第七章 価値観(3)
「こっち。こっちー」
ぴょんぴょんと飛び跳ねながらシルクが指差す先には、白い石を積み上げて造られた祭壇があった。祭壇の中央に刻まれた魔方陣から伸びる光の柱が、周囲に不可視の力場を形成し、モンスターを寄せ付けぬ浄化された空間を生み出している。
この祭壇はモンスターが出現しない安全地点であると同時に、プレイヤーの情報を記録し転送する中継ポイントの役目も兼ねている。
この祭壇を使用してダンジョンから出ると、次回の攻略の際に転送した祭壇の地点から攻略を再開できるのだ。そのためバロウズ活火山のように広大なマップで、攻略に時間がかかるダンジョンには必ず存在する装置である。
力場が溶岩流の熱も遮断しているのだろう。祭壇の浄化領域に足を踏み入れると、肌に纏わりつく熱が嘘のように途切れた。それでも通常のフィールドに比べたらまだ熱いのだが、先程とは雲泥の差があった。
「ちょうどいい。ここで休憩してこうぜ」
「なんだ。もう疲れたのか」
「どっかの誰かさんのせいで、余計に疲れさせられたからなー」
だらしない、と醒めた視線を投げてくるハウゼルに、遠い目をして皮肉を口にする。彼女のせいで普段の倍は消耗した気分だった。ただでさえ熱さが地味に堪えるというのに、少しは自重しろというのだ。
と、祭壇の階段に腰を下ろしたナイゼルが、頬に手を当てて、ふうっと悩ましげな吐息を吐いた。
「そうね。私もちょっと疲れちゃったわ」
「それは大変だ。おい。ヘキサ。ナイゼル姉さんの体調が回復するまで、ここで休んでいくぞ。いいなッ」
「……お前……はあ。もういいや」
なにも言うまい。もはや悟りの境地にあるヘキサは、口元まで出掛かった言葉を呑み込むと、祭壇の上で仰向けで大の字に寝転がった。
背中のひんやりとした石の感触に癒されていると、視界に影が差した。シルクだ。彼女は左手に魔法瓶を、右手に紅茶の入った紙カップを持っている。
「どうぞ、ヘキサさん」
「サンキュ」
身体を起こすと紙コップを受け取り、紅茶を一気に喉に流し込む。乾いた口内が潤される。内側から冷やされる感覚に、ようやく一息つけた気がした。
「大丈夫ですかー? 」
「どうだろうな。実際、なんとかならないのか、あれ」
視線をハウゼルに飛ばすヘキサに、シルクは苦い表情で言った。
「うーん。ハウゼルさんはナイゼルさんの言葉しか利かないから」
「だよなぁ。ふう……もう一杯いいか?」
「はい。どうぞー」
空になった紙コップを差し出すと、シルクが魔法瓶を傾けて紅茶を注いでくれた。彼女はヘキサの横にぺたんと座り、魔法瓶を石の上に置くと、予め用意していた紙コップを両手に取って、紅茶に口をつけた。
「ちょいとばっかし聞きたいことがあるんだけどさ」
シルクが紅茶を飲み終えたのを見計らい、ヘキサは口を開いた。彼には彼女に聞いておきたかったことがあったのだ。
「なんですか?」
「今回の目的ってなんなんだ? ただ単に狩りが目的じゃないんだろ」
「どーしてそう思うんですかー?」
「だってあからさまにおかしいだろ。あいつらがいるなんてさ」
ちらりと横目で、階段に座っている姉妹を見やる。黒と白の魔女は楽しげに会話している。ナイゼルの話を聞いているハウゼルの表情からは、普段の剣呑さは感じられない。こうして眺めている分には、仲睦まじい姉妹に思えるから不思議だった。
「……ひょっとしてハズミ絡みなのか?」
躊躇いがちに訊ねると、青い髪の少女は困ったような顔になってしまった。一瞬、ナイゼルたちのほうに視線をやり、声を潜めて小声で言った。
「やっぱりわかっちゃいますかぁ」
「そりゃこのタイミングでこれだからな。疑うなってのが無理な話だよ」
それでもバロウズ活火山の入り口で待っていたのがシルクだけだったのならば、そうは思わなかったかもしれない。だが、人前には滅多に姿を現さない白箒と黒箒までいるとなれば、赤毛の少女との関連性を考えずにはいられなかった。
「今日、あいつはこなかったんだな」
「そうだね。ハーちゃんもこれればよかったんだけど。場所が場所だからねー」
違いないと、ヘキサは苦笑いした。
