装備が、変更されるのに気づくと疑問の声を上げた。
「その襟巻きどうしたのよ?」
「いまリグレットに貰ったんだ。ギルドの結成祝いだって」
「ふうん。……いいんじゃないの?」
言ってそっぽを向くハズミ。その横顔にヘキサは苦笑すると、伝えねばならないことがあるのを思い出した。彼の視線にふとこちらを見直した彼女と目が合った。
「ハズミ。――ありがとう」
「な、なにが。急にどうしちゃったのよ」
「ほら。七色の泉で約束しただろ? 今度、妹と顔を合わせたらちゃんと話すってさ。……それで俺、この間、妹と飯食いに行ったんだけど、どうやらそんなに嫌われてなかったみたいだった。まあ、俺の願望で補正されたって可能性もあるんだけどな。――ていうか、俺が過剰反応しすぎてたのかもしれない」
拒絶されると決めつけ、奈緒に会うと顔を逸らし逃げた。それでは妹だってきっかけが掴めずに萎縮してしまう。そんなことにすら自分は気づかなかったのだ。もし、ハズミと約束していなかったのならば、いまもそれに気づかないまま顔を逸らしていただろう。
だからありがとう、と言うヘキサに、ハズミは頬を赤く染めた。彼女は顔を伏せるとぼそぼそと、小声でか細く言った。
「べ、別に……お礼言われるほどじゃないわよ。で、でも……よかったじゃない。話すきっかけができて」
「ハズミのほうはどうなんだ。無事に仲直りできたのか?」
「仲直り――って、言うのかな。あたしも兄貴と久しぶりに外食に行ったわよ。でさ。そのときちょっとだけ話して、兄貴のことが少しだけわかったような気がする」
「そっか。よかった。安心した」
はにかむハズミにヘキサも薄く笑った。と、そこで何故かハズミはベットから飛び降りると、腰に手をあてて早口で捲くし立てた。
「ふ、ふんッ。じゃ、じゃあ、今回は引き分けね。次は負けないんだから!」
「……つか、これって勝負だったっけ?」
「う、うるさ――いッ!」
熱っ。だから炎は止めろ。つか、ここ室内だぞ!? と指先に炎を点す赤毛の少女を必死に押し留めるヘキサ。
――その会話を、黒髪の少女は玄関でじっと聞いていた。
じゃれ合いじみた言い争いをする二人に悟られぬよう、外に出たリグレットは胸のうちで安堵の吐息を洩らした。
白髪の少年がレッドネームに堕ちたと知ったときは、どうなることかと肝を冷やしたモノだが、どうやら計画の第一段階は無事に達せられたようだ。
≪星の金貨≫と≪英雄譚委員会≫。
ヘキサがどちらを選ぶかは半ば賭けだったが、ここまでお膳立てしたかいがあった。彼は当初の計画通り、自身のギルドを結成する道を選択した。
もっとも、もしヘキサが≪星の金貨≫ではなく≪英雄譚委員会≫に加入したのならば、一次案を破棄して二次案に切り替えるまでなのだが。
それにしても≪星の金貨≫とは。なるほど。中々に皮肉が効いている。あるいは自分に対する無意識での当てつけなのかもしれない。
まったく。彼の予想以上の消極と小心には随分と手を焼かされた。あそこまで卑屈になれるモノなのか、とある意味感心すらした。これがマンイータと恐れられるPKだとは、いまでもときどき信じられなくなる。正直な話、思わず手が出そうになったのも一度や二度ではない。
その度に宥めて煽てて持て囃して、どうにかここまで彼の誘導に成功したワケだが、この先のことを考えると頭が痛くて仕方がない。
黒い長髪を散らし、リグレットは背中を壁に預けると空を見上げた。青い空を白い雲が流れる。黒髪の少女は紫に染められた前髪の一房に、そっと右手を添えると軽く撫でつける。彼女にとってその毒々しい紫は、精一杯の対抗心であり烙印なのだ。
彼女の役割はこれからが本番。いままでは余興に過ぎない。そう。彼にはいまよりも強くなってもらわなければ困るのだ。もっと、もっと、もっと――強く、強く、強く。
そのひ、そのとき、そのばしょで、遥か彼方の高みへと到達するその刹那のために、この世界に存在する誰よりも強く在れねばならないのだ。
何故ならばこの身は、ただその目的のためだけに用意された代用品。彼の少年に供物として奉げられた生贄なのだから。
「そうでしょ?」
もの哀しい音色で大気を震わせた響きは、誰の耳にも届くこともなく、蒼穹の空に淡く吸い込まれて霧散した。
「――――――、ヒューリ」
■■■■計画第一段階終了。賽は投げられた。世界の変革は近い。速やかに第二段階に移行せよ。
第一部【星の金貨】 -了-
こんにちわ、祐樹です。
本章を持ちまして第一部は終了となります。ここまでお付き合い頂きまして、本当にありがとうございました。
無事に一部完結までこれましたのも、皆様の応援あってのものだと思っています。今後も頑張っていきますので、どうぞよろしくお願いします。
今後の予定としては、要望があったキャラ設定集を作っていきますが、ちょっとワケがあって二部のほうを先にアップしていくかと思います。少し遅れますがキャラ設定集は作りますんで、しばしの間お待ちください。
それでは最後になりますが、意見や感想などがありましたら気軽にお知らせください。取り入れられるものはじゃんじゃん取り入れて、よりよい作品にしていきたいと考えています。
では、また二部でお会いしましょう。