第七章 価値観(1)
「俺、ギルドを作ろうと思うんだ」
「……はあ……そうですか……」
来訪者の存在を知らせる玄関の鈴の音に、奥の工房から店内を覗き込んだリグレットは、カウンターの前に立っていた白い少年の一言に目を瞬かせた。
彼女は両手に抱えた鋳造したばかりの剣を木の台の上に置くと、ヘキサの言葉を吟味するかのうに瞑目した。コメカミを人差し指でトントンと叩きながら、彼の発言を再確認するような口調で問うた。
「私の聞き間違いでなければ――いま、ギルドを作ると言いましたか?」
「言った。俺は決めたんだ。ギルドを作ろうって。もっともメンバーが最低三人は必要だから、いますぐってワケにはいかないけどな」
「本当にですか?」
「ああ」
「本当の本当に?」
「ああ」
「本当の本当のホン――」
「いや、そんな入念に確認しなくても。本当だからさ」
現実味を感じていないのか。いまいち半信半疑そうなリグレットの表情に、ヘキサは苦笑しながら答えた。我ながら随分と信用がないらしい。まあ、身から出た錆なので仕方がないことではあるのだが。
そんな彼の顔をじっと見ながら彼女は小首を傾げた。
「ヘキサがその気になってくれたのは嬉しいのですが、一体どのような心境の変化です。てっきりなにかと理由をつけて、答えを先延ばしにされるとばかりだと思っていたのですが……よろしければ理由を教えていただけますか?」
「うーん。理由ねぇ」
するとヘキサは困ったように白髪をガシガシと掻くと、頭の中に漠然とあるものを思い浮かべて、途切れ途切れに口を開いた。
「正直、理由らしい理由はない。それでも無理やり理由を用意するとすれば――波長が合ったって言えばいいのかな? なんとなく……いまなら作れそうだって思ったんだよ」
そのときの心境を思い起こしながら言うと、リグレットは眉根を寄せながら曖昧に相槌を打っていた。
イマイチ理解できない。リグレットの表情がそう語っていた。端整な顔を渋める彼女に、ヘキサは苦笑いを浮かべるしかなかった。黒髪の少女が困惑するのも無理のないことだった。なにしろヘキサ自身にだって、よくわかっていないのだから。
昨夜、暗い自室でヘキサは考えを巡らした。リグレットの提案。ハズミの共感。クライスの助言。ヒューリの進言。彩音の提言。奈緒の共有。
そのどれもがヘキサにとっては契機であり指針だった。物好きな連中だと思うが、同時に感謝している。様々な人物の様々な言葉。その中でも一際強く、心を揺さぶったのは誰の言葉だったか。
そこに思考が及ぶまで随分と時間がかかった気がするが、その問いに対する結論には、驚くほどあっさりと至った。だからヘキサは答えをすぐ伝えることにした。
『何故か』登録されていた彩音の携帯に電話をかけ、≪英雄譚委員会≫には加入せずに、自分のギルドを作りたいと気持ちを伝えた。それを彩音は快く了承してくれた。困ったことがあったら相談して、とすら言ってくれた。
一時の気の迷いに絆された、安直な選択かもしれない。後になり自身の選択に後悔する日がくる可能性だって多いにある。しかし、同時にそれは彼の確かな想いでもあった。
安易だろうが稚拙だろうが、彼女の意志に応えたいと感じたのだ。理由などそれで十分だった。後悔などそのときになってからすればいい。それにリトも言っていたではないか。
「これはゲームなんだから。楽しまなくちゃ損だろ」
違うか? と問うてくる白髪の少年に、鉱物めいた無機質的な美貌をリグレットは無言で緩めた。
「ていっても、さっきも言ったけど、肝心のメンツが揃ってないからな。まずはそこからはじめないと。……さて、どうやって集めたもんかな」
そう言って肩を竦める。
メンバー集めは基本にして、ギルドを結成するうえでの最大の壁だ。いまの白髪の少年にはたった二人のメンバーすら、どうやって集めたらいいのかまるで検討がつかない。
クライスに相談してみようかな、とヘキサは思った。広い情報網を持つ彼なら心当たりが見つかるかもしれない。そう思案していると、リグレットが顎に片手を添えながら言った。
「そうですね。では、掲示板で募集してみてはどうでしょうか? 可能性は低いかもしれませんが、残りの一人くらいならひょっとすると見つかるかもしれませんよ?」
「それもひとつの手かな。荒らされて終わりのような気もするけど――ん?」
リグレットの言葉に頷きかけて、感じた違和感に眉を顰める。はて。なんだろう? と小首を捻り、違和感の正体はすぐにわかった。