語るまでもなくバロウズ活火山の属性は火。当然ダンジョンに生息するモンスターも、火の属性を帯びている。火属性のモンスターに火の魔法は通じない。大きく威力が殺がれるし、中にはHPを回復させるモンスターもいる。
故に、火属性特化型魔法使いたるハズミにとって、このダンジョンは鬼門なのだ。それはなにも彼女に限ってのことではない。魔法使い――特に特化型の魔法使いの宿命のようなものだ。
「あいつなにかやらかしたのか? 白箒と黒箒が揃って出っ張るなんて相当だぞ」
「それがね。実は私にもよくわからないの。ハーちゃんが関係してるとは、私も思ってるんだけどねー」
そう前置きすると、えっとね、と唇に人差し指を当てて、思案している口調で言った。
「今回の狩りを提案したのはナイゼルさんなの。このダンジョンを指定したのも、あのヒトなんだよ。だから詳しい事情は私も聞かされてないの。私が参加したのは、ヘキサさんの知り合いだからって言われたからだよ」
「ナイゼルが? なんのために?」
「それは――」
「そこからは私がお話させていただきますわ」
シルクの言葉を遮る声に、反射的に振り返ると、そこにはふんわりと微笑する修道女がいた。いつ間に近づいてきたのか。いくらシルクの話に集中していたからとはいえ、足音で気づきそうなものなのだが。
「シルクちゃん。悪いのだけど少しの間、向こうで妹の相手をしていてくれないかしら?」
ナイゼルの視線の先には、気難しい顔で腕を組むハウゼル。
「お願い。ヘキサさんと二人で話がしたいの」
「わかりましたー」
青い髪の少女はヘキサとナイゼルを交互に見ていたが、彼女の言葉に頷くと、ハウゼルのほうに歩いていった。
「さて、と。ヘキサさん。こちらにきてくださるかしら」
さり気ない動作でナイゼルは、ヘキサを祭壇の反対側に誘導する。ここなら多少は大きな声で話しても、ハウゼルたちに会話が聞こえることはないだろう。
「こうして二人で話すのははじめてですわね」
「……そうだな」
「ふふ。そのように警戒しないでください。なにも取って食おうというワケではありませんわ。――ですから、どうか剣から手を離してくださいませんか」
鈴の音を転がすような微笑。そう言われてはじめてヘキサは、自分の右手が腰の柄に触れているのに気がついた。意識してではない。無意識でのことだ。
白髪の少年は柄から手をどけると、バツが悪そうな顔をして謝罪した。
「悪い。そんなつもりじゃなかったんだ」
「わかってますわ。ふふっ。ヘキサさんは人見知りする方ですのね」
気分を害した様子もなく笑う修道女に、彼はほっと安堵の吐息をついた。むろん、それは彼女の機嫌を損ねると、祭壇の反対側でこちらを睨んでいるハウゼルが激怒するというのもあるが、正直にいうとヘキサはハウゼルよりもナイゼルのほうが苦手だったのだ。
確かにハウゼルは辛辣だし攻撃的ではあるが、良くも悪くもストレートでわかりやすい。その反面目の前の少女は、いつも微笑んではいるがなにを考えるかまったく読めない。感情というものが伝わってこないのだ。
それは例えるならば、喜以外の感情が欠落した人形。無表情を微笑みで覆い隠してしまった哀れな――否、それは流石に失礼だ。
らしくない思考に顔を伏せる。初対面の相手を人形だなんて。どうかしている。ナイゼルの行動に気を揉むあまり、知らずネガティブなほうへと思考が流れたとしか思えない。
そもそも彼女と対面するのはこれが初なのだから、考えが読めないのは当然である。ただでさえ自分はその方面に鈍いのだから。
「それに謝らなければならないのは、むしろ私のほうですわ。妹が貴方にご迷惑をかけているようで、本当にごめんなさいね。シルクちゃんも心配していましたわ」
本当に困った娘、とナイゼルは岩石の天井を見上げて嘆息した。
「今回も本当は連れてくるつもりはなかったのだけど、一緒に行くって利かなくて。どうも私のことを心配してるみたいなの。ヘキサさんに興味があるって言ったのがまずかったのかしら」
本当に困った娘、とナイゼルは岩石の天井を見上げて嘆息した。
