第七章 価値観(5)
「――よう。調子はどうだい?」
「悪くはないですよ。貴方が顔を見せなければ、もっとよかったのですがね」
うわ、ひでぇなぁ――と、大袈裟に驚いてみせる調子っぱずれな声に、リグレットは抱えていた剣を壁に立てかけると振り返った。
明かりが落ちた暗い店内。黒い上下のツナギ。ニット帽を目深く被った青年は、腕を組み壁に背中を預けて店内を見回している。
客ではない。来訪者を知らせる玄関の呼び鈴は鳴っていない。そもそもいまは準備中であり、開店中ではない。システム上でロックが掛かっている店内に入れるのは、家主である彼女と合鍵を渡してある白髪の少年だけである。
だが、その青年は確かに店内にいた。リグレットも彼の姿に驚いた素振りはない。当たり前のように受け入れている。まるでそれが当然のことであるかのように。
「しっかしまあ、スッキリしたな。引継ぎはもう終わったのか?」
「ええ。大方は。後は納品予定の剣を数本鍛てば完了です。後は≪小人の金鎚≫が勝手にどうにかするでしょう」
と、そこで言葉を区切り、怜悧な目を細める。視線の先にはニット帽の青年。
「それで用件はなんでしょうか? 冷やかしならお引取り願いたいのですが」
「冷てぇな。久しぶりの再開に対して、なにかしらのコメントはないのかよ。こう――会いたかったわ! とか、どこ行ってたのよ! とかさ」
「彼らに悟られぬよう接触は最低限に。そう言っていたのは貴方だと、私は記憶していますが?」
いつにも増して淡々とした口調に青年は肩を竦ませた。
「わかってる。今日はギルドの件で、伝えなくちゃならないことがあるんできたんだよ。いよいよなんだろ? あいつのギルドの旗上げが」
「と、いいますと?」
「例のブルミアの物件なんだが――悪いが、今回は諦めてくれ」
湖面都市であるブルミアは、世界樹より切り落とされた枝を土台としている。世界樹とはファンシーの中心に存在する世界の始まりとされている大木の名だ。
世界樹の枝はこの湖で根を張り、鳥や風により運ばれた種で自然を生み出した。その後、とある開拓者によって根の上に建造されたのがブルミアである。湖面都市でありながら豊かな自然が多く存在しているのは、そうした背景を持つ街だからに他ならない。
そしてニット帽の青年が言う物件とは、ブルミアの街外れにある丘の上に建てられたログハウスの一軒家のことだ。
そのログハウスからは活気のある街や陽光を弾き水面を輝かせる湖。その向こう側に姿を霞ませる山脈までもが一望できる。間違いなく一等地に該当する物件だ。
前々から青年と少女が目をつけていた物件であり、彼女が鍛冶屋を営んでいるのはその購入資金を作るためでもあった。
「確かあの物件は貴方が押さえているはずでは? ……もしやすでに他者の手に渡ってしまったのですか?」
「いや、その心配はない。ちゃんと俺のほうでキープしてある」
リグレットの懸念を切り捨てると、「ただ――」と言葉を繋ぐ。
「いま目立つ行為は避けるべきだ。不必要に注目を集めるのは得策じゃない。……理由は言うまでもないだろう?」
マンイータ。数いるPKの中でも最凶とされる白髪の少年の二つ名。その名には常に、恐怖と憎悪が憑き纏う。そのようなプレイヤーが丘の上などという目立つ場所にギルドを構えればどうなるか。結果は火を見るよりも明らかだった。
「しかし、だからといっていつまでも先延ばしにするワケにもいきません。なにかしらの手段を講じる必要があるのでは?」
彼女らがブルミアの物件に拘るのには理由があり意味がある。だからこそ多少強引な方法を使ってまで、あのログハウスが他人に渡らぬよう小細工を弄してしているのだ。
「とりあえずパラダイムシフトまでは我慢だな。そこからはヘキサ次第だ」
これからの彼の行動にすべてはかかっている。所詮、ニット帽の青年と黒髪の少女は脇役すぎず。この物語の主人公はヘキサであり、樋口友哉なのだから。
「厄介な話さ。よりにもよってマンイータの二つ名が、ヘキサのモノになるなんてな。まったく。あいつはいつも俺の想像の斜め上を行く。――もっともだからこそ、俺はあいつを選んだワケなんだがな」
「彼からしたらいい迷惑ですがね」
違いない。くつくつと笑う青年に、そういえば――とリグレットは言った。