「――残り一人? ……二人の間違いだろ?」
「間違いではありません。後、足りないメンバーは一人だけだと思いますが」
「そんなワケないだろう。ギルドの結成に必要なメンツは三人。俺の他に二人いなくちゃギルドは作れないはずだ」
なにかリグレットが勘違いしているのではと考えたヘキサが、ヘルプマニュアルにも記されている情報を口にする。しかし、彼女はふるふると首を横に振った。
「いいえ。残りは一人です。何故ならメンバーの二人目なら――ヘキサ。既に貴方の目の前にいるではありませんか」
「悪いけど意味がわからん。目の前にいるって、俺の前にはリグレットしかいない――え? はあ? え、嘘、マジで?」
言葉の半ばで彼女の真意を悟り、語調を跳ね上げるとヘキサは顔色を変えた。
「は、ちょ、いやいや……冗談だろ? だってリグレットはもうギルドに入ってるじゃないか。そっちはどうするんだよ」
現在のファンシーのシステムでは、ギルドの掛け持ちは不可能だ。新たなギルドに加入したければ、在籍中のギルドを脱退するしかない。
「ええ――ですから辞めます」
「辞めますって……おい。そんな簡単に決めていいのかよ」
他人事のように断言する黒髪の少女に、彼は唖然としてしまった。その選択肢は彼の脳裏には存在しなかった選択肢だった。
「この店はどうするんだ。ギルドからの借り物なんだろ。脱退したら出て行かなくちゃならないんじゃないのか?」
「当然そうなるでしょうね」
リグレットはそう答えると目を細め、首を巡らして店内を見回した。
「別に構いません。この店に愛着がないと言えば嘘になりますが、それとて許容の範囲内です。脱退を躊躇する理由にはなりません」
あっさりと言ってのける少女に、逆にヘキサのほうが絶句してしまった。
「なんで……」
前々から疑問に思っていたことがある。
リグレットはいつでもヘキサの味方だった。どんなときでも自分の傍にいてくれた。いまの自分が自分でいられるのは、彼女のおかげと言っても過言ではない。
だが、何故黒髪の少女がそこまでしてくれるのか、ヘキサにはついぞわからなかった。疑っているワケではない。少女の行動に疑惑を抱くのは、彼女に対する不敬だ。それをいままで訊ねなかったのは、純粋にその答えを彼女の口から聞くのが怖かったからだ。
「なんでリグレットは俺のためにそこまでしてくれるんだ」
マンイータ・ヘキサの味方をしたところで、得をすることなど、なにひとつないと言うのに。すると彼女は「そんなことですか」と肩を竦めた。
「決まっています」
気負いも戸惑いもなく、黒い少女はさも当然だとばかりに静かに言葉を紡いだ。
「私がそうしたいと心に決めたからです。それが私の意志であり、望みでもあります。――これでは理由になりませんか?」
そう微笑する少女に、ヘキサは言葉もなく魅入ってしまった。
やられた。それは反則ではないのか。色々と疑問に思っていたことが、いまの微笑みで全て吹き飛んでしまった。些細な疑問など、どうでもよくなってしまった。
「それにヘキサにギルドの結成を提案したのは私ですから。提案するだけして、放置するのは無責任ではありませんか。どれほどのことができるかわかりませんが、私にも貴方の手伝いをさせてください」
胸に熱が宿る。温かくて嬉しくて、ヘキサは熱に浮かされるままに口を開きかけ――、
「ちょっと待った――――ッ!!」
玄関のドアを勢いよく開き、店内に駆け込んできた赤毛の少女に、ヘキサは文字通り跳び上がって驚いた。
早鐘のように打つ心臓を片手で押さえて背後を振り返る。そこには肩を怒らせて、大股でこちらに近付いてくるハズミがいた。
前髪に隠れて彼女の表情を伺い知ることはできない。二人の前で立ち止まった赤毛の少女から放たれる、言いようのない威圧感のようなモノに、ヘキサは恐々と声をかけた。
「あの……は、はずみ?」
「……る」
白髪の少年の声に反応することなく、ハズミが俯いたまま小声でぼそりとつぶやく。
「え? な、なんだって? 声が小さすぎて聞こえないぞ」
辛うじて語尾が聞こえる程度だったヘキサが聞き返す。するとハズミは面を上げて、店内がびりびりと震えるほどの大声で言った。
「あたしもギルドに入るって言ったのよッ!」
ヘキサとリグレットは揃って目を瞬かせた。眼前で腰に手をあてて胸を張るハズミに、えーと、とヘキサは確かめるような口調で言った。
「ギルドって……俺が作る予定のギルドに?」