それであの敵意か。ヘキサはハウゼルの過剰なまでの敵意の原因が、おぼろげながらも理解できた。つまり単純に気に入らないのだろう。姉が自分に興味を抱いているのが。それがマンイータと畏怖されている存在なだけに尚のこと。
「興味があるっていうのは?」
「そのままの意味ですわ。ハズミちゃんがあまりにも必死だったから、どんなヒトなのか一度会ってみたいと思ったの。それでシルクちゃんに仲介してもらって、こうして機会を設けさせていただきました」
視線を頭上から眼前に移す。修道女の碧眼には白髪の少年が映し出されている。ナイゼルはヘキサを視界に収めると、くすりと笑い目を細めた。
そこでふと、ある考えがヘキサの脳裏を過ぎった。シルクが言っていた。バロウズ活火山を狩りの舞台に選んだのは彼女だと。
つまりそれはハズミを除外するためなのではないのか。ここなら彼女が無理やり同行する可能性は低い。そう算段したのではと、そのときの彼には思えてならなかった。
「貴方の噂は色々と耳にしてるけど、やっぱり人伝に聞くのと実物とでは大違いだわ。ふふっ。ハウゼルも心配性なんだから」
それはどういう意味で違うのか。ふと訊ねてみたい衝動に襲われたがぐっと堪えて、代わりに別のことを口にした。
「ていうか、ハウゼルの悪ふざけがわかってるなら、ナイゼルのほうから止めさせてくれよ。ホント、頼むから」
一応、こちらのHPや状況を確認してはいるようなのだが、だからといって味方であるはずの仲間に攻撃されるのはあまりいい気分ではない。
「申し訳ありませんが……それは無理です」
ヘキサの頼みにしかし、ナイゼルは首を横に振りやんわりと拒絶した。これには彼も驚いた。こうも正面から拒否されるとは思わなかったのだ。
思えばナイゼルはハウゼルを促すことはあっても苦言を呈することはなかった。彼女の行動をあえて放置している節がある。
「ちょ――いやいや、なんでさ。お前からの忠告なら、あいつだってちょっとは自重するようになるだろ」
まあ、ハウゼルの性格を考えると余計に反発して、風当たりが強くなる可能性も否定できないのだが。そこは彼女の良心に期待するしかない。なんにせよ、黒箒の反応はどうあれ、それが可能なのは姉である白箒だけなのだ。
「いいえ。駄目ですわ」
だって――、彼女は言葉を繋げる。
「私は『諦めた人間』――傍観者ですもの」
口調こそ普段と変わらない。しかしその響きの荒涼は、何事なのだろうか。
「すべてを諦めてしまった私に、他人の言動を否定する権利はありません。例えそれが私の妹で、過ちを犯したとしてもですわ」
碧眼が遥か遠く、ここではないどこかを見据えている。自嘲と悔恨。まるで漂白された老婆の如き諦観に、束の間ヘキサは声を発することができなかった。
「もっとも……彼はまだ諦めてはないようだけども。中途半端に希望があるというのは、存外に辛いですわね」
白髪の少年にはナイゼルの言っていることがまるで理解できなかった。それこそ一から十まで。なにもかも。ただ漠然と感じたのは、いまの自分には到底理解できない領域にいるであろうということだけだった。
「――さて。そろそろ休憩は終わりにしましょう。もう少し奥に行こうかと考えていますが、ヘキサさんはよろしいでしょうか?」
表情が一転する。瞬きをするとそこには、静かな微笑みを称える少女がいた。そこには暗い陰の余韻は微塵もなく、初対面の印象そのままのナイゼルの姿がそこにはあった。
「別にいいけど」
疑問はある。質問の返答もない。それでも脳裏に灼きついた悲哀に、そう言葉を返すのが精一杯だった。踵を返して遠ざかる背中をぼんやりと眺めていると、彼女と入れ替わりにシルクが近寄ってきた。
「ヘキサさん? どうかしましたか?」
「……いや、なんでもない」
そうして冒険は再開された。並び順はさきほどと同じ。ヘキサとシルク。その後ろからナイゼルとハウゼルが続いている。
相変わらず背後からは鋭い視線を感じるが、ヘキサにはその眼光を意識することはなかった。ナイゼルの横顔が脳裏にこびりついて離れないからだ。
あれはゲームを楽しむ者のしていい顔ではない。他人をとやかく言える身でないことは重々承知しているが、あれよりはマシだと断言していい。
