第七章 価値観(2)
なんでこんなことに。
背後から突き刺さる鋭い視線に、ヘキサはそう思わずにはいられなかった。頬を伝う汗の原因は、茹だるような熱さのせいだけではあるまい。
暑いではなく熱い。黒い岩石の間を流れる真っ赤なマグマが、洞窟の内部を赤く照らしている。足元の岩石から這い上がる熱と、溶岩流から発生する熱風とが、洞窟を灼熱地獄に変貌させいた。
生命を拒絶する死の大地――バロウズ活火山。現在、ファンシーの攻略の最前線となっているダンジョンに、ヘキサたちの姿はあった。
「ヘキサさん。大丈夫ですかぁ?」
熱さと視線の二重苦にげっそりとしていると、ひょっこりと横から青い長髪の少女が彼の顔を覗き込んだ。彼女の身に纏う法衣の左胸には、青い箒に跨った魔女の紋章。
≪セブンテイル≫に属する魔法使い、青箒シルクの言葉に、ヘキサは弱々しい笑みを浮かべた。
「あーなんとか。死なない程度には大丈夫――だと思う」
「はうぅ。ごめんなさい。私がお誘いしたばっかりに、ヘキサさんにご迷惑をおかけしてしまいましたー」
「いや、シルクのせいじゃないって」
シルクにはなにも落ち度はないし、彼女の責任だとも思っていない。そもそも青い少女からの狩りの申し出を了承したのは自分なのだから。
では、何故ヘキサがこんなある種の極限状態にあるかといえば、その原因は彼の背後にいる人物にあった。
「……なんだ?」
しょんぼりとするシルクから視線を後ろに移すと、それに反応する声があった。声の主はこの場には不釣合いな、ダークグレーのスーツに身を包んだ男装の麗人だった。
黒の短髪に黒い瞳。右目の泣きボクロが妙に色っぽい。その耳元で十字架を象った銀のピアスが小さく音を鳴らしている。
彼女は怜悧な瞳を細めて、こちらを見やる白髪の少年に続けて言った。
「どうも顔色が優れないようだが、気分が悪いのか?」
「まあ、ちょっとな」
「そうか。それはよかった」
え? とその返答にヘキサは目を丸くし、男装の麗人は表情を緩めると、笑みを浮かべたままで軽やかな口調で言葉を紡いだ。
「そのまま死んでしまえばいいのに」
勘弁して。にっこりと邪気のない満面の笑みに、ヘキサは泣きたくなってしまった。
心配してくれてるのかと、少しでも思った俺が馬鹿だった。本当になんだってこんな目にあっているのか。誰か俺に説明してくれと、声を大にして叫びたい心境だった。
「あらあら。ハウゼル。そんなこと言っては駄目でしょ」
臓腑を抉るような舌鋒に絶句していると、彼女と肩を並べて歩いている白い修道服の少女が、おっとりとした口調で男装の麗人をたしなめた。
頭巾に収まりきらない金色の髪が、歩みにあわせて揺れている。白い修道服を押し上げる豊かな胸元に輝く、銀の十字架を握りしめて、彼女は碧眼を男装の麗人へと向けた。
「彼にはこちらから無理を言って、同行をお願いしたのですよ? そのような悪態を口にしてはいけません」
「で、でも、ナイゼル姉さん」
「ハウゼル」
おっとりとしたしかし、芯のとおった声で再び名前を呼ばれて、男装の麗人――ハウゼルはぐっと苦虫を噛んだような顔になった。
そして幾ばくかの逡巡の後、――すまない、と姉に促されてか細い謝罪を口にした。だが、それは表面上の繕いにすぎない。白髪の少年を睨む眼光は鋭く、黒い双眸は彼への恥辱と怒りに濡れていた。
何故だろう。全然これっぽっちも問題が解決していないように感じられるのは、自分の思い過ごしだろうか。自身の心の安定のためにも、是非そうだと思いたい。思えるといいなぁと、最後のほうは半ば懇願になっていることに、彼は気づいているだろうか。
「申し訳ありません。ヘキサさん。私の妹がご迷惑をおかけして。もしかして機嫌を損ねてしまいましたか?」
「いや、そんなことはないから。ホント、気にしないでくれ」