「ヘキサはナハトのせいだと思っているようですが、ファンシーの掲示板に彼の画像を貼ったのは貴方ですね」
「おう。あいつのことだからまた、ヘタレたこと言ってるんじゃないかと思ってな。事前に手を打っておいたのさ」
「目立つな、という話はどこへ?」
半眼になるリグレットに青年は苦笑した。
「仕方ないだろ? ヘキサにはあれを大いに活用してもらわなきゃならないんだから。インベントリに放置されたら困るんだよ」
「……まさかそれも貴方の仕業なのですか?」
知らず声が低く冷たい色を帯びる。≪暁の旅団≫の解散事件。白髪の少年にとっての忌まわしき記憶の残滓。
「違う。あの件に俺は関わっちゃいない。あんなところにワルプルギスがあるなんて知ってたら、俺が先回りして回収してたさ」
それを知っているが故の刃のような眼差しに、青年は両手を上げて釈明する。嘘ではない。ヘキサの保持する幻想武器ワルプルギスは、青年が血眼になり探しついぞ見つけることが叶わなかった遺失伝承のひとつ。
遠の昔に消滅したモノだと半ば諦めていたのだが、こんな形で再び目にしようとは彼とて予想だにしていなかったのだ。
「ある意味これも皮肉なのかもな。ワルプルギスが巡り巡ってヘキサの手に渡ったのも。――いや、まさかそれすらもあのヒトには計算ずくなのか?」
だとしたら自分のやっていることはすべて――。
「まさかな」
頭を振り湧いた疑念を掻き消す。考えすぎだ。そこまであのヒトの意思が及んでいるとは思えないし、思いたくもない。それに例えそうだったとしても。青年が歩みを止めることはないだろう。それは果たすべき約束なのだから。
「ンじゃ、確かに伝えたからな」
「行くのですか?」
「長居してあいつらに感ずかれたら元も子もないからな」
と、そこまで言い、青年はパチンッと指を弾いた。
「そうそう。とりあえず俺のほうで手頃な空き物件をいくつかピックアップして、メールに添付して送っといたから……後で確認しておいてくれ」
今後の課題は多い。一歩足を踏み外せば一巻の終わり。これからもそんな綱渡りの日々が続いていく。それでも深刻にだけはなるまい。
「まあ、どうにかなるだろ」
「いい加減ですね。それに不誠実です。もう少し真面目に取り組んではどうですか?」
「仕方ないだろ? だってこれが俺なんだから」
不真面目でお世辞にも真人間と呼ばれる人種でないことは重々承知している。だが、青年はそれでも構わなかった。自己の在りようを変えようとは一片たりとも思わない。
何故ならば――、
「……それが貴方の『自分らしさ』だからですか」
然り。それこそがニット帽の青年にとっての、世界で一番綺麗なモノであるが故に。彼が己の主義を捻じ曲げることはない。
「そういうワケだから我慢してくれ」
そう微苦笑を残し、青年の姿が消えた。比喩ではない。本当に消えたのだ。瞬きひとつの間に、店内から彼の姿が忽然と消失していた。
不可思議な現象にしかし、リグレットは顔色を変えることなくニット帽の青年がいた場所を見据えていたが、不意に視線を外すと奥の工房へと踵を返した。
そのとき彼女がどのような表情をしていのか。それは誰にもわからなかった。
やっちまった。彼のいまの心情を言葉にするならば、まさにその一言につきる。脳裏を同じ光景がぐるぐると巡っている。それは間抜け面をして消滅した自分自身の姿だ。
死亡したのはいつ以来だろうか。もう忘れしまったが本当に久々だった。というか、レッドネームなってから死亡したのは、これがはじめてではなかろうか。
ファンシーが稼動して間もない頃は、なんだかんだで死亡してしまったときもあったのだが、最近はとんとご無沙汰だった。
などと過去の行為を回想するものの、それを懐かしむような精神的な余裕など彼には微塵もなかった。
あの後、火傷で死ぬという有り得ない体験をしたヘキサは、予めセーブしていた中央都市パンゲアのホームポイントで蘇生すると、その場に蹲り頭を抱えてしまった。
普段は人目を気にしてそのような行動は絶対に取らないのだが、そのときばかりはそうせずにはいられなかった。
プレイヤーの好奇の眼に晒されながらも、ヘキサの頭の中は別のことで一杯で、他人の視線を意識する余裕などなかったのだ。
恥ずかしい。消えてしまいたかった。あれだけ大口を叩いておいて死亡とか。しかも死因が不注意による火傷って。そんな間抜けな死に方はそうそうないのではなかろうか。