否、それ以前である。ナイゼルが垣間見せた表情。生きることに疲れた老婆のような有様。一体、なにがナイゼルにあのような表情をさせたのか。検討もつかない。
いや、ひょっとしたら理解してはいけないのかもしれない――と、そう思案したとき、視界に出現した赤いカーソルに、ヘキサは思考の海から現実に引き戻された。
「止まって。モンスターがいる」
やはり最初にモンスターの存在に気づいたのはヘキサだった。嫌な予感がする。彼らは岩陰に身を隠すと、そっと前方を伺った。
溶岩流により赤く照らされる殺伐とした岩石の世界。首を巡らし周囲を警戒しているのは、ディミックの群れだった。数は二十匹ほどいるが、どうとでも対処できる。
問題なのはその奥。ギィギィと鳴くディミックたちの中央。黒茶けた大地から突き出す石の上に浮遊する死神だった。
身に纏うボロボロの赤い衣の隙間からは、白い骨が覗いている。フードの奥の髑髏の眼窩には、青白い輝きが人魂のようにゆらゆらと揺らめいていた。赤の死神、スカルマーダは歪曲した黒い大鎌を肩に担いだ体勢で、吹き荒む熱風に血染めの衣を靡かせていた。
「また面倒臭い奴がいるな」
小さく舌打ちするハウゼル。
バロウズ活火山にランダムで出現するこの死神は、このダンジョンの中ボス的な位置づけけのモンスターである。浮遊をはじめとする様々な特殊能力を持ち、ステータスも群を抜いて高い。カーソルカラーこそ赤だが、その強さはボスモンスターすら凌ぐ。現在確認されているモンスターの中でも最強に属している難敵だ。
ランダム出現という特性上、事前にリポップする場所の特定が不可能であり、バロウズ活火山の攻略における最大の壁として、現在進行形でプレイヤーたちを苦しめている。いままでどれだけのプレイヤーが、奴の鎌の餌食になったことか。
そういう意味では相手に先駆けて発見できたのは行幸だった。不意打ちという最悪の事態は避けられるし、攻略方法を練る時間もある。
「――なあ。あいつの相手は俺にさせくれないかな」
だが、白髪の少年はその一言で、自らのイニシアチブを放棄した。メニューウインドを開き、操作しながら続ける。
「あの襤褸切れは俺がやる」
インベントリの格納アイテムを表示。種類別にソートして、武器項目から片手剣を選択。検索にヒットしたのはひとつ。その剣と現在装備中の剣とを交換する。
「ど、どうしてー? 危険だよぉ」
「気に食わないんだよ……あいつ……。赤い服とか大鎌とかが、どっかの誰さんを連想させるんでね。特に獲物が大鎌なのが最高にムカつく。それに――練習台には打ってつけだ」
言って、腰の鞘から剣を抜き放つ。美麗にして流麗。赤い光を乱反射させる硝子の刀身。その美しさに少女たちは魅入ってしまった。
「綺麗な剣ですわね。それが例の?」
「幻想武器」
姉妹のつぶやきを沈黙で肯定すると、いつでも跳びだせるように意識を集中させる。彼の視界にはすでに、赤い死神の姿しか映っていなかった。
「というワケで、シルクたちは周りの雑魚を頼む」
「おい。勝手に決めるなッ。誰が貴様の命令など――」
「了解しましたわ。……シルクちゃんもいいかしら?」
「はぇ……うん。わかった」
「ナイゼル姉さん!? 何故ですかッ!」
自分を置き去りに進む話に待ったをかけようとして、姉の碧眼に見据えられて言葉が尻すぼみに消える。
「ハウゼル。このPTのリーダーは彼です。リーダーの指示には従うべきですわ。……ヘキサさん。露払いは私たちにお任せを」
「悪いな。ワガママ言って。もし俺が負けたらすぐに撤退してくれ」
「支援はー?」
「必要ない。自分の力だけで勝ちたいんだ。それと――」
ヘキサはハウゼルの腕を掴むと自身のほうに引っ張った。突然の彼の行動に驚く少女を他所に、顔を近づけると耳元で小さく囁いた。
「ハウゼル。流石に今回は横槍入れるのは勘弁してくれよ。俺もそこまで余裕があるワケじゃないからな」
「……フン。勝手にしろ」
掴まれている腕を強引に振り解き、ソッポを向いてしまう少女に苦笑いする。
「ヘキサさん。頑張ってー」
青い髪の少女の声援に片手で答えると、ヘキサは隠れている岩から身を晒して、赤い死神目掛けて地面を力強く蹴った。