頭を下げるナイゼルの横で、尚も針のような殺気を飛ばしてくるハウゼルの存在に、びくびくとしながらヘキサはそう答えた。
本当になんでこんなことになったのか。どうやら神様は自分のことがトコトン嫌いらしい。たまには穏やかな日常を送らせてくれたっていいじゃないか。
そう嘆いてはみるものの、その程度で好転するほど現実は甘くはない。彼に許されるのはせいぜい愚痴ることくらいだ。
ハウゼルとナイゼル。妹と姉。黒と白。モノトーンの魔女。彼女たちを表現する単語はいくつもあるが、それが示す事柄はたったひとつだけ。
即ちは、黒箒と白箒。最強の魔法使いにより構成されるギルド、≪セブンテール≫の長と副長――それが、男装の麗人と修道女の二つ名であり代名詞だ。
人喰いヘキサと青箒シルク、そこに黒箒ハウゼルと白箒ナイゼルを加えた異色のカルテット。第三者に知られたらちょっとした話題になりそうな四人組だが、どうしてこのようなPTが成立したかといえば、昨夜ヘキサの元に届いた一通のメールがそもそもの発端だった。
リグレットの店でギルド結成の決意表明をしてから一週間。その日も彼は一人、狩りに明け暮れていた。
あれ以来、ハズミからの連絡はない。おそらく苦戦しているであろうことは、容易に想像がついた。リグレットも受注した武器の作成と顧客の引継ぎに追われているようだった。
ならば自分がいまするべきなのは、その日がくることを信じて、資金集めに没頭することだ。そう心に決めモンスターを駆逐していると、リグレットからメールが届いたのだ。それは彼女を介しての、シルクからの伝言だった。
内容は明日、バロウズ活火山へ一緒に狩りにいかないかというものであった。メールに仲間を二人連れてくるとあったのが気にかかったが、その仲間にはすでにヘキサのことは伝えてあるらしい。向こうのメンツも了承済みならと、安易に承諾したのが間違いだった。
いざ待ち合わせ場所に行くと、そこには手をひらひらと振るシルク。そして唖然とする白髪の少年に笑顔でお辞儀をするナイゼルと、露骨に顔を顰めるハウゼルの姿があった。
というのが、現在に至るまでの経緯だった。後は見てのとおり。ダンジョンに突入して早一時間。黒箒の殺気まじりの視線に晒されながらも、モンスターを迎撃しつつ黙々とヘキサたちは奥へと進んでいた。
それにしても熱い。容赦なく襲いかかる熱気と熱風に辟易とする。しかもこの奥はもっと熱いというのだから、それだけでもうんざりとする気持ちだった。
加えてこのバロウズ活火山は、当初の予想よりも遥かに広かったようなのだ。なにしろ現在ダンジョン攻略中のプレイヤーの元まで、ヘキサたちのいる地点から七時間はかかる。それも最短での場合である。道中分かれ道もあれば、トラップだってある。強力なモンスターの相手をしながらとなれば、さらに攻略ペースが落ちるのは明白だった。
ファンシーの攻略が進むにつれて、ダンジョンの面積は拡大する傾向にあったのは確かだが、ここにきて一気にそれが加速化したようだ。
想像していたよりも遥かに広大なマップに、精神力を削る灼熱の大地。それがこのダンジョンの攻略が、想定していたよりも大幅に長引いている一因である。
この分ではいつ攻略されるのやら。そうヘキサが嘆息したとき、【索敵】が前方に存在するモンスターに反応した。複数の赤いカーソルは蠢いているが、ここからでは種類まではわからない。一度に大量のモンスターが出現する。それがこのダンジョンの特色でもあった。
「前にモンスターがいる。それもかなりの数だ。三十匹はいるんじゃないか」
どうする? と振り返るヘキサに、三人の魔女は口々に言った。
「倒しちゃおー」
「片付けてしまいましょう」
「ふん。蹴散らしてやる」
少女たちの言葉に、白髪の少年はわかったと頷いた。こうなるであろうことはわかっていた。それでも意見を求めたのは、それがリーダー――拒否も空しい不本意な押しつけだったが――としての、義務だと思ったからである。
