第七章 価値観(6)
「はい。どうぞー」
「……すまん」
羞恥にシルクの顔を直視できなかった。ヘキサは彼女から視線を外したまま、愛用している小型の盾を受け取ると、メニュー画面を開いて盾を装備し直した。
左腕に実体化した盾の重みに、感覚を確かめるように腕を上下に振る。最初の頃から盾を装備していたからだろう。いまとなってはこの重みがないとイマイチ落ち着かないのだ。
人目につかぬように西側の城門前で待つこと五分。ヘキサはシルクたちと気まずい再会――彼にとっての――を果たしていた。
オブジェクト化させた盾を手渡すシルクの後ろには白箒と黒箒。口元に手をやるナイゼルは相変わらずの微笑を称えている。一方ハウゼルは白髪の少年に負けず劣らずの苦い表情をして、姉の身体に隠れるようにしていた。
「ヘキサさん、死んじゃったねー」
その何気ない一言にヘキサは思わず、「うぐっ」とくぐもった呻き声を洩らしてしまった。わかっている。おそらくシルクに他意はない。彼女はただ純粋に状況確認の意味を含めて言ったに過ぎないと。
わかってはいるのだが、人間そう簡単に割り切れるものではない。内面の葛藤に頬を引き攣らせていると、ぼそりとハウゼルがつぶやいた。
「……『あいつの相手は俺にさせくれないかな』」
「ぐふっ」
良心の呵責もない精神攻撃だった。ナイゼルの背後から顔を覗かせて、ハウゼルは舌鋒を緩めることなく、尚も苛烈にヘキサを追い立てる。
「『あの襤褸切れは俺がやる』」
「ごはっ」
「『それに――練習台には打ってつけだ』」
「げふげはっ」
情け容赦のない精神攻撃に打ちのめされて、彼のHPは早くも0どころかマイナスに突入していた。酷すぎる。イントネーションまで再現するなんて。傷口に塩を塗り込むが如き所業に、ヘキサは涙目になってしまった。
「は、ハウゼルさん! そんなこと言っちゃだめだよぉ」
胸を押さえて悶絶するヘキサに慌ててシルクが、ハウゼルに飛びついた。両手を伸ばして彼女の口を塞ごうとするシルク。
「むぐっ。なにをする……!」
「からかっちゃだめー。ヘキサさんだって好きで死んだんじゃないんだよーっ。誰だって死ぬときは死ぬし――それに戦ってるときのヘキサさん、とってもかっこよかったよぉ」
「シルク」
なんかジーンとしてしまった。青髪の少女が女神に見える。大丈夫。俺はまだやっていける。それはそんな矢先の悲劇だった。
思わずシルクがぽろりと本音を洩らしたのだ。
「確かに私も火傷で死亡はないと思うけどぉっ。というより、はじめて見たよー。火傷で死亡するヒトー」
「……がふ」
仮想だろうと現実は無情だった。
はうっ。ヘキサ!? とシルクの声に返答する気力すらなかった。もう駄目だ。当分の間は立ち直れそうにない。二度と火山になんて行くもんか、と固く決心する。火属性のモンスターがトラウマになりそうな勢いに、ヘキサは項垂れて沈黙した。
「あらあら。シルクちゃん。それフォローになってないわ」
ナイゼルはナイゼルで微笑むだけで援護してくれないし。もういいや。今日はさっさとログアウトして不貞寝でもしよう。そう思ったときだった。
「いつまで私の背中に隠れてるつもりなの。ハウゼル。ヘキサさんに言わなければならないことがあるのでしょう」
「うっ。……しかし、ナイゼル姉さん」
ぎゅと手に力を入れて背中にしがみつく妹にナイゼルは苦笑した。
「いま言わないでいつ言うの? ほらほらっ」
「ちょっ、待って――心の準備がまだできて……ッ」
などという、聞こえてきたやり取りに面を上げると、背中にしがみつく妹をナイゼルが前に押し出そうとしていた。
弱々しい身振りで抵抗するハウゼルだが、姉にトン、と軽く背中を押されやがて観念した様子で、おずおずと自分からヘキサに近寄った。
