断章 遥か遠き残響(7)
「――もうっ。どうしていっつも君たちはそうなのかな!? 本当に反省してるのッ!」
広々としたフロアに少女の怒号が響き渡った。あまりの音量にテーブルに置かれたグラスがビリビリと震え、注がれた液体の表面に波紋が広がっている。
頭上には煌びやかなシャンデリア。優美な曲線を描く螺旋階段。テーブルの上には趣向を凝らした料理が並んでいる。
そして高価そうな赤い絨毯が敷き詰められた床には正座する人影がみっつ。正座する三人を見下ろし、腰に手をあてた黒髪の少女が声も高々にいきり立っている。
「毎回毎回、コリもせずによくもこう問題を起こせるわね! なにか私に恨みでもあるの!? ちょっとは後始末する私の身にもなってよね!」
肩を怒らせて頬を高潮させる少女に睨めつけられ、三人は揃って沈んだ顔を伏せた。まるっきり悪戯っ子を叱る母親の構図である。
そんな彼女たちのやり取りを離れたところで窺っていたプレイヤーたちが、なにやら小言で話し合っている。中には口元を押さえて、くすくすと笑っている者もいる。
降り注ぐ好奇の視線に見世物にされている気がして、真ん中で正座させられている白髪の少年が、恐る恐るといった風に口を開いた。
「あのーリグレットさん。……その、周囲の視線が気になるんで、そろそろ解放してもらいたいかなぁって思ったりするワケには――」
「あン?」
「いかないですよね。はい。わかってました。ごめんなさい」
凄むリグレットに圧迫されて、デュオはあっさりと前言を撤回した。そして肘で左側の青年を小突くと小声で囁いた。
「おい。ヒューリ。お前もなんか言えよ」
「……なにかってなによ」
「俺が知るか。自分で考えろっ」
ンな無茶な、と目深にニット帽を被った青年は苦い笑みを浮かべた。身につけた上下のツナギからもわかるように、ヒューリは戦闘職のプレイヤーではない。リグレットがリーダーを務めるギルド≪星の銀貨≫お抱えの鍛冶師である。
デュオとヒューリ。この二人が今回の騒ぎの当事者だった。
「そもそもデュオが発端でこんなことになったんだろ? ちゃんとリグレットに謝れよ」
「あ、ずりぃ。全部俺のせいにするつもりかよ。お前だってノリノリだったじゃねぇか」
「はて? そうだったっけ?」
「この野郎……すっ呆けるつもりか。ふざけんなよッ」
「いい加減にしなさいッ!」
眼前で繰り広げられる醜い責任の擦り付け合いに、鋭い渇を飛ばすリグレット。耳朶を打つ甲高い声に、取っ組み合い寸前だった二人は慌てて姿勢を正した。
「まったくもうっ。本当に勘弁してよね」
これが天剣の二つ名を持ち、ファンシーでも最強と名高い片手剣使いの姿かと思うと、情けなくて涙が出てきそうだ。これも普段の自分の接する態度に問題があるのかと、リーダーとして自信を喪失してしまいそうだった。
その他にも頭を痛める事柄がひとつある。リグレットは視線を二人から外して横に移動させ、そこで正座する最後の一人を見咎めた。つい先日、≪星の銀貨≫に入団したばかりの新入りである。
しょんぼりとしている黒髪の少年に、これ見よがしに嘆息する。口の間から洩れた吐息に、びくっと彼の身体が一瞬硬直した。
「はあっ。ヘキサくんまで一緒になってなにしてるのかな?」
「……面目ない」
他に言いようがなかった。リグレットの歳に似合わぬ疲れきった声色に、ひたすら頭を項垂れさせるヘキサ。
魔が差したというべきか。いくらデュオとヒューリの誘いを断りきれなかったとはいえ、我ながら馬鹿なことをしたものだ。……まあ、なんだ。楽しかったかと問われれば、少し――いや正直かなり楽しかったのだが。それをこの場でおっぴろげにする勇気はむろん、彼にあるはずもなく、ただ沈黙するしかなかった。
「リグレット殿。その辺で許してあげてはどうかな?」
事態を見かねたのか、一人の少女がそうリグレットに話しかけた。銀の鎧を纏った姫騎士。≪聖堂騎士団≫の副団長レイアだ。
「ああ、レイアさん!? ウチのメンバーが多大なご迷惑をおかけしてしまい、本当にすみませんでした!」
ぺこぺこと頭を下げる黒髪の少女に、苦笑しながらレイアは言った。
「構わん。今日はめでたい宴の席だ。ときには羽目を外すこと重要だろうよ」
「で、でもそういうワケにはいきません……! そちらが被った被害は私たちで弁償しますんでッ。遠慮なく言ってくださいッ!」
周囲を見回して、リグレットは声を荒げた。
鼻を付く硝煙の匂い。目を凝らすと白い壁や赤い絨毯には、ポツポツと黒い焦げ跡がある。天井から吊るされているシャンデリアも一部欠けている箇所があり、絨毯にはその欠片が無造作に転がっていた。