「ンじゃあ、行こうか」
言って、四人は同時に駆け出した。近づいてくる複数の足音に、モンスターの群れは一斉にヘキサたちのほうを向いた。
発達した後脚で立つ爬虫類種。それがヘキサの第一印象だった。赤い鱗に覆われたしなやかな身体。蜥蜴を連想させる頭部。大きく開かれた口には、黄ばんだ牙が生えている。退化した前肢の鋭い鉤爪が、獲物を求めるかのように握られている。
肉眼で確認できる距離まで接近し、それにより自動で視界に【識別】スキルによる補正が加わった。モンスターの頭上にHPバーと名前が表示される。
ディミックと名づけられたモンスターの一団は、太い尻尾を岩石に叩きつけ、ギィギィと鳴き侵入者を威嚇している。
ゆうに三十匹以上いるであろう赤い狩猟者の群れの真っ只中に、白髪の少年は剣を抜くと躊躇することなく跳び込んだ。
「シルクッ」
「ほいさー」
気の抜けた返事と共に、掲げられた杖の先端に水色の光が灯る。
同時にヘキサの右手の剣を同色の光が包み、水色の輝きを帯びた刀身が、ディミックの赤い鱗を苦もなく切り裂いた。
青箒による属性付加魔法。付け加えられる魔法は当然、火属性の天敵たる水の加護である。
自慢の鱗を傷つけられ、怒りの雄叫びを上げるディミックは身体を大きく仰け反らせて、口腔から火の粉を飛ばした。直後、振り切られた口から赤い塊が吐き出された。
味方を巻き込むのも厭わず、至近距離から放たれた火炎弾がヘキサに直撃した。着弾して爆発する火炎弾に、ディミックは喉を鳴らし、無傷で黒煙を突き破る彼の姿に、驚愕の叫びを洩らした。
水色の残影を描く刀身が、ディミックを連続で斬りつける。HPバーを失い、赤い身体が四散した。
まず一匹。口の中でつぶやく白髪の少年に、赤い尾を引く火炎弾が八方から降り注いだ。炸裂する爆音と爆発がヘキサを呑み込むが、やはり煙を払う彼には爆発の痕跡は見受けられない。HPも僅かに削られた程度だ。
「ふふ。無駄ですよ」
白の魔女は優雅に微笑む。その手には黒い杖。先端の水晶が眩い光を放っている。いつの間にかヘキサの全身が淡く発光していた。ナイゼルによるダメージ軽減の支援魔法の光である。
ゆらりとヘキサの身体が揺れ、束の間、彼の姿が霞んだ。飛来する火炎弾を切り裂き、一瞬で敵の懐に肉薄するヘキサ。剣が閃くたびに、異形の悲鳴が洞窟内に反響する。
鋭利な鉤爪に尻尾による強打。噛みつきも火炎弾。そのどれもが、青と白。ファンシーでも屈指の魔女の加護を受けたヘキサの害にはなり得ない。
鬱憤した感情のはけ口を見つけ、存分に暴れる彼の勢いに圧されて、数匹のディミックが後ろに退いた。その足元に差す影が不気味に脈打った。
ディミックが足元の異変に気がつく。後脚を撓めて離脱しようとした赤い胴体を、影から飛びだした無数の針が貫いた。
中空に縫いとめられ、じたばたと暴れるモンスターを貫く黒針が、HPを継続的に減少させ続ける。傷口からはどす黒い霧が立ち上っている。
「邪魔だ」
赤い軍勢を睥睨し、黒の魔女は無慈悲に死を宣告する。肩に担がれたステッキのような形状の白い杖。象嵌されている黒曜石が心臓のように脈動し、頭上から落ちてきた黒い断頭刃がディミックのHPを完全に奪い取った。
砕け散るモンスターには目もくれない。ハウゼルが白い杖を旋回させ、複雑な韻律を口ずさむ。地面を這う闇色の刃が、赤い鱗に喰い込みその身を細切れにした。
仲間を犠牲に黒刃を偶然掻い潜った一匹のディミック。次々に殺される仲間に、ギィッと泣き声を響かせ、その身体を巨大な氷の塊が押し潰した。
「あはは。逃がさないよー」
青の魔女が無邪気に笑う。周囲を浮遊する氷の槍を操作して、ヘキサとハウゼルの取りこぼしをピンポイントで狙い撃ちにする。