並んで立つとヘキサの身長のほうが高いため、こちらを若干上目がちに見る男装の少女に、彼は戸惑ったように頬を掻いた。
どういうワケか彼女の全身からは敵愾心が失せていた。見上げる黒い瞳にも敵意の類は微塵も感じられない。それどころか、どこか小動物チックなオーラすら放っているハウゼルを、調子が狂う思いで見やるヘキサ。
てっきりもっと揶揄されるとばかり思っていたのだが。予想とはまるで違う少女の態度に、どうしたらようのか対応に困ってしまう。
敵意を持たれないに越したことはないが、こうも唐突だと逆に不安になる。安心するどころかむしろ不気味だった。などと失礼なことを考えていると、唇を噛み締めていたハウゼルが、小さく囁くような調子の声色で口を開いた。
「……す、すまなかった」
それだけだった。思わず身構えてしまったヘキサの視線に、ばばっと顔を横に逸らすハウゼル。二人の間に流れる白茶けた雰囲気に冷や汗ひとつ。
えーと、と口の中でつぶやき状況を整理しようとするものの、一体なにに対しての謝罪なのかがわからない。ハウゼルも口を噤んでいるし、どうにも展開が読めずにいると、「仕方がないわね」とナイゼルが救いの手を差し伸べた。
「ハウゼル。それだけではわからないでしょう。見なさい。ヘキサさん困ってるわよ」
姉の言葉に突っつかれて、ハウゼルは視線を逸らしたまま途切れ途切れに言った。
「……手を出さないと約束していたのに……最後の最後で……その、思わず手を出してしまった……」
「ああ――そういうことか」
ようやく合点がいった。つまり彼女はヘキサとスカルマーダの一騎打ちに干渉してしまったことを謝っているのだ。珍しく殊勝になっているのもそのせいなのだろう。
「いいって。別に気にしてないし」
あのときのハウゼルの表情から察するに、おそらく意識してのことではあるまい。無意識のうちに身体が動いてしまったのだろう。
それを責めるほどヘキサの器量は狭くないし、そもそも責めること自体が間違いなのだ。無意識――ということは、大なり小なり彼女が自分のことを助けようとしたということだ。ならばこそ。ハウゼルの行動を嬉しいと思うことはあっても、怒ろうなどとは決して思わない。
結果は火傷死という残念な最後になってしまったが、それは気を抜いてしまった自分の責任。他人に転嫁するべき問題ではない。
「それにどうせハウゼルが手を出さなくても、死んでたのは俺のほうだ」
どちらにせよ結果は同じ。否、より悪化していたのかもしれない。自分が死亡したらスカルマーダが次の標的に定めるのは、おそらく傍にいた彼女たちなのだから。
いくらスカルマーダのHPが一割しかなかったとはいえ、少女たちの迎撃が間に合わずに被害が出る可能性だって十分に有り得た。
そう考えれば、むしろ謝らなければならないのは自分のほうだ。ソロならともかくとして、PTでしかもリーダーでありながら我を通そうとするのは愚考でしかない。リーダーならばメンバーのことを第一優先に考えるべきだったのだ。
「俺のほうこそゴメン。自分勝手なわがまま言っちまって」
ぺこりと頭を下げるヘキサに、ハウゼルはきょとんとした表情になった。後ろにいるシルクとナイゼルも驚いたような表情になっている。
「大口叩いてあのザマなんて。我ながら情けないよ」
「ずいぶんと謙虚なのだな」
「そうかな? 普通じゃないか」
悪いと思ったら謝る。ヘキサからすれば当然のことではあるが、それができずに責任の擦り合いになり解散するギルドも世の中にはあるのだ。
「とにかくハウゼルが謝る必要なんてないよ。俺の自業自得だし」
と、白髪を掻きながら続けて言った。