「そうよッ」
「いや、無理だろ」
考える素振りもなく切って捨てたヘキサに、「なっ!?」と声を詰まらせてしまったハズミ。右足で強く床を打つと、捲くし立てるように口を開く。
「な、なんでよ!? リグレットはよくてあたしは駄目だっていうの! なに、その差別。あたしは邪魔だって言いたいの!?」
全身を熾りのように震わせていきり立つハズミにしかし、ヘキサは表情を改めると真摯の篭った口調で言った。
「それは違う。そりゃ最初は色々とあったけどさ。いまはハズミにだって、その……感謝してるんだ。邪魔だなんて思うワケないだろう」
出逢いが最悪なら、その後の赤毛の少女との関係も、お世辞にも良好と言える代物ではなかった。なにせ顔を突き合わせる度に、炎を撃ち続けられていたのだ。正直に言えば彼女の顔を見るのが億劫だった時期もあった。
だが、それはヘキサにしてみれば過去の話に過ぎない。
聖堂騎士団に囲まれたとき、ハズミは声を荒げて怒鳴っていた。紛れもなくそれはヘキサのための怒り。彼への理不尽に対して、我がことのように怒ってくれたのだ。
それだけではない。最近はなにかと言っては、自分の手助けをしてくれてもいる。臆病で小心者な自分が、疎遠だった妹との溝を以前よりも縮められたのは、ひとえに彼女のおかげである。
いまではリグレットと同様に、ヘキサにとっては――ハズミが自分をどう思っていようとも――大切な仲間なのだ。邪魔だなんて冗談でも言えないし、言うつもりも毛頭ない。
「あ、そ、そうなの。な、ならいいのよ」
ここまで直球でこようとは予想だにしていなかった。不意打ちぎみの一言に、ハズミは彼から視線を外すと顔を赤らめた。彼女は口の中でごにょごにょと声にならない言葉をつぶやくと、意味もなく靴の先で床を叩いている。
「俺が言いたいのは、≪セブンテイル≫を脱退するのは無理じゃないかってこと。ハズミの立場上、リグレットみたく気軽に辞めるなんて言えないだろ」
ハズミが所属する≪セブンテイル≫は、通常のギルドとは違い、『箒』の二つ名を持つプレイヤーが自動的に加入させられるギルドだ。『箒』の二つ名が他のプレイヤーに譲渡されたとしても、それは変わらない。その場合は前任の『箒』が≪セブンテイル≫から自動削除されて、代わりに新たな『箒』の二つ名を得たプレイヤーと入れ替わるのだ。
そしてヘキサの知る限り、≪セブンテイル≫から譲渡以外――自分の意思で脱退したプレイヤーの話は聞いたことがない。
故にヘキサは『箒』の二つ名を所有している間は、システム上でロックが掛かり≪セブンテイル≫から脱退するのは不可能だと思っているのだ。
そもそもハズミの所属する≪セブンテイル≫は、公式ギルドの中でもとりわけ変り種として知られている。条件付きとはいえ強制加入させられるギルドなど、彼女のところくらいなものである。
公式認定世界運営ギルド。
略して公式ギルドは、その名のとおり運営側が用意したギルドの総称だ。当然のことではあるが、ファンシーに限らず通常ギルドはプレイヤーの手によって設立される。
しかし、ファンシーにはそれとは別に、世界観に合わせて運営によって作られたギルドが存在する。つまりファンシーにおける世界観として物語に登場するギルドを、実際に存在するギルドとしてプレイヤーに開放しているのだ。
むろん、実質ギルドを管理するのはプレイヤーであり、運営が干渉してくることはない。運営はあくまで演出の一環として、ギルドを提供しているに過ぎないのだ。
ちなみに≪セブンテイル≫の元となった世界観は、ある種の神秘を分別・体系化させて、後に魔法と呼ばれる技術の根幹を成した、始祖たる七色の魔女の集まりとされている。
その他にもリグレットが現在所属している鍛冶屋ギルド≪小人の金鎚≫。傭兵ギルド≪梟の巣≫や初心者の支援ギルド≪知恵の輪≫など様々な公式ギルドがある。
こうした公式ギルドには、それぞれの世界観に関係した『恩恵』が与えられている。≪セブンテイル≫で言えば属性魔法の強化。≪小人の金鎚≫では鍛冶関連のスキルに対して補正が加えられるのである。
また公式ギルドに加入するには前提条件があったりと一長一短であり、メリットだけではなくデメリットも数多くある。それをふまえたうえでどう判断するかは、各々の判断に一任されているので、自身の状況と照らし合わせて決めるプレイヤーも多い。
「……なんとかするわ」
「いや、どうやって。なんとか言われても困るんだけど」