これなら大人しくスカルマーダに殺されていたほうが、遥かにマシだったかもしれない。体裁、という意味ではまだ言い訳もたつ。
そういえばなにやら映画のクライマックスばりに、カッコイイ台詞を吐いていたような。あんなこと言わなければよかったと、いまさら後悔しても完全に後の祭りだった。
はあっと嘆息して、ふと違和感に気づいた。火傷によるモノではない。ステータス異常は死亡の際に解除されている。原因は別で具体的には左腕だった。妙に軽いのだ。
はて? と掲げた左腕を見やり、違和感の原因はすぐにわかった。本来そこに装備されいるべき、小型の盾が存在していないのだ。
「――あーそっか。デスペナか」
そういやそんなのもあったなぁ、とどこか他人事のように思う。
ファンシーでの死亡時のデスペナは、経験値及びミストの減少と装備品の一定確立でのランダムドロップである。
しかし、これは一般プレイヤーの場合であり、PKである彼は経験値とミストの減少が一般プレイヤーよりも激しく、また装備品も必ずドロップしてしまう。
もっとも、ヘキサは対人戦では【捕食】の効果――ミストの全損――が上書きで適用されてしまうので、PKとしてのデスペナは実質対人以外の場合に限定されているワケではあるのだが。ちなみに【捕食】が定義している対人とは、プレイヤーによって止めをさされた場合に限られている。
したがって今回のようにステータス異常で死亡した際には【捕食】の効果は発動しない。逆の場合も同様である。
と、そこでようやく頭が回りだし、周囲にいるプレイヤーの視線にヘキサはそそくさと移動を開始した。大通りから脇道に逸れ、裏通りに入ると周りに他のプレイヤーがいないのを確認して、メニューウインドを開いた。
「へえ……やっぱり結構削られてるな」
表示された経験値に独白する。少なくとも今日稼いだ分は完全に失った。どころか、この一週間分の経験値が丸ごと消失した気がする。
この一週間が徒労になってしまったのだが、ヘキサの表情にはさほどのショックは見受けられなかった。むろん、彼とてショックがまったくないワケではないが、現状それほど経験値の効率に拘っていないこともあり、また稼げばいいやと一人納得していた。
代えの利かないミストにしても【捕食】スキルのせいで、モンスター相手なら百回どころか三百回死んでも平気なだけの貯金がある。そこに至る経緯を考えれば、諸手を上げて喜べることではないが、いまはそれでよしとしよう。
唯一の懸念事項といえば、装備のランダムドロップの問題だろう。今回は盾だったワケだが、もしかしらこれが武器――ワルプルギスだった可能性だってあったのだ。
盾や防具ならまだ仕方がないと諦めもつくが、流石に幻想武器を失うのはゴメンだった。ましてやその理由が火傷などと、そのような理由でワルプルギスを失ってしまっては、カイトやリグレットたちに申し訳が立たない。
火傷で死亡はないよなぁ、とまたしても気分が落ち込んだときだった。俯くヘキサの耳にメールの着信音が聞こえてきた。
「誰――って、考えるまでもないか」
着信は一件。案の定というべきか。想像通り送信相手はシルクだった。内容も彼が予想していたものだ。
「集合場所はどこにしますか――、ね」
メールによると彼女たちは、バロウズ活火山を中継ポイント介して離脱。いまはダンジョン入り口の傍で待機しているらしい。
当然といえば当然だ。いくら屈指の魔法使いといえども、後衛だけで戦闘に臨むのは危険な行為である。それ以前にナイゼルの口ぶりからするに、自分がいなくなった時点で狩りをする意味がなくなったのだろう。
メールには狩りを止めてパンゲアに戻ってくるとも記されていた。
「了解。西側の城門前で待ってる、とこれでいいかな」
仮想キーボードで文章を作成して送信。返事は二分ほどですぐにきた。先に城門前で待っててくれだそうだ。
正直ヘキサの心情としては、このままバックれたい気分だったのが、そういうワケにはいくまい。彼女たちが回収してくれている盾のこともある。
「はあっ。……行くしかないか」
左右の壁に挟まれ細長く区切られた青空を見上げる。仮想とは思えない精密な青空にため息を吐きかけて、ヘキサは集合場所に向かうべく裏路地を後にした。