「それから助けてくれてありがと。驚いたけど嬉しかった」
「それはつまり、貴様は私が仮にもPTを組んでいる仲間を見捨てるような、人でなしだと言いたいのか?」
「そこまでは言わないけど……お前、ドサクサにまぎれて俺を攻撃してたじゃねぇか」
「……言っただろ。手が滑ったのだ」
ぷいっとそっぽを向くハウゼルの子供っぽい仕草に、ヘキサは思わず苦笑いした。くすくすと鈴の音を転がすような微笑。
「ふふ。この娘がこんなに素直なのも珍しいですわ。もしかして貴方のことを気に入ったのかしら」
「だ、誰がこんな奴なんか!」
「……つーか、これで素直なの?」
「ええ。通常の五割増しで」
ぎゃいぎゃいと異議を捲くし立てる男装の少女を指差すヘキサ。これで五割増しとか。普段どんだけツンツンしてんだよ、と突っ込みたいのを堪える。
「もしかして貴方なら――この円環を破壊できるかもしれませんわね」
「なんだよ急に?」
「いいえ。独り言ですわ。ヘキサさん。あの娘のことをよろしくお願いします」
「だから意味が――」
顔に差す影に言葉が止まった。視界には微笑む金髪の修道女。ふわりと香る甘い香り。頬に一瞬だけ感じた温かくて柔らかい感触に、ぽくぱくと金魚のように口を開いてヘキサは目を白黒とさせ――走った怖気にその場から飛び退いた。
直後、上空から落ちてきた黒い断頭刃が、土砂を撒き散らして地面に傷跡を残した。
「こ、この……ッ!」
見ればいつの間にか白い杖を構えたハウゼルが、その先端をヘキサのほうへと向けていた。怒りのためか、右手の杖は小刻みに揺れていた。
「は、ハウゼルさん……?」
「色魔が! ナイゼル姉さんから放れろぉ!」
「し、色魔!? ――ちょ、危なッ!?」
速射砲の如く撃ち込まれる闇色の弾丸に逃げ惑うヘキサ。助けを求めて周囲を見回すが、シルクは顔を両手で覆ってあわあわしてるし、張本人のナイゼルは心なし頬を赤らめて変わらず微笑んでいる。早い話が助けはなし。孤立無援。
「お前ちょっと現実見ろよ! 俺からしたワケじゃないだろうがよ!」
「貴様。ナイゼル姉さんが色魔だと言いたいのかッ!」
「いや、それは違うけどっ」
「なら悪いのは貴様だッ!」
「俺にどうしろってんだ――ッ!」
どこまでも広がる青空の下、今日もヘキサの悲鳴が響き渡った。
「ハウゼル。ちょっといいかしら」
手元のウインドを操作する姉の言葉に、肩を怒らせていたハウゼルが振り返った。まだ撃ち足りないのか。右手の白い杖の柄で地面を叩いている。
周囲には彼女たち姉妹の姿しかない。
黒箒の理不尽な攻撃に晒されていた白髪の少年は、じゃあなっ! と言い残し、物凄い速さで街の中へと逃げていった。続いて青髪の少女も会釈すると、彼を追い雑踏に姿を紛れさせていた。
「少し用事ができたの。悪いのだけど、先に帰っててもらえるかしら?」
「ならば私も一緒に――」
「ハウゼル」
微笑まじりの静かさ囁き。しかし、そこに含まれた有無を言わせぬ響きに、ぐっとハウゼルが押し黙ってしまった。
「ちょっと知人に会ってくるだけだから。すぐに私も戻るわ」
「……わかりました」
唇を尖らせる表情には不満がありありと見られたが、一応は姉の言葉を受け入れるハウゼル。ポーチから引き抜かされた指先には、転移アイテムである跳躍の翼が挟まれていた。
「その代わり帰ってきたら、何故あのようなことをしたのか説明してもらいますよっ」
「あら? キスなんて友愛の挨拶でしょ? ハウゼルもすればよかったのに」
だ、誰があんな奴に――ッ! と顔を紅潮させたハウゼルの姿が炸裂した光の中に吸い込まれた。
「――さて。私も行きましょうか」
言って、金髪の修道女は半透明の画面を閉じた。