「なにこの程度どうということはない」
ぐるりと首を巡らして、フロアを一瞥するレイア。
「それに君たちは今回の攻略における立役者。皆を励ますためと思えば安い代償だ」
「ううっ。本当にすみません」
姫騎士の寛大な言葉に頭が上がらない。
ここは≪聖堂騎士団≫の本拠地である白亜の古城。今宵のパーティは千界迷宮塔500階層クリアを記念して、≪聖堂騎士団≫の主催で行われたモノである。
彼女たち≪星の銀貨≫の面々もそのパーティに招待されたのだが、参加するにあたり事前にリグレットが注意していたにも関わらず、デュオたちがやらかしてしまったのだ。
砕けたシャンデリア、焦げた絨毯や壁はそれが原因なのである。具体的になにをやらかしたかといえば、こともあろうに室内で花火を打ち上げたのだ。
大まかな流れとしてはデュオが提案し、それをヒューリが了承。そこにヘキサが巻き込まれる形で参加したといった感じである。
室内で花火をやろうと持ちかけるデュオもデュオだが、躊躇なくふたつ返事で承諾するヒューリもヒューリだった。
元々ヒューリは武器全般を主とする鍛冶師である。その中でも特に剣を得意としていたが、その他の武器も十分に実戦に通じる錬度を誇っていた。
それはファンシー特有の製造システムであるイマジネーション・クリエイトからしてみれば、異例としかいえない事柄だった。広くて浅いよりも狭くて深いを求められるイマジネーション・クリエイトの性質上、それがいかに非凡な才能かは押して知るべし、だ。
なんにせよそんな彼であるのだから、本業ではないとはいえ花火を製作するくらいお茶の子さいさいだった。
黒髪の少女に悟られぬようヘキサとデュオがこっそりと集めた素材アイテムを、ヒューリがこれまたこっそりと花火に加工し、完成したそれを各々のインベントリに収納。
豪勢なディナーを食らいつつ機会を伺い、会場が盛り上がるのを持ち、三人はおもむろにインベントリから実体化させた花火の導火線に火を点けたのだ。
高い天井スレスレで色彩豊かな大輪を咲かせる花火。元々そのために火薬を調整していたこともあり、最初は上手くいっていたのだ。予想外のサプライズに目を丸くするプレイヤーたち。問題になったのはその直後。調子に乗ったデュオが絨毯に並べた花火を一斉に点火したのが原因だった。
プレイヤーが異変を察したときには既に手遅れだった。乱れ舞う花火。不注意でその火の粉が絨毯に置いてあった予備の花火に引火。プレイヤーたちで賑わうフロアは一転、無数の花火が飛び交う阿鼻叫喚の地獄絵図と化したのだ。
もくもくと白煙が立ち込める中、馬鹿三人組は想定外の事態に頭を抱えてしまった。そして悩んだ挙句、彼らが出した結論はこの場から離脱を計るという、誠意の欠片もないものだったが、そう容易く逃亡を許すリグレットではなかった。
騒ぎの元凶をいち早く察知した彼女は白煙で視界が閉ざされた中、執念でデュオたちを見つけだし、首根っこを取り押さえたのだ。
後は見てのとおり。複数のプレイヤーの目がある中で、公開説教を受ける羽目になったのだ。まあ、ことの経緯を顧みれば、自業自得以外の何物でもないワケではあるのだが。
「ほらッ。ちゃんと謝りなさい!」
黒髪を振り乱すリグレットの言葉に、三人は口々に謝罪を述べた。
「どうもすみませんでしたー」
「ホントすんませーん」
「ごめんなさい」
こ、こいつら……! と黒髪の少女は握った拳をぷるぷると震わした。ヘキサはともかくとして、残る二人からはまるで誠意を感じられなかった。というよりも絶対にワザとやっている。そうに違いなかった。
悪ガキコンビに業を煮やしたリグレットが、おもむろに両手を伸ばすとデュオとヒューリの片耳を掴んで、思いっきり横に引っ張った。
「反省しろッ!」
なにやってるんだろうなぁ、とヘキサはその光景を横目に捉えながらぼんやりと思った。こんな馬鹿騒ぎに加担するなど、ちょっと前の自分からは想像できなかった。だが、不思議と不快ではない。それどころか満更でもない自分がそこにはいた。
「ははっ」
だからだろう。不意に胸の内から込み上げてきた衝動に逆らわず、その感情をそのまま吐き出したのは。
「ヘキサくん?」
様子がおかしいヘキサを訝しむ声。
「あはははははは……ッ!」
きょとんとする周囲の目を気にすることもなく、ヘキサは思う存分に笑った。それはおそらく彼の初体験。ファンシーで心の底から笑ったはじめての瞬間だった。