「なんとかはなんとかよ。なんとかをどうにかなんとかするに決まってるじゃない」
もはや赤毛の少女の言いたいことがわからなかった。もしかしたら≪セブンテイル≫の特殊性を考慮して、なにかしらの緊急回避的な手段があるのかもしれない。
「とはいっても、≪セブンテイル≫は長がアレだからなぁ。やっぱり無理じゃないか?」
基本的にギルド内で行動を起こそうとした場合、ギルドのトップの承諾が必要なのが常である。仮に強制加入故の緊急回避手段あったとして、それを行使するのにはトップの許可が要るのは必然。そうなった場合、システム的には可能でも、物理的に不可能な事態になりかねない。
「確か≪セブンテイル≫の現トップは、黒箒でしたか。彼女になにか問題でもあるのですか?」
白髪の少年のぼやきを耳にしたリグレットが、頭の中の情報を整理しながら言った。
「問題というかなんと言うか。……リグレットは黒箒のことをよく知らないんだっけ」
無言で肯定するリグレット。
黒箒と言えば知らぬ者はいない、かなりの有名人――いい意味でも悪い意味でも――なのだが。もっとも、剣専門の鍛冶屋であるリグレットと魔法使いである黒箒とでは関係性が皆無なので、その程度の認識なのかもしれないが。
黒箒ハウゼル。黒箒の二つ名が示すとおり、闇属性特化型の魔法使いだ。彼女はファンシーで最初に黒箒の二つ名を得たプレイヤーであり、現在に至るまで一度たりとも黒箒の地位を他人に明け渡したことのない、不動の魔女として『も』知られている。
「リグレットはウチのリーダーと副リーダーが姉妹だって話は知ってる?」
「それは知っています。黒箒と白箒が姉妹だという話は有名ですから。……確か白箒が姉で黒箒が妹でしたか」
「うん。それでウチのリーダーはね。≪セブンテイル≫に凄く固執してるの。それはもう他のギルドが迂闊に手を出そうものなら、そのギルドのメンバー全員をキャラロスに追い込むまで徹底的にやるでしょうね」
「なるほど。黒箒は自分のギルドを大切にしているのですね」
感心したような口調にヘキサとハズミは、顔を見合わせると曖昧に笑った。あえて訂正するような真似はしなかった二人だったが、どうやら黒髪の少女は勘違いしているようだ。
ハウゼルが本当に大切にしているのは≪セブンテイル≫――ではなく、≪セブンテイル≫に所属してファンシーを楽しんでいる白箒なのだ。姉至上主義者と公言して憚らないハウゼルにしてみれば、姉であるナイゼルの居場所を死守するのは、何物にも優る最重要事項なのである。
「ハズミの気持ちは嬉しいけど、やっぱり無理じゃないかな。うん。今回は気持ちだけ受け取っておくよ」
「やだッ。絶対になんとかするから。ちょっとだけ待っててよ!」
諦観じみたヘキサの苦笑いに、慌ててハズミが言った。どうやら彼女は諦めるつもりはないようだ。是が非でも白髪の少年が作るであろうギルドに入るつもりらしい。
「まさかと思うけど……ハズミまでギルドを辞めるとか言い出さないだろうな?」
ヘキサの冗談を含んだ言葉に、ハズミからの返答はなかった。彼女の沈黙に嫌な予感がしたそのときだった。
「――では、こうしましょう」
パンッと手を打ち合わせて、リグレットはある提案を二人に持ちかけた。
「さきほどヘキサ自身が言っていましたが、いますぐにギルドを作るつもりではないのでしょう?」
というか、作れないのだ。なにしろ肝心のメンバーがいない。リグレットをメンバーの加えたとしても、後一人足りないのだから。
「ですから、ギルドを作るのはしばらくの間待っていてください。流石に私も現在請け負っている受注の依頼を放置するワケにはいきませんから。その間にハズミは手段を模索してください」
「わかったっ」
ぐっと胸の前で拳を握り、ハズミは力強く言った。
「ヘキサもそれでよろしいでしょうか?」
「別に俺はいいよ。全然問題ない」
ヘキサにしてもリグレットとハズミが、これから作るギルドに加入してくれるのならば、これ以上心強いことはない。可能ならこちらから頭を下げてお願いしたいくらいなのだから。それに気が知れ者同士の方がなにかと都合がいい。
「では、それでいきましょう」
「オッケ。任せといて。ばっちり決めてくるから」
「頼むからことを荒立てないでくれよな」
盛り上がる二人の少女を横目に、そう願わずにはいられないヘキサ。だが、すぐに彼は現実の厳しさを痛感する羽目になる。その事実を白髪の少年はまだ知らなかった。