いつしか洞窟にはディミックの断末魔が重なり、物悲しい音色を奏でていた。それはもはや戦闘ですらない。一方的な虐殺だった。
牙を鳴らし、三匹のディミックがヘキサの脇をすり抜け、三人の少女目掛けて突進してきた。そのうちの一匹は黒刃に切り刻まれ地面に伏したが、残る二匹は尚も止まらない。
迎撃する氷の槍に穿たれる仲間を盾に、最後の一匹が跳躍した。縦長に割れた瞳孔には、男装の麗人が映し出されている。
仲間を皆殺しにされた怨みに一矢報いるべく、唾液を滴らせる牙を黒箒の首元に突きたてようとし、それよりも刹那早く展開された不可視の障壁に激突すると、無様な姿勢のまま岩盤に叩きつけられた。
「お痛はダメよ」
頭上から声が落ちてきて、その身を穿つ黒い針に、ディミックは断末魔すら許されずに消滅した。
それで決着はほぼ着いた。あれだけいたモンスターは数を激減させて、生き残ったディミックは僅かにしかいない。それも風前の灯だった。
水属性を付加された剣が鱗を斬り、最後の一匹の喉を貫いた。硬直したディミックのHPバーがゼロになり、モンスターはポリゴン片を撒き散らして消滅した。
周囲に他のモンスターの反応が消えたのを確認し、ヘキサは剣を鞘に収め――自身の影から飛び出した黒針に目を剥いた。
咄嗟に顔を捻る。黒い針が頬をかすめて、HPバーががりっと削られた。
「――ちっ」
その舌打ちをヘキサは絶対に忘れないだろう。痒痛の余韻に頬を引き攣らせて、彼はゆっくりと振り返った。視線の先には、唇を尖らせる黒箒。
「おい。いまのはなんだ?」
「ああ――事故だ。許せ」
顔色ひとつ変えずに平然と言ってのけるハウゼル。これには流石のヘキサもキレた。凄まじい剣幕で彼女に詰め寄ると、捲くし立てるように叫んだ。
「ふざけんなッ。お前、いま明らかに俺を狙ってただろ!?」
「違う。モンスターに当たり損ねたのが、運悪くかすめただけだ。確かに私と貴様の仲はよくない。しかしだからといって、故意に攻撃するワケがなかろう。諍いはあれども、私たちは仲間なのだからな」
この野郎……ッ! ヘキサは歯軋りする思いで、悪びれもしないハウゼルを睨みつけた。
理由はわからないが、どうやら自分は余程ハウゼルに嫌われているようだ。故意に彼女が攻撃を仕掛けてきたのは、なにもこれがはじめてではない。流石に戦闘中は自重しているようだが、戦闘終わりの不意をついて度々凶行に及んでいるのである。
頼みの綱の【直感】も、黒箒の攻撃には反応してくれない。【直感】は敵性対象に反応するスキル。つまり仲間であるPTメンバーに対しては、その効果を適用してくれないのだ。
向こうは明らかに敵意を持っているのだから、適用されもいいのではと心底思うのだが、システムにそんな曖昧な判断が下せるワケもなく。ヘキサは泣き寝入りするしかないのが現状だった。
正直、PT抜け出して帰ろうかとも考えたのだが、一度引き受けた以上は最後までやり遂げるべき、という変な使命感が邪魔をしているせいで実行できずにいる。まあ、単に生来の弱気な気質が影響して、言い出せないというのもあるのだが。
「もうっ。ハウゼルさん。ヘキサさんを攻撃しちゃだめだよー」
「ふん。手が滑っただけだ」
「ハウゼル?」
「……すまない」
シルクの苦言を無視するハウゼルだがしかし、姉の言葉に謝罪を口にした。これも見慣れた光景だった。注意するシルクに促すナイゼル。そしてふて腐れるハウゼルと、似たような展開が度々繰り広げられている。
反省しないハウゼルもハウゼルなら、促すだけで嗜めようとしないナイゼルもナイゼルだ。一体、なにを考えているのやら。
「あぅ……あ、ヘキサさーん。あっちに中継ポイントがあるよー」
悲しい現実に項垂れていると、場の雰囲気を察したシルクが声を張り上げた。ヘキサを追い抜き先行すると、彼も肩を落としてトボトボと後に続いた。